実に息の長いロングセラーである。単行本初版が出て以来40年、文庫化されてから35年。
私の愛読書でもある。1990年に米国留学の際に持参した何冊かの日本語の本の一冊である。ちなみに一緒にもっていったのは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、『国際マヴェリックへの道』、『東京ラブストーリー』などなど。
『檀流クッキング』もまた、明確な思想のある料理本といってよいだろう。
とはいっても、思想を前面に打ち出しているのではない。料理について書いた文章のあちこちから、自ずと著者の人生哲学がにじみ出てくるという性質のものである。
著者の料理にかんする思想については後述する。
■檀一雄という「グルマン」(食いしん坊)で「料理する男」の人生
檀一雄(1912-1976)といえば、太宰治(1909-1948)、坂口安吾(1906-1955)とならんで、戦後無頼派作家の一人とされている。
太宰治は別格として、坂口安吾もまた現在でも比較的よく読まれる作家だが、檀一雄は果たしてどうだろうか。私は好きなのだが、文学者として実際に読まれているのかどうかはあまり聞かないのは、大衆作家扱いされているためか。
緒形拳主演で映画化もされた『火宅の人』などの名作だけでなく、料理にかんするエッセイを多く残していることは、かろうじて記憶に残っているくらいだろうか。
もっとも、ずいぶん以前からだが、ちょっと陳腐な表現ではあるが、女優の壇ふみの父として知られている。作家の娘というカテゴリーでは、よくコンビを組んでいる阿川佐和子、吉本ばなななどいるが、後者の二人は父親は健在であるのに対して、檀一雄は亡くなってからすでに34年になる。
開高健をはじめ、食通(グルマン)の男性が書いた本は多いが、食通がこうじて自ら料理をつくるまでいたった男性は必ずしも多くなかった時代、プロの料理人でない作家が、料理について書いた本としては、パイオニア的存在となったようだ。
檀一雄は、料理はプロの料理人はだしで、かつ作家として文筆の才もある。天は二物を与えたということだろうか。だから、現在でも息の長いロングセラーたり得ているのだろう。
桐島洋子の『聡明な女は料理がうまい』にも書いたが、私は子どもの頃から不思議で仕方なかったのは、料理人はほとんどが男性なのに、なぜ料理をつくるのは母親と決まっているのか、ということだった。逆にいうと、なぜ料理人にはほとんど女性がいないのか、という疑問だった。現在でも、依然として職業としての料理人は男性が圧倒的である。
檀一雄の場合は、10歳の頃に母親が家出したため、幼い弟妹たちのために自ら七輪で火をおこし、いわば母親役をやらざるをえなかったと、多くの文章で書いている。好きで始めたというよりも、出発点はせざるを得なかったということだ。
しかし、この人が普通と違うのは、それがそのまま料理好き、うまいもの好きにつながっていったことである。檀一雄にとっての料理とは、ただ単に味わうだけでなく、買い物籠をさげて、材料を市場(いちば)に買いにところからはじまり、自ら庖丁を手にとって料理を作り、客人に振る舞うのが楽しみで仕方ないという人だったらしい。
この意味においては、国文学者で民俗学者の折口信夫にもよく似ている。グルマン(食いしん坊)で、「料理する男」であった折口信夫 を参照されたい。檀一雄もまた、正岡子規以来の、「肉・臓物類まで歓び貪る己の口腹の貪婪・希有な大食をその文章において標榜してはばかることがない」(持田叙子)という文人の系譜のなかにあるだけでなく、折口信夫と同様、自ら台所にたって料理をつくる男であった。
娘の壇ふみが書いた回想にも、「チチ」(=檀一雄)と料理にまつわるものが多い。
『父の縁側、私の書斎』(新潮文庫、2006 単行本初版 2004)には、以下のようなシーンがある。
自分の作った料理を人に食べさせ、「うまい!」とほころぶ顔を見る。それが父にとっての無上の喜びだったのではないか。
いや、「うまい!」と言う人はなくても、ただ作る、それだけで父は十分に幸せだったのかもしれない。
旅には料理セットを持参した。少し長い旅になると、卓上コンロや三つ重ねの鍋なども持っていったが、かならず持ち歩いていたのは、小ぶりのまな板とうはり小さめの包丁だった。 (P.225)
家では、父は自分のことを元帥と称し、母を参謀、子供たちのことを三等兵と呼んで、しばしば料理を手伝わせていた。三等兵がまかされるのは、ごくつまらないことである。たとえば、元帥がゴマやトロロに当たるときの、すり鉢押さえ。
これが本当に退屈だった・・(後略)・・ (P.226)
■『檀流クッキング』の読み方
この本は、全部最初から最後まで読むのではなく、気が向いたときにパラパラとページをめくり、料理について書かれた文章を味わい、ときには自らそのレシピに従って作ってみる、というのがいいのではないか。
では、ここに全メニューを再録しておこう。ざっと目を通して欲しい。
●春から夏へ
カツオのたたき
具入り肉チマキ
タケノコの竹林焼き
イカのスペイン風・中華風
レバーとニラいため(モツ料理1)
前菜用レバー(モツ料理2)
タンハツ鍋(モツ料理3)
コハダずし(オカラ料理1)
大正コロッケ(オカラ料理2)
みそ汁と丸鍋(ドジョウとウナギ1)
柳川鍋・ウナギの酢のもの(ドジョウとウナギ2)
シソの葉ずし・メハリずし
サケのヒズ漬と三平汁
豚マメと豚キモのスペイン風料理
東坡肉(豚の角煮)
イモの豚肉はさみ蒸し
トンコツ
「カキ油」いため二料理
ツユク
梅酢和え・蒸しナス
梅干・ラッキョウ
●夏から秋へ
柿の葉ずし
インロウ漬け
ソーメン
釜揚げうどん
ヒヤッ汁(ちる)
アジゴマみそのデンガク
ユナマス
カレーライス(西欧式)
カレーライス(インド式)
カレーライス(チャツネのつくり方)
ピクルス
干ダラとトウガンのあんかけ
イモ棒
獅子頭
ロースト・ビーフ
ブタヒレの一口揚げ
シャシュリークと川マスのアルミ箔包焼き(野外料理1)
鶏の「穴焼き」(野外料理2)
サバ、イワシの煮付け
小魚の姿寿司
トウガンの丸蒸しスープ
●秋から冬へ
鶏の白蒸し(白切鶏)
オクラのおろし和え
キンピラゴボウ
ビーフ・ステーキ
ビフテキの脇皿
ショッツル鍋
タイチリ
キリタンポ鍋
ボルシチ
サフランご飯
鶏の手羽先料理
バーソー
オニオン・スープ
アナゴ丼
魚のみそ漬
クラム・チャウダー
ヨーグルト
ヒジキと納豆汁
からしレンコン(おせち料理1)
牛タンの塩漬(おせち料理2)
ダイコン騫(おせち料理3)
博多じめ(おせち料理4)
酢カブ(おせち料理5)
伊達巻(おせち料理6)
ザワーブラーテン(おせち料理7)
蒸しアワビ(おせち料理8)
●冬から春へ
タイ茶漬
アンコウ鍋
羊の肉のシャブシャブ
ジンギスカン鍋
朝鮮風焼肉(朝鮮料理1)
牛豚のモツ焼(朝鮮料理2)
ナムル(朝鮮料理3)
野菜料理三種(朝鮮料理4)
朝鮮雑炊・心平ガユ(朝鮮料理5)
豚の足と耳
麻婆豆腐
杏仁豆腐
焼騫
モチ米団子
鯨鍋
チャンポンと皿うどん
パエリヤ
ブイヤベース
干ダラのコロッケ(バステーシュ・ド・バッカロウ)
牛スネのスープと肉のデンブ
スペイン酢ダコ
スペイン風と松江の靄り貝
牛の尻尾のシチュー
ビーフ・シチュー
■世界を旅し、世界で食べ、そして台所で世界の料理を再現する人生
このメニュー・リストを丹念に見ていただければわかると思うが、実に料理のレパートリーの幅が広いことに驚かされる。日本料理だけでなく、中華料理に、朝鮮料理、ロシア料理から、スペイン料理、ポルトガル料理まで含まれる。それも自らすべて作ったうえで、紹介している。
戦前の若き日に、「天然の旅情」に誘われて、日本国内のみならず、ひろく朝鮮半島から満洲と放浪し、朝鮮人、中国人、ロシア人と交流した前半生の経験は、『青春放浪』(ちくま文庫、1986 初版は1956)という形で小説化されているだけでなく、『檀流クッキング』のいたるところに痕跡を残しているのである。
この青春の日々を描いた自伝的青春自伝小説は実に面白い。これもまた私の大好きな作品なのだが、現在では入手困難なのが残念だ。
東アジアだけでなく、戦後は取材のため南氷洋の捕鯨船に乗って同行したり、スペイン、ポルトガルなど広く世界中を旅した人でもある。晩年の一年半、単身でポルトガルの漁村に住み込むという経験もしている。
このことを知っている私は、ポルトガル料理を食べる度に、赤ワインを飲みながら檀一雄のことを思い出すのである。
長男の壇太郎も、その嫁の壇晴子も、「門前の小僧」ではないが、檀一雄ゆずりの料理家として著名である。それぞれ、『檀流エスニック料理』(檀 太郎、中公文庫ビジュアル版、1995)、『わたしの檀流クッキング』(檀 晴子、中公文庫ビジュアル版、1996)という本を出している。
なお、檀晴子は、「舅(ちち)は「家卓の人」と書いている。「火宅の人」をもじったものだ。
とくに『わたしの檀流クッキング』には「檀流クッキング」が、カラー写真とレシピが説明されているので、現在は新刊では入手できないが、もし興味があれば古本を探して欲しい。
■中国人の味覚と世界中どこでもやっていける秘密について
また、この本の文庫版が出版された1990年、まもなく私は米国に留学したのだが、留学先で知り合った台湾人男性たちは、ほとんどすべてが料理をするといっていた。料理するのは男性の役目みたいになっていたようで、なにやら深く感じ入るものあったのだ。
台湾出身の邱永漢が若い頃、中華鍋をさげて檀一雄宅で料理を作ったという話はどこに書いてあったのだろうか。『檀流クッキング』にも、熱海に缶詰になっている檀一雄を慰問した邱永漢が即席で料理を作った話がでてくる。
『食は広州にあり』などの食通関連や、元祖マネー本作家として有名になる以前、純文学作家であった頃の邱永漢のエピソードである。
「檀流クッキング」のメニューリストにあるトンポーロ(東坡肉)は、邱永漢の直伝のようだ。豚の角煮である。
文庫版の解説を書いている、映画評論家で料理研究家の荻昌弘は、「檀氏は、少なくとも「食」に関して、われわれに身近な民族でいえば、中国人にこそ最も近い人物であるだろう」と指摘している。
荻昌弘の解説は、実に懇切丁寧で中身の濃いコメントになっており、本文の味をさらに引き出す役割を果たしている。文庫本の解説のなかでは 指折りのものといっていい。上記の指摘を含む解説の一部を再録させていただくことにしたい。
・・(前略)・・この全篇をつらぬく主張が、「あるものは何でも使い」「ないものはないですませるに限る」調理思想だという、そのことの重大さが、次に問題にされなければならない。
檀氏は、少なくとも「食」に関して、われわれに身近な民族でいえば、中国人にこそ最も近い人物であるだろう。人間には、われわれ日本人の大半のように、アミノ酸の味感といった狭量の味覚帯域にしがみつきたがる民族や、たとえばユダヤ教や回教徒のように、祈祷の済まぬ一部の素材以外はぜったいに口にせぬ人々や、じつにさまざまな食いようがある。
なかで、中国人は、地球のどこに住もうと、そこで獲れるものすべてを大地や海からひろいあげ、煮、焼き、蒸し、炒めてみて、自分流儀の料理にしあげ、信じがたい新しい美味を信じがたい素材からひきだしては定着してのける民族である。
本書を通じて、味の引き出し方の基本が、ニンニクとショウガ、そしてしばしばネギでおこなわれるのも檀氏の「中国」的ホンネをほうふつさせるが、「ない材料(もの)はなくて済ませるに限る」たくましい思想を根強く生ませたのかもしれない、とかんがえることは大事だと思う。
(* 引用にあたって、てきぎ行替えを行った。太字ゴチックは引用者=さとう)
この文章は、米国でも何度も読み返して、その都度深く納得させられたものである。現地滞在する日本人たちの食生活に思うことがきわめて強かったからだ。
現在でこそ、和食中心の食生活にしているが、そもそも私は、日本食が食べられなくてもまったく平気な人間であり、このためか「土着化しやすいヤツ」という評価(?)をいただいているのだが、生まれてはじめて外地に住んでみて、米国滞在中にはじめて日本料理の本質とその弱点に気がつかされた。
素材に依存する割合のきわめて高い日本料理、万能調味料であるしょうゆ(soy sauce)に過度に依存した日本料理。すでに米国でも Kikkoman はいたるところに普及していたが、発酵食品であるしょうゆのアミノ酸のうまみは普遍的なものがあることを実感した。
1990年の頃にはスシも普及して、米国人には日本食ファンや日本酒ファンも増えていた。カリフォルニア米にカリフォルニアで製造される大関。また、マクロビオティックも普及が始まっていた。
しかし、素材が手に入らないと、にっちもさっちもいかないのが日本料理であるので、外食するとえらく高いのである。
「郷に入りては郷に従え」ではないか、私は米国に滞在した初年度は毎日寮食で、二年目は夜は Rice cooker を入手して自炊していたが、昼は寮で食べていた。
これに対して、台湾人ふくめて中国人は、現地で入手できる、ありあわせの素材で料理を作ってしまう。わざわざ日本食材店にいって食材を調達する必要は少ない。コメを買うくらいか。
私の、中国人に対するものの見方の多くの部分が、『檀流クッキング』によって大きく形成されていることは否定しない。中国人の実態を実見し、文章を読んでさらに納得しというプロセスを繰り返しているうちに、確固たる実感として、知識として定着したわけである。
中国人の食に対する考え方や、どこでもありあわせのもので料理を作ってしまうという生活哲学は、素材がすべてだという日本料理とは、根本的に異なる思想である。
世界中どこにいっても中国人がいて、中華料理店があるのは、こうした思想が根底にあるわけだ。
また、大挙してアフリカに渡り、たくましく生き抜いている源泉が、中華料理の基本思想にあると知れば、本書もまたきわめて有用な実用書といえるだろう。
「食文化」は、人間存在を根本的に規定しているものである。
まさに、「人間は、食べるところのものである」。
■エスニック料理が普及した2010年の時点からみた『檀流クッキング』
現在では、中華料理はいうまでもなく、1980年代後半にあった激辛ブームで韓国料理、タイ料理が定着し、西洋料理でもとくにイタリア料理は完全に定着した。また、内地とはかなり異なる沖縄料理もほぼ完全に定着したといえるだろう。
このほか、さまざまなエスニック料理も普及し、ありとあらゆる料理を日本にいながらにして味わうことに対して、何の疑問も抱かない状況になっている。しかも、その多くが普段の食生活のなかにも違和感なく溶け込んでいる。
2010年時点からみれば、『檀流クッキング』のメニューリストも、実にバラエティー豊富だなあくらいの感想しかないだろうが、サンケイ新聞で連載されていた1969年当時は、これらの料理自体、料理店の絶対数も少なかったので、自分で作るしかなかったかもしれない。
朝鮮半島、中国、沖縄の食文化は、日本の食文化を豊かにしてくれた。
ただし、私から見れば、「檀流クッキング」には、東南アジアの料理がいっさいないのは残念である。
もちろん私は、檀一雄のレシピそのものでは、料理はそれほど作っていない。実際には、各種料理本を使用している。
この本は、読むとじわじわと味の出る本なのだ。料理本を読む、という楽しみを味わえる本でもある。
PS 読みやすくするために改行を増やした。誤字脱字の修正を行ったが、内容には手は加えていない。(2014年5月19日 記す)
<関連サイト>
檀流クッキング完全再現
・・「檀流クッキングを読むやいなや、掲載されている料理の美味そうさ加減や、 檀さんの語り口、男らしさの虜になった私オイが、勝手に一人で檀流クッキングに掲載されているレシピの再現を試みます。 それでは、始めっ!」、とサイト紹介にある。いやいや、世の中にはこんな奇特というか、勉強熱心な人もいるわけだ。全部自分で再現しているので、カラー写真とレシピは参考になる。もちろん私はとても全部は作ったことはない。
<ブログ内関連サイト>
グルマン(食いしん坊)で、「料理する男」であった折口信夫
邱永漢のグルメ本は戦後日本の古典である-追悼・邱永漢
『こんな料理で男はまいる。』(大竹 まこと、角川書店、2001)は、「聡明な男は料理がうまい」の典型だ
『きのう何食べた?』(よしなが ふみ、講談社、2007~)
『聡明な女は料理がうまい』(桐島洋子、文春文庫、1990 単行本初版 1976) は、明確な思想をもった実用書だ
「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
むかし富士山八号目の山小屋で働いていた (3) お客様からおカネをいただいて料理をつくっていた
書評 『缶詰に愛をこめて』(小泉武夫、朝日新書、2013)-缶詰いっぱいに詰まった缶詰愛
『飲食事典』(本山荻舟、平凡社、1958)は読む事典
(2014年5月19日 情報追加)
(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)
(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)
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end