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2025年11月29日土曜日

書評『医療者のためのウェルビーイング・マネジメント』(松下博宣、日本看護協会出版会、2025)― 「ウェルビーイング」ということばを上滑りな流行語にしないために

 

『医療者のためのウェルビーイング・マネジメント』(松下博宣、日本看護協会出版会、2025)という本を著者からいただいた。まずは、この場を借りてあらてめてお礼申し上げます。  

内容はタイトルのとおりであり、社会科学の立場からの医療マネジメントにおける「ウェルビーイング」をどう実践するかの手引き書である。 

狭い意味での医療関係者ではなく、医療を受ける側にすぎないわたしにとっても、「ウェルビーイング」と「マネジメント」の組み合わせは、自分のなかで響くものがあった。 



■「ウェルビーイング」ということばを上滑りな流行語にしないために

最近よく耳にするようになった「ウェルビーイング」(well-being)は英語圏から生まれた概念であり、文字通りの意味は「よき状態」のことをさしている。稲盛和夫流にいえば「物心両面の幸福」につながるものがあるといっていいだろう。 

ドイツ語圏でも「Wellbeing」とそのまま英語でつかわれているように(・・ただしドイツ語なので名詞も大文字で始まる)、日本でもカタカナ語の「ウェルビーイング」として流通している。 

タイトルにもなっている「ウェルビーイング」だが、著者はカタカナ語特有の上滑りを警戒している。日本語の文脈できちんと受け止め位置づけることが、ウェルビーイングを医療現場で実践するために必要なのではないか、と。 

著者が提唱するのは、「いきいき」という日本語の「やまとことば」だ。「いきいき」とは「いき」を2つ重ねあわせたものだが、そのやわらかい響きは耳に心地よいだけでなく、本質にずばり迫ったたものだといってよいだろう。 

「いき」をしているから人は「生きて」いるのであり、「いき」が止まれば人は死ぬ。「いき」をするのは物理的な状態であり、「いきいき」となると精神的な状態が表現されることになる。

したがって「いきいき」とは、まさに物心両面の幸福状態を意味しており、日本流の「ウェルビーイング」となるわけだ。 



■「ウェルビーイング」は仏教と親和性が高い

本書は三部構成になっている。「1章 教養編 ウェルビーイングのためのリベラルアーツ」、「2章 応用編 ウェルビーイングを “見える化” する」、「3章 実践編 マネジメントへの展開」である。  

「教養編」を最初にもってきたことが重要だ。表紙カバーの裏には英文で「Liberal Arts Application Practice」とあるように、「リベラルアーツ」(≓ 教養)の裏付けのある「プラクティス」(=実践)こそが重要なのだ。 

全体を一読して思ったのは、英語圏で生まれた「マインドフルネス」が仏教、とくにテーラヴァーダ(=上座仏教)の瞑想法から宗教的要素を抜き去ったものであるように、「ウェルビーイング」もまた、仏教とはきわめて親和性が高いという印象を受けることだ。 

さきに稲盛和夫の「物心両面の幸福」」というフレーズを引き合いに出したが、稲盛氏は禅寺での出家体験のある人だ。著者もまたチベット仏教の影響を受けているようで、実際にワークショップでは瞑想法の実践をされているという。 

瞑想法とは、物理的には呼吸のコントロールのことであり、この呼吸法によって深いレベルで「ボディ/マインド/スピリット」にまたがる自己を発見することにある。自己と宇宙、そしてすべてがつながっていることを。 

本書は医療現場における「ウェルビーイング・マネジメント」の推進のために書かれた本だが、個々のメンバーが自覚することにより「場のマネジメント」が実現するのである。なぜなら、「すべてはつながっている」からだ。これもまた仏教の叡智のあらわれである。 

著者の専門は「医療マネジメント」だが、たんなる研究者ではない。豊富な体験にもとづく実践知の持ち主なのである。今後は勝手ながら「仏友」と呼ばせていただくことにしたいと思う。 


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目 次
はじめに
本書の構成 
1章 教養編 ウェルビーイングのためのリベラルアーツ
2章 応用編 ウェルビーイングを “見える化” する
3章 実践編 マネジメントへの展開
おわりに 

著者プロフィール
松下博宣(まつした・ひろのぶ)
文京学院大学大学院教授。早稲田大学商学部卒業。コーネル大学大学院(Policy Analysis and Management, Sloan program in Health Adminsitarion)修了。東京工業大学社会理工学研究科博士(学術)。会社経営、東京農工大学産業技術専攻(MOT)教授、学校法人東京農業大学・東京情報大学看護学部教授を歴任。専門分野は、健康医療管理学、人的資源マネジメント、アントレプレナーシップ&イノベーション、システム科学、サービス科学。



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2025年5月24日土曜日

いまこの時代に『歎異抄』を読むことの意味とは? ―『超訳シリーズ』の最新刊である『超訳 歎異抄』(安永雄彦、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2025)を読む

 

ビジネスマン出身の異色の僧侶・安永雄彦さまより『超訳 歎異抄』をいただいた。ディスカヴァー・トゥエンティワンの『超訳シリーズ』の最新刊。本日(5月23日)発売の新刊である。 

『歎異抄』と書いて「たんにしょう」と読む。日本最大の宗派である浄土真宗の宗祖で、中世日本に生きた親鸞聖人の言行を、その死後に直弟子の唯円(ゆいえん)が書き残したものだ。「異」説を「歎」くというのが、その本意である。 

「悪人正機」などパラドックスに充ち満ちた表現が多く、とかく誤解を生みやすいのが親鸞の教えだ。唯円は、その親鸞の言葉が語られた背景まで含めて後世に残そうとしたのである。 

そんな『歎異抄』は、名前は聞いたことはあっても、実際に読んだことのある人は、いったいどれくらいいるのだろうか?  現代語訳でわずか50ページほどの短い本だが、もし読んだとしても理解できない、納得がいかないと思った人も少なくないかもしれない。 

わたし自身は、20歳台の終わりに哲学者で日本学の梅原猛の訳で読んで以来、35年ぶりに『歎異抄』をとおしで読んでみた。そんな機会をあたえていただいた安永さまには、この場を借りてその仏縁に感謝したい。 


(留学のため渡米する前の1990年に読んだ梅原猛の2冊)


『歎異抄』の現代語訳や解説本は、それこそ山のように出版されつづけている。ビジネスパーソンを主要な読者層に設定した安永版は、その最新版となる。 

さっそく、「はじめに」に目をとおしたあと、項目別に整理された『歎異抄』の文章を読んでみる。これ以上ないと思われるほど、平易な現代語に訳されている。 

だが、平易な文章だからこそ、いまなお納得できない内容や、違和感を感じるものがあることは否定できない。先にも書いたように、親鸞の教えがパラドックスに充ち満ちたものであり、基本的に信心について説いた内容だからだ。 

親鸞には「絶対他力」という教えもある。だが、信仰の場面はさておき、はたして日常生活のなかで「絶対他力」は成り立つのかどうか? 「自力」で努力することに意味はないのか?  そんな問いがわき上がってくるのは当然だろう。

わたし自身もそうであったが、とかく若いときには自信過剰気味になりがちであり、なんでも「自力」で成し遂げることができると思いがちだ。 

ところが、「自力」だけでは物事が動かないことを知る瞬間が、かならずやってくる。しかも、「自力」に頼らないほうが、かえって物事がスムーズに進行することがある。そんなことを、悟る機会もあるだろう。ミドルエイジ以降の人なら人なら、誰でもそんな経験があるのではないか。 

ビジネスパーソンであれば、いやそうではなくても、そんな気づきを得ることができれば、『歎異抄』に触れることの意味があるというべきだろう。いま読んでも理解できないフレーズ、納得のいかないフレーズが、「ああ、そういうことなのか」とストンと理解できる瞬間が訪れることがあるはずだ。 

基本的に親鸞の教えは浄土真宗の教えであり、阿弥陀仏への絶対的な帰依と、「南無阿弥陀仏」という念仏が強調される。仏教でありながら、限りなくキリスト教に近い印象さえ受けるかもしれない。 

だが、浄土真宗の門徒ではなくても(・・かくいうわたしの場合も、母方の祖母は熱心な門徒であったが、わたし自身は宗門の人ではない)、また仏教徒ではなくても、あるいは宗教には距離を置いている人であっても、親鸞の教えに触れることの意味は大きなものがあるはずだ。 

ぜひこの機会に、安永版『超訳 歎異抄』を手にとって、読んでみてほしいと思う。読んでみて、すんなりと理解できなくてもいいのである。親鸞の教えに対しては、異論や違和感があって当然なのだ。 

いろいろな読み方があると思うが、まずは後半に収録されている「超訳歎異抄 全文」を通しで読んでみてから、前半の104条に整理された項目ごとに読んでみるといいのではないか。

というのは、項目別の文章だけつまみ食いして読むと、誤読しかねないものが多々あるからだ。そもそも現著者の唯円が「異」説を「歎」いていたように、『歎異抄』という本は誤読を生みやすい本なのだ。

AI(=人工知能)がもてはやされ、とかく「知能」や「知性」ばかりが重視される現代社会である。いや、であるからこそ、知性の限界を超えた存在に、自分自身を開いていく必要があるのではないか。 

ビジネスパーソンであろうとなかろうと、いまこんな時代に生きる人が『歎異抄』を読むことの意味は、そんなところにあるのではないか。わたしはそう考えている。 


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2025年2月17日月曜日

鈴木大拙はエマソンの愛読者であった ― 日本の仏教者たちは霊性(スピリチュアリティ)の立場に立つエマソンの『自己信頼』にインスパイアされてきた

(若き日に米国で暮らしていた大拙はエマソンの墓の前で座禅している) 


鈴木大拙というと「禅の大家」というイメージが流布している。これが一般人の認識であろう。

さらに、世界に禅仏教を広めた功績を知っている人も少なくないかもしれない。英語圏を中心に D.T. Suzuki 名義で出版された本は、現在なお新刊書として簡単に入手可能だ。

D.T. Suzuki の D が大拙であることは容易に推測できるだろう。では英語風のミドルネームの T はなにか? それは、本名の貞太郎(ていたろう)の略であり、言うまでもなくクリスチャンネームではない。現在でも華人が英語圏で「イングリッシュ・ネーム」をつかいたがるのと同様だ。

そんな大拙は、若き日にエマソンの「論文集」(エッセイズ)を読んで感激したと回想している。かの有名な『自己信頼』は「エッセイズ」に収録されている。

大拙自身の文章を引用しておこう。出典は「明治の精神と自由」(1947年)。『新編 東洋的な見方』(上田閑照編、岩波文庫、1997)に収録されている(読みやすくするために漢字は適宜かなに直し行替えを行った。本文にない注釈は(=●●)として示してある)


語学の勉強からどんな新鮮なものを取り得たかといま考えて見ると、「自由」ということであったらしい。(・・中略・・)
そのようなところから、セルフ・ヘルプの精神が強く、自由へのあこがれが深くなって行ったのは自然であろう。(・・中略・・)
その後、エマスンの論文集を何かの機会で読んだ。これがまた自分をして新たな思想に赴かしめた。そのなかに次のような言葉があったように今うろ覚えに覚えている。
「自分の心に動くことを表現するに躊躇するな。大人物だといわれている人でも、自分の心の中に在るもの以上に、何ものをも持っているのではない。今ここに一条の光明が射し込んで来て、自分の頭の上に落ちたとせよ。いかに微ほのかでも、この光の証人は自分だけのほかに誰もないのだ。これを天下に宣言するに誰を憚ることもいらぬ」と、このようなことがあったように覚えている。
自分はこれを読んだ時、深く感動した。これがセルフ・レライアンス(=自己信頼)だ、これが本当の自由だ、これが本当の独立不羈なるものだ。小さいといって自ら卑しめるに及ばぬ。小さいは小さいながらに、その持っているすべてを表現すればよいのだ、これがシンセリティ(=誠実)だと、こういう風に自分は感激したのだ。(・・中略・・)
エマスンの時代は、米国でも思想転換をやる時代であった。四囲の事情はもとより日本とは違っていた。が、新しいものをあこがれる気風は米国にもあった。ヨーロッパを通って入ってきた東洋思想すなわちインド思想は、ニュー・イングランドの思想家を動かした。そのスポークスマンになった一人はエマスンであった。日本の青年が彼を読んで、なんとなく共鳴せざるをえないのは、そのなかに東洋的なものがあるからではなかろうか。すなわち東洋的なものが、米国のはつらつとして若々しい人々の頭を濾過して来ると、その表現形式がまた清新の気がしてくるのである。(・・後略・・)


若き日に米国で暮らしていた大拙は、1900年頃のものだが、東海岸のコンコードにあるエマソンの墓の前で座禅している(上掲の写真)。この写真は『思い出の小箱からー鈴木大拙のこと』(岡村美穂子/上田閑照、燈影社、1997)に口絵として挿入されている。

大拙は、英文著書でもエマソンやその弟子のソローを引き合いに出して論じている。アメリカと東洋思想の接点がエマソンいあるからだ。

禅仏教の大家である大拙にとって、エマソンの『自己信頼』が根底にあって支えつづけたことが見て取れる。「自力」イメージの強い禅仏教だからだろう、そんな感想をもつかもしれない。

というのも、禅仏教とは異なるが、おなじく大乗仏教で絶対肯定を説く『法華経』の信者にも、エマソンは大きな影響をあたえているからだ。

たとえば、創価学会を大規模組織に育て上げた池田大作は、『新編 若き日の読書』(第三文明社、2023)に収録された「民衆に愛された哲人 『エマソン論文集』」で、戦後になってからであるが、エマソンの『自己信頼』が支えになったことを回想的に記している。池田氏は、「エマソンは、しっかり読みなさい」と恩師の戸田城聖から勧められたと書いている。



「民衆に愛された哲人 『エマソン論文集』」の小見出しを抜き出してみよう。池田氏がエマソンになにを感じていたかがわかることだろう。


「変動する時代」の空気を吸って
「実践とはただの形式ではない」
ハーバード大学での講演の波紋
人間主義を宣した「自己信頼」の哲学


この文章の末尾は、「民衆に生きる人は強い。民衆に愛される人は永遠である。ダイヤモンドのごときエマソンの生涯は、私たちに限りない勇気をあたえてくれる」と結んでいる。

このように見ていくと、戦前の明治時代前半の鈴木大拙や、戦後になってからの池田大作がそうであったように、「自力」の禅仏教や、「絶対肯定」を説く『法華経』信者が、「自己信頼」(セルフ・リライアンス)を説くエマソンと親和性が高いことがわかることだろう。



■鈴木大拙は浄土真宗への目線も有していた

ところが、鈴木大拙は禅仏教に限らず、浄土真宗への目線も有していた世界的仏教学者というのが真相に近い。この事実を押さえておくと、「他力」を説く浄土真宗であっても、エマソンの世界はけっして無縁ではないと言えるのではないだろうか。

大拙は、米国で11年間過ごしたのち、日本に帰国後は学習院で英語を教えていたが、その後に大谷大学に招聘され教鞭をとっていた。

大谷大学は、浄土真宗の東本願寺系統の教育機関である。大拙は、その環境で浄土真宗にも親しく接していたわけだ。戦後になってから、90歳になってからの最晩年の大仕事として、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人による『教行信証』(きょうぎょうしんしょう)の英語訳を完成している。

もともと、大拙の母親が浄土真宗の「秘事法門」の信者で、大拙自身も少年時代にそれに触れさせられていたことも、無意識レベルで影響をあたえているのかもしれない。




大拙の主著でもっとも知られており、実際に読まれているのは『日本的霊性』であろう。鎌倉時代に生まれた新仏教こそ、日本的霊性(Japanese spirituality)を生み出したのでありう、その重要な要素が禅仏教と浄土真宗である、というのがその骨子である。


(大拙の英文著書から。禅画の仙厓と浄土真宗の光明思想)


大拙は、浄土真宗を教義の側面ではなく、南無阿弥陀仏の名号を唱えることで浄土真宗を生きた妙好人(みょうこうにん)を取り上げて論じている。これは、学習院時代の生徒であった民藝運動の柳宗悦と共通する。柳宗悦には『南無阿弥陀仏』という著書もある。前近代の工芸職人に浄土真宗の信者が多いことに注意を向けている。

「自力」と「他力」と対比されがちな禅と浄土教だが、大乗仏教であることは共通している。自力と他力が融合してこそ、日本的霊性は完成するのであり、大乗仏教も完成すると考えるべきなのであろう。

禅仏教における座禅という自発的に行う瞑想も、大いなる存在の覚醒を求めるものであり、浄土教における念仏という行為もまた、生活習慣化されるまでは自発性をともなうものだ。


■宗教から霊性(スピリチュアリティ)の時代こそエマソンが読まれるべき

キリスト教の牧師から講演家へと転身したのがエマソンである。形式主義に堕した宗教ではなく、霊性(スピリチュアリティ)の観点から、イエスを親しい存在と感じていたエマソンである。

そんなエマソンが、明治時代前半において中村敬宇や内村鑑三といったキリスト者、トルストイと同様洗礼を受けたものの決別した徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟だけでなく、禅仏教の鈴木大拙、そして戦後には池田大作など、キリスト教以外の仏教者にも影響をあたえていることは、けっして不思議ではないのである。

米国の思想史家ヴァン・ミーター エイムズ(Van Meter Ames)は、『禅とアメリカ思想』(中田祐二訳、欧史社、1995)という著書で、エマソンを「アメリカの菩薩」としていることも紹介しておこう。

エマソンと仏教、このテーマはさらに深掘りして考えるべきである。



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・・ジャーナリストの杉村楚人冠の旧宅である記念館の書庫にあった旧蔵書に鈴木大拙の著作が英文のものも含めて多数架蔵されている。我孫子と柳宗悦、学習院で生徒だった柳宗悦と英語教師の鈴木大拙との師弟関係。鈴木大拙は学習院で英語教師として柳宗悦の先生であったことを想起すべきだろう。白樺派の面々はみな学習院出身者であった。さまざまな縁で、つながれた人たちが集まっていたわけだ。 


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2024年2月4日日曜日

書評『仏教の歴史 ― いかにして世界宗教となったか』(ジャン=ノエール・ロベール/今枝由郎訳、講談社選書メチエ、2023)― 日本人の「常識」の欠落部分を外部の目で補うことの重要性

 


 「仏教史」の本は、日本人が日本語で日本人のために書かれたものであれば、それこそ無数にある。だが、仏教をブッダ在世以後の初期段階から西洋世界に普及しつつある現在までカバーしたものは、それほど多くはないのではないかな? 

著者の着眼点は、仏教経典で使用されている「言語」から分類と説明を試みていることにある。漢文も日本語も読みこなせる語学の天才で、中国仏教や日本仏教に精通している碩学ならではのものといえよう。 

一般的には「初期仏教」と「大乗仏教」。大乗仏教の最終形である「密教」(=金剛乗)、そして初期仏教の新生である「上座仏教」に区分が可能だが、言語で分類すると以下のようになる。

初期仏教」以来のパーリ語をそのままつかっている「上座仏教」サンスクリット語からの翻訳である漢文訳をそのまま使用してきた大乗仏教の「中国仏教」、おなじくサンスクリット語から組織的に翻訳されたチベット語訳をそのまま使用してきた大乗仏教の「チベット仏教」に分類可能だ。 

「日本仏教」は、漢文経典をそのまま使用してきたので、中国仏教系列となる。この状況は朝鮮半島もベトナムも同様だ。

東南アジアは基本的に上座仏教圏だが、中国文明の影響圏にあるベトナムだけは別物である。 ユーラシア大陸内部のモンゴルはチベット仏教圏である。

「経典」で使用されている「言語」を軸に考えると、漢文経典を使用してきた地域では、お経を耳で聴いてもちんぷんかんぷんであることは共通していることもわかる。もちろん、「マントラ」としては意味があるわけだが・・・ 

このように、外部の視点で、しかも俯瞰的に眺めると、日本仏教の性格がよく見えてくる

だが、それだけではない。 ひとくちに「仏教」といっても千差万別であり、「仏教」について言及するときは、どの地域のどの時代の「仏教」であるかを認識しておかなくてはならないのである。特定の「宗派」にとらわれた「井の中の蛙」的認識ではいけないのだ。 


原著 Petite histoire du bouddhisme 画像をクリック!


このように日本人の「常識」からの欠落部分を外部の目で補うことのできる本書は2008年の出版だが、原題が Petite histoire du bouddhisme(仏教小史)とあるように、すぐに読めてしまう。だが、いかんせん、記述が簡単すぎて説明不足なのが物足りない。 

とはいえ、日本語版は豊富な注釈つきで、いたれりつくせりの編集になっている。 日本語版は、盟友でチベット仏教が専門の今枝氏が日本語訳しているが、当然のことながら著者本人も目を通しているはずだ。「日本語版のための序文」は著者みずから日本語で執筆しているとのことだ。 

キリスト教やイスラーム教とならぶ世界宗教でありながら、多様性に充ち満ちた仏教その全貌を歴史的展開をつうじて把握するのは最適な1冊であろう。 


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目 次
序言(ジャン・ボベロ) 
日本版のための序文(ジャン=ノエール・ロベール)
はじめに 
第1章 諸宗教の中での仏教 
第2章 ブッダ 仏 ― 第一の宝 
第3章 ダルマ 法 ― 第二の宝 
第4章 サンガ 僧 ― 第三の宝 
第5章 三つの叢書 三蔵(トリピタカ) 
第6章 大乗と真言乗 
第7章 中央アジアと中国への伝播 
第8章 チベットからモンゴルへの伝播 
第9章 東南アジアへの伝播、そしてインドへの回帰 
第10章 朝鮮から日本への伝播 
第11章 仏教と言語 
第12章 仏教の欧米への伝播 
第13章 仏教研究批判 
仏教の歴史 略年表 
主要参考文献 
訳者解説 
索引

著者プロフィール
ジャン=ノエル・ロベール(Jean-Noel Robert)
 1949年生まれ。フランス国立東洋言語文化学院日本語学科卒業、パリ第七大学国家文学博士号取得。コレージュ・ド・フランス名誉教授。義真『天台法華宗義集』の研究は日本天台宗の教理についての西洋語による最初の体系的解明として国際的にも高く評価される。また、鳩摩羅什訳『法華経』のフランス語訳、慈円の釈教歌についての研究のほか、日本文化を古今東西の文化史の文脈から捉えることを提唱し、2021年度の第三回人間文化研究機構日本研究国際賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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