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2020年9月28日月曜日

書評『帝国としての中国 - 覇権の論理と現実』(中西輝政、東洋経済新報社、2004)-「中華秩序」の本質に迫る


中国と日本の関係は、きわめて難しい。ただ単に地政学という観点からだけでは理解できない力学が働いているからだ。

日中の二国間関係を理解するためには文明史論的アプローチが必要だとして、それを実践した思索の軌跡が、本書『帝国としての中国-覇権の論理と現実-』(中西輝政、東洋経済新報社、2004 新版2013)の内容である。中国史の専門研究者ではなく、政治学者による「中華秩序」の本質に迫る試みである。

ただ本書は、思索の軌跡であって、結論ありきの本ではない。その意味では、整理されきった内容を説明するというよりも、読者と一緒になって過去にさかのぼりながら考え、一歩一歩手探りで進むという叙述の仕方になっている。著者の思考プロセスを追体験することになる。


■「帝国としての中国」が主導した東アジアの国際秩序

本書で考察が加えられるのは、「帝国としての中国」である。現在は中華人民共和国という共産主義国家で「皇帝」はいないが、中国は秦の始皇帝以来「帝国」という枠組みで統治が行われてきた。

「帝国」といえば、古代ローマ、ペルシア、トルコ、インド、ロシア、英国・・と世界史上に大きな存在感を示してきた。だが、「帝国」といっても、十把一絡げにはできないのである。さまざまな形態が存在してきたのであり、文明の個性がそのまま帝国の個性となっている。

中国もまた秦の始皇帝以来、ラストエンペラー溥儀に至るまで、2000年以上にわたって「帝国」として存在してきたが、きわめて特殊な統治形態をとってきたことはいうまでもない。

端的にいえば「華夷秩序」というあり方である。みずからを文明の中心とみなす中国を「華」とし、その周辺を非文明的な「夷」という存在が取り囲んでいるという世界認識にもとづく秩序のあり方だ。

政治経済的には「朝貢体制」にもとづき、「帝国としての中国」とのその周辺諸国家との関係で形作られる国際秩序のことだ。上下関係と階層構造で成り立っている「垂直的な秩序」である。

17世紀半ばの西欧で生まれて、現在ではデファクト・スタンダードとなっている「ウェストファリア体制」という、主権国家どうしの対等な関係をもとにした「水平的な国際秩序」とは異なり、華夷秩序は基本的に上下関係と階層構造をもって秩序である。

もちろん、主権国家どうしの関係が対等であるとする西欧のウェストファリア体制においても、現実には「覇権国」が存在し、政治経済そして軍事におけるスーパーパワーとして君臨し、国際秩序を維持してきた。19世紀の英国と20世紀の米国というアングロサクソン勢力である。

面白いことに、第2次世界大戦後の米国主導の秩序のあり方と、伝統的な華夷秩序は似ていると著者は指摘している。・・・・米国中心の国際関係において「同盟国」の位置づけが、実質的に上下関係となっているからだろう。現在の日本を考えれば、容易に理解できる小おtだ。ということであれば、現在2020年代の米中対立は、似た者どうしの対立ということになる。


■「帝国」と周辺諸国家との「関係」に着目する

著者の中西教授は、「中国という帝国」そのものを真っ正面から分析しているわけではない。帝国の内部には、さまざまな少数民族が包含されているが、帝国の「内部」ではなく、帝国の「外部」に着目した分析だ。あくまでも中国の周辺諸国との「関係」のあり方に着目した分析である。

「中国という帝国」が、その影響力の及ぶ範囲内で、いななる「関係」を結んできたか、そしてその結果できあがった秩序とはいかなるものかに着目した、いわば搦め手のアプローチである。

中国の「中」は、中心の「中」ではないという指摘は重要だ。国(=國)という漢字が
意味するのは、囲いのなかに囲まれているという発想だ。

中国文明は「都市」において、商業活動を囲い、すなわち城壁のなかに囲い込むことで成立したのである。中国語で都市のことを「城市」というのはそのためだ。

中国文明の本質は、都市と商業であって、地方の農村ではない。この姿勢は現在まで一貫してつらぬかれてきたことは、現在においても「都市戸籍」と「農村戸籍」が別個の存在として併存し、国民として同等の権利を認められていないことにも示されている。

「ウチ」が中国であれば、当然のことながら中国の「ソト」との関係が問題になってくる。

中国大陸はユーラシア大陸の北東に位置し、東側の沿海部で海に節している。前者が「陸の中国」であれば、後者は「海の中国」となる。陸地でつながっている以上、ユーラシア大陸に発生した文明の影響を受けるのは当然だが、中国の「ソト」は内陸部だけではない。海の向こうにも存在することになる。海からの影響もあるということになる。

問題は、中国のウチとソトの境界がどうなるのかということだ。言い換えれば、中華秩序の限界についての認識はいかなるものかということだ。

具体的には、大陸においては西はトルキスタン、東は朝鮮半島となる。そして北はモンゴルなどの遊牧民南はベトナムなど海の向こうには日本と琉球があった(・・ここではかつて「化外の地」とされていた台湾は考察からはずしておく)。直接の脅威を防ぐバッファーとして西にトルキスタン、東に朝鮮があったと考えることも可能だ。帝国としての中国には、なくてはならない存在である。

東アジアの歴史的世界における中国と周辺諸国と諸民族の関係は、以下の3つの要因の相互作用と対峙のあり方で見るべきだと著者はいう。

① 中国と周辺各国とのあいだの政治・軍事的な力関係
② 華夷思想にもとづく、相互の「地位」と権威の上下関係(ハイアラキー)および、その実態や真の意図にかかわる現実との乖離
③ 周辺の側における、中国ないし「中華」との交流を求める貿易・文化的な動機

膨張と収縮を繰り返してきたのが「中国という帝国」だ。辺勢力がが軍事的に弱体化すれば膨張し、周辺勢力が軍事的に強大化すると収縮する。中華というのは文明概念であるが、タテマエ的な要素も強い。

国際政治においてモノをいうのは、なんといってもハードパワーとしての軍事力であり、そしてそれを支える経済力だ。ソフトパワーとしての文化はもちろん重要だが、それはあくまでも平時に限られる。有事にはむきだしの軍事力が浮上する。これは中国においても、なんら変わりはない。




■「朝貢国」であった朝鮮とベトナム、中国とはひたすら距離をとってきた日本の共通点と相違点

日中韓の東アジア3カ国というくくりは日常的に行われるが、儒教と道教、そして大乗仏教を受け入れたのは日中韓(・・韓国は朝鮮といいかえてよい)だけではない、ベトナムもまたそうだったのだ。

朝鮮とベトナム、そして日本の対中関係を歴史的に比較すると見えてくるものがある。

ベトナムは、地理的には東南アジアに位置し、現在の枠組みではASEAN加盟国家だが、インド文明の影響下にある上座仏教圏のタイやカンボジア、イスラーム圏のインドネシアやマレーシア、キリスト教圏のカトリック国フィリピンなどの国々とは異なる性格をもっている。

ベトナムは、日本や朝鮮とおなじく、儒教・道教・仏教の中華文明圏三点セットを受け入れた「中国文明」に属する国である。ただし、その濃淡に差異があることはいうまでもない。しかも、ベトナムは近代になってから西欧文明のフランスの植民地支配を受けている。

だが、中華文明に対する「求心力」と「遠心力」、地政学的なポジションから、東アジアの日本、朝鮮、ベトナムでは、中国との関係において共通点と相違点がある。

著者の枠組みにしたがえばこうなる。①順応、②対峙(たいじ)、③対決 である。対峙はもうすこしくわしく紹介しておこう。対峙と対決は、いっけんすると似ているが異なる概念である。

①順応: 積極的に華夷思想にもとづいて、いわゆる王化と事大の中華理念に則って行動するパタン。典型は、朝鮮。
②対峙: 重大な齟齬を双方が認識しつつ「相互の沈黙」を基調とする永続的な「対峙」。典型は日中関係。
③対決: ときとして正面から力の論理によってぶつかり合う。典型はベトナム。

「対決」の事例は3つの類型があった。中華が積極的な「外征」に出るケース。北方民族の「中原」進出によって逆に「征服王朝」として中華に君臨するケース。「北虜南倭」のような、周辺が恒常的に侵略してくるケースである。

地政学上の立ち位置から、朝貢国として「順応」して生きることを余儀なくされてきた朝鮮。おなじく朝貢国でありながら、中国文明以外との接点をもってきたため、「対決」と「融和」を巧みに使いこなしてきたトナム。そして、中国とは一貫して距離をとって「対峙」してきた島国・日本

とくに重要なのが、日本ではあまり顧みられることのない「中朝関係」について、過去事例を題材にかなり突っ込んだ分析を行っていることだろう。

ベトナムはさておき、日中韓の三国間の枠組みのなかで、朝鮮と日本は対照的な位置にあるからだ。朝貢国として生きてきた朝鮮と、そうならなかいよう距離をとってきた日本の大きな、そして根本的な違いである。

余談だが、日中関係と日米関係にかんしては膨大な蓄積がありながら、米中関係にかんして蓄積がないのと同様である。どうも日本人は三国間関係のなかで自分とは直接関係ない二国間関係について関心が薄いようで、イマジネーションするのが不得意のようだ。

朝鮮の朝貢負担の重さは、気の毒とさえいわねばなるまい。朝貢は、じつは経済的にうまみのある行為だったという理解されることが多くなっているが、朝鮮の場合はそうではなかったのである


16世紀末の「朝鮮出兵」、19世紀末の「日清戦争」、20世紀半ばの「朝鮮戦争」の共通性

16世紀末の「朝鮮出兵」、19世紀末の「日清戦争」、20世紀半ばの「朝鮮戦争」は、いずれも大陸勢力の中国と海洋勢力の日本(その後、日本を飲み込んだ米国)との戦いが朝鮮を舞台に行われたことが共通している。

この状況は「H」というローマ字の大文字で理解が可能だ。著者の中西氏は、『歴史としての冷戦-超大国時代の史的構造』(ルイス・ハレー、サイマル出版会、1970)の記述に言及しているので、ここではこの本から当該部分を長くなるが直接引用しておこう。

国際政治学者のルイス・ハレー氏は、冷戦時代の「朝鮮戦争」を地政学的現実だけでなく、歴史的背景を踏まえて的確に指摘している(*引用に際しては、仮名遣い等にかんして引用者=さとうが適宜修正を加えている)

(引用)
「戦略につうじた人が地図を眺めたら一目瞭然である。もし、中国と日本をHという字の2本タテの線と考えると、朝鮮半島は2本の線をつなぐヨコの線である。それは双方にとってお互いの侵略ルートであり、その結果双方の安全は、朝鮮半島を軍事的に占領するか否かいかかっていた。これは朝鮮人にとって不幸なことであった。ちょうどドイツ人とロシア人のあいだに挟まれたポーランド人が不幸であるのと同様であった。しかしそれは、北東アジアの安全と安定を考える上で、見逃すことのできない戦略的事実であった」(P.146)


引用を続けよう。ハーレー氏のような歴史的な見方をすると、1950年代の「朝鮮戦争」における米中激突が、けっして偶発的なものでなかったことが理解されるのである。


(引用 つづき)
朝鮮戦争をめぐる中国と日本の争いは、日本の建国以来絶えず続けられており、現在は米国が日本に代わって行っている。660年代には中国と日本は朝鮮で戦い、中国が勝った。  
 1590年代の朝鮮戦争は、1950年代の朝鮮戦争と驚くほど形が似ている日本は当時も、今日と同じく中鮮国境であった鴨緑江まがけて前進し、中国の大規模な反撃にあって、38度線以南に追い返された
 1890年代には、中国の国家が崩壊しつつあった反面、日本の勢力が増大し、ふたたび行われた朝鮮戦争では、今度は日本が勝って朝鮮は1945年まで日本の属領となった。
 しかし、米国が日本の力を継承し、同時に朝鮮の南半分を占領したとき、米国は以上の長い歴史が何を意味をするか気がついていなかった。朝鮮半島をめぐって、後に米国が中国と対決したのが、まったくの偶然的出来事であったというのは疑わしい
 

「1590年代の朝鮮戦争」とは、いわゆる「朝鮮出兵」のことである。明の征服を目的とすた秀吉が朝鮮半島に大軍を送った戦争のことだ。「1890年代の朝鮮戦争」とは、「日清戦争」のことである。清朝末期の日本との対決は、朝鮮半島と台湾を舞台に行われたのである。

大文字のHは、2本のタテ棒にはさまれた1本の横棒。2本のタテ棒は、それぞれ中国と日本(and/or 米国)、1本のヨコ棒は朝鮮である。大国に挟まれた小国という、半島という地政学上のポジションがもたらす苦難と悲哀である。

著者の中西氏は、16世紀末の「朝鮮戦争」に1章をあてて分析を行っている。朝鮮からの援軍要請に対して宗主国の明は、当初は援軍覇権を渋っていたという事実がある。朝貢国の朝鮮がひそかに日本と通じて中国に侵略してくるのではないかと疑っていたからだ。

援軍が派遣され明軍が日本軍と向き合うと、今度は明は朝鮮の頭越しに日本と講和交渉を開始している。宗主国にとっては、あくまでも自国が危険を感じたからこそ援軍を派遣したのであり、その脅威を取り除くために戦争をするか講和するかは、あくまでも宗主国次第なにだ。無条件で朝貢国を支援したわけではない。この冷厳たる事実こそ、「帝国としての中国」の支配の本質があると著者は見ている。

こういった歴史上の事例を追っていくと、おのずから中国と朝鮮の関係が明確になってくる。日清戦争の際もまた、朝鮮の頭越しに日中間で講和条約が交渉され、締結している。朝鮮戦争においても、実質的に米中戦争であったというのが、その本質というべきだろう。

となると、21世紀の現在、朝鮮半島情勢がどう動くか予断は許さないが、「旧宗主国」としての中国がどう朝鮮半島を「属国」とするかに注目すべきなのである。朝鮮が日本の植民地であった期間も、米国の同盟国となった韓国の歴史も、中国史のなかで見たら、ひじょうに短い期間であったに過ぎないのだ。


■「西洋の衝撃」(ウェスタン・インパクト)への対応

清朝の乾隆帝の時代、「三跪九叩頭礼」を拒否した英国使節のマッカートニー(・・同時期にオランダ使節はそれを苦もなくおこなっている)から約50年後、「アヘン戦争」(1840年)に中国はアングロサクソン勢力に屈服する。

そして、それからさらに約50年後、今度はいち早く「西欧近代化」路線を採用し、「ウェストファリア体制」に入った日本が「日清戦争」(1894年)で清朝を屈服させ、朝貢国の朝鮮を失ったことで、中華帝国は崩壊したのである。以後、中国は伝統的な支配システム放棄を余儀なくされることになった。

だが、「辛亥革命」(1911年)による清朝崩壊から、現在はまだ100年と少ししか立っていないのである。秦の始皇帝以来2000年に及ぶ中国王朝史の、わずか100年にしか過ぎないのである。

無意識レベルにまで浸透している華夷意識が、はたしてそう簡単に消えてしまうものかどうか、答えは自ずから出ているというべきだろう。国際協調を主張する中国だが、その根底部分では華夷意識が払拭されていないことは、北朝鮮と韓国への対応に明らかである。

本書が最初に出版されてから、すでに16年になるが、分析内容は古びていない。出版時点での「現在」はすでに過去のものだが、それよりはるかに古い「過去」を分析しているから、その分析内容には古びないものがあるのだ。

読者としては、その分析結果を「現在」にあてはめ、自分なりの現状分析に応用してみることに意義がある。





目 次  *( )は、内容の括りとして引用者(=さとう)が追加

まえがき
第1章 中国とアングロ・サクソンとの対峙

(「中国」とは、その本質)
第2章 「外に対する中」こそ「中国」の本質
第3章 中華秩序の膨張論理
第4章 「中華」と「周辺」との距離感覚
第5章 「アジア的粉飾」としての中華秩序

(中国と朝貢国・ベトナムとの関係)
第6章 「アジア的本質」を映す中越関係
第7章 中越のアジア的平和の構造

(中国と朝貢国・朝鮮との関係)
第8章 極東のコックピット(=闘鶏場)
第9章 北東アジアの「歴史的モザイク構造」 
第10章 中朝「唇歯の関係」の本質

(中国と異文明の北方遊牧民、異文明の西方との関係)
第11章 中華文明に対抗する「北方の壁」 

(中国と「西欧近代」を体現したアングロサクソン勢力との対峙と対決)
第12章 中国は「西欧の衝撃」を超えられるか 
第13章 現代中国が抱える「大いなる歴史の宿題」 
第14章 21世紀の中国と世界、そして日本

結びにかえて
参考文献


PS 本文の内容を増補して小見出しを1つ付け加えた。(2020年10月4日 記す)


現代中国


現代中国を考えるために読んだ5冊(2019年11月24日)ー『幸福な監視国家・中国』・『スッキリ中国論』・『習近平のデジタル革命』・『戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊』・『食いつめものブルース』

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」
・・「中国崩壊」をシミュレーションする

書評 『中国外交の大失敗-来るべき「第二ラウンド」に日本は備えよ-』(中西輝政、PHP新書、2015)-日本が東アジア世界で生き残るためには嫌中でも媚中でもない冷徹なリアリズムが必要だ
・・「近代以降の中国にとっての重要な課題は日本対策。重要なことは、すでに建国から70年を経過した中国は成熟段階に達しており、習近平のあとにつづく指導者も、毛澤東以来の「中国の夢」(チャイナ・ドリーム)の実現を追求する、という著者の指摘である。問題は、特異なパーソナリティの持ち主の習近平だけではない。中国共産党そのものにある、とする」

書評 『習近平-共産中国最弱の帝王-』(矢板明夫、文藝春秋社、2012)-「共産中国最弱の帝王」とは何を意味しているのか?


書評 『中国は東アジアをどう変えるか-21世紀の新地域システム-』 (白石 隆 / ハウ・カロライン、中公新書、2012)-「アングロ・チャイニーズ」がスタンダードとなりつつあるという認識に注目!

近代世界の国際秩序への挑戦者 カリフ制復活を主張する自称イスラーム国もまた


ユーラシア大陸の「専制国家」-ときに崩壊するがけっして死滅しない専制国家の本性

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ
・・中国はユーラシア大陸の「中心」に位置する「大陸国家」である

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・ユーラシア大陸と接していない島国の日本は「海洋国家」である

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「こういった権威主義政治体制のもとにおいては、なによりも国内問題を意識し、体制維持のための財源が必要だからだ。王政のもとにおいては臣民、それ以外の政治体制のもとにおいての一般民衆、かれらをすくなくとも経済的に満足させておけば、体制転換という誘惑を回避させることができるからだ。そのために国家は富を蓄積する必要がある」

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

ジャッキ-・チェン製作・監督の映画 『1911』 を見てきた-中国近現代史における 「辛亥革命」 のもつ意味を考えてみよう
・・なぜ孫文は「革命いまだ成らず」と言い残して死んだのか?


朝鮮半島問題は中国問題

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)-「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない
・・「離米従中」という国際秩序への貴族をめぐる朝鮮半島の先祖返り的状況

書評 『朝鮮半島201Z年』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2010)-朝鮮半島問題とはつまるところ中国問題なのである!この近未来シミュレーション小説はファクトベースの「思考実験」


「海洋国家」日本の取るべき道

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた

書評 『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)-福澤諭吉の「脱亜論」から130年、いま東アジア情勢は「先祖返り」している

書評 『帝国陸軍 見果てぬ「防共回廊」-機密公電が明かす、戦前日本のユーラシア戦略-』(関岡英之、祥伝社、2010)-戦前の日本人が描いて実行したこの大構想が実現していれば・・・

(2020年10月13日 情報追加)



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