2004年の企画展「明治維新と平田国学」展でその全貌が展示され、当時は東京に住んでいたわたしも佐倉まで見に行っている。その遺品の一部が常設展示されているのだ。
この机もまたそうだ。複製ではなく本物である。
平田篤胤が執筆のために、特別にあしらえた机には、左手の肘の部分に穴が開いている。膨大な量の著作を執筆しまくった篤胤にとって、まさに「人机一体」(じんきいったい)となっていたのだろう。
(水木しげる『神秘家列伝 其の参』(角川ソフィア文庫、2000)より。怪人アリャマタ(=荒俣宏氏)とともに平田篤胤の世界を探訪する)
復古神道の提唱者で、国粋思想を吹きまくったとして、敗戦後の日本では不当にも抹殺に近い扱いを受けていた篤胤だが、荒俣宏氏などの精力的な紹介によって、とくに2000年代以降になってから再評価が始まっている。
とくに近年は、死後の世界である異世界ワールドにいって、帰ってきた人たちへの聞き取り調査の記録である『仙境異聞』などで、篤胤のことを知った人も少なくないのではないかな。
柳田國男や折口信夫の民俗学は、平田国学の直系であることを知っておく必要がある。
医学からロシア語、仏典から天文学まで、ありとあらゆる学問をおさめたのち、最終的には「日本人の魂のゆくえ」の明らかにして、大きな影響力をもつに至る。この人こそ「知の巨人」と呼ぶのがふさわしい。
幕末維新の原動力となったのが、水戸学とならんで平田国学であったことは、島崎藤村の『夜明け前』で知られていることだろう。そして明治維新後の敗退と平田派の排斥まで。
藤村の父は、発狂の末に座敷牢に閉じ込められ、憤死してしまった。
篤胤の書斎兼私塾は「息吹舎」(いぶきのや)と命名されていた。 その息吹舎におかれていた平田篤胤の机を見るために、ときどき国立歴史民俗博物館にいく。
篤胤の息吹(いぶき)を感じるため、著作の執筆に命をかけた人生を感じるために。
直近に訪れたは、ことし2023年の2月のことである。
PS 平田篤胤と「天の石笛」(あまのいわぶえ)
江戸時代の旅の実体を知るために注文しておいた、『江戸の旅を読む』(板坂耀子、ぺりかん社、2002)が届いたので、パラパラとページをめくっていたら、「『天石笛之記』が描く平田篤胤 ー ある国学者の資料収集」という論文が入っていた。
おお、なんたる偶然よ。またまた引き寄せてしまったな。まったく知らずに注文した本のなかに、こんな重要論文を見いだすとは。
(平田篤胤が「天の石笛」を発見するシーン 同上)
「天の石笛」とは、穴があいていて、吹くと霊妙な音がでる天然石のことだ。山伏のホラ貝みたいなものである。
平田篤胤について書いた著者が、ほとんど無視してきた、あるいはちょっと触れる程度に済ませてきた「天の石笛」。銚子訪問に際に入手した、その経緯について、同行して現場に立ち会わせた門人によって記録された紀行文。その解説をした論文だ。論文に引用された門人にいるこの文章を読むと、人間・篤胤の息吹が伝わってくるようだ。
「天の岩笛」もまた、息吹(いぶき)そのものである。「天の石笛」について、詳しく触れているのは神道研究者の鎌田東二氏くらいではないかな。石笛の奏者でもある鎌田氏は、『CDブック 元始音霊 縄文の響き』(春秋社、2001)も作成している。
それにしても「引き寄せ」というのは、おもしろい現象だ。
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