『翔ぶが如く』の文春文庫版全10巻をついに読了。1月27日から足かけ3ヶ月で読み切った。感無量だ。最後の方では、読み終えてしまうのがもったいない気持ちさえ感じさえしていた。
28年前の「NHK大河ドラマ」の原作となった歴史小説だが、まさに「大河小説」というべきだろう。マンガ本なら10巻なんて当たり前だが、小説で10巻というのはあまりない。同じ著者による『坂の上の雲』よりも長いのだ。
とはいえ、背景となるのは明治5年(1873年)から明治10年(1878年)までのたった6年間。「明治維新革命」における最大の危機となったのが「征韓論」と「明治6年政変」、そしてその帰結としての「西南戦争」。
この小説の最後の3巻は西南戦争の詳細な叙述にあてられており、読者は、ついに暴発し挙兵した薩軍(=旧薩摩藩士たち)に担ぎ上げられた西郷隆盛と、積雪の2月から9月までの8ヶ月に及ぶ苦難の行軍をともにして、最後の最後は鹿児島の城山での「玉砕」を見届けることになる。
だが小説はそこで終わらない。大久保利通の暗殺まで描かれる。
西郷隆盛にとっては、吉之助と一蔵として、同じ「郷中」に生まれ育った無二の親友であり、しかも革命の同志でもあったが、征韓論を境に袂を分かつことになった大久保利通。この小説の主人公はこの二人であり、その周辺に無数の脇役がちりばめられる。
『翔ぶが如く』というタイトルの意味は、第9巻まで読み進めてようやくわかった。 それは「鹿児島県氏族の気質」にかんして薩摩藩出身の陸軍大佐が、長州藩出身の山県有朋陸軍卿に説明した、「彼等は進むを知って退くを知らず、唯、猪突を事として、縦横の機変に応ずるを知らず」という文言に対する司馬遼太郎のコメントにある。
「まことに上代の隼人(はやと)が翔ぶがごとく襲い、翔ぶがごとく退いたという集団の本性そのままをひきついでいるかのようである」と司馬遼太郎は書いている。(2002年文庫版 P.159~160)。古代の戦士そのものである。
「翔ぶが如く」とは、「薩摩人の気質」を形容した形容した表現なのである。だから、この歴史小説は西郷隆盛と大久保利通が主人公だが、薩摩そのものを描いた作品だというべきだろう。魅力的で個性的な薩摩人が数多く登場する。
「西南戦争」とはもちろん新政府側の命名によるものだが、挙兵した旧薩摩藩士たちは鎌倉時代に始まる、戦国時代の気風を維持しつづけた希有の存在であったようだ。
反乱の壊滅とともに「開国」から始まった25年に及ぶ「明治維新革命」が完結しただけでなく、8世紀にも及ぶ日本の封建制の歴史も完全に幕を閉じることになったのかと思うと、じつに感慨深い。
しばらくは、『翔ぶが如く』の余韻のなかを過ごすことになりそうだ。
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