「自粛」という名の「空気」が、いまや日本全体を覆っている。
「自粛」という名の「空気」は、目に見えない暴力である。
「自粛」という名の「空気」は、たとえそれを読むチカラがあっても、それに流されるのは意識的に止めよう!
「自粛」という名の「空気」を読むのは止めにして、消費にカネを使って「日本復興」への貢献を!
■「自粛」とは?
まず、あらためて「自粛」というコトバの意味を辞書で見ておきましょう。
じ‐しゅく【自粛】[名](スル) 自分から進んで、行いや態度を慎むこと。「露骨な広告を業界が―する」(「デジタル大辞泉」)
「自粛」とは、自分から進んで自発的に行いや態度を慎むこと。
個人の行為に限定されるなら、それは尊重すべきものであり、他人がとやかく言うべきことではありません。
しかし、それが集団全体に共有されるとき、その時点で「自発性」は本質的に「自発性」ではなくなっています。積極的な「自発性」ではなくて、他人に合わせるのが無難であるに過ぎないという消極的な「自発性」であれば、それはけっして誉めたものではないでしょう。
しかもそれが、ある特定の集団を越えて、マスコミによる増幅をつうじて一国全体に拡散するとき、それは「自発性」とはほぼ無縁の「空気」と化しているといわねばなりません。
国民レベルの「空気」ができあがってしまうと、それに反した行為は取りにくい。これもまた否定しがたい現実です。
■昭和天皇崩御のあと「自粛」が続いたのはバブル期のことであった
「自粛」といえば、なんといっても昭和天皇が崩御されてからしばらくのことを思い出します。
喪に服すため「歌舞音曲」(・・おお、なんというアナクロニズムな響き!)の「自粛」が拡がって、日本全体が重い空気に包まれたときのことです。
それは昭和63年(1988年)、「昭和」が終わり、「平成」が始まったまさにその時のことでした。その当時もまた FEN といっていた米軍極東軍事放送では、在日米軍司令官による緊急の特別声明がでていたことを覚えています。
テレビ放送も一日中、昭和天皇関連の映像一色になりました。歴史畑の私にとっては、日露戦争の凱旋行進の乃木大将の映像など、非常に興味深いものを見ることができて良かったという思いもありましたが、必ずしもそうは思わない人も多かったようです。
テレビ番組の「自粛」を面白くないと思った人たちは、レンタルビデオを借りだして見ていたようです。これはいい悪いの問題とは違うでしょう。
まさにバブル期のまっただなかであり、余計に自粛のもつ重い雰囲気が、コントラストをもって感じられたものでした。
■あらためて「空気」についておさらいしておこう
「自粛」とはまさに日本全体を覆う「空気」のことです。ここでいう「空気」とは物理的な意味ではなく、雰囲気といった意味でつかう「空気」のことです。
しかも、たんなる「空気」よりも重い、どんよりと重く垂れ込めた、窒息してしまいかねない「空気」が「自粛」という名の「空気」なのです。
「東北関東大震災」とそれにともなって発生した「原発事故」から2週間たったいまでも、「被災地のことを考えれば自粛もやむを得ない」、そうクチにする者も少なくないようです。実際に、卒業式シーズンであるにかかわらず中止があいついでいると聞いています。スポーツやさまざまなイベントも次から次へと中止になっています。「自粛」という名の「空気」のチカラ、まさに恐るべしと言わねばなりません。
誰が言い出したのかわからない。知らないうちに伝染している。
誤解を恐れずに言えば、放射能による「風評被害」にも劣らず、タチが悪い。
「自粛という空気」が読めないと即座に断罪される。
そうでなくても「過剰同調」しやすい心理的傾向の強い日本人、「右に倣え」体質が強すぎる、無難に過ごしたいという気持ちが強すぎるのではないか?
あえて言いましょう。「自粛」という名の「空気」を読むのはやめよう、と。
■「東北関東大震災」から2週間、世の中には捌け口の見いだせないストレスが充満している
2011年3月11日に大震災と大津波が発生してからすでに2週間、世の中には捌け口の見いだせないストレスが充満しています。それだけ、被災者とならなかった人たちのあいだでもストレスが重くのしかかっているということです。まさに国難だからです。
テレビの映像でみる被災地は、復旧は遅々とした状況です。
「原発事故」は現状ではなんとか「最悪の事態」は回避できているものの、放射能が拡散しているという情報が人々を不安にさせています。しかも、問題解決までは長期化が必至の状況です。出口は未だに見えない状況です。
東京電力管内の関東では「計画停電」という名の「輪番停電」が実施され、日常生活や経済生活に多大な影響がでています。しかも、東京23区は対象外であるという、東電の理不尽な姿勢への不公平感も出始めています。
こんな状態のなか、「自粛」という名の「空気」が、ストレスをさらに増大させています。「自粛」は「復興」には何の役にもたないと言っても、私はけっして言い過ぎだとは思いません。
「自粛」という名の「空気」なんか読む必要はない! いわんや、「自粛」を推進するなどもってのほか!
そんなものは「品格」でもなんでもない。単なる時局便乗者の振る舞いに過ぎない、と言っておきましょう。
■経済が回らないと「日本復興」どころではなくなる
エコノミストたちの試算によれば、復興費用は15兆円から20兆円程度になるとされています。ハードの復興には、財源問題はさておき、財政の投入が行われることでメドをつけることができなくはないでしょう。
懸念されるのは「自粛」ムードがもたらす個人消費抑制です。経済活動の自粛は致命的です。自分で自分の首を絞めることになるだけではない。日本経済全体を窒息しかねないものがあります。
カネは経済にとって血液のようなもの。カネがつねに循環していないと、人体を比喩にすれば、血栓が発生して動脈硬化に陥ってしまう。カネが回らなくなると、経済は成り立たなくなる。
先日、フェイスブック上の呼びかけで「Kifu Drink 10%」という催しに参加しましたた。「寄付ドリンク10%」とは、その趣旨は地域の飲食店で食事をして、飲食代金の10%を寄付に回そう、というものです。
もちろん義援金という形の寄付金も大事ですが、消費活動をつうじて経済を回し、それが回り回って被災地の経済を振興し、日本復興の経済的基盤づくりになることも非常に重要です。日常生活を取り戻すことが、そのまま復興につながっていく。
そうなんです! ストレス発散のために、「飲食店でビールを飲む ⇒ イコール消費活動 ⇒ 日本経済が回り出す ⇒ 日本復興につながる」ということを期待しつつ乾杯!というわけです。
しかも、ビールには放射能対策に効果ありという研究成果もあり、飲んで楽しい、放射能対策に効果あり、しかも消費拡大につながるというわけで「一石三鳥」、「日本復興」の下支えにもなるわけなのですね。
衣食住のうち、食住さえ確保されれば、人間は食べないわけにはいきません。外食を控えることは節約になりますが、外食することで、たとえ一回あたりの金額は大きくなくても経済を回す一翼を担うことができる。
飲食関係だけではない、エステやマッサージなどカラダの疲れを癒すサービス業もまた、ココロの癒しにつながります。ストレス解消のためには、こういったサービス業の存在は重要です。
東北の太平洋岸が被災地であり、電力不足のために「計画停電」が行われている関東が前線支援基地であるならば、関東以西は後方支援基地といっていいでしょう。少なくとも後方支援基地では、イベントや消費を「自粛」したりせず、ガンガンとカネを使って欲しい。モノを作って欲しい。
カラ元気など必要ない。ココロの底から、ハラの底から感じられる元気がほしい、これは被災者の方々だけでなく、国民全体の願いでありましょう。
「自粛ムード」を吹き飛ばせ! そう強く主張する必要を感じている次第です。へんな「空気」にまどわされない cool head と、被災地への warm heart が大事なんです!
「自粛」という名の「空気」を読むのは止めて、消費にカネを回して「日本復興」への貢献を!
<関連サイト>
【報告】第1回Kifu-Drinks 10%ゴクゴク@船橋(リスクマネジメント安藤の正しく!楽しく!! ライフデザイナーのSocial Notebook)
ビール成分に放射線防護効果を確認-放医研・東京理科大の研究チームがヒトの血液細胞とマウス実験で実証、放射線防護効果は最大34%にも(独立行政法人 放射線医学総合研究所 2004年)
東北関東大震災義援金を受け付けます(日本赤十字社)
・・義援金は赤十字社に直接行うことを推奨します。クレジットカードで可能、しかも領収書ももらえます。「義援金詐欺」が横行しているので気をつけましょう!
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