(*)2017年7月に作成したドラフト原稿をもとに、今回あらためて見直した上で書き直した。
知られざる事実が満載の本書で、誤った「常識」が正されることになる。地味な内容の本だが、重要な内容だ。日本のエリートにとって英語とはなんであったのかという問題意識に答えてくれる本だ。
本書の内容を一言で要約してしまえばこうなる。「開国」(1853年)後の1868年の明治維新以降を「近代」とすれば、日本近代史の150年において、軍民を問わず社会のエリートは途切れることなく英語を学習してきたのである、と。
「英語は敵性語」とされたのは大東亜戦争の4年間に過ぎず、それは近代150年のなかでは、あくまでも例外期間に過ぎなかったのである。
いや、もっと正確にいえば、そんな時代においてさえエリートは英語学習を行っており、なかでも海軍においては、終始一貫して英語教育が廃止されたことはなかったのだ。高等商業学校(高商)ですら受験から英語が消えた1944年、海兵予科では英語が必須とされていたのである。
よく「海軍は英語、陸軍はドイツ語」といわれるが、さすがにこれはあまりにも大ざっぱすぎる話であることが本書を読むとわかる。もちろん、外国語教育は、あくまでも将校以上が対象の話であって、基本的に下士官や兵には関係のない話である。
士官教育において外国語教育が重視されていたのは、近代の軍隊制度が西欧からの輸入文化であったからだ。
海軍も、最初は幕末にはオランダから学び、そしてフランスに学んだが、最終的に当時は世界最強の海軍国であった「英国モデル」で出発したため英語が重視された。海軍は海の世界の一員なので、もともと国際性が高いということもある。「日英同盟」のため英語の必要だったこともある。
陸軍は最初はフランスモデルで出発したが、その後おなじ大陸国家の「ドイツモデル」に変更している。仮想敵国がロシアであったので、ドイツ語・フランス語・ロシア語が主要な外国語とされた。
帝大や商大などの高等教育機関で英語が重視されているので、差別化の意味もあったらしい。このため、陸軍では、英語通の英米派の将校は主流ではなかった。
最大の問題は、大東亜戦争(=第二次世界大戦)に突入した際に、交戦国である米国と英国で使用される「英語」、そしてそれ以前から戦場となっていた中国大陸の「中国語」を理解できる将校が陸軍には少なかったことだ。
「敵を知り己を知れば、百戦危うからず」(孫子)という常識が通用しなかったのは致命的としか言わざるを得ない。
大東亜戦争においては、英国やオランダの植民地を占領したのはいいが、現地語だけでなく英語を理解できる軍人が少ないので占領行政に支障を来したという。泰緬鉄道建設のための捕虜虐待問題も、の一環として考える必要があるかもしれない。戦争中にはじめて実用語学の必要を痛感したが、あまりにも遅すぎたのだ。
大東亜戦争においては、英国やオランダの植民地を占領したのはいいが、現地語だけでなく英語を理解できる軍人が少ないので占領行政に支障を来したという。泰緬鉄道建設のための捕虜虐待問題も、の一環として考える必要があるかもしれない。戦争中にはじめて実用語学の必要を痛感したが、あまりにも遅すぎたのだ。
ドナルド・キーンなどを輩出した、徹底的な特訓によって日本語教育を実施した米軍とは雲泥の差なのである。陸軍中野学校を例外として、語学とインテリジェンス(=情報活動)の関係が薄かったのだ。
明治時代の草創期においては、軍事も含めた西洋文明摂取のための「実用語学」としてのウェイトが高かったが、近代化が軌道に乗って自立化した結果、実用性が減少して「教養語学」化していた。どうも実用性を軽視する傾向が、エリート層には生まれやすいのかもしれない。
戦時中は「鬼畜米英」とかいうスローガンが流れ、英語は「敵性語」というレッテル貼りがなされたが、面白いことに士官学校でも幼年学校でも英語教育が一貫していた。これは海軍だけでなく、陸軍でもそうだったらしい。
戦時中とはいえ、機械操作が必要な航空パイロットなどには英語が必要だった。それほど先進国・英米の言語である英語が必要不可欠だったのだ。
敗戦後に英語が「大衆化」したのは、日米双方にそれなりの理由があったわけだが、アメリカ占領軍の統治方針と合致していたこと、英語が冷戦時代の米国の「ソフトパワー」の1つだったことも大きいだろう。
いずれにせよ、「戦前」のイギリス英語から、「戦後」にはアメリカ英語にシフトしていったわけだが、日本語とは言語体系が根本的に異なる英語を習得するのは、普通の日本人(・・「日本語人」というのが正確だろう)にとっては容易なことではない。
海軍では、耳で聴くオーラルメソッド、英語による授業、英文の直読直解など「実用英語」が教育されており、徹底的に厳しく搾られたようだ。なるほど、ここまでやれば英語通ができあがるのも当然だろう。
こういった戦前以来のエリート向けの語学教育に耐えられるのは、やはり現在でもエリート層に限られるのではないか。日本における英語教育について考える際、軍隊組織における英語教育について振り返ってみることの意味はそこにある。
目 次はじめに序章 英語教育の敗戦第1章 近代陸海軍の創設と外国語1 幕末の軍制改革と西洋列強2 明治政府による日本軍の近代化第2章 日本軍の外国語教育はどう変遷したか1 日清・日露戦争から第一次世界大戦へ2 軍縮期からアジア・太平洋戦争まで第3章 アジア・太平洋戦争期の英語教育1 昭和陸軍の英語教育2 昭和海軍の英語教育第4章 戦後日本の再建と英語1 英語教育の振興策と親米国民の育成2 旧日本軍の語学的遺産3 戦前と戦後の連続主要主要参考文献おわりに
著者プロフィール江利川春雄(えりかわ・はるお)1956年、埼玉県生まれ。和歌山大学教育学部教授。博士(教育学)。専攻は英語教育学、英語教育史。神戸大学大学院教育学研究科修了。現在、日本英語教育史学会会長。著書に、『近代日本の英語科教育史』(東信堂、日本英学史学会豊田實賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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