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2020年9月21日月曜日

書評『誰も語らなかったフェルメールと日本』(田中英道、勉誠出版、2019)-17世紀の「オランダの黄金時代」に与えた同時代の日本の影響


日本にはフェルメールのファンが多い。日常生活の何気ない仕草をテーマにした作品に親しみを感じるからだろう。

西洋美術だと身構えることなく、これといった背景知識を知らなくても受け入れることができる点も好まれる理由の1つだろう。聖書の知識もギリシア神話の知識も必要ない。ほぼ同時代とはいえ、おなじく17世紀オランダを代表する画家レンブラントとの大きな違いだ。

ちなみにフェルメールは、1632年生まれで没したのは1675年レンブラントは、1606年生まれで1669年に没している。ほぼ一世代違うが、おなじ時代におなじオランダに生きていた。

日本でフェルメールがブームになったのは、どうやら2000年以降の現象らしい。世界的にみても、かつてはそれほど人気があったわけではないようだ。

すでに一昔前の話だが、1980年代前半に過ごした大学時代に受けた「美術史」の授業でフェルメールが取り上げられていた記憶はない

とりたててフェルメール好きではない私も、全点には遠く及ばないものの、日本で開催された美術展に足を運んで何点か見ている。フェルメールは、画集やネットで見ている限りはディテールまで細かく見れるが、実物はえらくサイズが小さいことに驚かされる。近くに寄ってじっくり観察したいのだが、出展の目玉であるので並んでいる人が多すぎるのは困ったことだ。


■フェルメールと同時代の日本

『誰も語らなかったフェルメールと日本』(田中英道、勉誠出版、2019)という本が面白い。美術史家の著者が、フェルメールを見る上で黙殺されがちな同時代の日本の影響について、詳細に語ったものだ。

フェルメールは言うまでもなく17世紀オランダの画家だが、17世紀というのはオランダの黄金時代であり、その富をもたらしたのは東インド会社などによる貿易であった。

そして、この時代の日本が、ヨーロッパ勢力で唯一関係をもっていたのがオランダである。江戸幕府は、カトリックのスペイン・ポルトガル勢力を排除して、オランダとイングランドを選択したが、最終的に残ったのはオランダであった。

オランダの画家フェルメールが生きたのは、3代将軍・家光から4代将軍・家綱の時代である。

中継貿易を行うオランダ東インド会社(VOC)が日本にもたらしたのは中国の絹製品が中心であったが、それ以外にも東インド(・・現在のインドネシア)のバタフィア(=ジャカルタ)を拠点にアジアに張り巡らせたネットワークを活用して、さまざまな物品を日本にもたらしていた。

その対価が日本産の「銀」(シルバー)であったことは世界史の常識だろう。日本から銀が調達されなくなったあとは、銅がこれに代わる。資源国日本も資源が枯渇してきたからであり、国内で貨幣として使用するために必要であったからでもある。銅は、東インド会社が解散されるまで日本から販売されつづけた。

貿易というのは双方向の活動であり、帰国する船が空身で戻ることはない。銀のほかにも、さまざまな日本物産を積んで、貿易ネットワーク上の各地に持ち込んで販売している。もちろんん、陶磁器などオランダ本国まで持ち帰っていた物品もある。

その筆頭にあげられるのが、貿易の返礼品として将軍から下賜された小袖(こそで)だ。

出島にあるオランダ東インド会社の商館長(カピタン)は、幕府の家来として貿易をさせていただいていることを感謝するために、毎年1回、献上品を持参して江戸に赴き、将軍に謁見を賜わることになっていた。参勤交代のようなものだと考えていいかもしれない。その返礼品が大量の小袖だったのだ。この日本産の小袖が、同時代のオランダでは大人気となっていたらしい。

「ヤポンセ・ロック」という名前で、支配階層や富裕層のあいだではガウンとして大流行していたのだ。これは、フェルメールを含めた同時代のオランダ画家の作品に登場することでわかる。

本書には、こういった話だけでなく、光の画家フェルメールとおなじくデルフトの住人であった生物学の父レーウェンフック(・・顕微鏡をつかって、はじめて微生物を観察した人だ)レンズ磨きの職人だった哲学者スピノザとの関係など、興味深い話が登場する。

もともとユダヤ系商人の家に生まれたスピノザは、オランダ東インド会社の日本貿易のことも知っていたようだ。『神学・政治論』には、キリスト教を禁止されていた日本に駐在するオランダ東インド会社社員の話がでてくる。


このように面白い内容の本なのだが、著者の着眼点は素晴らしいものの、確実な証拠がないまま推論のみで結論づけている点が多く見られる。やや牽強付会ではないか、と感じてしまうのだ。

とはいえ、こういう見方もあるのだと知って、フェルメール作品を鑑賞してみるのは、大いに意味あることだろう。フェルメール好きの人はもちろん、そうでない人も読んで損はない1冊だと思う。




目 次
はじめに
第1章 フェルメールが生きた時代、オランダそして日本
第2章 神の光と自然の光、フェルメールとスピノザの交流
第3章 『天文学者』と『地理学者』の世界
第4章 フェルメールのフォルモロジー研究
第5章 オランダとフェルメール

著者プロフィール
田中英道(たなか・ひでみち) 
1942年生まれ。歴史家、美術史家、東大文学部卒、ストラスブール大学Phd. 東北大学名誉教授、ローマ、ボローニャ大学客員教授。 主な著書に『日本美術全史』(講談社)、『日本の歴史』(育鵬社)、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(講談社)いずれも欧語版、『芸術国家 日本のかがやき』『高天原は関東にあった』『日本の起源は日高見国にあった』『天孫降臨とは何であったのか』『日本人を肯定する』『邪馬台国は存在しなかった』(勉誠出版)他多数。


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