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2012年6月26日火曜日

お茶は飲むもの、食べるもの-ミャンマーのティーハウスと食べるお茶ラペットウ



(一番奥のラペットウとスナック2種の盛り合わせ 筆者撮影)

お茶は飲むもの、食べるもの。

いちばんはじめにミャンマーに行ったのは1996年の「ミャンマー観光年」(Visit Myanmar Year 1996-そんなのがあったのですよ!)でしたが、そのときはじめて、ミャンマーではお茶の葉は食べるためにあるということを知って、たいへん驚いたものです。

食べるお茶のことを、ラペットウといいます。

ただし、でがらしのお茶っ葉ではなく、お茶の葉を発酵させて辛くして食べるスナック菓子のようなもの。お茶の葉じたいがカフェインを含有しているので苦みがあり、大人のおつまみとしてはビールによく合うのではないかと思います。

ミャンマーではお茶といっしょに食べることが多く、物心ついた頃から食べているようですね。これは、わたしのミャンマー人の友人から聞きました。


もちろん、お茶は飲むものです。

さて、紅茶でも飲んで一服するかな。ミャンマーでは、もちろんお茶も飲みますよ。写真は、ミャンマー第二の都市マンダレーと首都ネーピードーの途中にあるティーハウス(Tea House)です。


(ティーハウスにて筆者撮影)

左上には、まるっこいビルマ文字(=ミャンマー文字)、お店のなかにいる人たちは、腰巻きのロンジー姿。テーブルのうえのポットのなかに入っているのはミルクティー

ミャンマーを代表する麺のモヒンガーや揚げパンなどの軽食もとれるので、日本の喫茶店に似ているかもしれませんね。

インドで茶の原木が発見されたアッサムは、ミャンマーからも近いのですが、それが喫茶の習慣につながっているのかどうかは、わかりません。ミャンマーで飲まれる紅茶がミルクティーであることから考えれば、植民地時代の英国の影響の名残でしょう。

インドでは小型の耐熱ガラスのコップでミルクティーを飲むことが多いですが、ミャンマーではティーカップで飲むことが多いのも、インドの影響というよりは、英国の影響とみるべき理由の一つだと思います。    

(同上)

わたしがはじめてミャンマーにいった1996年のことですが、宿泊した中級のホテルでは朝食はイングリッシュ・ブレックファストで、アフタヌーンティーもありましたから。

ミャンマーではいたるところにティーハウスがあり、ミルクティーは一般市民の飲み物として深く浸透しています。


■「ちゃぶ台」で食事

わたしは人類学者ではないですが、世界各地でいろんな方のお宅にお邪魔して食事をいただく機会をもっています。これはそんな一枚。



これも、「ミャンマー観光年」(1996年)の際に訪れたときのものですが、ミャンマーを代表する観光地ゴールデンロック近くの民家で撮影したネガフォルムをデジタル化したものです。

食事風景を写真に撮りたいと、ムリにお願いして一緒に写ってもらったものですが、男性二人がなんだか神妙な感じなのは、そんな理由があるからです(笑)。

おお、なんと、むかしなつかし「ちゃぶ台」ですね! わたしのヘアスタイルも、なんだか若い頃の秋篠宮様みたいな感じです(笑) 秋篠宮様は、ミャンマーではなく、タイやラオス派ですが。このように家庭内では、ちゃぶ台の前に車座で座って食べるのはふつうです。  

ミャンマー料理については、ミャンマー再遊記 (3) ミャンマー料理あれこれ・・・「油ギチギチ」にはワケがあった! とミャンマー再遊記 (4) ミャンマー・ビールとトロピカルフルーツなどなど をご参照ください。

ミャンマー料理は、とくに現地で食べるとじつに旨いですよ!    

ただし、調理法の関係から油ギチギチですので、食べ過ぎでお腹をこわさないように(笑)



<ブログ内関連記事> 

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次 ・・記事が8本

「三度度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内 ・・記事が10本

3つの言語で偶然に一致する単語を発見した、という話
・・ナーメーというミャンマー語(=ビルマ語)は

書評 『紅茶スパイ-英国人プラントハンター中国をゆく-』(サラ・ローズ、築地誠子訳、原書房、2011)-お茶の原木を探し求めた英国人の執念のアドベンチャー

(2014年5月29日 情報追加)



 
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2012年5月17日木曜日

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫ミュージアム)を見てきた(2012年5月17日)ー「東インド会社」と「海賊」は近代経済史のキーワードだ



東洋文庫(東京・駒込)で現在開催中の「東インド会社とアジアの海賊」にいってみた。近くにいく用事があったので、お昼に立ち寄った次第。

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!というブログ記事で今年の2月に取り上げたが、昨年(2011年)10月に一般公開されたばかりの、あたらしいミュージアムである。

今回の特別展示も、東洋文庫の「資産」をフルに活かした興味深いものになっている。


「東インド会社」と「海賊」は経済史の常識としてもっておきたい話題

東インド会社、そして海賊。まさに二つのキーワードは近代経済史のキーワードである。しかし、けっして過ぎ去った過去の話ではない。

1600年に設立されたイギリス東インド会社と1602年に設立されたオランダ東インド会社。すくなくともこの二つの東インド会社(East India Company)のなんたるかを知らなければ、現在のインドを中心とする南アジアやインドネシアを中心とする東南アジアを理解することは不可能だからだ。

英国の東インド会社もオランダの東インド会社も、その後は閉鎖されて国家による直接的な植民地統治に変化したが、有限責任という株式会社の原点について考える上では、避けて通ることのできない存在であることはビジネスパーソンにとっては常識といってよい。

そして海賊(pirate)。海賊というとソマリア沖だけではないのである。21世紀の現在でも、マラッカ海峡では海賊が横行している。日本の船舶も海賊に乗っ取られたことは、ほんの数年前の話である。カリブ海と相場が決まっているようだが、もちろん東南アジアでも海賊が横行していたことは言うまでもない。

海賊というと、ハリウッド映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン(=カリブ海の海賊)』や、日本のベストセラーマンガ『ワンピース』を思い浮かべる人も少なくないだろうが、実態はそんなロマンティックなものではない。

また、海賊版という表現があるように、ネット時代になっても海賊行為は経済世界のなかに存在し続けている。略奪という海賊行為が経済と密接に結びついていることも、アタマに入れておくべき常識だ。

今回の展示のタイトルは、「東インド会社とアジアの海賊」となっている。

東インド会社からみれば、かれらのビジネスにとっての妨害行為と敵対行為を行う者たちこそ海賊であるが、海賊というレッテル貼りをされた立場からみれば、東インド会社こそ海賊であろう。あくまでも相対的な関係でしかないことが、今回の展示に登場する鄭成功(てい・せいこう)の存在からも明らかになる。

鄭成功とは、明(みん)王朝復興のために台湾を根城にして戦った日中混血の英雄である。国姓爺(こくせんや)として、近松門左衛門の人形浄瑠璃の主人公として江戸時代の日本人に親しまれた存在だが、オランダ東インド会社は鄭成功によって台湾から追い出されたのであった。

海賊ということでいえば、オランダよりも英国を強調しなくてはならない。
そもそも英国そのものが海賊の国だったのである!

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?に、「海賊」というキーワードは、『ネクタイを締めた海賊たち-「元気なイギリスの謎を解く-』(浜矩子、日本経済新聞社、1998)で展開されていることを書いておいた。

英国を中心にするとカリブ海は西インド、インドや東南アジアは東インドとなるが、西インドのカリブ海では、英国そのものが海賊だったことを記憶しておこう。カトリック国であるスペイン船を襲っては略奪の限りを尽くした海賊には、プロテスタント国である英国が国家としてお墨付きを与えていたのだ。

英国は海賊のチカラをフルに活用することによって、近代国家としてのちの大英帝国を建設する基礎を築いたのであった。


東インドでは、東インド会社によって先行するポルトガルを駆逐し、今度は海賊から略奪される側に回ることになる。

そして東インド会社が解散された後は、さきにも触れたように、国家みずからが植民地を略奪する側に回ったのであった。「略奪」という本質は同じである。



展示内容について-「原本」という「実物」にまさるものはない

さて、展示そのものについては、なんといっても『ケンペル日本誌』など、貴重な原本が展示されていることだ。

17世紀末の日本をオランダ東インド会社の長崎駐在医師として着任したドイツ人ケンペルによる『ケンペル日本誌』は、いちばん最初に出版されたのはドイツ語版ではなく英語版なのだが、その英語版がガラスケースのなかに展示されている。

(『ケンペル日本誌』より 14番の立っている人物がケンペル)

展示されているページは、ケンペルが江戸参府におり、御簾越しの五代将軍綱吉の前でドイツ語の歌を歌っている有名なシーンのイラストである。まさに「芸は身を助ける」である。歌いなさいと言われて自作の歌を歌ったらしいが、ケンペルという人は当時でもかなりの知識人であったにかかわらず、人類学者のような「参与観察法」を実践した人であったことがわかるのだ。

また、オランダ東インド会社からみでは、「じゃがたら文」で有名な日本女性「じゃがたらお春」日蘭混血の「おてんばコルネリア」といった、たくましく生きた女性たちも紹介されている。なんと、おてんばという日本語は、馴らしにくいという意味のオランダ語(otembaar)からきたのだという!! 面白い。

イギリス東インド会社関連では、お茶の木を求めて探し回ったプラントハンターのロバート・フォーチュンの原書も展示されている。

お茶なしでは生きていけなくなった英国人は、インドをからませて阿片を中国に売って貿易差損をバランスする三角貿易を構築したが、お茶の木の発見以降は、植民地のインドとセイロン(現在のスリランカ)で栽培を開始した。つまりは、植民地における輸入代替生産によって、中国から輸入する必要がなくなったのである。

(『中国とインドの茶の産地への旅』(1847年)の扉見開き)

世界初の株式会社である英国とオランダの東インド会社が、アジアにおいてはいかなる存在であったかを、実物資料でみるいい機会である。



<関連サイト>

「東インド会社とアジアの海賊」(東洋文庫)


PS 展示会の成果が単行本として出版

企画展「東インド会社とアジアの海賊」の成果が、『東インド会社とアジアの海賊』(東洋文庫編、勉誠出版、2015)として2015年5月に出版されている。企画展を訪れることのできなかった人には朗報だろう。訪問した人にとっても、テーマをより深めるための参考になるだろう。(2015年7月5日 記す)

目 次

口絵
まえがき 斯波義信
序論 アラビア海から東シナ海までの船旅 牧野元紀
総論 東インド会社という海賊とアジアの人々 羽田正
第1部 西南アジア海域
 1.ジョアスミー海賊とは誰か?-幻想と現実の交錯 鈴木英明
第2部 東南アジア海域
 2.貿易と暴力-マレー海域の海賊とオランダ人、1780~1820年 太田淳
 3.ヨーロッパ人の植民地支配と東南アジアの海賊 弘末雅士
第3部 東アジア海域
 4.海商と海賊のあいだ―徽州海商と後期倭寇 中島楽章
 5.中国沿岸の商業と海賊行為―一六二〇~一六四〇年 パオラ・カランカ([翻訳]彌永信美)
 6.屏風に描かれたオランダ東インド会社の活動 深瀬公一郎
 7.『中国海賊(チャイニーズパイレーツ)』イメージの系譜 豊岡康史
 8.清朝に 雇われた イギリス海軍―十九世紀中葉、華南沿海の海賊問題 村上衛
年表
あとがき/平野健一郎
執筆者一覧





<ブログ内関連記事>

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!


主要な「東インド会社」の本国であった英国とオランダ

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か? ・・海賊の末裔である英国人

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった
・・オランダ東インド会社の17世紀はオランダの黄金時代

書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求 ・・オランダ東インド会社の17世紀はオランダの黄金時代

政治学者カール・シュミットが書いた 『陸と海と』 は日本の運命を考える上でも必読書だ!
・・海上交通や海上貿易だけでなく、捕鯨や海賊も本格的に取り上げ、英国の「海洋国家」への移行と、それにつづいて登場した米国についてもくわしく語られる


海賊関連

映画 『キャプテン・フィリップス』(米国、2013)をみてきた-海賊問題は、「いま、そこにある危機」なのだ!

書評 『平成海防論-国難は海からやってくる-』(富坂 聰、新潮社、2009)-「平成の林子平」による警世の書

書評 『海賊党の思想-フリーダウンロードと液体民主主義-』(浜本隆志、白水社、2013)-なぜドイツで海賊党なのか?

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2009年11月21日土曜日

タイのあれこれ (15) タイのお茶と中国国民党の残党



(北部メーサイのお茶屋さんの店頭にて)

「食べ物はひたすら辛く、スイーツとドリンクはひたすら甘い」、これはタイに限らず、東南アジア全体についていえることだが、とくにタイにおいて当てはまる話であろう。

 スイーツについては、このブログでも「カンボジアのかぼちゃ」でも取り上げた"かぼちゃプリン"が最高にうまいが、これはもちろんタイでも定番である。

 スイーツは文字通り甘くてもかまわないのだが(・・あまり甘すぎるのも考え物だが)、タイではスイーツだけでなくお茶も甘い、というのは、苦いお茶を飲み慣れている日本人にとっては実に困ったことなのだ。

 タイ語では日本茶のことをチャー・イップンという。お茶を飲む習慣はそのそもタイ人にはなかったようだが、現在ではペットボトル入りのお茶がコンビニでも販売されており、タイ人の日常生活にすっかり浸透しているようだ。タイで日本企業の製品をみるのはうれしいものだが、ところがちょっと違うんだよなあ。

 タイで売っているキリンの生茶(YouTube でタイのCM)は、なにかしら甘い。「これは生茶じゃないな、甘茶だよ」といいたくなるような味なのだ。ドリンクはすべからく甘くあるべし、というのがタイ流なのである。


 "なんちゃって日本食品"でのしあがったタイ企業 OISHI(おいしい) は、飲食店だけでなく食品分野にも進出しており、ペットボトル入りのお茶も販売している。写真はラオスで撮影したものだが、近隣のラオス、カンボジア、ミャンマーでは、OISHI の製品が普及しており、タイから訪問すると何かしらうれしくなったりもするのである。


 さて、タイでは実はお茶も栽培しているのである! これも一般には知られざる事実である。

 ここのところずっとタイ北部と中国の雲南ネタが続いているが、今回もまたそのからみである。

 前回タイのコーヒー生産の話をしたが、お茶の生産地域も"ゴールデン・トライアングル"(黄金の三角地帯)のなかにある。この地域はタイにとっては辺境地帯で、麻薬問題や少数民族問題、また治安問題などさまざまな問題を抱えた国境地帯なのである。

 とくに大きな問題だったのが、タイ北部チェンラーイからクルマで2時間程度の高地にあるメーサーロンを中心に居座っていた、中国国民党(KMT:Kuomintang)の雲南方面軍の残党なのであった。


 タイは中国とは直接国境は接していないものの、第二次大戦終結後、中国内戦で共産党に敗れたのち、国民党の雲南方面軍は本拠地の昆明(クンミン)から南下、ミャンマー(当時のビルマ)のシャン州にいったん落ち着いたが立ち去ることを余儀なくされ、最終的にはタイ北部のこの地域に落ち着いた(・・写真の「孤軍行動路線」を参照)。

 この地で国民党軍は、冷戦構造のなか台湾政府からの支援のもと、"大陸反攻"の拠点として活動を行ってきたのである。しかしベトナム戦争も終結し、第2世代、第3世代になるにつれて当初の存在意義も薄れ、しかもタイ国内の共産党活動も下火になってきたなかタイ王国政府としても反共姿勢にこだわる必然性が薄れ、国民党残党の存在を黙認することもできなくなってきた。そして最終的には1980年代半ば、国民党の残党とその子孫はタイ王国政府に帰順することとなった。


 国籍問題を解決し、タイ国民となった国民党残党は武器を捨て、農民として定住する道を選ぶこととなった。この落人部落のような地で生計をたてるために、高地の気候を利用したお茶の栽培に取り組むこととなったのである。

 現地のお茶屋で聞いたところ、ここで栽培し収穫されたお茶は、ウーロン茶を筆頭にさまざまなお茶に加工され、タイ国内だけでなく、海外にも輸出されているとのことだ。写真のお茶の真空パックもパッケージは漢字で書かれており、シールをはがしてしまうとタイ産だとはまったくわからなくなる。

 台湾で販売されているウーロン茶には、実はここメーサーロン(美斯楽)で生産されたお茶がブレンドされたものもあるという。味については、その場で試飲させてもらったが、まったく問題はなかった。台湾産だと思って知らずにタイ産のウーロン茶を飲んでいる人も少なからずいるのかもしれない。



 メーサーロンは、写真にあるように一面に茶畑が拡がり、非常にのどかな雰囲気をただよわせている。かつてここに軍隊が居座っていたというイメージはもはやない。兵どもが夢の後といった風情だが、ここには台湾からの援助で作られた、泰北義民文史館という立派な建築物があり、台湾からの観光客を中心に多数訪れるという。

 この文史館には多数のパネル展示がされており、雲南省から苦難の末、ビルマを経由してタイ北部に落ち着いた雲南人たちの歴史が説明されている。

 中国の作家・鄧賢氏による力作 『ゴールデン・トライアングル秘史』(増田政弘訳、NHK出版、2005)が出版されており、この本のなかではタイ王国政府に帰順したのちも苦難が続いたことが詳述されており、分厚い本だが読んでいて胸を打たれるものがあった。興味があればぜひ一読されたい。

 中華民族同胞の歴史を描くという中国人作家の態度は、麻薬問題への関心から描いた、日本のジャーナリストによるゴールデン・トライアングル本とは趣を大きく異にする。歴史というものは、歴史を書く人の視点と志によって大きく変わってくるのである。いい意味でも悪い意味でも。

 バンコクにいた際に、私が住んでいたラチャダ地区は日本人はきわめて少なく、しかしながらタイではマイノリティである雲南系華人が多く住むところであった。

 ラチャダ地区に居住する雲南系華人が、国民党残党の末裔なのか、それともあらたに雲南地方からきた人たちなのかは知らないが、タイといったら潮州系華人、と教科書的に思い込んでいる人には、知っておいてもらいたい実態として紹介した。

 華人を十把一絡げに捉えていてはものは見えてこないのである。

 タイのお茶にまつわるエピソードには、タイのコーヒーとはまた違った意味だが、この地域にかかわった様々なひとたちの血と汗と涙でつづられた歴史そのものなのだ。

            

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「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)                   
     

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