「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル タイ政治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル タイ政治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年10月13日木曜日

タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御(2016年10月13日)― つひにゆく道とはかねて聞きしかど・・・

(プミポン国王作曲のジャズ作品集 CD マイコレクションより)


タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御された。2016年10月13日。 ついにその日が来てしまった。X-Day が来ることはわかっていたというものの、まさか・・・・。 1927年生まれの88歳であった。いまはただ、ご冥福を祈るばかりです。合掌。

東南アジアの偉大な指導者たちが、つぎからつぎへと世を去っている。2015年にはシンガポールの国父リー・クアンユー氏(享年91)2012年にはカンボジアのシハヌーク国王(享年89)・・・。みな88歳を超える長命で、激動の戦後アジア史をリードしてきた創業者ともいうべき巨人たちであった。

タイのプミポン国王の存在を強烈に意識したのは、流血事態となった1992年の「5月騒乱」の際の映像である。国王の前に横座りでひざまずく首相と反対派リーダー。この映像は強烈な印象を見る者に感じさせるものがあった。わたしはこの映像を、米国を去る前の自動車旅行中にモーテルのテレビで CNN の報道として視聴したのだった。

(国王の前にひざまず首相 wikipediaより)

さらに意識するようになったのは、2007年からあしかけ3年にわたってタイ王国で暮らしていた頃である。単なる旅行者としての印象と、居住者としての印象では大いに異なるものがある。

いたるところに遍在するプミポン国王の肖像画ビルの壁面に肖像画、歩道橋には垂れ幕、道路の中央分離帯には肖像画のパネルが、建物の内部に入れば、オフィス内にはかならず国王の「ご真影」。現地法人を立ち上げたわたしも、当然のことながら「ご真影」は写真屋で購入して用意した。


タイ現代史におけるプミポン国王

プミポン国王とタイ現代史について知れば知るほど、その存在の大きさを意識するようになる。

国民統合の象徴として政治的な安定感をもたらしたという側面だけでなく、ジャズやヨットといった多趣味の才人でもあったこと。みずから作曲もし、サクソフォン・プレイヤーでもあった。国王の権威だけでなく、その人間性によって国民から広く敬愛される存在であった。まさに「賢人王」というにふさわしい人であった。

タイの歴史において、プミポン国王は、チュラーロンコン国王と並んで、大王の名にふさわしい

ちなみにラーマ5世は明治大帝の同時代人である。ラーマ5世も明治大帝も、アジアで「近代化」を推進した君主である。現王朝のチャクリ王朝は1792年に成立、プミポン国王は9代目であった。そのためラーマ9世というのが正式名称である。プラム・ガウである。

米国のボストン生まれで、スイスのフランス語圏のローザンヌで教育を受けたプミポン国王は、「西欧近代化」を体現した存在であったともいえよう。その一方、立憲君主でありながら、ヒンドゥー的な王権神授説による東南アジアの王朝の君主として、「神聖にして不可侵」な存在でありつづけた。タイの王室を考えるには、戦前の日本を想定すると理解しやすいだろう。近代天皇制のもとの日本の天皇も、「西欧近代化」を体現する存在であるとともに、神道の祭司という側面をもつ。

午前8時と午後6時に国歌が流れる時間帯には、歩行者も立ち止まって直立不動の姿勢を取ることが求められるのがタイ王国である。大衆消費社会でありながら、戦前の日本が同時に存在するという不思議な空間といえようか。

プミポン国王の70年の在位が終わったことは、タイ国民には深い喪失感として長期的にじわじわと影響を及ぼすだろう。タイ国民は1年間にわたって喪に服すことが求められている。最初の30日間は「歌舞音曲」の自粛が求められる。さすがに前国王のラーマ8世アーナンダ国王のように服装期間が3年ということはないが、それでも経済活動の観点からいって1年は長い。

わたしがタイに在住中の2008年に、プミポン国王の実姉ガラヤニ王女が亡くなった際は、町中が黒衣状態になっていたことを思い出す。今回はそれ以上の悲しみのなかにあり、徐々に黒衣状態は減少していくだろうが、それでも黒衣を着続けるタイ国民もいるはずだ。

政治経済情勢にも、間違いなく大きな影響を与えるだろう。いや東南アジアを超えて、東アジアにも大きな影響を及ぼすことは必至だ。なぜなら、タイは、日本と中国の影響力行使競争の主戦場の一つであるからだ。

しかも、第2次世界大戦で日本と同盟を組んだタイ王国に対して、英国は厳しい態度で臨んだが、米国は密接な関係を持ち続けてきたこともあり(・・米国とタイのあいだには特恵関税がある)、米国とタイの関係も太い。ベトナム戦争中は、タイは米軍の後方支援基地を提供していた。米中の影響力行使競争の舞台でもある。


「在位70年」のもつ意味

「在位70年」はタイの王政において最長であるが、「70年」という年月のもつ意味について考える必要がある。

プミポン国王の70年の在位は、30年を一世代とすると二世代以上の期間にまたがる期間となる。つまり、タイ国民の大半は、それ以外の期間を知らないのである。プミポン国王「以後」に生きるひとのは、そのほとんどがプミポン国王「以前」を想像できないということになるのだ。

つい先頃、日本は「戦後70年」を体験したが、1989年に崩御された昭和天皇の在位は64年であった。すでに平成になってから28年もたつが、いまだに「昭和時代64年間」は圧倒的な存在感を日本人に及ぼし続けている。その時代を生きた人間がまだまだ社会の第一線に存在するからだ。

例として引き合いに出すのは適切かどうかわからないが、1991年に崩壊したソ連も、1917年の「ロシア革命」から74年で崩壊したことを想定のなかに入れておくべきかもしれない。「70年」という年月は、それ以前の長い年月を個人の体験のなかから想起することがほぼ不可能なので、「移行期」には大きな混乱をともなうことが多いのだ。

しかも、プミポン国王はあまりにも偉大すぎた。偉大すぎる人物の後継者となる者は、とくにそれが「世襲」の場合は、なにかと前代が引き合いに出されて人物比較をされてしまう宿命にある。経営者であろうが国王であろうが、それは同じことだ。


「王位継承」もまた「世襲」

世襲の難しさは、大きく分けて二つある。まず王位承継する本人にとっての難しさと、それを受け入れる国民にとっての難しさだ。王位継承する本人にとっては「覚悟」の問題であり、これはある程度まで幼少期からの帝王教育によってカバーされる。

一方、受け入れる国民の側からみれば、それは「納得」の問題になる。この人のリーダーシップに従って自分は幸せになれるのか、自分の家族を幸せにできるのか。これはリーダーシップというよりも、フォロワーシップの問題だ。従うチカラのこと。これは意外と重要な問題だ。

だが、『自省録』で有名な古代ローマ帝国の「哲人皇帝」マルクス・アウレリウスの息子が粗暴だったことを想起せずにはいられない。あまりにも素晴らし過ぎる父親は、結果として息子をスポイルしてしまうことが多々ある。これは父親にとっても、子どもにとっても不幸なことだ。もちろん、皇太子については噂だけで判断するのは適切とはいえまい。

王国においては、国王死去にともない、ただちに新王即位が宣言されるのが普通である。なぜなら、王位継承において断絶を生じさせず、反対勢力による介入を防止するためである。フランス語の Le roi est mort. Vive le roi ! というフレーズは、前後で同じ roi(=国王)という単語が登場するが、前者は逝去した国王、後者は即位した新たな国王であり、同じ人間ではない。日本語に訳せば、「国王は崩御した。新王万歳!」となる。

タイ王国の王位継承については、すでにワチラロンコーン皇太子が継承することで決定済みのようだ。制度的な意味では問題ないのだが、現在64歳の皇太子本人はすぐに即位することは避けたい意向のようだ。国民世論の動向を見極めたいという思いもあるのではないだろうか。

したがって、しばらくタイ王国は国王不在の状態がつづくことになるが、それが望ましいことかどうかはわからない。不確定要素と考えるべきであろう。


何が起こるかわからない時代に

タイは2014年のクーデターによって軍政がつづいている。タイ陸軍としては、軍政を敷いている状態であったことは不幸中の幸いとみなしているかもしれない。そうでなくても国論が二分された状態が続いており、陸軍がグリップしている軍政のもとでは、反対派も表だった行動にでにくいことは確かである。

何が起こるのかわからない時代だ。タイ王国にかんしても想定外のことが起こらないとは限らない。十分に覚悟しておくことが必要だろう。




PS  暫定摂政にプレーム氏が就任(2016年10月18日)

ワチラロンコーン皇太子が即位するまで、憲法上の規定にもとづき、暫定摂政に枢密院議長のプレーム・ティンスーラーノン氏が就任した。プレム氏は1920年生まれで現在96歳。陸軍大将を経て1980年に首相に就任。8年間首相を務めた。プミポン国王の信任がきわめて厚く、枢密院議長として全面的に支えてきた存在である。タイ政治の安定装置として機能してきた「影の実力者」といってよいが、皇太子との関係はかならずしも良好ではないという噂が以前から流れており、今後の動向にいかなる影響を及ぼすか注視が必要である。

(2016年10月18日 記す)


PS2 ラーマ10世ワチラロンコーン国王が即位(2016年12月2日)

タイのワチラロンコン皇太子、新国王に即位 (BBC News、2016年12月2日)
・・「国会にあたる国民立法議会が即位を要請したのに応えて、皇太子はテレビ中継された即位式で正式に新国王となった。」 10月13日以来、50日近い日数を置いてからの即位となる。大多数のタイ国民にとって初めて目にする王位継承となる。新国王は「ラーマ10世」となるが、タイ人のあいだではチャクリ王朝の末路にかんする伝説が語られていることを想起してしまうが・・・。まずは王位継承がスムーズに進んだことに安堵する。

(2016年12月3日 記す)


PS3 あらたに「国王の前にひざまく首相」の画像を加えた。(2017年10月28日 記す)




* 『The King Never Smiles: A Biography of Thailand's Bhumibol Adulyadej 』(Paul M. Handley、2006)は、「不敬罪」の存在するタイ王国内では発禁であり、タイ国内への持ち込みも禁止されている。プミポン国王の伝記的事実をタイ王国の現代史と東南アジア情勢のなかに位置づけて、きわめて詳細で深い分析がされている。日本語訳は、なぜか出版されていないので、英語版だが関心のある人には読むことを強く薦めたい。




<関連サイト>

Candlelight Blues
by His Majesty The King of Thailand

タイ「プミポン国王」とは何だったのか?(樋泉克夫、Foresight、2016年10月13日)

ユニクロもモノクロに、悲しみに沈むバンコク 街は平静、パニックは日系スーパーの店頭だけ? (三田村蕗子、日経ビジネスオンライン、2016年10月17日)

プミポン国王死去、後継濃厚な皇太子はどんな人か 浅見靖仁教授にタイ情勢を聞く (BLOGOS、2016年10月22日)
・・法政大学の浅見靖仁教授へのインタビュー記事。読みであり。

プミポン国王様がご崩御されたバンコクの今を実録レポート!(ティラキタ駱駝通信、2016年10月26日)
・・写真多数の現地レポート

プミポン国王大誤算、タイ君主制が存続の危機に 皇太子がドイツで豪遊、海外でタクシン元首相と密談か (末永恵、JBPress、2016年11月8日)
・・ここまで書いてもいいののか?という内容だが、可能性は低くないk

タイ最大の危機は喪が明けた時に訪れる? 皇太子はいつ即位するのか~背後にちらつくタクシンの影 (川島博之、JBPress、2016年11月15日)
・・タクシンを支持する東北部の農民が武装蜂起すれば内戦が始まり、混乱の末の共和制以降というシナリオ。あり得ない話ではない

(2016年10月17日、23日、11月8日・15日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

プミポン国王とタイ王国関連

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2) ・・タイのプミポン国王ラーマ9世は「足るを知る経済」を提唱する哲人でもある

タイのあれこれ (8)-ロイヤル・ドッグ

タイのあれこれ (14) タイのコーヒーとロイヤル・プロジェクト

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)


東南アジアの「巨人」たち

巨星墜つ リー・クアンユー氏逝く(2015年3月23日)-「シンガポール建国の父」は「アジアの賢人」でもあった

シハヌーク前カンボジア国王逝去 享年89歳(2012年10月15日)-そしてまた東南アジアの歴史の生き証人が一人去った

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)


国論が二分されたタイ王国

「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)

書評 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス-』(ニック・ノスティック、めこん、2012)-分断されたタイの政治状況の臨場感ある現場取材記録

来日中のタクシン元首相の講演会(2011年8月23日)に参加してきた

タイで8年ぶりにクーデター(2014年5月22日)-今後の推移を考えるには、まずは前回2006年の「9.19クーデター」のおさらいから始めるのが第一歩だ

『国際シンポジウム 混迷続くタイ政治:その先に何が待っているのか』("Thailand’s Turbulent Politics: Peering Ahead")に参加(2014年3月27日)

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)-急激な経済発展による社会変化に追いつかない「中進国タイ」の政治状況の背景とは


■王位継承もまた「世襲」

「世襲」という 「事業承継」 はけっして容易ではない-それは「権力」をめぐる「覚悟」と「納得」と「信頼」の問題だ!

天皇陛下のお気持ちに応えることこそ日本国民の義務(2016年8月9日)
・・「生前退位」をご希望なさっている天皇陛下。タイ王国の場合もラーマ7世は「立憲革命」の後に「生前退位」しているが、ラーマ9世プミポン国王は「生前退位」することなく崩御されるまで王位にあった。スムーズな王位継承のためには、「生前退位」によってみずからが新国王の「後見役」となるブータン型の王位継承モデルが望ましいかもしれない。

(2016年10月17日 情報追加)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2012年7月26日木曜日

書評 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス-』(ニック・ノスティック、めこん、2012)-分断されたタイの政治状況の臨場感ある現場取材記録



買ったまま読んでなかった 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス』(ニック・ノスティック、めこん、2012)を読んだ。

2006年以来、赤シャツと黄シャツという、わかりやすい対立構造が続いているタイの政治状況だが、2010年の3月から5月にかけては、「バンコク騒乱」というカタチで、ほとんどバンコク市内が内戦状態になったことは日本でも大々的に報道されたので、覚えている人も多いのではないかと思う。

本書は、2006年のタクシン政権以来、対立が顕在化した「赤 vs 黄」を、現場で取材をつづけてきたドイツ人のフォトジャーナリストの著者が、豊富な写真とともに一冊にまとめたものだ。

原著が出版されたのは2009年なので、2010年の「バンコク騒乱」は扱っていないのが残念。ただし、対立の基本構造を時系列で追っているので、あとからトレースするにはありがたい一冊になっている。著者はタイ語にも堪能で、事件現場で体当たり取材をしている人なので、記述には臨場感がある。

わたしは、クーデター前後から頻繁に訪問するようになり、2008年のバンコク国際空港封鎖事件の頃はバンコクに住んで仕事していた。まさに、本書が扱っている時期にバンコクに住んでいたわけだ。

もちろん、現地の英語紙やテレビで時々刻々と変化する情勢は追っていたが、ビジネスパーソンの本業は当然ながらビジネスであるので(!)、ディテールまでは把握仕切れていなかった。

著者は、赤シャツ(UDD)側であると見なされて、命の危険も感じていたようだが、黄シャツ(PAD)とくらべて赤シャツ(UDD)のほうが、外部に対してより開放的で、ジャーナリストの取材も受け入れているということも背景にあるようだ。

赤シャツ(UDD)側から見れば、日本のエスタブリッシュメントからはいまだに評価の高いチャムロン氏と彼が率いるサンティ・アソーク(Santhi Asoke)という新興仏教教団の性格も見えてくる。黄シャツ(PAD)がカルト化しているという指摘は、なるほどと思わされるのだ。

いままで政治的な「声」をもたなかった農民を中心とする一般大衆が、はじめて政治的主張を行うようになったのが赤シャツ(UDD)の政治活動の本質である。これは歴史の必然的流れといっていい。一般大衆が歴史の主人公になってきたのである。タクシンの政治的カリスマ性とは別個の現象として捉えるべきなのだ。

日本でも、いま原発反対デモが活発化してきているが、党派性を廃した開かれたデモである限り、政治的な「声」としての意味をもつといってよいのではないだろうか。

たとえ暴力的な性格がつよいとはいえ、この点については、タイのほうが民主主義の追求にかんしては積極的であるような印象を受けるのである。もちろん、日本はそういった暴力的な時代はすでに「卒業」しているというべきかもしれないが、ようやく日本人も草の根レベルで目覚めてきたというべきかもしれない。

そんなことを考えながら、バンコク時代の日々を思い出しつつ、読み終えた次第。

訳注が訳文のなかに折り込まれているのが、ややうっとおしいことを除けば、読みやすい記録だといえよう。






*PADは、People's Alliance for Democracy の略。民主市民連合。黄シャツ。
*UDDは、National United Front of Democracy Against Dictatorship の略。反独裁民主戦線。赤シャツ。



目 次

年表 PADとUDDから見たタイ政治の動き*2006年-2011年9月
地図
はじめに
プロローグ
第1章 2001~2005年:タックシンの時代
第2章 2005~2006年:黄色派の形成
第3章 2006~2007年:クーデタと赤シャツの誕生
第4章 ゲーム開始
第5章 2008年8月29日:法治社会の崩壊
第6章 2008年9月2日:マカーワン橋の闘い
第7章 2008年10月7日:黒い火曜日
第8章 余波、幕間
第9章 最後の決戦
第10章 アピシットへの抗議
第11章 ゲームは終わらない
後記
原註
訳者あとがき-PADとUDDは、何を問題にして対立しているのか


著者プロフィール

ニック・ノスティック(Nick Nostitz)
1969年生まれ。1993年以来バンコクに居住して働いているドイツ人写真家のペンネーム。タイ語に堪能で、一般旅行者が見ることのないタイ社会の底辺を専門にしている(the professional name of a German photographer who has lived and worked in Bangkok since 1993. Fluent in the Thai language, he specializes in the lower levels of the country's society seldom seen by casual visitors.)(wikipedia 英語版の記述による)。

翻訳者プロフィール

大野 浩(おおの・ひろし)
1956年東京生まれ。1979年、慶応義塾大学経済学部卒、太陽神戸銀行入行。シンガポール支店、ロンドン支店勤務を経て、1998~2001年、タイさくら金融証券会社、タイさくら金融会社勤務。2007~2010年、財団法人日本タイ協会事務局長、常務理事。2011年、三明化成株式会社勤務(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<書評への付記>

原書のタイトルは、Red vs. Yellow: Volume 1: Thailand's Crisis of Identity で、タイの英語出版社 White Lotus(白蓮出版) から2009年に出版されたもののようだ。


日本語版には、つづきは続編として執筆するとあったが、それは Red Vs. Yellow, Vol. 2: Thailand's Political Awakening (タイの政治的覚醒)として2011年に出版されていることもわかった。



とくに第2巻の副題である「政治的覚醒」は、著者の歴史認識のただしさを示しているといえよう。ぜひ読んでみたいが、日本語訳がでるのかどうかは現時点では不明。

原著は、バンコクでならまだ入手可能かもしれない。


PS なお、第2部は『赤vs黄 第2部-政治に目覚めたタイ-』(めこん)として、2014年10月にに日本語版が出版された。(2015年9月5日 記す)





<ブログ内関連記事>

「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)

書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)
・・「バンコク騒乱」については、日本語で読めるこの二冊を推奨したい。前者は日本人フォトジャーナリストによる写真集、後者はバンコク駐在の新聞記者によるドキュメント

来日中のタクシン元首相の講演会(2011年8月23日)に参加してきた

「第67回 GRIPSフォーラム」で、タイ前首相アピシット氏の話を聞いてきた(2012年7月2日)

書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)
・・タイ社会の変化の深層を知るための必読書

書評 『タイに渡った鑑識捜査官-妻がくれた第二の人生-』(戸島国雄、並木書房、2011)
・・タイ社会を治安維持の観点から警察官の視点でみる

タイのあれこれ 総目次 (1)~(26)+番外編




(2012年7月3日発売の拙著です)





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。



end

2010年10月25日月曜日

書評『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)-「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方




クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方

 ほとんど内戦状態に陥ったといってもよい、2010年4月から5月にかけての「バンコク騒乱」。バンコク市内中心部に籠城する赤服組と治安部隊との激しい銃撃戦、放火されて焼け落ちた中心街の百貨店は、新聞情報やインターネット情報、YouTube映像で見る限り、きわめて激しいものであった。

 本書は、この「バンコク騒乱」に至るまでの、ここ数年のタイ王国の政治状況を、アジア総局長として2005年9月から2009年8月までバンコクに駐在していた朝日新聞記者がまとめたものである。

 タイトルは 『バンコ燃ゆ』 となっているが、2010年4月の「バンコク騒乱」そのものの記述は、全16章のうちたった1章をあてているに過ぎない。著者自身が帰国後に起こった事件ということもあろうか、新聞記者としては現場にいなかったということは致命的なことなのかもしれない。

 むしろ、副題の「タックシンと「タイ式」民主主義」が、本書の主要テーマであるといえる。ここ数年間のタイ政治は、タックシンという、いい意味でも悪い意味でも、タイの政治史上でもまれに見る個性的で強力な指導者をめぐって展開してきた。

 2006年9月のタックシン首相(当時)のクーデタによる追放と、その後の不安定な政治状況について扱った本書は、「バンコク騒乱」に至るまでの政治状況を時系列で淡々と整理しながら、ときおり著者自身のコメントを交えながら記述しており、タイの国内政治の背景を知るためには不可欠の情報になっている。ただし、少し細かすぎるのではないかという感想もあるかもしれない。ただし索引が完備しているのでレファレンスとしては役に立つだろう。

 本書の特色は、なんといっても、海外追放中のタックシンとの単独インタビューを逃亡先のドバイのホテルで行ったことだ。タックシン自らの見解が正しいかどうかはさておき、肉声を直接確かめて随所に引用していることは、本書の内容に厚みを増している。著者はこのために、タイではタックシン寄りと誤解されて苦労したと本書のなかで漏らしている。

 「タイ式」民主主義とは、西欧や日本の民主主義とはやや異なる、タイならではの政治的安定装置のことを意味する表現であるが、1992年以来、もはやあるまいと思われていた15年ぶりのクーデタによって、アジアの「民主主義」優等生としてのタイのイメージは完全に崩れ去った。と同時に、クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義が、もはや機能不全状態にあることも明らかになったのである。

 おそらく著者はこの本を執筆するにあたって、相当量の情報を捨てたものと推察されるが、それでも、タイの政治を扱った本なかでは例外的に、かなりきわどい側面にまで踏み込んで記述している。

 このため、著者の個人的見解にすべて賛成する必要はないが、事実関係と著者の解釈を区分して読むことさえできれば、タイ王国の今後を考えるうで、読む価値のある一冊になっているといってよいだろう。


<初出情報>

■bk1書評「クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方」投稿掲載(2010年10月2日)
■amazon書評「クーデタが実質的な政権交代であった「タイ式」民主主義の機能不全と今後の行方」投稿掲載(2010年10月2日)

*再録にあたって、一部の字句の修正を行った。




目 次

まえがき
第1章 異形の政治家タックシンとその時代
第2章 二一世紀のクーデター
第3章 軍の盛衰
第4章 新憲法制定から総選挙へ
第5章 黄色い王党派・PAD
第6章 サマック政権の崩壊
第7章 三度目の10月の流血
第8章 空港占拠とタックシン派政権の崩壊
第9章 王党派最後の砦、裁判所
第10章 PADに偏るメディア
第11章 流血のソンクラーン
第12章 プレームとタックシン
第13章 首都燃ゆ
第14章 地域対立と階級闘争
第15章 王国覆う不安
第16章 タイとアジアの民主主義
あとがき
関連年表・タイと近隣諸国
参考文献
索引

著者プロフィール

柴田直治(しばた・なおじ)

1955年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。1979年朝日新聞社入社。徳島支局、神戸支局から大阪社会部員、マニラ支局長(1994年~1996年)、大阪社会部、東京社会部デスク、論説委員、神戸総局長、外報部長代理を経てバンコクにてアジア総局長(2005年~2009年)。現在、特別報道センター長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)



<書評への付記>

 先週の後半、「バンコク騒乱」から半年後に初めてバンコクに行ってきた。

 「騒乱」終結後に放火され延焼した ISETAN は再オープンし、全焼した隣接する ZEN は現在立て直し中。骨組みは作り終わったという状態で、これを機に増床して再出発するという。


 MRT(地下鉄)やBTS(高架鉄道)の駅では、あれから半年たった現時点でも、迷彩服を着てライフル銃を肩にかけた陸軍兵士が二人組みで警戒にあたっている。あまり感じがよくないが、「反日デモ」に荒れる中国より危険度は低いだろう。


 私自身は、2009年4月までビジネスマンとしてバンコクに滞在していたので、本書の著者の滞在と重なる期間もあり、この間に現地で見聞きしていた情報を再確認しながら読んでいたが、新聞記者とビジネスマンとでは、現地にいて同じ情報を見ていながらも、大筋としては同じだが、情報の解釈には若干相違があるものだなと感じながら読んだ

 「バンコク騒乱」は、タイ人も比較的慣れているクーデタの比ではなかったのだ。タイ人にとっても、そうとう精神的に大きなダメージになったようだ。しかし、「騒乱」直後の清掃ボランティアや社会再建にむけての自主的なグループ活動の開始など、明るい面も多い。

 もちろん半年たった現在は、そんなことがあったこともとうの昔の出来事であるかのように、完全に平常生活に戻っている。

 本書で興味深く思ったのは、著者自らが日本の新聞に日本語で執筆した記事の内容が、英訳を介してタイ国内にフィードバックして思わぬ波紋を引き起こした状況について語っている箇所だ。こういうシーンが何度もでてくる。情報のウラを取らずに報道する傾向の強い、タイのメディアの状況の問題点である。ただし、これは外国メディアの報道に盲従というよりも、自陣営に有利になるように外国報道を利用しているタイ人のしたたかさという面もある。

 本書で展開している、第14章「地域対立と階級闘争」という捉え方は正しくない。正確には「地域対立と身分闘争」というべきだろう。地方=低い「身分」、として扱われているのがタイの本質。なんせ、奴隷解放は米国より遅かったというタイである。また東北地方や北部はラオス系であり、民族も厳密にいうと同一ではない。階級と身分を区分して考えないのは、著者は早稲田出身のくせに社会科学的ではない。

 些末な点かもしれないが、本書ではソンティー・リムクントーンの出自が潮州系となっているがこれは間違い。海南系である。本書には言及がないが、アピシット首相は、奇しくもタックシンと同じく客家(ハッカ)系だ。

 こういった華人系の出自についての理解不足は、タイの政治経済を見るうえで問題となる。なぜなら、今後ますます中国の影響力が増して行くであろうタイにおいては、これら華人系政治家や華人系経済人の動向は注意して観察する必要があるからだ。

 いや政治家や経済人は、ほとんどすべてが、血の濃度に違いはあれ、華人系であるといっても言い過ぎではない。

 本書は政治について書いているが、政治が不安定なこの期間も、「リーマンショック」の打撃を受けた一時期を除き、経済は輸出を中心にきわめて好調である。この面にほとんど触れていない本書は、やや一面的な感を受けないでもない。

 かつて日本は「経済は一流、政治は二流」と揶揄されてきたが、現在のタイはある意味では似たような状況であるともいえなくはないからだ。
 政治と経済は分離可能であり、しかしながら不可分の関係にある。

 首都のあるバンコクとそれ以外はまったく違うのである。この点は協調しておかねばならない。




<関連サイト>

21 Guns - Green Day (made for Thailand) 
・・「騒乱」直後、バンコク在住のタイ人の友人が教えてくれた。タイ人のココロを捉えている動画。再生回数22万回以上。


<ブログ内関連記事>

「タイ・フェスティバル2010」 が開催された東京 と「封鎖エリア」で市街戦がつづく騒乱のバンコク・・2010年5月

「バンコク騒乱」について-アジアビジネスにおける「クライシス・マネジメント」(危機管理)の重要性

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い ・・大都市はすでに「後近代」だが、タイでも農村部では現在も「近代化」が進行中

書評 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス-』(ニック・ノスティック、めこん、2012)-分断されたタイの政治状況の臨場感ある現場取材記録 ・・「黄色」=バンコク大都市部の支配層と都市中間層(前近代+後近代)と、「赤色」=東北部と北部の農民層(前近代+近代化まっただなか)の対立が反映されていると考えることも可能

「バンコク騒乱」から1周年(2011年5月19日)-書評 『イサーン-目撃したバンコク解放区-』(三留理男、毎日新聞社、2010)

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)
・・関連書もふくめて、ややくわしくタイの政治経済に言及


タイのあれこれ 総目次 (1)~(26)+番外編

来日中のタクシン元首相の講演会(2011年8月23日)に参加してきた
                  
(2014年1月22日、2014年2月1日 情報追加と関連記事再編集)





(2012年7月3日発売の拙著です)








Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!

 
end