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2026年2月23日月曜日

イランで生まれたミトラ神が西へ東へ。ミトラス教と弥勒菩薩に共通点あり!?

 

弥勒菩薩といえば、日本では広隆寺の半跏思惟像で有名だ。朝鮮の仏師による作品とされている。

弥勒菩薩は、大乗仏教において56億7千万年後(!)に出現する「未来仏」と位置づけられている。 

「救世主」としての性格をもたされた弥勒菩薩は、チベット各地でさかんに大仏サイズの仏像として建造されている。北京のチベット仏教寺院である雍和宮(ようわきゅう)には、写真に収めるのがきわめて困難なほど巨大な木彫りの弥勒菩薩像が鎮座している。


(雍和宮の弥勒菩薩像 Wikipediaより)


さらに東方の中国では、救世主待望から社会変革をもたらす宗教として民衆信仰化し、「白蓮教徒の乱」など王朝交替の原因をつくってきた。 

日本では「ミロク信仰」という形で、「ミロクの世」を待望する日本型ユートピア思想として一般民衆のあいだに浸透してきた。「ミロク船」の民間信仰は沖縄だけでなく、『利根川図志』にも記載があるように黒潮文化圏の房総半島にもある。 



■弥勒菩薩はイラン起源?

そんな弥勒菩薩だが、古代ヨーロッパに拡がった「ミトラス教」とは、見えない糸でつながっている存在だという説がある。

ミトラ神はペルシア生まれの太陽神、西は地中海東岸に拡がってミトラス教を生み出し、東はインドに拡がって弥勒菩薩を生み出したという説だ。 

もちろん、確たる証拠があるわけではなく、弥勒菩薩=ミトラ神でもない。だが、両者に「救世主」という側面での共通性があることは否定できない。 

そんなワクワクするような面白いテーマに、知的好奇心のかたまりのような自分に関心がないわけがないのだが、喫緊のテーマではないのでアタマの片隅においたまま、長いあいだほったらかしにしていた。 



(大英博物館所蔵の「雄牛を屠るミトラス」 Wikipediaより)


先日、森羅万象について語り合う同好の士の松下氏のFBに、『異教のローマ  ―  ミトラス教とその時代』(井上文則、講談社選書メチエ、2025)を読んだという投稿があり、いくつかやりとりのあとリアルでの対面による「読書談義」で語り合おうという話に発展、その直前に駆け込みで同書を読了。  

そして、「読書談義」のあと、積ん読のままだった(というより段ボール箱のなかで10年以上眠っていた)、『弥勒の来た道』(立川武蔵、NHKブックス、2015)を引っ張りだしてきて読了した。  

その結果わかったのは、もちろんミトラス教と弥勒菩薩がイコールではないことは言うまでもないが、古代ヨーロッパでのミトラス教が男性に限定されていたものの「個人単位での救世主としての性格」を有しており、ローマ帝国におけるキリスト教普及の地ならしをしたこと、一方の「未来仏」としての弥勒菩薩が、キリストのような「救世主」的性格をもっていること、である。 

仏教学とインド哲学の権威である立川武蔵氏は、『弥勒の来た道』で、弥勒菩薩はミトラ教やキリスト教など西方の宗教の影響を受けているのではないかと、仮説的であるが述べている。 

自覚があるにせよないにせよ、その多くが仏教徒である東アジアの住人である日本人にとっては、弥勒菩薩の意味合いが大きいことは言うまでもない。そんな弥勒菩薩が、西方のミトラス教との関係がまったくないわけではない。そんなことを考えるのはじつに興味深いことではないか! 

もちろん、このテーマは自分の専門とは直接関係ないので、今後も深入りすることはないだろう。とはいえ、ペルシア(=イラン)を起点として東西に拡がった事物は果樹のザクロだけでなく、ミトラ神もまたそうだったことを知ることは、ユーラシア大陸の東西文化交流を考えるうでじつに意義深いことである。 

内的動機にもとづく書籍の購入は、ややもすれば「積ん読」に陥りがちだが、外的動機というキッカケさえあれば、「積ん読」にも効用があることがわかる。 10年、20年くらい、けっして長いとは言うまい。

本というものは、買ってすぐに読まなくてもいい。もちろん kindle版 など電子書籍も同様。書籍購入にカネを惜しむ勿れ! 


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2024年8月12日月曜日

暑いからこそ辛いものを食べ、暑い国の辛い料理について書かれた本を3冊つづけて読んだ:『カレー移民の謎 ー 日本を制覇する「インネパ」』(室橋裕和、集英社新書、2024)/『インドの食卓 ー そこに「カレー」はない』(笠井亮平、ハヤカワ新書、2023)/『カラー版 インド・カレー紀行』(辛島昇、大村次郷=写真、岩波ジュニア新書、2009)

 

「暑い国」の「辛い料理」(=「ホットな国」の「ホットな料理」)といえば「カレー」だな。 

というわけで「カレー関連」の新書本を3冊ぶっつづけで読んだ。「カレー」とカッコ書きで書くのは理由があるが、そのわけはのちほど。 



■日本のインド料理店のほとんどが「ネパール人」の「カレー移民」の経営である!


いまでは日本中いたるところにある「インド料理店」だが、じつは5,000店近くあるそのほとんどがネパール人の経営で、ネパール人のコックが調理しているという実態。アメリカの日本料理店の大半が韓国人経営ということを想起するが、ちょっと違うようである。 

もともと、ムガール帝国の宮廷料理から発展した「ムガール料理」をベースにした高級料理として日本紹介されたのがインド料理であった。

だが、現在では上記のような状況になっている。海外出稼ぎや移民で経済を成り立たせているネパール人の独擅場となっているのである。その経緯と理由が、著者による人から人をたどった綿密な取材によって明らかにされる。 

取材に3年間かけてできあがった、まさに労作というべきノンフィション作品だ。 

第一世代の「カレー移民」そのものだけでなく、親の都合で日本に連れてこられたネパール人二世をめぐる問題へのめくばりも大事な視点だ。

また、日本に大量に「カレー移民」を送り出しているネパールの農村の現地取材もいい。 

そのむかし、ネパールのカトマンドゥ、そしてルンピニ(=仏陀生誕地への仏跡巡礼)、さらにポカラ(・・アンンアプルナ周辺のトレッキング)に行ったことがあるが、そのことを思い出しながら読んだ。 


バンコク卒業後の室橋氏の取材活動には要注目だ。


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目 次
はじめに 「ナン、おかわりどうですか?」 
第1章 ネパール人はなぜ日本でカレー屋を開くのか 
第2章 「インネパ」の原型をつくったインド人たち 
第3章 インドカレー店が急増したワケ 
第4章 日本を制覇するカレー移民 
第5章 稼げる店のヒミツ 
第6章 カレービジネスのダークサイド 
第7章 搾取されるネパール人コック 
第8章 カレー屋の妻と子供たち 
第9章 カレー移民の里、バグルンを旅する 
おわりに カレー移民はどこへ行くのか
あとがき

著者プロフィール
室橋裕和(むろはし・ひろかず)
1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリストとして活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。外国人コミュニティと密接に関わり合いながら取材活動を続けている。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




■カレーだけがインド料理ではない!

日本の「インド料理店」が「インネパ」の経営であるために、ガチのインド料理を食べることが、かえってむずかしくなっているのが現状だ。 

というわけで、『インドの食卓 ー そこに「カレー」はない』(笠井亮平、ハヤカワ新書、2023)をつづけて読んで、インド料理の多様性について知る。

著者は、カレーを「スパイスをもちいた煮込み料理」と定義する。そう定義すると、日本でいう狭義の「カレー」以外の多種多様な料理が含まれてくる。  

わたしはインドには2回いっているが、長期滞在ではないし、しかも地域が限定されるので、インドでインド料理を食べたことがあるといっても、まさに「群盲象を撫でる」に等しい。だからこそ、こういう本を読む必要があるわけだ。 

著者はインドの首都デリーとパキスタンの首都イスラマバード勤務経験があるとのことで、基本は北インド料理についての記述が多い。

ムガール帝国以降のインド料理が、初代皇帝の出身地である中央アジアや西隣の文明国イランの影響を受けていることが示されている。さすがに炊き込みご飯のビリヤニがイラン起源とは知らなかったな。イランのピラウがピラフへ、名前を変えてインドではビリヤニに。 

インド料理は、基本的に「ベジタリアン」(vegetarian)と「ノンベジタリアン」(non-vegetarian)で区分される。前者は、言うまでもなく文字通りであるが、後者は肉食ありのことだ。つまり、インドは「ベジ」が基本なのである。 

「第5章 「インド中華料理」ー 近現代史のなかで起きたガラパゴス化」という章が面白い。

チャイナタウン(=中華街)がないとされるインドだが、インドにも中華料理があるのだ。それもインドにローカライズされた中華料理が。 

「インド料理=カレー」という固定観念を壊すために読むといい。この本を読むと、ガチのインド料理食べたくなってくる。


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目 次
はじめに ー インドに「カレー」はない?
第1章 「インド料理」ができるまで ― 4000年の歴史 
第2章 インド料理の「誤解」を解こう 
第3章 肉かベジか、それが問題だ ― 食から見えるインドの宗教、文化、自然 
第4章 ドリンク、フルーツ、そしてスイーツ ― インド料理に欠かせない名脇役たち 
第5章 「インド中華料理」― 近現代史のなかで起きたガラパゴス化 
第6章 インドから日本へ、日本からインドへ 
おわりに
あとがき
参照資料についての解説

著者プロフィール
笠井亮平(かさい・りょうへい)
1976年、愛知県生まれ。岐阜女子大学南アジア研究センター特別客員准教授。中央大学総合政策学部卒業後、青山学院大学大学院国際政治経済学研究科で修士号取得。専門は日印関係史、南アジアの国際関係、インド・パキスタンの政治。在インド、中国、パキスタンの日本大使館で外務省専門調査員として勤務した経験を持つ。著書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


■インド料理は南から北上した「スパイス」と、北から南下した「ミルク」が融合し、その基本形ができあがった


もうお亡くなりなってひさしいが、著者の辛島氏はインド史の権威だった人。「辛島」という名字が「カレー」にふさわしい(笑) 

それはさておき、「ジュニア新書」だとあなどってはいけない。マドラス(現在のチェンナイ)を中心に、南インドに長く滞在して研究された人だけに、コメと魚が中心で、しかも古代以来スパイスの一大産地である「南インド料理」の記述が光っている。 

辛島流にいえば、インド料理は南から北上した「スパイス」と、北から南下した「ミルク」が融合し、その基本形ができたということになる。インド料理には、多様性がありながら、そこに統一性があるわけだ。 

辛島氏によれば、インド料理に絶対に欠かせないスパイスは、ターメリック(=ウコン)、クミン、コリアンダー(=パクチー)、コショウ、マスタードの5つだという。 

北は粉食が中心で、小麦粉からつくるナンやチャパティは北インド発だ。その点は中国大陸と似ているな、と。中国大陸も北部はマントウなどの粉食で、南部はコメが中心である。

ただし、ガンジス川中下流域のベンガルはコメと魚が中心で、しかも東隣のミャンマーからの影響もある。 なるほど、インド亜大陸の南北が出会って融合したことで、スパイスとミルクがインド料理を特徴づけているわけだ。 

そんな話が満載のこの本は、アジアが専門の写真家・大村次郷氏の写真とあいまって、新書本ながらぜいたくな内容になっている。 

もう1回インドに行く機会があれば、ぜひまだ行ったことのないケーララ州を含めた南インドにいってみたい。そう思ったのであった。 


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目 次
はじめに
第1章 インドでカレーライスを注文したら 
第2章 「カレー」の語源と「カレー」の成立 
第3章 留学生活とカレー ― マドラス大学院生寮の食事 
第4章 カレー好きになる ― マイソールでの一家滞在 
第5章 ムガル朝の宮廷料理 ― 中央アジアとペルシャの伝統 
第6章 カレーの原点 ― ケーララの海とスパイス 
第7章 ゴアのカレーに残るポルトガルの味 
第8章 カレーで結ばれたベンガルと日本 ― ガンジス川の流とその魚 
第9章 辛いスリランカ・カレーとモルディブの鰹節 
第10章 現代インド料理の成立 ― インド文化論 
カレー関連用語集
参考文献

著者プロフィール
辛島昇(からしま・のぼる)
1933~2015年。東京大学名誉教授、大正大学名誉教授。専門は南アジア史。タミル語刻文研究の世界的権威であり、カレー博士としても知られる。History and Society in South India(Oxford University Press)にて日本学士院賞を受賞。著書多数。






PS. インド料理店をめぐる状況は急激に変化しつつある

・・「身近なランチの選択肢となっているカレー店やインド料理店が危機を迎えている。食材価格や人件費の高騰を受けて、採算が悪化。閉店に追い込まれるケースが増える傾向にある。ネパール人をはじめとする外国人が営むインド料理店にはビザの制度変更という、新たな逆風も吹き付け始めた・・」

(2026年6月26日)


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2024年8月7日水曜日

ベンガル出身で日本国籍のバングラデシュ人が書いた本を読んで、近代以降のベンガルと日本の深い絆を再確認する(2024年8月7日)ー すべては詩聖タゴールと岡倉天心の出会いと深い交流から始まった


 
バングラデシュ情勢が流動化している。 学生が主体のデモが数百人の犠牲を生んだすえに暴動に発展し、一昨日(2024年8月5日)にはついにハシナ首相が退陣して国外脱出という事態になった。

ハシナ元首相にかんしては、10年以上前のことになるが、東京で開催された海外直接投資のセミナーで見たことがある。小柄だがエネルギッシュな女性であった。フィリピンのアロヨ元大統領もそんな感じだったな。

そんな元首相も、長年にわたって統治をつづけるうちに権威主義低傾向が強まり、軍隊をつかって反対派の声を封じる挙にでて、その結果かえって大きな抵抗運動を生み出すにいたったのであろう。

今後のバングラデシュ情勢は要注視である。現在は首相退陣に大きな役割をはたした国軍が治安維持を行っているが、平和裏に総選挙が実施されることを願うばかりだ。

すでにヒンドゥー寺院襲撃など少数派への暴力行為が発生していると報道されている。民主主義の枠組みのなか、選挙をつうじて過激なイスラーム主義者に乗っ取られないことを望みたい。

バングラデシュといえば、発展途上国のソーシャルビジネスを支える「マイクロクレジット」の生みの親で、グラミン銀行の創設者で元総裁のユヌス博士のことは知っている人も少なくないと思う。2006年にノーベル平和賞を受賞している。  

ユヌス博士は、崩壊した前政権と対立して総裁退陣を余儀なくされていた。学生の熱い支持のもと、再浮上してきたのがムハマド・ユヌス氏だ。ユヌス氏は「(1971年のパキスタンからの独立につぐ)第二の解放だ!」という第一声を発している。84歳のユヌス氏は、暫定政権の首相になることが期待されている。





■在日バングラデシュ人という視点

 さて、こんなときだからこそ積ん読となっていたバングラデシュ関連書を読む絶好の機会である。 

まずは、『パンツを脱いだその日から ー 日本という国で生きる』(マホムッド・ジャケル、ごま書房新社、2022)という本から。副題には「日本社会の一員となったバングラデシュ人の物語」とある。  

大学に入るため日本にはじめて来て銭湯に入った際、番台のオバチャンから言われたのが、「パンツを脱ぎなさい!」という一言。 この一言が、人前ではハダカにならない文化に育った著者のプライドを崩壊させ、そして同時に日本人に生まれ変わった瞬間であった、と著者は回想している。 

貧困国のバングラデシュに生まれ育ち、不法滞在していた兄の影響もあって「憧れの国」日本にやってきた若き著者の苦労の物語。

転々と職を変え、日本社会で生きる苦しさを味わいながらも、残り物には福があるというべきか、最終的に著者は日本企業ハクキンカイロの正社員となり、バングラデシュ人と結婚しながらも日本国籍を取得することに成功する。

ムスリムでありながら酒が好き、バングラデシュ人の妻と結婚する前のことであるが、惚れやすい体質など、なかなか人間くさい人物のようだ。


(画像をクリック!)

目 次
まえがき 
第1章 バングラデシュに生まれて 
第2章 日本への旅立ち前夜 
第3章 日本という国で生きる 
第4章 日本の人たちと関わって 
第5章 日本人のひとりとなって 
第6章 日本とバングラデシュの架け橋へ

著者プロフィール
マホムッド・ジャケル(Mahmud Jaker)
1972年、バングラデシュ独立戦争中に生まれる。フェニ県ダゴンブィヤンプロショバゴニプル村出身。アジアの最貧困と言われたバングラデシュで青春期を過ごし、1994年4月に来日。出稼ぎも兼ねた外国人留学生として日本語を学び、城西国際大学人文学部(千葉県東金市)に入学。在学中にバングラデシュの現状を訴えたスピーチで、「留学生日本語弁論大会」NHK大阪社長賞を受賞。また翌年には「留学生スピーチコンテスト」で毎日新聞社賞を受賞。卒業後は外国人労働者として、仕事を転々としながら入国管理局や大阪府警察本部などで民間通訳人(日本語ーベンガル語)も担当する。2003年にはハクキンカイロ株式会社に入社し、現在に至る。仕事の傍ら、バングラデシュ人留学生に日本生活情報支援を行い、2019年にはNPO法人関西バングラディシュソサイエティ(KBS)を設立。日本とバングラデシュの架け橋になるため、在日バングラデシュ人には日本の文化を、日本人にはバングラデシュの文化を伝えている。また、現在は日本国籍を取得している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



■インドの詩聖タゴールはバングラデシュでも絶対的存在 

それにしても印象的なのが、全編にわたって「タゴールの詩句」が何度も引用されることだ。数えてみたら13箇所もあった。 

ラビンドラナート・タゴール(1861~1941)は、英国の植民地時代のインドが生んだ、インドを代表する詩人で万能のアーチストである。 「詩聖」として讃えられている。

アジア人ではじめてノーベル賞(文学賞)を受賞した人だ。日本でいえば大正時代のことであり、日本でもタゴールのブームが巻き起こったらしい。 日本にもなんども来日している。

母語であるベンガル語で書いた詩集『ギーターンジャリ』(=歌の捧げ物)をみずから英語にした詩集が受賞対象となった。 

ベンガル語は、インド北東部のベンガル地方でつかわれていることばだが、ベンガルはインド独立後にイスラームとヒンドゥー教が「宗教分断線」となって、ムスリムが多数派のバングラデシュとヒンドゥー教徒が中心のベンガル州に分離されてしまったのである。

タゴールというとインドという連想があるのだが、じつはベンガル語地帯のバングラデシュでも、きわめて大きな存在であることが、この本を読んでよくわかった。バングラデシュの国歌もタゴールの詩に曲をつけたものだという。インドの国歌については言うまでもない。

というわけで、森本達雄訳註の『ギタンジャリ』(第三文明社レグルス文庫、1994)も引っ張り出してきて一緒に読む。

岩波文庫その他にもベンガル語からの訳と英語版からの訳が収録されているが、レグルス文庫版では英語原文も収録されているのがいい。  





■近代以降のベンガルと日本の深い絆を再確認する

そんなバングラデシュも含めたベンガル地方と日本の関係は、近代に入ってからだが、じつに深くて熱いものがあることは、日本人全体の常識にしておきたいものだ。 





在日30年で、日本語に堪能な日本国籍のバングラデシュ知識人が書いた本だ。 

このテーマは自分としては、昔から比較的よく知っている。「悲惨なインパール作戦、インドからはどう見えるのか 「形を変えて」インド独立につながっていた」 という記事も書いたことがある。

だが、本書を通読してみて思ったのは、じつによく調べ、じつによくまとまった良書であると感じた。日本人こそ読むべきだと大いに薦めたい。 

なによりも、バングラデシュ人である著者が、ベンガル人として書いた本であることが重要だ。カバーの肖像写真はタゴールである。 

岡倉天心とタゴールの出会いと深い友情から始まった日本とベンガルの歴史は、「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボース、そしてインド独立を軍事面から推進したチャンドラ・ボースを経て、法律専門家として中立的立場から東京裁判でA級戦犯の無罪を主張したパル判事などにつながっていく。 

もちろん、タゴールとの出会いの前には、ラーマクリシュナの高弟であったヴィヴェーカーナンダと天心との出会いがあったことは記しておかないといけない。残念ながら体調を崩していた彼を日本に招致することは叶わなかった。

また、詩聖タゴールは5回も来日しており、日印協会の会頭を務めていた渋沢栄一との交流も特記しておくべきだろう。1924年(大正13年)には、「タゴール歓迎有志会総代」としてタゴールをもてなしている。タゴールは日本女子大創設者の成瀬仁蔵からの紹介であった。


(東京王子の「渋沢資料館」の展示 筆者撮影)


著者は言及していないが、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティヤ・セン博士もこの系譜に加えるべきであろう。セン博士は英国のケンブリッジ大学教授だが、タゴールが創設した学校で学び、日本との関係も深い方だ。 

日本とベンガルとの関係は、このようにじつに深くて熱いのである。だからこそ、バングラデシュでは日本への憧れがあり、『パンツを脱いだ日』の著者も来日して日本国籍を取得するに至っているのである。 




バングラデシュの国旗は、緑地に赤丸であり日の丸と酷似(・・ただし、バングラデシュの赤丸は太陽ではなく、1971年の独立戦争で流された血を象徴しているという)しているのも、その現れであろう。

とはいえ、さまざまな人間関係があることは承知の上であることは言うまでもない。父親がバングラデシュ人の女性タレントがいることは、意外と知られていないかもしれない。

その一方、2016年の「ダッカテロ事件」で日本人援助関係者7人が虐殺されたことも、また「イスラーム国」に身を投じた過激なイスラーム主義者のテロリストが日本留学組から生まれていることから、目をそらすべきではない。

それでもなお、ベンガル人と日本人の絆を確認しておきたいのである。 



(画像をクリック!)


目 次
はじめに 
第1章 日本とベンガルの交流のはじまり 
第2章 タゴールと岡倉天心 
第3章 ラス・ビハリ・ボースと日本 
第4章 受け継がれる「独立」への意志 
第5章 チャンドラ・ボースとインド国民軍 
第6章 「パル判決書」の歴史的意義 
第7章 バングラデシュ小史 
特別対談 ペマ・ギャルポ × シャーカー 
おわりに 
主要参考引用文献

著者プロフィール
プロビール・ビカシュ・シャーカー(Probir Bikash Sarker)
1959年、バングラデシュ・コミラ県生まれ。チッタゴン国立大学歴史学部卒業。大学在学中、中曽根首相時代の「留学生10万人計画」により1984年来日。日本の印刷技術と出版業を学び、1991~2002年、日本で初めてのベンガル語情報誌『月刊マンチットロ』出版。2007~2014年、ベンガル語子ども新聞『月刊キショルチットロ』編集長。タゴール研究家、出版者、編集者、作家、日本語法廷通訳。現在、アジア自由民主連帯協議会理事、岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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・・ベンガル系の家族に生まれたヨーガ指導者

・・「在日バングラデシュ人の起業家ユヌス・ラハマンも 『おカネを取るヒト 取られるヒト』(H&I、2005)という本で、カネの重要性と人間の生き方について書いている。」



・・ユヌス博士が登壇

2010年7月23日金曜日 


・・チャンドラ・ボースと「インド国民軍」は、日本軍とともにインパール作戦に参加した


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