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2021年5月2日日曜日

ロープシンの『蒼ざめた馬』ー 20世紀初頭ロシアのテロリストのサヴィンコフがペンネームで書いた作品

 
「テロリストといえばイスラム」と盲目的に連想してしまう人が多いだろう。アル・カーイダによる「9・11」の同時多発テロ(2001年)以降のことであるが、それはソ連のアフガン侵攻(1979年)に始まった一連の出来事から生まれてきたものだ。

だが、かつて日本でも、1930年代においては、「昭和維新」なるスローガンのもとに、要人を狙ったテロが頻発した。「戦後」も1960年頃まではテロが行われている。

右翼少年によって社会党の浅沼委員長が刺殺された事件がもっとも有名なものである。また、アナキズム系左翼による三菱重工業本社ビル爆破事件などの爆破テロや、赤軍派によるテルアビブ空港乱射事件なども行われた。

「昭和維新」とは、「明治維新」を先例とした名付けである。「明治維新」に至る幕末は、テロの時代であった。日本においては、幕末の「志士」こそテロリストの原型であったのだ。


つまり、テロやテロリストは、けっして日本の風土とも無縁ではないのである。

自らの思想や政治的な信念を、非暴力的な対話ではなく、暴力で実現しようとするのがテロリストのマインドセットである。「テロリスト」とは、「テロ」ないしは「テロル」を実行する人物のことを意味している。

「テロ」(テロル terror)とは、日本語では「恐怖」を意味することばだ。殺人を含めた破壊行為を見える形で行うことで、直接被害にあわなかった人びとに「恐怖」を与えることを目的にした行為のことである。

近代的な意味における「テロ」が、はじめて登場したのは「フランス革命」である。アナトール・フランスの小説のタイトル『神々は渇く』に表現されたように、革命は流血をともなうものである。しかも、それは凄惨なテロをともなうものだ。

「テロ」が政治的手段としてつかわれるようになったのは、ロシア帝国の専制政治体制に対する抵抗運動からだが、「テロリストといえば、ロシアの革命家たち」であった。



テロリストには「彼らなりの大義」があった-「勝てば官軍、負ければ賊」

テロリストというのは、じつにむずかしい存在だ。どいうことかというと、どんなひどいテロ行為であっても、「勝てば官軍」という要素があるからだ。テロは悪か正義か、立場によってまったく異なる評価がされるのはそのためだ。

もちろん、「イスラム国」のテロリストが残虐でかつ卑劣であることは言うまでもない。しかし、かれらにはかれらの大義やロジックが存在する。かれら以外には、とうてい受け入れがたい価値観であるとしても、彼らにとっては「大義」なのである。これはきわめて重要なポイントだ。

アルジェリアがフランスから独立するための戦争を行っていたのは、1954年から1962年にかけての8年間だが、独立派の手法は爆弾による一般市民への無差別攻撃という都市型テロそのものである。

『アルジェの戦い』(1966年、イタリア、アルジェリア合作)という有名な映画がある。トレーラーだけでも見ておくといいと思う。日本でも公開されて高く評価されたらしいが。都市型テロそのものである。カフェが爆破されるシーンは圧巻だ。



もしこの独立戦争が失敗に終わっていたら、独立運動もテロ以外のなにものでもなかったという評価がくだされたことだろう。

「ならぬものはならぬ」というのは会津の教えだが、テロ行為もまた「ならぬものはならぬ」と言い切ることが必要だ。「価値観」による経営が大事だと、わたしはつねづね言っているのだが、しかしその価値観が世の中の価値観に反するものであってはならない

明治維新の元勲であった伊藤博文もまた元テロリストであった。革命家やテロリストは、あくまでも結果論によって評価が生まれる。

そしてその伊藤博文は、朝鮮人テロリストの安重根(アン・ジュングン)によって満洲の哈爾浜駅で射殺された。安重根の評価が日韓で真逆となっているのも、当然といえば当然だろう。

たとえ大義がただしいとしても、失敗した革命は、歴史の表舞台に登場することはなく葬り去られる。伊藤博文も安重根も、ともに「成功」したテロリストであったからこそ歴史に名をとどめているのである。


■テロリストの「かなしき心」を語った詩人がいる

石川啄木の名前を聞いたことのない日本人はあまりいないだろう。啄木といえば歌人という連想がでてくるはずだ。「我泣き濡れて 蟹とたはむる」というフレーズくらいは耳にしたこともあるだろう。

だが、啄木は歌人であるだけでなく詩人でもあったことを知っている人は、少ないかもしれない。

その石川啄木にはこんな詩がある。詩人としてのテーマは、歌人としてのテーマと重なるものがある。なお太字ゴチックは、引用した私によるものだ。

ココアのひと匙 一九一一・六・一五・TOKYO

われは知る、テロリストの
かなしき心を――
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を――
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。

はてしなき議論の後の
冷(さ)めたるココアのひと匙(さじ)を啜(すす)りて、
そのうすにがき舌触(したざはり)に、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。

ちょうど110年前の1911年の作品だ。1911年6月15日前後に集中している。「大逆事件」でもっとも有名な「幸徳事件」(1910年)に触発されて作成された? 関係者は翌年1911年1月に処刑されている。

詩集の「呼子と口笛」からの引用は、ネットで無料公開されている「青空文庫」による。この一連の作品は「連作」として、ぜひつづけて全部読むことを薦めたい。

「ヴ・ナロード V NAROD」(=人民のなかへ!)と叫んだロシアの革命家ナロードニキたちのことから始まり、日々の仕事に疲れた勤労少年が、手に入れることのできない夢や希望を意味しているのであろう、空を飛ぶ飛行機を見上げる姿を詩った「飛行機」という詩で終わる。

ロシアでは、啄木が書いているように、1911年の50年前の1860年代に社会運動家のナロードニキたちによる「ヴ・ナロード運動」が行われたが、知識人や学生によるアタマでっかちな運動は農村では受け入れられることはなく挫折に終わっている。

皇帝アレクサンドル2世のもと、ストルイピンの政策によって「農奴解放」が1861年に実行に移されたものの、農民の意識と知識階層のズレはきわめて大きかったのである。そして、改革の不徹底が、テロリストを生み出す遠因となったのであった。

啄木の「はてしなき議論の後  一九一一・六・一五・TOKYO」も見ておこう。啄木が言及しているのは 「ヴ・ナロード運動」を唱えたロシアのナロードニキたちのことである。


はてしなき議論の後  一九一一・六・一五・TOKYO 
われらの且(か)つ読み、且つ議論を闘たたかはすこと、
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の露西亜の青年に劣らず。 
われらは何を為なすべきかを議論す。
されど、誰一人、握りしめたる拳こぶしに卓をたたきて、
 ‘V NAROD!’ と叫び出いづるものなし。


「われらは何を為なすべきか」は、レーニンも愛読していたという、ナロードニキのチェルヌイシェーフスキーの『何をなすべきか』(1863年)のことをさしているだろうか? 「五十年前の露西亜の青年」たちが読みふけった小説である。

だが、啄木がこう書いた1911年の時点では、チェルヌイシェーフスキーの日本語訳は登場していなかったようだ。あるいは英訳本が念頭にあったのだろうか?


■かつてのテロの本場は帝政末期のロシアであった

日露戦争後に「血の日曜日事件」(1905年1月9日)が勃発したあと、社会革命党(エスエル)戦闘団の党員たちによるセルゲイ大公爆殺(1905年2月17日)が決行される。

暗殺事件の詳細については、エスエル戦闘団を指揮したサヴィンコフによって『テロリスト群像』に描かれている。馬車で移動していたセルゲイ大公は爆殺された。


暗殺決行前夜の心理状態については、サヴィンコフはペンネームのロープシン名義で『蒼ざめた馬』に描いている。テロの実行者は逮捕されて処刑、仲間2人は自殺し、サヴィンコフ1人が生き残ったのである。

たしかに啄木が詩うような「かなしき心」ではあるものの、テロ実行者の内面の空虚としかいいようのないニヒリズムを感じないわけにはいかない。大義のために人を殺す。その意味に耐えきれない、意味を見出せないテロリストも人の子である。

ロープシンの『蒼ざめた馬』は、かつて日本でも一世を風靡した作品である。「蒼ざめた馬」とは「青い馬」のことであり、出典は『ヨハネ黙示録』6章8節である。

1960年の安保闘争後に現代思潮社で編集者であった陶山幾朗氏の『「現代思潮社」という閃光』(現代思潮新社、2014)には、ロープシンの『蒼ざめた馬』をめぐる晶文社との出版競争の話がでてくる。

全共闘世代によく読まれたようで、異端の文献を発掘し、出版し続けた現代思潮社から出版されていた単行本は、いまでも早稲田あたりの古本屋なら簡単に見つけることができるはずだ。1960年代に出版された単行本が日焼けしてほこりをかぶったまま棚の上方にささったままになっていることだろう。




岩波現代文庫から2007年に復刊されて、ふたたび簡単に入手できるようになった。私はこの岩波現代文庫版ではじめて読んでみたが、テロリストの心理について知るためには第一級の作品であることは間違いないと思う。

岩波文庫版の内容紹介を引用しておこう。

秋の夜が落ちて、星が光りはじめたら、わたしは最後の言葉を言おう―20世紀黎明のロシアの漆黒の闇を、爆弾を抱えて彷徨するテロリストたちの張り詰めた心情と愛と孤独。社会革命党(エス・エル)戦闘団のテロ指導者サヴィンコフがロープシンの筆名で発表した終末の抒情に富んだ詩的小説は、9・11以後の世界の黙示録である。


その後のサヴィンコフについては、『黒馬を見たり 附サヴィンコフの告白』(ロープシン、川崎浹訳、現代思潮社、1968)に記されている。残念ながら、こちらは岩波文庫から復刊はされていない。


1917年の革命ののち、ボルシェヴィキに反対して「ロシア内戦」においては白軍の武装蜂起を指導し、その後は亡命生活を送っていたが、ボルシェヴィキにはめられてソ連に入国後に即逮捕。最期は投身自殺という数奇な運命をとげている。

サヴィンコフにかんしては、芦田均元首相が外交官時代のモスクワ駐在中にロシア革命を現地で体験し、サヴィンコフとパリで面会したことが、回想録の『革命前後のロシア』(自由アジア社、1958年)(*)に記されている。革命干渉戦争が行われている際、サヴィンコフはコルチャーク提督のオムスク政府の代表の1人となっていた。

(*)初版のタイトルは『革命前「夜」のロシア』(1950)であった。『革命前「後」のロシア』はその増補版である。



芦田均によれば、「サヴィンコフはロシア人としては小柄な物静かな男であった。髭のないとがった顔は蒼白な皮膚に小皺が目立った。話すときには低い声でゆるゆると、しかしはっきりと歯切れの良い口調であった。何とはなしに腹に一物ある曲者であることを思わせた」とある。

面会する前にはすでに、ロープシン名義の『蒼い馬』をロシア語の家庭教師について読んでいたそうだ。

『ロシア革命前後』には「ロシアのテロリスト」という1章があるが、サヴィンコフについては5ページを割いて、その最期にかんしても記している。よほど印象に残る存在であったのだろう。


■啄木はロシア革命を知ることなく逝った

ロシアの帝政が倒れたのは第1次世界大戦中の1917年のことであった。そのとき、啄木はすでに亡くなっていた。啄木が亡くなったのは、「呼子と口笛」に収録された一連の詩が書かれた翌年の1912年のことである。

石川啄木が詩人として語っていることは、大塩平八郎を礼賛した三島由紀夫とどれだけ違うというのだろうか?? 

政治的立場の違いはあれ、ともに「知行合一」をモットーにしていた点に違いはない


  


<ブログ内関連記事>

 



・・「火薬陰謀事件」(1603年)という世界史上初の大規模テロ未遂事件の主人公顔フォークスにヒントを得たアンチヒーロー転じた監視社会と戦うヒーロー

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 
・・「われは知る、テロリストのかなしき心を-」(石川啄木)

書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する
・・「人間の欲望に突き動かされ、意志を乗り越え、制御不能となる暴走するマネー。マネーに蹂躙され、失われる倫理観。暗殺というテロリズムの横行。それが「昭和恐慌」の時代であり、その後、破滅に向かって突き進んでいった日本なのであった」

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる

映画 『ザ・コーヴ』(The Cove)を見てきた
・・「エコ・テロリスト」たちの言動をかれらの視点から描いたドキュメンタリー映画

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』を見て考えたこと
・・「「1968年世代」の中心にあった「ドイツ赤軍」の、1967年から10年にわたる過激な革命運動に焦点を当てた、ドキュメンタリー映画とも見まごうような2時間半の大作」

書評 『グローバル・ジハード』(松本光弘、講談社、2008)-対テロリズム実務参考書であり、「ネットワーク組織論」としても読み応えあり

夢野久作の傑作伝記集『近世怪人伝』(1935年)に登場する奈良原到(ならはら・いたる)と聖書の話がめっぽう面白い


「ドイツ表現主義」の画家フランツ・マルクの「青い馬」

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する
・・「原発事故の起こった土地の名前であるチェルノブイリとは、ウクライナ語では「にがよもぎ」という意味だそうだ。しかも、その「ニガヨモギ」は『黙示録』に出てくるのだと」


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