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2009年10月23日金曜日

「駐日欧州委員会代表部新ビル建設に伴う"地鎮祭"」 (情報)


                  
 「駐日欧州委員会代表部 EUROPEAN UNION」のメールマガジンを登録しているのだが、最新号(EU Delegation Email Bulletin, Thu 22/10/2009)にこういうニュースが告知されている。 
 
駐日欧州委員会代表部新ビル建設に伴う地鎮祭
 日時: 2009年10月29日(木)10:30-11:15
 会場: 港区南麻布4丁目
 駐日欧州委員会代表部の新しい建物の建設地において、同代表部からの出席者が参列する中、神式の地鎮祭が行われる。詳細:  
http://www.euinjapan.jp/media/news/news2009/20091022/110000/

 大学時代、西洋社会史の阿部謹也先生がゼミナールでいっていたことを思い出した。

 日本では、キリスト教の教会をあらたに建設する際も、神道式の地鎮祭をやるのである。
 キリスト教と神道が両立するのか、という疑問があるかもしれないが、日本で建設する以上、その土地の精霊を鎮めなければならないのだ。これは迷信として片付けてはならない。

 土地は商取引の対象ではあるが、土地の精霊に挨拶しないで勝手に土地を利用することは許されない、これは土地の呪術性とでもいうべきものであろう。大塚史学にはこの視点がまったく欠けている。

 いずれにせよ、地鎮祭をやらないと、何よりも日本人である棟梁がいやがる。施主が誰であろうと、建築物がなんであろうと、地鎮祭をやらないと落ち着かないのだ、と。

 まあこんな内容だったと思うが、考えてみれば当たり前である。その当時は他宗教に排他的(?)なキリスト教がよくそんなこと容認するな、と思いながらも納得したのであった。
 日本やチベットの仏教寺院が欧州であたらしく寺院を建立する際はどうなのだろうか、と考えてみるのは面白い。

 近代世界は、いわゆるマックス・ウェーバーのいう"魔術からの世界解放"(Entzauberung der Welt)が行われた世俗世界なのだ、なんて話を大学時代さんざん聞かされてきた"社会科学の学徒"としては、大いに興味のあるところだ。

 大塚史学とは、東大経済学部の故大塚久雄教授の学派をさした表現で、大塚久雄はマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)の翻訳者としても知られている。主著は『株式会社発生史論』など。丸山眞男とならんで、いわゆる戦後思想界をリードした"近代主義者"である。

 マックス・ウェーバーは "魔術からの世界解放" などといったが、ヒトラーによる独裁政権を知る前に亡くなっているのは不幸中の幸いだったのだろうか。

 しかし、第一次大戦後の敗戦国家ドイツの状況を見て危機感を抱いていたことは確かなようだ。その当時のドイツでは、ものすごい数のオカルト宗教が一気に拡がっていたからだ。ナチズムもその一つと捉えるべきであり、"魔術からの解放"どころではなかったのだ。
 
 大学時代は知らなかったが、その後、日本でも "地霊" というコトバが一般に知られるようになった。

 建築史の鈴木博之・東大教授による『東京の地霊<ゲニウス・ロキ>』(ちくま学芸文庫、2009、私が読んだのは文春文庫版、1998、原著は1990年出版)という、東京論としてたいへん興味深い本も出ている。

 地霊は、ラテン語で genius loci (ゲニウス・ロキ)、ドイツ語なら das Erdgeist(エルト・ガイスト)、さて英語だと何というのだろうか?

 この地鎮祭、見てみたいねえ。キリスト教会ではないのだが、欧州委員会の駐日代表スタッフの欧州人はおそらく大多数がキリスト教徒であろう。

 衣冠束帯姿の神官が、神妙な顔をした(?)、それとも興味津々の顔をした(?)欧州人たちの前で、なんと祝詞(のりと)をあげる。

 「・・・・かしこみ、かしこみ、もーすー」なんて奏上するわけだ。こんなニュースを知ると、なんだかうれしくなってくるなあ。おもちろい。

 誰か写真にとってきてインターネットにアップしてくれないかな。





         
<関連サイト>

一橋の学問を考える会 [橋問叢書 第四十三号]社会史とはどういう学問か 一橋大学社会学部教授 阿部謹也(昭和六〇年七月一一日収録) 
・・「人と土地との関係(土地所有権)について」の項目を参照 (2013年10月18日 追加)
共同体が土地を占有するということはそう単純なことではなかった。つまりわれわれが土地をどこかに買うことはお金さえあれば簡単なことです。売る人がいれば土地は買えるわけです。但しわれわれはヨーロッパ人ではないから、そこに家を建てるときはそう簡単ではありません。まず地鎮祭をやらなければならない。そして、例えキリスト教会を日本に建てる場合でも、日本人の大工を使えば、必らず四方固めの行事をやる。笹をめぐらして地鎮祭をやると思うんです。職人が最もそういう古い行事を残しているからですけれども。つまり四方の神に対してこの土地に建物を建てさせてくださいと頼み、大地の神に対してお願いする。いまでもどんな建物の場合であろうと地鎮祭をやります。神主が立って、そして砂を盛って榊を立てたり笹を立てたりする。中世のヨーロッパでも全く同様に行われていたわけでして、まず土地の神に対して占有を許可してもらう行事を営むということがある。ということは、荒蕪地を開墾した場合は、その土地に開墾した人間が命を与えたことになりますから、その土地と人間との間には目に見えない関係が結ばれます。そして目に見えない関係が結ばれるということが大事なので、それで先ほどの問題と並んでもうひとつの問題が浮び上ってくるのです。






<ブログ内関連記事>

書評 『東京スカイツリーと東京タワー-「鬼門の塔」と「裏鬼門の塔」-』(細野 透、建築資料研究社、2011)-この二つの塔は「対(つい)の関係」にあるのだ!
・・風水と地鎮祭

東西回廊とメコン川を横断する「第2タイ=ラオス友好橋」-開通記念セレモニー(2006年12月20日)出席の記録
・・上座仏教圏の地鎮祭は仏教僧侶が執り行う

(2014年8月11日 項目新設)





(2012年7月3日発売の拙著です)







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