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2011年3月6日日曜日

書評 『40代を後悔しない50のリスト-1万人の失敗談からわかった人生の法則-』(大塚寿、ダイヤモンド社、2011)


読むと怖くなってくる本。この本はあなたの50歳台以降を占うリトマス試験紙となる

 いま私は40歳台の後半だが、「はじめに」を読んで「目次」を読んでいるうちに、なんだか少し怖くなってくるのを感じた。

 一方、これは40歳過ぎてからやりはじめたな、これもすでに手をつけている、30歳台のときとは違う自分を育成してきたと、ほっと胸をなで下ろすものも少なからずある。

 こうして読んでいるうちに、まだ50歳台でなくて良かったというちょっとした安堵感とともに、さらに自分に負荷をかけて成長させなければならないなと、自戒の気持ちを同時に固めることになる。

 本書は、読者対象として大企業に勤務する30歳台以上の男性サラリーマンを想定しているようだ。おそらく20歳台の人が読んでも表面上の字面しかわからないだろうし、30歳台でも後半にならないと本当の意味で実感できないかもしれない。

 だが、40歳台の読者でこの本に何も感じないとしたら、それはたいへん危険なことだ。「種まき期」の20歳代と「育成期」の30歳代に直線志向でまっしぐらにやり抜いてきた人は「収穫期」の40歳代で安心し、その安心は知らぬ間に慢心に変わる。気がついたら50歳を過ぎており、会社人生も残りわずか、そしてリタイアしたら後悔の山、山、山・・・。おお怖い。

 「40歳は人生の正午」だと言ったのは、スイスの臨床心理学者 C.G.ユングだが、人生80年時代の現在日本では、まさに至言というべきである。個人差はもちろんあるが、40歳以降もまだ40年近く生きることになるのだ。その折り返し点では、いままでとは違う取り組みが必要なこと気がつかねば危ない。
 「人生の午後」の最初の10年間はまた、人生において公私ともども、もっとも多忙な時期に重なっているからだ。気がつくのが遅れると大変なことになる。

 本書の指摘がすべて当てはまるわけではないし、すべての処方箋が正しいわけではない。要は自分なりに取捨選択して、いいとこ取りをすることだ。学ぶのに遅すぎるということはない、まだ間に合うはずだ。

 いたずらに恐怖を煽って、何かを売りつけようという悪徳商法の本ではないから、安心して読める内容の本である。「備えあれば憂いなし」、というではないか。


<初出情報>

■bk1書評「読むと怖くなってくる本。この本はあなたの50歳台以降を占うリトマス試験紙となる」投稿掲載(2011年2月27日)




目 次

序章 一生の中で40代が重要な理由
第1章 この10年で何より大切にしたいこと
第2章 プレイングマネジャーとして本当に必要なこと
第3章 忙しいだけで終わらないために工夫すること
第4章 人生を左右する「人付き合い」で知っておくべきこと
第5章 年相応に学ぶべきこと
第6章 会社・社会と向かい続けるために考えておくこと
あとがき

著者プロフィール

大塚 寿(おおつか・ひさし)

1962年群馬県生まれ。株式会社リクルートを経て、アメリカ国際経営大学院(サンダーバード校)にてM.B.A.取得。現在、オーダーメイド型企業研修を展開するエマメイコーポレーション代表取締役(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

40代のすべてがこの本を読んで一部でも実行すれば日本の未来は明るい(藤原和博 「日経ビジネスオンライン 2011年08月30日)
・・本書が誕生した裏話が書かれている記事。「アラフォー女性の婚活と幸福をダイレクトなテーマにしては、ターゲットにされた女性も買いにくい、と読んだのだ。3回も、全面的に書き直したと言う」。



<書評への付記>

 10年前は団塊の世代を糾弾(?)する本が多かった。10年前は彼らはまさに50代、いまやリタイア年齢となり、職場からは去りつつある。

 いまいろんな意味で標的にされ、批判の矢面に立たされているのは40代のとくに男性である。年齢的にも中間だし、職場においても中間管理職として真ん中に位置している。

 そう考えてみると、いま出版界では『40歳から・・・』といったタイトルの本が多いことに気がつく。だが内容は、書籍購入者のボリュームゾーンである40歳台以上を狙った以上の内容はないように思われる。

 本書はタイトルがやや「あおり系」だが、40歳台の読者は大いに恐怖をあおられるべきだろう。

 私は著者と同年齢である。本書は、20歳台から30歳台のときの著者が、40歳代以上のサラリーマンたちに感じた「人の振り見て我が振り直せ」を、自分の人生で実践してきた内容だといっていい。だから書いていることは、基本的に著者本人の個人的な話が多い。

 感想は「書評」に書いたとおりである。「つまらない人生」を送らないための「備えあれば憂いなし」がその内容である。


「45歳」は「パラサイト・ミドル」?

 この本に関心をもったなら、ぜひ一緒に推奨したい本があるので紹介しておきたい。


 『パラサイト・ミドルの衝撃サラリーマン-45歳の憂鬱-(ライブラリーレゾナント)』(三神万里子、NTT出版、2005)である。

 パラサイトは寄生虫のこと。2005年時点の45歳は、2011年現在では51歳となる。

 帯に書かれた「なぜ45歳は傍観者となたのか-あなたも気づかないうちにパラサイトの道を歩み始めている」。この本もまた、いいわけのの多い中年サラリーマンたちに対する若手からの違和感が出発点になったようだ。書き出しはこうなっている。

 この人に話をしても無駄だ、という顔を部下にされたことはないだろうか。
 2001年の終わり頃からである。
 「45歳以上の中間管理職に情報を伝えても問題が解決しない」
 業界を問わず、大企業に勤める30代半ばから40代前半の人の中で、しばしばこうした声をしばしば聞くようになった。相談をもちかけてもポイントのずれた答えしか返ってこない。若手が渾身の報告書を提出しても読んでいない。自分の責任でやるべき業務を平気で部下にふり、それでいながら指示が曖昧で、時には若手に対し「任せる」としか言わない。具体的な指示を仰いでも解答がなく、根拠を聞かれても「上がそう言うから仕方がないのだ」という責任逃れの態度をとる。
 日本企業の若手だけではない。アメリカ系買収ファンドもこれには辟易としており、日本企業の45歳以上からは有益な情報は得られないと思っている。・・(後略)・・(P.8)


 この一節を読んでどう思うだろうか?
 自分はこれにまったく当てはまらないと言いきれる「45歳」は果たしてどれくらいいるだろうか?

 実のところ、私も40代はそういう目で見られて仕方がないのではないか、と正直なところ思っている。

 だが、もちろん「45歳」が置かれている状況についても十分な目配りの行き届いた本である。そのうえで、さまざまな観点からの提言を行っている内容になっている。

 この本は、偶然のことから出版後ただちに目を通して、40代の友人たちに薦めたのだが、反応はかんばしくなかった。イヤなことは見たくない、イヤな内容の本など読みたくない、というのがホンネということだろうか。


目 次

序章 なぜパラサイト・ミドルなのか
第1章 世界から遠ざかる 45歳
第2章 2006年からの年表
第3章 生活者としての45歳
第4章 逆襲
第5章 これからやるべきこと
あとがき

著者プロフィール

三神万里子(みかみ・まりこ)

1972年生まれ。ジャーナリスト、国立情報学研究所プロジェクト研究員。慶應義塾大学環境情報学部環境情報学科卒(メディア環境コース専攻)。組織・情報・ディスクロージャーの分析を通した社会経済システムの考察を主とする。2005年4月よりNHK経済番組「ビジネス未来人」メインキャスター(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものを編集)。






「残念な人」が2010年代前半のビジネス書のブームになっていることの背景

 ここのところ「残念な人」というタイトルを冠したビジネス書の出版がブーム(?)になっている。

 40代からというよりも、30代以下、とくに20代からみた40代のサラリーマン(・・大半が男性なのであえてサラリーマンと書く)が魅力のない存在であるだけでなく、自分たちの阻害要因以外の何ものでもないと彼らの目には映っているからであろう。

 これに関連して想起するのは、「後期・阿部謹也学」の皮切りとなった名著 『世間とは何か』(阿部謹也、講談社現代新書、1995)の冒頭にでてくる、こういうシーンである。

 今から十数年前のことである。女子学生の一人が、ゼミナールのコンパの席上で突然次のような質問をした。「先生、中年の男性ってどうしてあんなに汚らしいのですか」。一瞬私は答えられなかった。自分の父親の年齢の男性をそのように見ていることが腹立たしかったが、他方で彼女の意見に共感するところもあったからである。この質問はその後も折にふれて思い出すことがあったが、ようやく今になって答えられるような気がするのである。

 ・・(中略)・・同じ年齢層であっても中年女性の集団は少し違う。眉をひそめさせるような言動がないわけではないが、没個性的とはいえずよくいえば天真爛漫(てんしんらんまん)である。

 この違いはどこからくるのか。そしてまた日本の中年男性が一般的にいって魅力的でないのは何故か。もちろん問題は中年男性だけではない。中年男性の予備軍ともいうべき若い男性の場合も同様の問題があるのであって、この問題は一人一人の男性の問題というよりも我が国の男社会(世間)の問題なのである、わが国の男性達はわが国独特の人間関係の中にあって必ずしも個性的に生きることができないのである。むしろ個性的にいきることに大きな妨げがあり、その枠をなしているのがわが国の世間なのである。・・(後略)・・(P.12~13)

 つづきは直接 『世間とは何か』を読んでいただきたいのだが、いまの40代の人間も、学生の頃や20代の頃は間違いなく40代の人間をそう見ていたはずなのである。しかし、20年もたつと、同じように見られるに至っているのはなぜか?・・・

 その答えに対するヒントのの一つが『世間とは何か』にあるといってよい。もしかするとこの問題は、日本社会に内在化された問題なのかもしれない。




 
 たしかに、人生の後半は、前半にくらべたらエネルギーのレベルも低下している。

 それでも私は、郷ひろみなどの「輝かしい50歳台」に憧れている。「汚らしい中年」にはなりたくない。

 そのためには、まずはカラダを鍛えることから始めたいものだ。
 「見た目」が重要である。





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