■「土からものを考える視点」に貫かれた本■
京大農学部で「土壌学講座」を担当していた現在京大名誉教授の著者が、一般向けに土の重要性を解説した本。
「土からものを考える視点」が全編を一貫している。
土(土壌)はもちろん農産物を育む基盤であるが、農業という視点だけでみていては、土のもつ意味を理解したことにならないと著者はいう。
著者「まえがき」で、孔子のコトバを引いている。「土が植物を育て、それによって動物を養うだけでなく、生き物たちが死んでまた還りゆくところもまた土であること、さらに土を通った水が美味しい泉となることまで良いことをしながらも、それを誇らないゆかしさ」。紀元前一世紀のある中国人が紹介したものでるという。
土がどうやってできたのか、土のなかはどうなっているのか、なぜ日本を含めたモンスーンアジアでコメ作りが定着したのか、そして土のなかに生きる微生物について、土のなかの栄養とその補給、「土壌浸食」や「砂漠化」といった土の危機、耕作用の家畜を飼わなくなって以降の近代農業が土にとってもつ問題、水耕栽培の限界など、広範囲のテーマについて、自ら語らない土にかわって著者がわかりやすく説明してくれる。
土壌は、もっぱら農業や園芸の対象であるが、同時に地質学でもあり、微生物学でもあり、植物学でもあり、動物学でもあり、化学でもあり、地球環境問題でもあると、かなりの広範囲にわたる総合科学なのである。
「土からものを考える視点」に貫かれたこの本は、ふだんあまり意識していない観点からものをみるための、格好の一冊となっている。
「そういえば土を踏む生活になっていないなあ」と思う人は、ぜひ目を通して欲しい一冊だ。
<初出情報>
■bk1書評「「土からものを考える視点」に貫かれた本」投稿掲載(2010年8月2日)
■amazon書評「「土からものを考える視点」に貫かれた本」投稿掲載(2010年8月2日)
著者プロフィール
久馬一剛(きゅうま・かずたけ)
1931年生まれ。京都大学農学部農芸化学科卒業。同大学院博士課程修了。京都大学東南アジア研究センター助教授、教授を経て京都大学農学部教授。「土壌学講座」を担任。滋賀県立大学環境科学部教授。現在、日本土壌協会理事、京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授。この間日本土壌肥料学会会長、ペドロジスト懇談会(現日本ペドロジー学会)会長、国際イネ研究所理事などを歴任。水田土壌学、熱帯土壌学を専門とし、日本土壌肥料学会賞(1975)、日本熱帯農業学会賞(1978)、日本農学賞、読売農学賞(1985)を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<書評への付記-随想「土を想う」->
いまのこの季節(8月10日)、セミ時雨がものすごい。
短い命を燃焼させてあっという間に散って行くセミ。アブラゼミの場合では地中で6年間(!)もの時間を過ごしてから、地上にでてきて一週間かそこらで死んでしまう。土のなかにこれだけ大量のセミの幼虫がいるのだと思うと、なんだか土というのはすごいものだとあらためて思うのだ。
いたるところにセミの死骸が転がっているのをみると、実にあっけないものだなと思う。ときに、アリの一群がセミの死骸を運ぼうとしているシーンに遭遇する。立ち止まって腰をおろして観察していると、セミの大きさに比べてアリのなんと小さなことよ。しかし、チームワークを発揮してなんとか運ぼうとしているのをみると、お疲れさんという気分になってくる。
君たちのおかげで人間が掃除しなくても、処理してくれるわけだ。すべてのセミの死骸がアリによって処分されることはないだろうが、風雨によって自然に解体され、残骸は微生物が分解して、土に戻って行くことだろう。
土からでてきて土に還る。セミだけでなく、すべての陸上生物がそうなのだな。いや水中生物だって、死ねば水底に沈殿する。水底も土である。
食物連鎖のなかで他の生物に食べられたとしても、何らかの形で土に還ることはかわらない。
土は農業という狭い分野だけでなく、地球環境にとって非常に重要な要素なのだと、この本を読んでからあらためて思うようになった。
そういえば最近、土いじりしていないなあとも。土踏まずの意味を知っている若者はそれだけいるのだろか、とも。
「身土不二」(しんどふじ)というコトバの意味をよく噛みしめたいものだ。人間存在とその土地の環境は切り離せないという発想だ。
土に生きる、土を踏み締めて生きる、といってもいいだろうか。この表現はたんなる地産地消やスローフードを意味するわけではないのだ。
<ブログ内関連記事>
書評 『植物工場ビジネス-低コスト型なら個人でもできる-』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)
・・土に依存しない農業としての水耕栽培。たしかに、『土の科学』の著者がいうように、水耕栽培に適しているのは葉菜(葉っぱもの)や果実系で、穀物や根菜はコスト的にも適していない。
レストランがインハウスで、レタスなどの葉っぱものを栽培してサラダとして提供するのはグッドアイデア。水耕栽培の適用範囲には限界があると考えるのが正しいのだろう。
三度目のミャンマー、三度目の正直 (3) インレー湖のトマトがうまい理由(わけ)・・屋外天然の水耕栽培なのだ!(インレー湖 ②)
・・自然環境のなかの水耕栽培。水耕栽培はけっして自然に逆らった栽培法法ではない。逆転の発想をもたらしてくれるミャンマーの事例。
「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・「シュタイナー農法」について触れている。
地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある
(2014年8月18日 情報追加)
(2022年12月23日発売の拙著です)
(2022年6月24日発売の拙著です)
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(2021年10月22日発売の拙著です)
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