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2009年10月8日木曜日

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)




"カリフォルニアの哲学者"、としてエリック・ホッファーを紹介しておきたい。前半生において移動する人生を送り、生涯をつうじて肉体労働に従事しながら、余暇の時間をすべて読書と思索に費やした"独学の人"である。学校教育はまったく受けていない。

 エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)は、一般には "沖仲仕(おきなかし)の哲学者" として知られるエリック・ホッファー(1902-1983)の自伝であり、人生おりおりの思索を断章風に綴った文章を集めたものである。原題は、Eric Hoffer, Truth Imagined, 1983 である。

 7歳で完全失明、15歳で突然視力を回復、自殺未遂、人生40年と見定めての10年間の放浪生活と思索の日々・・・これだけでもすさまじい人生行路である。しかしこの自伝を読むかぎり、悲壮感はいっさい漂ってこない。むしろ楽天的でさえある。他人から強制されたのではない、自らが選び取った人生だからだ。

 もちろん苦い後味や喪失感が長く残った出来事についても語られる。しかし自らが選択した意志決定について、いっさいの弁明や後悔は記されることはない。環境のせいにすることもいっさない。突飛な対比かもしれないが、「わが事において後悔せず」と述懐した剣豪・宮本武蔵を私は想起する。

 1941年の対日戦争開始と同時にサンフランシスコで港湾労働者として定職につき、49歳のとき処女作 True Believer を出版、以後81歳までに、アカデミズムの枠外で積み上げてきた独自の思索を11冊の著作として発表。港湾労働は完全に引退するまで25年間続けることになった。

 1960年代の後半を描いた石川好の『ストロベリー・ロード』には、カリフォルニアの季節労働者としてのメキシコ人の集団が登場するが、アルザス出身のドイツ系移民の二世としてニューヨークで生まれたエリック・ホッファーは、大恐慌を挟んだ1930年代にカリフォルニアに移り、季節労働者としてカリフォルニアを旅から旅へと移動しながら働き、かつ思索する生活を10年続けている。

 この時代のカリフォルニアは、スタインベックの『怒りのぶどう』に描かれた世界である。干ばつによって中西部の農地を放棄して移動してきた困窮した農民たち、失業した労働者やホワイトカラー、そしてさまざまな社会不適応者の吹きだまりであった。

 こうした底辺ともいうべき実社会の環境の中でさまざまな職業を体験し、さまざまな人たちと関わり、読書と労働をつうじた観察の往復運動のなか、独自の思索を続けたのがホッファーその人である。65歳で港湾労働者としての仕事を引退するまで、このライフスタイルが続けられた。フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユのような、自責の念にかられて女工として工場労働を体験したタイプの、頭でっかちのインテリではない。

 私がホッファーについて知ったのは、かつてブランド経営について思考をまとめる作業を行っていた、いまから7年ほど前のことである。

 ブランドのもつチカラである"求心力"について思考を続けていた際に、求心力というものを幅広く捉えるためにさまざまな文献をあさっていたが、魅力や引力といったポジティブなものだけでなく、怒りや憎しみといったネガティブなファクターが人々の気持ちを一つに結び合わせる求心力となりうることに思いが及んだ。Love & Hate という表現があるように、愛憎はオモテとウラの関係にある。


そんなときに知ったのが、ホッファーの The True Believer: Thoughts on the Nature of Mass Movements (1951)であった。『大衆行動』というタイトルで翻訳されているようだが、2002年時点では絶版になっていたのであろうか、幸いなことに日本語訳はみないで済んだ。原文より難解な(!)ひどい翻訳らしい。

 XIV. Unifying Agents (結びつける仲介者)として Hatred(憎しみ、憎悪)をまず第一にあげている。ナチスドイツにおけるスケープゴートとしてのユダヤ人や、日本という外敵が消えた後の中国大陸における国民党の求心力の喪失など、第二次大戦終了からあまり時間が立っていない時点での興味深い事例が紹介されている。

 オバマ大統領が実施にむけて努力している「国民皆保険法案」についてはこのブログでも触れているが、国民皆保険は共産主義であるとして共和党系の白人保守層が猛反発している。彼らの信念は、タックスペイヤー(=納税者)として、自分たちの税金が努力もしない人間に使われるのは自由の原則に反するということであろう。彼らの怒りの求心力となっているのが、オバマ大統領という一人の人間なのである。

 憎しみの、憎悪の焦点として一人の権力者を象徴として選び出すことができたからこそ、反対者たちの集団がひとつのムーブメントとしてまとまり、異様なまでの"熱気"を生み出しているのであろう。もちろんその背後には火付け役としての扇動者が複数いることはあきらかだが。アルカーイダによる反米テロの根っこには、ホッファーのいう true believer が存在する。「弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりもはるかに強いエネルギーを放出する」(自伝 P.67)。

 一般大衆による政治運動の本質について考察をめぐらした本書は、政治学者の研究書ではない、一般大衆時代の政治の本質について自らのアタマで考え抜いた本である。

 さて、自伝に戻ろう。

 ホッファー自身が愛読していたというモンテーニュの『エセー』(Essais)に似た、あるいは20世紀フランスの哲学者アランの『プロポ』(Propos・・これは大学時代、後述するフランス哲学のF先生とフランス語のテキストを一対一で読んだ経験がある)のような、さまざまな生の断面としての自らがかかわったエピソードを語りながら、珠玉のアフォリズム(=格言)がちりばめられた本だ。
 引用としては長くなるが、いくつか書き出しておこう。この本は原文はみていないが、かなり注意深く日本語に移された良心的な訳本なので、じっくり読むとホッファーの肉声が聞こえてくる。

自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかることはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。 闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである。(P.52)

 (コメント1)
 先日、NHKの番組「クローズアップ現代」で取り上げられていたが、「希望学」というのを提唱している学者がいるらしい。

 しかし、正直いって、私はあまり意味のない話だと思った。現代のような状況下で、将来に希望を持てといくらいっても、若者だけでなく、ほとんど誰も振り向くことはないだろう。コトバだけがうつろに響くからだ。希望のまったくもてないこんな世の中だけど、でも勇気をもって生き抜け、といわれたほうががどれだけ励みになることか。Reality shock も感じなくて済むではないか。希望に裏切られることもないではないか。

 希望というコトバには、どうしても1970年前後にユートピアを夢見た末に、内ゲバという袋小路に入って自滅していった、社会主義に殉じた青年たちを想起して、私は暗澹たる気持ちにならざるをえないのだ。

ありふれた日々の出来事が歴史に光をあてることがあることを知ったとき、私はこの上ない喜びを感じた。たぶん、書かれた歴史が抱える問題は、歴史家たちが古代の遺跡や古文書から過去への洞察を導き出し、現在の研究からは引き出していないということにあるのだろう。私が知る歴史家の中に、過去が現在を照らすというよりも、現在が過去を照らすのだという事実を受け入れる者はいない。大半の歴史家は、目の前で起きていることに興味をしめさないのだ。(P.144)

(コメント2)
 大学時代のフランス語の授業の開講の際、デカルト研究者のF先生は、「受講者が一人しかいないのであれば、何か好きなテキストを読むことにしましょう、何か読みたいものはありますか?」と尋ねられ。その当時、私は歴史学をやろうと思っているのでアナール派のジャック・ルゴフを読みたいと答えたのだが、F先生は即座に、「若者は歴史は勉強するものではありません。歴史は作るものなのです。若者は歴史を作っていかなければならないのです」と、ピシャリと断言された。

 結局、もともと指定されていたアンドレ・ジッドの『放蕩息子の帰還』を読むこととなり、あまった時間でF先生がコピーしてきた哲学者アランの『プロポ』を先生とじっくり読むこととなった。フランス語はさておき、たいへん中身のある授業をしていただけたことに感謝している。

 結局、人類学をやるか言語学をやるか迷いに迷った末に、歴史学を専攻することにしたが、19歳のこのとき以来、F先生のコトバがずっと気にかかっていた。単純に過去のことを知るのは楽しいと言い切ってしまいたい気持ちをおさえて、現在に対する関心から出発しなくては歴史研究の意味はない、歴史においては、その時代に生きた人間は、その時の"現在"を生きていたのだからと考えるようになった。

 歴史研究は、現在へのアクチュアルな関心ぬきにはありえない。これはゼミナールの指導教官の、知識人としての、いや人間としての生き方に見いだしたものである。

 このほかにも、これは引用したい、というアフォリズム(=格言)は数々あるが、ここらへんで止めておこう。



 格言というのは、その作者の人生のエッセンスを短いセンテンスに凝縮したものだから、簡単に意味を把握できないこともあるし、受け取る側にそれ相応の受け入れ体制がないと、素通りしてしまうコトバの束でもある。受け取る者の年齢、状況・・・によって心に響くもの、そうでないものは当然のことながら変化してくる。
 
 この本は、哲学者エリック・ホッファーが81歳の最晩年に出版された、文字通りの遺作である。自分のアタマで考え抜いた人による、考え抜かれたコトバの数々に充ち満ちている。
 したり顔で説教をたれるコメンテーターや評論家といった、"ニセ知識人"による空疎なコトバとはまったく異なる。

 希望についてはいっさい語らない本書は、しかしながら暗さや悲壮感をまったくといっていいほど漂わすことのない、実に希有な本である。いや、希望について語らないからこそ、楽天的なのだろう。

 重要なのは希望ではない、勇気なのだ。

 いまこの現在、苦しい立場にいる若者にはぜひ読むことを奨めたい本だ。どんな説教よりも、アドバイスよりも、間違いなく生きるチカラになるはずだ。

               



<ブログ内関連記事>

書評 『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司、宝島社新書、2006)-近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達
・・「希望」は無意味だと説く初期仏教の立場は明快だ

「希望的観測」-「希望」 より 「勇気」 が重要な理由

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト
・・ビリーバーたちのもたらした悲劇について

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・希望ほど害悪をもたらすものはない

心頭滅却すれば 火もまた涼し(快川紹喜)-ありのままを、ありのままとして受け取る

書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる

自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは

「いまこそ高橋亀吉の実践経済学」(東洋経済新報社創立115周年記念シンポジウム第二弾) に参加してきた-「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

書評  『マイ・ビジネス・ノート』(今北純一、文春文庫、2009)-個人を出発点にして楽しんでビジネスに取り組もう、という熱い呼びかけの本
・・国際ビジネスマンがホッファーに言及しているのはめずらしい

(2014年9月11日 項目新設)
(2015年12月16日 情報追加)



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