いわゆる8月15日の「終戦記念日」の周辺の日々ほど「先の大戦」について考えるにふさわしいものはない。
毎年この時期になると集中的に戦争ものを読むことにしているが、そのなかから「これぞという3冊」をピックアップして紹介しておきたい。
対象は、手頃な新書本に限定する。
●『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実-』(吉田裕、中公新書、2017)
●『太平洋戦争日本語諜報戦-言語官の活躍と試練-』(武田珂代子、ちくま新書、2018)
●『独ソ戦-絶滅戦争の戦慄-』(大木毅、岩波新書、2019)
まずは『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実-』から。
帯には「15万部突破のベストセラー」とある。日本近現代史の吉田裕教授は、正直いって好きなタイプの歴史家ではないのだが、先入観を捨てて読んでみることにした。
戦史ものは、それこそ腐るほどあるのだが、この本は、あくまでも「兵士の立場」から「兵士の現実」を描いたものだ。膨大な数にのぼる回想録から引き出された記述が読ませるのである。読者自身が、自分の身体に引き寄せて虚心坦懐に読めば、身体でその苦痛を体感できることだろう。
著者自身は、あくまでも事実を語ることに徹して、とくに批判がましいことは書いていない。あくまでも事実の呈示にとどめている。徴兵制のもとにあった帝国陸海軍だが、平時は徴兵による充足率は2割程度であり、問題ある人間が入隊することはなかった。だが、戦時になると多種多様な人間が入ってくる。年齢の高い者たち、なんと知的障害者まで!
だが、読んでいて私が思ったのは、「先の大戦」における陸海軍兵士ありさまは、現代のブラック企業や相撲部屋のパワハラとなんら変わることがないではないか!という感想だ。旧軍の体質は、敗戦から74年たった現在でも濃厚に存在するのである。
問題は、指導層の高級将校たちの保身だけではなく、まともだとされてきた兵と下士官のレベルでも依然として変わることがないという、イヤ~な現実だ。
次に『太平洋戦争日本語諜報戦』。
これは、対日戦を戦うことになった「連合軍」の「諜報戦」についての研究を新書本に圧縮したものだ。
研究水準はきわめて高く、正直いって情報が多すぎて読みやすくはないのだが、米軍を中心とした連合軍の徹底ぶりに驚かされるとともに、「敵を知り己を知らば・・」という「孫子の兵法」を実践していたのは、むしろ敵側であったのだという事実をかみしめることになる。
特筆すべきは、やはり米軍であって、移民立国の米国ならではの日系米国人の活用が主たるテーマとなる。英語がわかり、かつ日本語がわかる日系人が徹底的に活用されたのである。
解読されていたのは暗号だけでなく、日本軍兵士の手帳に記された日記(・・米軍では日記は禁じられていた!)、作戦計画書を含めたその他もろもろの文書類。
「敵性外国人」として収容所に閉じ込めておく一方、活用できるものは徹底的に利用し尽くすという米国の合理主義的姿勢。この姿勢は、現在に至るまで継承されている。太平洋戦争時の日本語は、戦後はロシア語、そして2001年の「9・11」後にはアラビア語になり、そして現在は中国語になっているようだ。理由はあえて説明するまでもないだろう。
そして『独ソ戦-絶滅戦争の戦慄-』。
「先の大戦」で日本は主として太平洋上で米国と戦った海戦が中心となっているが(もちろん、大陸では陸軍による日中戦争が続いていた)、ユーラシア大陸の反対側では、ドイツがソ連と「絶滅戦争」を戦っていたのである。航空支援をともなった地上戦である。
日本人は、日米戦争の激烈さと悲惨さについて語るが、「独ソ戦」はその比ではない。帯には「戦場ではない、地獄だ」とあるが、「スターリングラード攻防戦」について少しでも知っていれば、その通りであることに反論のしようのないことが理解されるだろう。
「独ソ戦」がなぜ「絶滅戦争」となったのか?
それはドイツとソ連の戦争が、ヒトラーとスターリンという独裁者の率いる全体主義国家どうしの激突だったからだ。(ちなみに、日本の東條英機が独裁者だと言われることが多いが、東条英機の場合は、首相と陸軍大臣など各種の大臣を兼任した程度で、独裁者とはほど遠い。大政翼賛会であるとはいえ、日本では戦時中も敗戦後も、議会はずっと開催されていた)
「独ソ戦」においてドイツの甘い見通しがはずれ、ヒトラーにとって資源確保と市場確保が主目的だった対ソ戦争は、世界観闘争にもとづいた「絶滅戦争」へと転化していく。そのなかにはホロコーストも含まれるのである。
そして、この史上まれにみる絶滅戦争を戦い抜いたソ連軍将兵たちが、独ソ戦終結後に満洲に送り込まれてきたのである。日本人居留民に対する暴虐の数々がなぜ発生したか、その背景を知ることもできることだろう。
この本は、とくに読むことを勧めたい。
以上、これぞという3冊を紹介したが、「第2次世界大戦」が終わってから74年たった現在も、さまざまな側面において、まだまだ影響が根強く残っている以上、考えるべき事は多く、また新たな新事実や新たな切り口による解釈も生まれ続けている。
戦争というものは、観念論ではなく、具体性にもとづいたリアリズムとして考える必要がある。この3冊は、その要件を満たしている満たしているといってよいだろう。
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