「お彼岸」だからというわけではないが、ここのところずっと仏教書ばかり読んでいる。以前から読んでいる本を読み返している(*注)。
といっても、普通の仏教書ではない。いまは亡き西川隆範氏による仏教書だ。西川氏はルドルフ・シュタイナーの著作や講演録の翻訳者として、膨大な業績を残してくれた。
だが、西川隆範氏は20歳代の前半に出家して、高野山で伝法阿闍梨灌頂(でんぽうあじゃり・かんじょう)を受けている人だ。ベースは仏教にある。しかも、大乗仏教の最終段階である密教である。その後、シュタイナー思想と出会って、シュタイナー思想の精力的な伝道者となった。
すでに西欧近代化されてしまっている日本人にとって、旧来型の仏教がいまいちしっくりこないのは当然といえば当然だ。その意味では、西欧神秘主義のシュタイナー思想とその実践にも精通している西川氏が説く仏教が現代人にアピールするものがあるのは当然ではないだろうか?
そんな西川氏の『生き方としての仏教入門』(河出書房新社、1998)は知られざる名著といっていいと思う。初期仏教から大乗仏教への展開、浄土・禅・密教をベースに「生き方としての仏教」を淡々と平易に語ったものだ。まったく説教臭くないのが最大の特徴といっていいかもしれない。スピリチュアリティとしての仏教である。
『薔薇十字仏教-秘められた西方への流れ-』(国書刊行会、1998)という本は、なんだかオカルトめいた風変わりで奇妙なタイトルだが、内容はきわめて面白い。仏教は、インドから発して東南アジアや中国(その後、朝鮮と日本)、そしてチベット(さらにモンゴル)に伝わったというのが常識だが、じつは「東方」だけでなく、インドから「西方」にも拡がっていたのである。
その痕跡がキリスト教のなかに残存しているのだ。内容について詳しくは書かないが、シュタイナー派の解釈による仏教書で、きわめて異色の仏教書だ。日本の既存の教団や教派とは「無縁」の存在である。そこにあるのは、霊的次元におけるキリスト教と仏教との深いレベルでの相互関係(インタラクション)。
つい最近知ったのだが、『仏教は世界を救うか-[仏・法・僧]の過去/現在/未来を問う』(地湧社、2012)という本があることを知った。「東京自由大学特別企画《現代霊性学講座》連続シンポジウム」の記録である。
パネリストは、井上ウィマラ、藤田一照、西川隆範の3氏で、司会は鎌田東二氏。それぞれ上座仏教、禅仏教、密教とシュタイナー、宗教学が専門。西川隆範氏の発言を読みたくて入手して読んでみたら、その他二人の仏教者のパネリストだけでなく、神道だけでなく仏教にも精通した司会者の発言もたいへん興味深いものがあって、没入して読み込んでしまった。
西欧人には理解しがたいようだが、日本人にとっては神道プラス仏教という「神仏習合」が本来のあり方であり、もちろんこのわたしも例外ではない。この点にかんしては、明治維新以前に戻る必要がある。
西川隆範氏は、不治の病に冒されて、このシンポジウムの翌年の2013年に60歳でお亡くなりになっている。「人生100年時代」などというフレーズが横行しているが、人間はいつ死ぬかわからない存在だ。いつでも死を迎えることができるように準備をすることがいかに大事なことか、西川氏の生き方(=死に方)そのものが語っているような気がする。
西川隆範氏の仏教書のなかでは、『生き方としての仏教入門』をイチオシにしたいところだが、残念ながら「品切れ重版未定」だ。『薔薇十字仏教』は敬遠してしまう人も少なくないだろう。
その意味では、最後にあげた『仏教は世界を救うか-[仏・法・僧]の過去/現在/未来を問う』は、さまざまな観点から現代人にとっての仏教の意味を考えるうえで、大いに得るものがある。ぜひ読むことをすすめたい。
「仏教」と「仏教教団」はわけて考えなくてはならない。スピリチュアリティとしての仏教と、宗教(レリジョン)としての仏教もまたイコールではない。
教団や教派とは関係のない、フリーな立場に身を置いた個人ベースのスピリチュアリティ重視の仏教だ。そんな立場にある個人が、何事にも束縛されない自由な立場で語り合う。
こういうあり方が、現代人にはもっともフィットしたものではないかと思う。
*(注)アップするのが遅れてしまったが、このブログ記事を書いたのは、2017年9月の「お彼岸」である。
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こういうあり方が、現代人にはもっともフィットしたものではないかと思う。
*(注)アップするのが遅れてしまったが、このブログ記事を書いたのは、2017年9月の「お彼岸」である。
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著者プロフィール
西川隆範(にしかわ・りゅうはん)
1953年、京都市に生まれる。青山学院大学仏文科卒業、大正大学大学院(宗教学)修士課程修了。奈良西大寺で得度、高野山宝寿院で伝法潅頂。ゲーテアヌム精神科学自由大学(スイス)、キリスト者共同体神学校(ドイツ)に学ぶ。シュタイナー幼稚園教員養成所(スイス)講師、シュタイナー・カレッジ(アメリカ)客員講師を経て、多摩美術大学非常勤講師。シュタイナーの著作の日本語訳が多数ある。2013年に逝去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに追加)。
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