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2019年9月22日日曜日

「国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展」にいってきた(2019年9月21日)-実業家による美術コレクションの先駆けというべき「松方コレクション」の全体像を把握する


昨日(2019年9月21日)のことだが、国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展にいってきた。

行くか行かないか迷っていたのだが、ずいぶん前にeチケット購入してしていたので、使わないともったいないからという消極的理由から行くことにした(笑) なお、会期は明日23日まで。

実業家で美術コレクションというと、米国の石油王ポール・ゲッティなどの諸外国のものはさておき、日本では個人名のついたものとしては、おなじく石油元売りで財をなした出光佐三(出光美術館)など、企業名ではブリジストンやサントリーなど(それぞれ経営者によるコレクションをもとに美術館を所有)が想起される。「松方コレクション」もまた、個人名のついたコレクションだ。


(パンフレットより)

「松方コレクション」は、実業家で川崎造船所(現在は川崎重工)社長だった松方幸次郎が、第1次世界大戦中のヨーロッパで収集した美術コレクション。日本企業が戦争成金で潤った時期から始まった。松方幸次郎は、日本近代史の「松方デフレ」として有名な政治家。松方正義の三男である。

美術品の蒐集は、まずは自分の事業とのかかわりも深く、当時の世界経済の中心だったロンドンから、そして大陸のパリ、その後は北欧などで収集したコレクションで構成されたコレクションだ。だが、昭和恐慌で事業が失敗、コレクションは解体することになる。第2次世界大戦の勃発が大きな災難として降りかかってきた。

ロンドンの倉庫に保管されていた美術品が火災で焼失、フランスの降伏によって進駐してきたナチスドイツよる美術品略奪からは、疎開させることでからくも逃れることができたが、戦争終結後も日本がフランスの敵国となっていたため、「敵国資産」としてフランスに留め置かれたままとなっていた。

だが、日仏国交回復後、フランスから日本に返還されたコレクションを母体に「国立西洋美術館」が1959年に開館することになった。今年はその60周年というわけで、それを記念して今回の美術展が開催されることになったわけである。


(パンフレットより)

さて、「松方コレクション展」そのもについてだが、美術展には珍しく、天井まで届くかのように、所狭しと大小の絵画作品が展示されている。これでは、1点1点細かくみるには適してない。しかも、連休初日の土曜日ということもあって、来場客が多くてゆっくり鑑賞するどころではない。

「松方コレクションは印象派」という固定観念が私のアタマのなかにあったが、「フランス印象派」以外の作品もかなり多い。もちろん、目玉はモネやルノワール、ドガやゴッホ、ミレイなどだが、「松方コレクション」の一部は「国立西洋美術館開館」の常設展示として展示されている作品も含まれている。その意味では、本来の「松方コレクション」が部分的ではあれ再現されたといっていいのだろう。

わたし個人の感想だが、今回の美術展は、個々の作品についてというよりも、「松方コレクション」の全体像を、時系列にそって収集テーマごとに、展示室ごとに俯瞰することに意味があると思う。ズームインではなく、ズームアウトである。もしこれから訪問されるなら、そういう見方をおすすめしたい。あと1日しかないのだが・・・・

 世界遺産になった建築家コルビュジエによる建物「松方コレクション」の目玉の一つであるロダンの彫刻(地獄門、考える人、カレーの人びとは野外展示)をあわせて、楽しむといいでしょう。







<ブログ内関連記事>

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)-フランス印象派の名作を一挙に公開。そしてルドンの傑作も!

「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!

東京で日本美術関連の美術展の「はしご」を3館(2017年11月4日)-『ゴッホ展』(東京都美術館)・『北斎とジャポニスム』(国立西洋美術館)・『江戸の琳派芸術』(出光美術館)

『ル・コルビュジエ 絵画から建築へ-ピュリスムの時代展』(国立西洋美術館・上野)に行ってきた(2019年3月21日) -ル・コルビュジエ晩年の作品である国立西洋美術館が1959年に開館してから60年になる

祝! ル・コルビュジエ設計の東京・上野の国立西洋美術館が念願の「世界遺産」登録が内定(2016年5月18日)

映画 『ミケランジェロ・プロジェクト』(米国、2014年)をみてきた(2015年11月8日)-ナチスの破壊から美術品を救出した特殊部隊「モニュメンツ・メン」の知られざる偉業


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2015年7月2日木曜日

映画 『ターナー、光に愛を求めて』(英国・ドイツ・フランス、2014)を見てきた(2015年7月1日)-英国が生んだ風景画家の巨匠ターナーの知られざる後半生を描いた「動く絵画」



ターナーという画家の作品は、夏目漱石が『草枕』のなかで取り上げて以来、日本でもなじみのある存在だろう。風景画という点も、日本人好みなのかもしれない。黄色を中心にした独特の色づかいで光を捉えた作品は、フランス印象派にも大きな影響を与えている。

ターナーの正式名は、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner)。1775年に生まれ、1851年に76歳で亡くなった、英国ロマン派の風景画家である。

ターナーの前半生は、対岸の欧州大陸ではフランス革命とナポレオン戦争で動乱した時代。ネルソン提督のトラファルガーの海戦がターナーの代表作であるのはそのためだ。ターナーの後半生の英国は、ヴィクトリア女王の治世で大英帝国の最盛期にあたる。機械文明への過渡期の時代でもある。

(ミニサイズのリーフレット)

だが、ターナーという画家がどんな人物であったのかまで知られているわけではない。わたしも黄色を中心にした独特の色づかいの作品にはなじみがあったものの、どんな生涯を送った人であるかまで考えたことはなかった。おなじく黄色系統を好んだゴッホとの違いである。


この映画に登場するターナー氏(・・オリジナルのタイトルは Mr. Tuner とそっけないものだ)は、いわゆる典型的な英国紳士を擬人化したジョン・ブル(John Bull)のような肥満体の短軀で、自画像のようなハンサムとはほど遠い。


天才画家ではあったが、ハンサムとはほど遠く、しょっちゅう奇妙なうなり声をあげる容貌魁偉(ようぼうかいい)な中年男。正直いって好きになるようなタイプではない。英国にはよく登場する奇人変人系の人物として描かれている。


印象的なのは、嬉々として息子の助手をつとめていた元理髪師の父親が亡くなったときに見せた、ターナーの目尻ににじみ出る涙のシーン。激しく泣き叫ぶのでもなく、むせび泣くのでもない。静かな喪失感が画面から伝わってくる。抑制された演技が悲しみの深さを表現している。演技であることさえまったく感じさせない名演技である。

(Rain Steam and Speed the Great Western Railway  晩年の1844年)

ターナーを激賞した美術批評家のラスキンが登場するが、この映画のなかでは美男子だが狂言回しのような役割を演じている。ターナー後の19世紀末英国で主流となったラファエロ前派に否定的であったラスキンの存在を知っていれば、この映画をより楽しむことができるだろう。ターナー自身は機械文明すら絵画のテーマとした人である(・・上掲の作品はその一例)。

日本版のタイトルは、『ターナー、光に愛を求めて』となっているが、この映画をうまく表現したものといえうだろう。知られざるターナーの素顔を描いた、それ自体が絵画のような美しい色彩の映画である。映画じたいが動く絵画(moving picture)になっている。同じく光の画家であったフェルメールとその有名な絵画のモデルを描いた映画 『真珠の首飾りの少女』と並び賞されるべきだろう。カメラ・オブスキューラが登場する点も共通している。

あるいはターナー氏の人間くささを味わうことができる、酸いも甘いもかみしめた中高年以上の大人向け映画というべきだろうか。






<関連サイト>

映画「ターナー、光に愛を求めて」 オフィシャルウェブサイト


<参考> 夏目漱石とターナー

夏目漱石の『草枕』における画家ターナーへの言及は2カ所ある。『草枕』はネット上の「青空文庫」で公開されているので、関連箇所を引用しておこう。いずれも小説の前半部分である。

この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易(へきえき)して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上の宝※(「王+路」、第3水準1-88-29 ほうろ)を知る。俗にこれを名なづけて美化と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛(さんらん)たる彩光(さいこう)は、炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。ただ一翳(いちえい)眼に在(あ)って空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、俗累(ぞくるい)の覊絏牢(きせつろう)として絶ちがたきが故に、栄辱得喪(えいじょくとくそう)のわれに逼(せ)まる事、念々切(せつ)なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙(おうきょ)が幽霊を描えがくまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
    ・・(中略)・・
「いいや、今に食う」と云ったが実際食うのは惜しい気がした。ターナーがある晩餐(ばんさん)の席で、皿に盛もるサラドを見詰めながら、涼しい色だ、これがわしの用いる色だと傍(かたわら)の人に話したと云う逸事をある書物で読んだ事があるが、この海老と蕨(わらび)の色をちょっとターナーに見せてやりたい。いったい西洋の食物で色のいいものは一つもない。あればサラドと赤大根ぐらいなものだ。滋養の点から云ったらどうか知らんが、画家から見るとすこぶる発達せん料理である。そこへ行くと日本の献立(こんだて)は、吸物(すいもの)でも、口取でも、刺身さしみでも物奇麗(ものぎれい)に出来る。会席膳(かいせきぜん)を前へ置いて、一箸(ひとはし)も着けずに、眺めたまま帰っても、目の保養から云えば、御茶屋へ上がった甲斐かいは充分ある。

夏目漱石(1867~1916)が文部省からの派遣で英語教育法研究のためロンドンに留学していたのは、20世紀前後の1900年から1902年にかけてである。

漱石は、画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)とは同時代ではない。漱石の時代には、すでに風景画家としてのターナーの評価が定まっていたようだ。

「ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず」と漱石が書いているが、これは上掲の Rain Steam and Speed the Great Western Railway を指している。ターナー晩年の1844年の作品で、この絵についても映画にシーンがある。

漱石が好んだのは、留学時代と同時代であった、英国世紀末のラファエル前派のほうである。




<ブログ内関連記事>

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である
・・ターナーの生きた時代は、大英帝国が最盛期を迎えたヴィクトリア女王の時代である

書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)-まさに内容と器が合致した希有な美術展
・・ターナー後の英国美術。漱石が好んだのはラファエル前派




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2015年3月29日日曜日

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)-フランス印象派の名作を一挙に公開。そしてルドンの傑作も!

(ルノワールの作品 ミュージアムショップで購入したマグネット)

先週のことだが、『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)。5月24日まで東京・丸の内で開催されている。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー(National Gallery of Art)とは、アメリカ合衆国の首都ワシントンにある国立美術館である。だが、所蔵品の大半は民間からの寄贈によるものだという。残念ながらこの美術館はいったことがなかったので、所蔵品をみるのは今回が初めてだ。

日本人好みの印象派だが、アメリカ人でも好きな人はいるということだ。今回の出品の大半は、美術館の創設者でメロン財閥の総帥アンドリュー・メロンの長女エイルサの個人趣味で収集された作品の数々。
  
美術展のポスターにも使用されているルノワールの「猫を抱いた女性」が端的にそうだが、"Intimate Impressionism" (親密な印象派) そのものである。「私の印象派」というのは、コレクターであったエイルサ・メロンにとってのものであり、美術展の個々の鑑賞者にとってもそうだろう。

ルノワール、マネ、モネ、ドガ、セザンヌ、ボナール・・・。フランス印象派を代表する画家はすべて網羅されている。しかも日本初公開の作品も多々ある。

わたしも日本人なので、日本美術の大きな影響を受けたフランス印象派は基本的には好きだが、あえて美術館にまで足を運ぶ気にはなかなかならない。印象派は日本ではあまりにもポピュラーになってしまっているからだ。今回は、地方から上京した美術好きの友人を案内しての鑑賞であった。
  
といいうわけではないが、今回の展示でもっとも素晴らしいと思ったのは、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの所蔵品ではなく、三菱一号館所蔵のルドンの一枚。「グラン・ブーケ」(大きな花束)

(ルドンの「グラン・ブーケ」)

世紀末美術の代表的画家であるオディロン・ルドン、とくに後期ルドンの傑作の一つといっていいだろう。わたしは後期ルドンの大ファンなのだ。今回の展示では照明も工夫されており必見だ。

こんな機会だからこそ、所蔵品のなかでも指折りの名作として展示したのであろう。印象派なんていまさらと思う人も、このルドンの傑作をみるためにだけでも、この美術展に足を運ぶ価値はあると思った次第。






<関連サイト>

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)
・・2015年5月24日まで


<ブログ内関連記事>

「ザ・ビューティフル 英国の唯美主義1860~1900」(三菱一号館美術館)に行ってきた(2014年4月15日)-まさに内容と器が合致した希有な美術展

「カンディンスキーと青騎士」展(三菱一号館美術館) にいってきた(2010年12月) ・・三菱一号館美術館については、この記事を参照いただきたく。「フランス印象派」と対(つい)になるのが「ドイツ表現派」

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない! ・・これもまた三菱財閥のもの

書評 『岩崎彌太郎- 「会社」の創造-』(伊井直行、 講談社現代新書、2010)-"近代人"岩崎彌太郎がひそかに人知れず「会社」において実行した"精神革命" ・・三菱財閥の生みの親

満80歳を迎える強運の持ち主 「氷川丸」 (横浜・山下公園)にあやかりたい! ・・日本郵船の客船であった氷川丸は1930年に建造





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