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2019年3月18日月曜日

なぜ内陸部に「海軍の標柱」があるのか? ー かつて船橋の内陸に「海軍無線電信所船橋送信所」が存在した

(旧日本帝国海軍の標柱 千葉県船橋市山手2丁目 筆者撮影)


なぜ内陸部に「海軍の標柱」があるのか?

そのためには、ちょっと回り道をする必要がある。しばし、おつきあい願いたい。

千葉県船橋市行田には、かつて海軍の通信塔が複数立っており、それが地域のランドマークになっていたことを知った。巨大アンテナ群である。軍事通信について調べていた際のことだ。

現在では、巨大アンテナ群はすべて撤去されており(といっても、1971年に撤去されているので、すでに半世紀近くも前のことになるわけだが)、その跡地に記念碑があるに過ぎないのだ、と。

とはいいながらも、一度はその地に立ってみたいという気持ちがある。わざわざ見に行くまでもないが、それでも近くにいく用事があれば、ついでに立ち寄るというのはあり、だろう。


「船橋無線塔記念碑」の石垣 筆者撮影

というわけで、先週のことだが、その「船橋無線塔記念碑」に行ってみた。無線塔の正式名称は「海軍無線電信所船橋送信所」というそうだ。帝国海軍の通信施設である。つまり軍事施設だ。

(「旧日本帝国海軍の標柱」は右下に  google map )

すでに無線塔はすべて撤去されており存在しないのだが、その跡地は上掲の google map で示したように、無線塔を中心に円形の環状道路がそのまま残っている。痕跡があきらかだ、ということだ。下図は、同地域の航空写真である。おなじく google map による。


タイトルの「なぜ内陸部に「海軍の標柱」があるのか?」に入る前に遠回りしたが、「海軍の標柱」は、無線塔の回りをぐるんと囲んだ環状道路の外縁部に残っているのである。

したがって、「なぜ?」の答えはきわめて明解だ。

なぜなら、そこが海軍の用地だったからだ。無線通信施設は内陸部に比較的広い土地を確保して建設されたわけである。無線塔のアンテナは複数あった。だからそこに海軍の所有地を示す「海軍の標柱」があるわけだ。「標柱」とは「境界標識」のことである。


(旧日本帝国海軍の標柱の周辺 筆者撮影)

冒頭に掲載した「海軍の標柱」は、畑に挟まれた細い道に残っている。

google map に登場するから、はじめてその存在を知ったのだが、そうでなければ一生知らないで終わったかもしれない。標柱のそばに特別に説明書きの看板があるわけでなし、その回りに囲いがされて保存されているわけでもない。それでも、半世紀近く経った現在でも残っているのは、うれしいことではないか! そして、 google map には表示されるのだ。


(記念碑の碑文 筆者撮影)

さて、話をまた「船橋無線塔記念碑」に戻しておこう。記念碑の石垣にはプレートの銘板がはめ込まれており、無線塔の簡単な歴史を知ることができる(写真参照)。

一部を拡大しておこう。そこには「太平洋戦争開幕を告げる「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波もここから出た」と書かれている。

おお!新高山(ニイタカヤマ)ではないか、台湾の最高峰の玉山。標高3,952m。台湾がだ日本の植民地だった時代、玉山は大日本帝国ではもっとも高い山であった。なんせ富士山より高いのだ!


(記念碑の碑文の拡大 筆者撮影)

「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ヒトフタマルハチ)」の大本営発の暗号電報は、この「海軍無線電信所船橋送信所」から帝国海軍の全艦船に向けて発信されたのである。12月2日のことだ。

より正確にいえば、船橋送信所から全艦船へ向けては「短波」と「中波」を送信依佐美送信所(よさみそうしんじょ、愛知県碧海郡依佐美村)が潜水艦に向けて「超長波」を発信したのであった。

「ニイタカヤマノボレ」といえば、「トラ!トラ!トラ!」。ただし、「トラ!トラ!トラ!」という「ワレ奇襲に成功セリ」の返電は、当然のことながら船橋から発せられたわけではない。当然のことながら逆方向、つまり真珠湾(パールハーバー)攻撃後のハワイからだ。


せっかくなので、プレートの銘板に記された全文を書き記しておきこととしよう。


ここ下総台地の一角にかつて無線塔が聳えていた。大正4年(1915年)に船橋海軍無線電信所が創設された。大正5年にはハワイ中継でアメリカのウイルソン大統領と日本の大正天皇とで電波の交信があった。広く平和的にも利用されたのでフナバシの地名がはじめて世界地図に書きこまれた。大正12年(1923年)の関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた。昭和16年(1941年)の頃には長短波用の大アンテナ群が完成し、太平洋戦争開幕を告げる「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電波もここから出た。船橋のシンボルとして市民に親しまれていたが昭和46年(1971年)5月解体され栄光の歴史を閉じた。(*太字ゴチックは引用者=サトウによるもの)

内陸部に海軍の関連施設があったのだ。そしてその施設の土地であることをしめすために「海軍の標柱」があったのだ。

海軍といえば「海ゆかば」という連想だが、かならずしも海だけに限定されるわけではない。内陸の海軍施設が存在したことも、アタマになかにいれておきたいものだ。


 


 <参考> 永井荷風が散歩の際の「目標」としていた「海神無線電信所」

戦災で焼け出された永井荷風は、戦後の一時期、船橋市海神にいた(昭和21年=1946年)。そのおりの日記から「海神無線電信所」が記載されている箇所を抜粋して記しておこう。その後、荷風は市川市に定住することになる。


『荷風戰後日歴 第一』(永井荷風)  抜粋
昭和廿一年

十月初二。
晴れて暑し。屋内のラヂオを避けんとて午下海神町凌霜子の別宅を訪ふに折よく主人來りて在り。閑話半日。日募近傍の田園を歩む。無線電信所の建物あり。米兵駐屯すと云。晩餐を饗せらる。九時過家にかへる。松林の間に弦月の沈むを見る。
十一月十四日。
晴又陰。午前凌霜子來話。午後海神無線電信所附近の畠地を歩す。葱大根白菜菠薐草をつくる。土地に高低あり。此方なる高處に立ちて松林の間に彼方なる低き田疇を望めば冬の日うらゝかに野菜の葉を照したる色彩の妙言ふべからず。燈刻中山の町にて鰻蒲燒(一串十五圓)を購ひ歸る。
十一月十九日。
晴。新生社※(二の字点、1-2-22)員來話。正午葛飾驛停車場より無線電信所の柱を目標となし田間の一路を歩す。左手に中山競馬場の建物を松林の間に望み、右手に電信處の營舍を見る。路傍の樹陰暗きところ廢祠あり。引戸をあけて窺ひ見るに薄べりを敷き陶器の手あぶり一箇あれど祭れる神はなし。田夫野孃の密會所なるにや。怪しむべし。農家の庭を見るに一家相寄り冬日を浴びつゝ稻を打つ。人間の幸福これに若くものなし。柿は大方取り盡され菊花爛漫たり。凌霜庵に至り日暮にかへる。
(出典:「青空文庫」 太字ゴチックは引用者=サトウによるもの)https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/51302_49053.html


<関連サイト>

海軍無線電信所船橋送信所(Wikipedia)

海軍無線電信所船橋送信所(船橋市)(読売新聞 2018年8月7日)

船橋今昔物語 昭和30年代の行田団地(まいぷれ)


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