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2023年2月16日木曜日

書評『大塩平八郎の乱 ー 幕府を震撼させた武装蜂起の真相』(藪田貫、中公新書、2022)ー 「大塩平八郎の乱」の真相に新史料で迫る

 

大塩平八郎については好き嫌いが分かれるだろうし、テロか義挙にかんしても見解が分かれることだろう。本書の副題にあるように、1837年のこの事件が幕末の動乱の導火線になったことは事実である。「天保の改革」に失敗した幕府は、それから30年で崩壊した。 

幕府の直轄領であった「天下の台所」とよばれた経済都市・大坂で市街戦が勃発したのである。しかも、反乱の指導者は元与力であり、現在でいえば警察署長のようなものだ。未決のものも含めて3つの大きな事件で手柄をあげている。

そんな人物が反乱を起こしたのである。大坂が火の海となり、市内で砲撃戦となったのである。衝撃ではないはずがない。 


■なぜいま大塩平八郎か

本書の「はじめに」に書いてあるので知ったが、大塩平八郎の名前は小学校(!)の教科書にも登場するようだ。自分にはその記憶はないが、すくなくとも中学生のときには耳にしたように思う。つまり日本人ならまったく知らない人物ではない。しかもまだ200年もたっていないのだ。 

そんなこともあって、「常識」でもある大塩平八郎にかんする本をいまさら読むこともあるまいと思っていた。あえて読むことにしたのは、あらたな史料がつぎつぎと発掘されたことで、真相により一歩近づくことが可能になってきたらしいからだ。 

読んでみてわかったが、近年になって大塩平八郎の書簡が大量に発見されて、人間関係や事件の動機などにかんする真相があきらかになってきたことも大きいようなのだ。そのなかには、縁戚の女性を妻にしていた農業ジャーナリストの大蔵永常も含まれる。


(右ははじめて歴史学の観点から大塩平八郎に迫った幸田成友による古典『大塩平八郎』)
 

激務である与力の業務とと、私塾の主宰者として「二足のわらじ」を履いていた大塩は、ホンネとしては学問に専念したかったようだ。

与力という職務が、きれいごとでは済まないものがあったためでもあろう。自供させるために、ときには拷問も行っているはずだ。捜査の関係上、裏社会にも通じている必要があった。私塾の弟子達からも、怖い人と見られていたようだ。 

陽明学者としては大塩中斎の名で知られることになった。主著は『洗心洞箚記』である。


■「大塩平八郎の乱」は思想結社の「洗心洞の乱」であった

本書はタイトルにもあるように、大塩平八郎の人物もさることながら、大塩平八郎の「乱」に重点を置いている。著者は「大塩平八郎の乱」は、大塩平八郎の私塾である「洗心洞の乱」と見るべきだとする。 

私塾は学問の場であり、大塩平八郎の場合は自分が傾倒する「陽明学」の研鑽を積む場であった。

「知行合一」を説く「陽明学」である以上、世の中の不正を見て見ぬふりをしているわけにはいかぬ、行動を起こすべしとなったわけだが、私塾は思想結社であり、政治結社となってもいたのである。

(大塩平八郎の肖像画。手前にあるのは天体観測用の渾天儀と象限儀大塩は毎朝2時に起床し天体観測をし、そのあと私塾で講義してから出勤していたという。 Wikipediaより) 


大塩の私塾の門人は、大きく3つのグループで構成されていたという。まず第1に、与力や同心など大塩の職務の関係者。第2に近郷の豪農たち。第3に諸藩の藩士たちである。 

ここからわかってくるのは、大塩たちがいかにして大砲などの武器を入手したか、「天保の飢饉」で苦しむ貧民に食料ををあたえるために蔵書を振り払って資金を得たが、その資金源がどこにあったかということだ。蔵書を売り払って得た金額は、現在価値でなんと1億円(!)を超えるという。豊富な軍資金があったのだ。 

このほか、1万部を刷ったという「檄文」の版木の工夫(・・職人に悟られないようにバラバラの版木を使用)や、なぜ大砲が必要で、火災を起こすことが必要だったのかなど、さまざまな真相が明らかにされる。現在のような通信手段が発達していない時代には、遠隔地への合図のため狼煙(のろし)が必要だったのである。 

反乱そのものは、事前に内部関係者による密告が複数発生して、前倒しで決行されることになった。そのため、当初の目的であった暗殺計画が失敗に終わり、しかも市街での砲撃戦となって半日で終結している。檄文は撒いたが、思ったほど呼応する者がいなかったのだ。一般民衆の巻き込みには失敗したのである。 

だが、大塩親子は逮捕されることなく、40日間にわたって大坂市内に潜伏している。最終的に発覚し、踏み込まれて逮捕される前に自爆によって死んでいる。壮絶な最期である。

(渡辺崋山による鷹見泉石肖像画 古河藩の家老でありながらオランダ語が得意な蘭学者でもあった Wikipediaより)

捜査にあたっていた責任者は、大坂城代をつとめていた古河藩主・土井利位の家老の鷹見泉石であった。国宝となっている、渡辺崋山によるかの有名な肖像画は、大塩平八郎の乱のあとに描かれたものであるようだ。

この40日間、大塩平八郎はなにを待っていたのか? その件についても、限りなく真相に迫っている。 


■幕府にとっての大坂の意味

「大塩平八郎の乱」を理解するためには、大坂という都市の位置づけを知らなくてはならない。大坂という経済都市が幕府にもっていた意味、江戸との関係である。

「義」よりも「利」が幅をきかし、浮き世の沙汰もカネ次第の大坂では、キャリア官僚はあっという間に抱き込まれがちだ。そう考えれば、清廉潔白を貫いた(とされる)大塩平八郎という人物の特異性も明らかになる。 

大坂町奉行所における与力の位置づけを考える必要もある。奉行は、任期つきのキャリア官僚で他地域の人間であり、そのまた上司の大坂城代は京都所司代を経て老中になるための出世コースであった。

キャリア官僚である大坂町奉行に対して、与力は地元の人間が努め、部門間の異動はあっても、大坂町奉行所(しかも東西にわかれていた)の異動はないノンキャリである。

もちろん江戸時代にあっては、与力の職は世襲であったが、役人世界におけるキャリアとノンキャリの構造は、本質的に現在と変わらない。 

ノンキャリであった大塩平八郎の苦悩と悲哀や不満、そして憤懣がどこに向けられたのかを考えてみれば、本人たちの認識における「義挙」という性格も、留保つきでとらえる必要もありそうだ。私憤と公憤の境目は、意外とはっきりしていないことが多い。したがって、すべてをきれい事としてとらえるべきではない。 

そんなことを考えながら、読み終えたわけだが、新書本とはいっても、さすがに中公新書だけあって中身は濃厚である。なかなか読み応えのある本だった。大阪に生まれ育った歴史家である著者にとっても、渾身の一冊であるようだ。 

とはいえ、かならずしも読者は大塩平八郎に肩入れする必要はない。好き嫌いは別にして真相を知るべく努めるべきであろうし、テロか義挙にかんして結論を下すのは、あくまでも読者の価値観にゆだねるべきであろう。 




目 次
序章 「大坂大変」 
第1章 与力大塩平八郎
第2章 未完の「三大功績」
第3章 洗心洞主人
第4章 洗心洞の内外
第5章 「四海困窮」 
第6章 大坂の乱
第7章 それぞれの最期
終章 大塩の乱とは何だったのか
あとがき 主要参考文献
大塩平八郎檄文(現代語訳)
大塩平八郎略年譜

 

著者プロフィール
藪田貫(やぶた・ゆたか)
大阪府生まれ。兵庫県立歴史博物館館長。関西大学名誉教授。博士(文学)。専門は日本近世史(社会史・女性史)。著書に「国訴と百姓一揆の研究」「男と女の近世史」「武士の町大坂」など。(hontoより)


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・・私塾や藩校で行われていた「会読」という学びのメソッドには「結社性」という特性もあった

・・江戸時代の磔(はりつけ)や各種の拷問用具が展示


 


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