『タイ 混迷からの脱出-繰り返すクーデター・迫る中進国の罠-』(高橋徹、日本経済新聞出版社、2015)を、積ん読状態2年後にようやく読了。
日本経済新聞の記者としてバンコク駐在した著者が、2010年から2015年までの5年間の取材記録を中心に、混迷するタイ現代史を記録したものだ。本書の出版後の2016年10月にはプミポン国王が崩御、その一年後には「火葬の儀」がつつがなく終了しているが、当然のことながら本書の内容には反映されていない。
単行本で460ページは正直いって長い。分厚い。タイに関わっている人、関わったことのある人でなければ、はっきりいって面白くもなんともないだろう。
しかも、日経記者が書いたものだけに、政治経済ビジネス関連が中心となる。この方面に関心のない読者には無縁かもしれない。しかも、あまりにもディテールが細かすぎる。万人向けの内容ではない。
だが、このテーマに関心のある者にとっては、自分自身のリアルな体験を追体験しながら、あるいはバンコクの不在期間をトレースしながら興味深く読むことができる。その意味では、私には面白い内容であった。
もうタイではクーデターはないだろうと誰もが思っていた2006年に17年ぶりに起こったクーデター。この時には解決できなかった政治的対立問題は、結局はさらに2014年のクーデターでリセットするしかなかったというのが著者の見解だ。タイは、クーデターによるリセットを1932年の「立憲革命」以来、12回も成功させてきたのだから。
おそらくそう受け取るのが真っ当だというべきだろう。それほど、赤と黄の対立は解決不可能なまでに進展していたのである(下図参照)。その意味では、タイトルにある「混迷からの脱出」は、ある程度まで成功したといえるかもしれない。
(ブックカバーの袖に記載されているもの)
とはいえ、現在はまだ「軍政」が続いているので一時的な停戦状況であるというべきかもしれない。「民政移管」後には総選挙が実施されるが、はたしてどうなるのだろうか?
本書の出版後の状況だが、国民投票にかけられた新憲法案が賛成多数で通過し、新国王の署名も終わって了承されたので、あとは民政移管と総選挙のスケジュールがいつになるかに関心は移っている。
クーデター直前まで首相であったインラック・チナワット前首相が国外逃亡するなど、タクシン派の前途が不透明になった。勢いに陰りが出るだろうという希望的観測の状況は、政治対立が終息に向かうのではないかという期待感を引き出しているのだが・・・。
だが、本書のなかで紹介されているインタビューで、クーデターの首謀者で現在の暫定首相であるプラユット退役大将は、含みのある発言をしている。ふたたびクーデターによって政治対立をシャッフルしてリセットするという選択肢が消えることはなさそうだ。
かつて駐タイ王国全権大使を務めた外交評論家の岡崎久彦氏は、駐タイ大使を務めた外交評論家の岡崎久彦氏は、大使在任中に発生した「1991年クーデター」を現地で体験し、『クーデターの政治学 政治の天才の国タイ』 (中公新書、1993)で、タイ政治におけるクーデターの機能を高く評価している。
もちろん、現在は1991年とは時代環境も大幅に変化している。隣国のミャンマーでさえ「民主化」が進んでいる状況にあることを考えれば、手放しでクーデターを礼賛するつもりはない。
とはいえ、タクシン政権後の政治対立状況がエスカレートしていた近年のタイの状況を肌身を通じて知っていれば、クーデターもやむなしという気持ちにさせられるのだ。
■タイ人エリートを構成する華人系の実態についてもっと掘り下げるべきだった
本書には残念ながらまったく言及がないが、奇しくもチナワット家のタクシンも、その妹のインラックも、政敵の民主党のアピシットも、近年の首相体験者の多くが「客家(ハッカ)系」だ。
タイの華僑華人の大半が大陸の広東省を中心とした「潮州系」であることを考えれば、政治志向のきわめて強い「客家系」の意味を掘り下げるべきなのである。
こういった華人系の出自についての理解不足は、タイの政治経済を見るうえで欠点となる。なぜなら、今後ますます中国の影響力が増して行くであろうタイにおいては、これら華人系政治家や華人系経済人の動向(とくに中国観)には注意して観察する必要があるからだ。
政治家や経済人などのエリートや中間層は、ほとんどすべてが、血の濃度に違いはあれ、華人系であるといっても言い過ぎではない。
まあ、そういった感想もないことはないが、前国王ラーマ9世の葬儀がつつがなく終了し、つぎは新国王ラーマ10世の即位式、そして「民政移管」となる。「民政移管」へのロードマップはできているが、スケジュールがいまだ不明だ。
タイに限らず、この日本も含めて、世界中どこにいっても「混迷」状態でありますねえ。はたして世界全体が「混迷」から脱出できるのはいつの日になることやら・・・。
目 次
プロローグ
第1章 19度目の政変
(1) 2014年5月22日午後4時半
(2) 目撃者たち
(3) 諦めと抵抗
第2章 「タイ式民主主義」の系譜
(1) 王国の源流
(2) 列強進出と立憲革命
(3) 開発独裁と反共の砦
(4) 民主化の優等生
第3章 CEO宰相の栄光と蹉跌
(1) サクセスストーリー
(2) 創造か、破壊か
(3) 最南部で上がった火の手
第4章 戦車と法廷のクーデター
(1) 終わりの始まり
(2) シーソーゲーム
(3) 恩讐の深層
第5章 カラード・ポリティクスの実相
(1) バンコク騒乱
(2) 地域対立と階級闘争
第6章 出口なき混迷
(1) 「クローン」の登場
(2) パンドラの箱
(3) 首都封鎖
(4) 政治空白
第7章 タクシノミクスの落日
(1) バラマキの虚実
(2) 暴走するポピュリズム
(3) 「景気の番人」との確執
第8章 「微笑みの国」の針路図
(1) 大いなるパラドックス
(2) 外交巧者
(3) 王国の未来
(4) 「陸ASEAN」の要
エピローグ-アジア新興国と民主主義
関連図表
年表
参考文献
著者プロフィール
高橋徹(たかはし・とおる)
日本経済新聞社 東京本社編集局 国際アジア部次長。 1968年生まれ、香川県出身、横浜国立大学経営学部卒。 1992年日本経済新聞社入社、名古屋支社編集部、東京本社編集局産業部、日経産業消費研究所、産業部を経てバンコク支局長(2010年~14年)、アジア編集総局発足に伴い同総局キャップ(~15年3月)。15年4月より現職。 著書:『21世紀 次世代自動車の行方~環境・エネルギー問題への挑戦』(1998年、日経産業消費研究所・日本経済新聞社)、『ゼネコン 最後の攻防」(共著、2003年、日本経済新聞社)、『ホンダ 「らしさ」の革新』(共著、2005年、日本経済新聞社)。
本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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「バンコク騒乱」について-アジアビジネスにおける「クライシス・マネジメント」(危機管理)の重要性
書評 『誰も語らなかったアジアの見えないリスク-痛い目に遭う前に読む本-』(越 純一郎=編著、日刊工業新聞、2012)-「アウェイ」でのビジネスはチャンスも大きいがリスクも高い!
タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察-
・・「黄色シャツ」による空港占拠というクライシスの体験談
書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)-クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール
・・2006年クーデター後のタイ
書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)-「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方
・・「首都封鎖」を体験したバンコク
書評 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス-』(ニック・ノスティック、めこん、2012)-分断されたタイの政治状況の臨場感ある現場取材記録 ・・「黄色」=バンコク大都市部の支配層と都市中間層(前近代+後近代)と、「赤色」=東北部と北部の農民層(前近代+近代化まっただなか)の対立が反映されていると考えることも可能
「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)
書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)
・・関連書もふくめて、ややくわしくタイの政治経済に言及
来日中のタクシン元首相の講演会(2011年8月23日)に参加してきた
タイのあれこれ 総目次 (1)~(26)+番外編
(2017年5月18日発売の新著です)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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