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2020年9月22日火曜日

書評『グローバリゼーションの中の江戸』(田中優子、岩波ジュニア新書、2012)ー「ヒト」の移動に制限はあったが「モノ・カネ・情報」が自由に行き交いしていた江戸時代


「グローバリゼーション」と「江戸」。いっけん水と油のように相反するものと聞こえるのは、いまだに江戸時代が「鎖国」であったという固定観念が世の中には存在しているからでだろう。

ところがじつは、江戸時代は最初から最後まで、江戸時代はグローバル経済と密接に結びついていたのであった。『グローバリゼーションの中の江戸』とはそういう意味だ。

長崎のみが海外に開かれた窓で、それ以前の戦国時代末期の南蛮文化が栄えたキリシタン時代とはまったく異なり、世界史の大きな流れから離脱し引きこもっていたのが江戸時代だ、というのが一般的な理解ではなかろうか。

たしかに、「ヒト」の移動にかんしては、キリシタン対策の観点から、日本人の海外渡航は禁じられていたし、海外から外国人の日本への入国も制限されていたことは事実だ。だから「鎖国」という表現もあながち間違いとはいえない。新型コロナの感染症(COVID-19)の状況下の現在も似たようなものだろう。

だが、「モノ」と「カネ」、そして「情報」に注目すると、まったく違う世界が出現する。江戸時代は最初から最後まで海外商品を輸入し続けていたのであり、中期以降は日本産品の輸出も活発になっていく。江戸時代は、世界とモノでつながっていたのである。しかも、長崎だけでなく、対馬も、琉球も、蝦夷も、海外に開かれていたのである。

いわゆる「四つの口」というやつだ。長崎は幕府の直轄地で中国とオランダ対馬藩が朝鮮王国をつうじた中国との貿易薩摩藩が琉球王国をつうじた中国との貿易、そして松前藩が蝦夷地のアイヌとの交易の実務を担っていたのである。対馬藩は釜山の倭館で貿易実務を行っていた。出島の真逆の関係となる。

つまるところ、経済という面に限定して見れば、「鎖国」とは幕府による管理貿易がその本質であったというべきだろう。貿易港にかんしてだけでなく、とくに輸入にかんして、数量と品目にかんして統制を行っていた(・・だからこそ、抜け荷、すなわち密貿易を誘発したという側面がある)。情報にかんしては、キリスト教関係を禁書として輸入禁止にしていたことも周知のとおりだ。刀剣や鉄砲など武器の輸出も禁止していた。

現在でもすべての産品にかんして、貿易が完全に自由化されているわけではない。とくに、ライフラインにかかわる食糧とエネルギー、そして兵器関係にかんしては各種の制約が多い。市場経済体制においても、経済運営にあたっては、「見えざる手」にすべてをゆだねるわけにはいかないのだ。管理貿易体制下にあった江戸時代においても、市場経済が発達していたことを知るべきだろう。

江戸時代、とくに前半に輸入されていたのは、布や糸を中心としたアパレル関係と漢方薬が中心であった。この2つは当時の日本では国産化できなかったためである。

高級な絹織物の原料となる生糸の供給は、もっぱら中国に頼っていたのである。服装で身分の違いを「見える化」する必要のあった時代、支配階層にとって絹織物は必需品だったからだ。生糸が幕末から明治時代にかけて輸出商品の中核をなすようになったのは、江戸時代中期以降に国産化が進んで以降のことである。

生糸の代金として支払われたのが、江戸時代初期までは豊富に産出した銀(シルバー)であり、銀が枯渇してくると銅、さらに俵物(たわらもの)とよばれた水産加工品(=干しアワビ、干しナマコ、フカヒレ)であった。旺盛な購買力を支えた鉱物資源、とくに豊富な銀を産出した「ラッキーカントリー」時代が終焉したことが、吉宗の時代に国産化という輸入代替化政策を採用することになったのである。

水産加工品は主に中国に輸出され、中華料理の高級食材となった。また、銅貨鋳造のために必要な銅の産出が少ない中国は、日本から銅を輸入する必要があったのである。オランダ東インド会社もまた、日本銅を輸入してヨーロッパ市場に投入していた。

輸出品には、漆器や蒔絵、陶磁器などの手工業品もあった。手工業品は、オランダ東インド会社をつうじて西欧にまで輸出されている。明清交替期の中国が混乱していたため、景徳鎮からの供給が細った時期にオランダ東インド会社は、代替品として日本の陶磁器を扱うようになった。また、マリー・アントワネットの蒔絵コレクションは、オランダ東インド会社をつうじて日本に特注されたものだった。

ではなぜ、江戸時代に海外商品が輸入されつづけられたのか? それは、可処分所得が増えた一般庶民のファッションへの需要がきわめて大きかったからだ。絹糸やカラフルな布は日本の技術水準が低いので国内で生産できなかったのだ。いまでもそうだが、日本人は海の向こうからやってくる舶来品に弱いということもあろう。江戸時代には、生活必需品は輸入されていなかった。輸入されたのは、ある意味では贅沢品であった。

興味深いのは、江戸時代ほどインドの影響を受けていた時代はないという著者の指摘である。綿製品の染め物である「印度更紗」(いんどさらさ・・バティック、ろうけつ染め)は、当時の日本にはない柄として大いに人気を博し、着物に仕立てられていたのである。

江戸時代の文学や浮世絵にかんして圧倒的な知識量をもち、そのむかし『江戸の想像力』という刺激的な好著でデビューした著者の研究蓄積から生まれたエッセンスである。

あえて問題点を指摘すれば、タイトルにある「グローバリゼーション」ではなく「グローバル経済」というべきだ江戸時代初期には銀(シルバー)が主導した「第1次グローバリゼーション」がほぼ終了しており、その後の19世紀初頭に「第2次グローバリゼーション」が始まるまでは、「すでにグローバル化していた世界」のなかで安定的な状態が続いていたからである。

「グローバリゼーション」は経済急拡大とカオス的不安定化をもたらすが、現象というよりも運動である以上、かならず始まりと終わりがある。その終わり方はいつも劇的だ。「グローバリゼーション」という表現を江戸時代にあてはめるべきではない。江戸時代を終わらせたのは、英国が主導した「第2次グローバリゼーション」である。

また、豊臣秀吉の「朝鮮出兵」にかんする著者の見解にはやや違和感がある(・・どうしても左派リベラル派的バイアスを逃れられないようだ)。とはいえ、著者の思想傾向がどういうものかさえ知っておけば問題はないだろう。

「ヒト」の移動が自由ではなかったものの、「モノ」と「カネ」、そして「情報」が国内外を行き来していた江戸時代次の時代に「つながる」基礎をつくったのが江戸時代だったことを知るための好著である。認識を改めるために読むべき本である。






目 次

はじめに-グローバリゼーションって何?
1. 江戸の西洋ファッション

 ボタンとズボン
 水玉とフリル
 江戸のインド
 ファッションで見るグローバリゼーションの意味
 着物は巡る
2. 江戸の茶碗とコップ
 お茶碗でご飯を食べました?
 日本人と磁器
 漆の時代から陶磁器の時代へ
 様々な修理人たち
 お茶碗の中身-ご飯
 コップ-和ガラスの世界
3. 江戸の視覚の七不思議
 一不思議め レンズ 
 二不思議め 眼鏡をかけた江戸人たち
 三不思議め 遠近法と陰影法が描いた江戸
 四不思議め 中国版画とカラー浮世絵 
 五不思議め 大首絵-クローズアップの迫力
 六不思議め 風景が動く
 七不思議め 五感で感じる本の世界
 そして循環
4. 江戸時代が出現したグローバルな理由
 コロンブス日本到着?
 国際海賊集団「倭寇」が鉄砲を持ってきた
 いよいよ朝鮮侵略へ
 朝鮮通信使がやってくる!
 琉球国とアイヌ民族をめぐって
 江戸時代に日本はアジアから自立した
 教科書に「鎖国」と書かれる理由
参考文献
おわりに-どうやってグローバルになればいい?


著者プロフィール
田中優子(たなか・ゆうこ) 
1952年横浜生まれ。法政大学社会学部教授、同大国際日本学インスティテュート(大学院)教授。法政大学文学部卒業、同大学院博士課程(日本文学)修了。1986年『江戸の想像力-18世紀のメディアと表徴』(筑摩書房)で芸術選奨文部大臣新人賞、2000年『江戸百夢-近世図像学の楽しみ』(朝日新聞社)でサントリー学芸賞などを受賞。その他の著書に『近世アジア漂流』(朝日新聞社、1990)、『春画のからくり』(ちくま文庫、2009)など多数。現在、法政大学総長。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)。


PS. このブログ記事は、2016年にいったん書きかけたものの中断していたものを、2020年9月22日に完成させたものである。


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