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2021年1月12日火曜日

書評『内モンゴル紛争 ー 危機の民族地政学』(楊海英、ちくま新書、2021) ー日本と日本人は「旧宗主国」の責任を回避するな!



出版されたばかりの『内モンゴル紛争-危機の民族地政学』(楊海英、ちくま新書、2021)を読む。この本は、ぜひ読んでほしい本だ。なぜなら、「内モンゴル問題」の解決のためには、日本人がキチンと自国の歴史に向きあう必要があるからだ。 

「内モンゴル」は正式には「南モンゴル」である。現在は中国内にある。「外モンゴル」(=「北モンゴル」)は現在のモンゴル国。旧ソ連の衛星国となったが、かろうじて独立を維持することができた。

日本の相撲界で活躍するモンゴル人力士たちのほとんどは、北モンゴルであるモンゴル国出身者だ。 モンゴル人もまた「分断国家」なのである。南北で分断されているのである。この事実はきわめて重大だ。

満洲国の版図内にあった内モンゴル(=内蒙古)は、日本が無条件降伏する前に大国間の勝手な取り決めによって中国のものとなってしまったのだ。中国共産党の圧制下で少数民族として苦しんでいるのは、チベット人やウイグル人、そして香港人だけではない。 

昨年2020年、その内モンゴルで発生した抗議運動は、中国共産党がモンゴル人の母語であるモンゴル語を奪う政策を実行に移し始めたからだ。教育言語からモンゴル語を排除し、中国語に一本化するという政策は、チベットやウイグルでも実行されている。母語は民族を民族たらしめている、もっとも重要な要素だ。それを奪い取る中国の政策は、民族抹殺政策にほかならない。

内モンゴルのオルドス出身の著者(モンゴル名は、オーノス・チョクトという)によれば、現在、日本に暮らしているモンゴル人は、1万4千人もいるのだという。しかも、モンゴル国、内モンゴル自治区(中国)、ブリヤート共和国とカルムイク共和国(ともにロシア連邦)についで多いのだという。なぜなら、満洲国時代に日本の統治下にあった内モンゴルにとって、日本は旧宗主国だから当然なのだ、と。 

本書は、昨年2020年に顕在化して全世界の注目を浴びることになった「内モンゴル紛争」を理解するために、モンゴルをユーラシア全体の位置づけて、その地理と歴史について簡潔だが、事実に裏打ちされた情報を伝えてくれる本だ。

著者は、この立場を「民族地政学」としている。地政学に民族というファクターを加えて、問題の構造を立体的に理解するためのフレームワークとして使っている。 

日本人に向けてのメッセージは、「日本は宗主国として関与せよ」というものだ。「日本と日本人は旧宗主国の責任を回避するな」と言い換えてもいだろう。中国共産党に忖度することなく、言うべきことを主張し、この問題に関与することは旧宗主国としての責務なのである。 

日本人なら、すくなくとも事実関係だけでも知っておく必要がある。だからこそ、ぜひこの本は読んでほしいのだ。 




目 次
プロローグ 
第1章 民族地政学 
第2章 分断政治の人生 
第3章 諸民族と中国の紛争 
第4章 言語の民族問題 
第5章 民族の国際問題 
第6章 中央ユーラシア民族地政学の現在 
第7章 日本の幻想 
エピローグ 


著者プロフィール
楊海英(よう・かいえい)
1964年南モンゴル・オルドス高原生まれ。静岡大学人文社会科学部教授。北京第二外国語学院大学日本語学科卒業。専攻は文化人類学。博士(文学)。著書『墓標なき草原-内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店・司馬遼太郎賞受賞)など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2015年8月12日水曜日

映画 『ルンタ』(日本、2015)を見てきた(2015年8月7日)-チベットで増え続ける「焼身」という抗議行動が真に意味するものとは

(上部はルンタ、下部は「焼身」者たちの写真に祈る若い僧侶)

映画 『ルンタ』(日本、2015)を東京・青山のイメージフォーラムで見てきた。チベットで増え続けている「焼身」という抗議行動についてのドキュメンタリー映画だ。この映画が製作された時点で、すでに焼身したチベット人は127人(!)となっているのだという。

チベット民族の迫害については、欧米社会を中心に、日本でもある程度まで知られている。だが、情報は断片的にしか入ってこないので、なかなか全体像がつかめないのが現状だ。この111分のドキュメンタリー映画は、「焼身」という抗議行動そのものに深く迫っている

登場するのは、「ダライラマの建築家」と呼ばれる日本人建築家・中原一博氏。チベットの状況についてブログで発信し続けている人である。インドのダラムサラにあるチベット亡命政府関連の建築物の設計を担っている人だ。ダラムサラ在住でチベット語に堪能な中原氏が、「焼身」について語り、そして中国国内のチベット人在住地域の「焼身」現場を歩き、考える。

チベット人にとって、切って切れないチベット語とチベット仏教の関係民族を民族たらしめているものが、まずなによりも母語であること、そしてチベット語によって伝えられてきたチベット仏教の伝統を、世代をつうじて保持していくことの重要性については、少数民族として迫害されているわけではない日本人にはなかなか想像つかないかもしれない。

チベット民族から母語を奪い、仏教によって培われた民族の独自性を奪う、中国共産党による「エスニック・クレンジング」(=民族浄化)への抗議が、自己犠牲による「焼身」という形で行われているのだ。だが、なぜ「焼身」という形で抗議行動が行われるのか? 誰もが疑問に思うはずだ。

それはチベット人が仏教の教えを深いレベルで実践しているからなのだ。自らの身体を燃やしてしまうという「焼身」。これは単なる抗議行動というよりも、もっと深い意味がある。自らの肉体に火をつけて、自らを灯明(とうみょう)として世の中を照らすという行動なのだ。


人を傷つけることなく、自らを犠牲にすることによって覚醒を促す行動。これはチベット人だけに見られる行動ではないが、127人もの「焼身」者は尋常ではない。しかも報道されているような僧侶だけでなく、一般人もすくなくないのであり、男女を問わず若い世代が多いのだという事実に衝撃を受けるのは、わたしだけではあるまい。

中原氏は、「焼身」者のパーソナルヒストリーにも迫っている。このことによって、等身大のチベット人の若者たちの苦悩と決断を、映画を見ている者にも伝わってくる。

タイトルになっている「ルンタ」とは、チベット語で「風の馬」という意味だ。カラフルな布に印刷された「風の馬」の絵柄と経文は、チベット人の願いを乗せて強い風にはためいている。チベット人居住地域ではよく目にする光景だ。

これ以上の「焼身」者が増えることなく、一日も早くチベット民族の苦難が終る日を願う。その願いをルンタに乗せて、日本人だけでなく、世界中の人にぜひ見てほしいとつよく思う。




PS この映画にも登場する建築家・中原一博氏がブログで発信してきた内容が『チベットの焼身抗議 (太陽を取り戻すために)』として 2015年10月に出版された。(2015年12月11日 記す)





<関連サイト>

映画 『ルンタ』(公式サイト)

チベットNOW@ルンタ ダラムサラ通信 by中原一博







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映画 『ダライ・ラマ14世』(2014年、日本)を見てきた(2015年6月18日)-日本人が製作したドキュメンタリー映画でダライラマの素顔を知る
・・おなじく日本人が作成したチベット関連映画。これも必見!

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜)にいってきた
・・「ダライラマ・スーパーLIVE横浜」(2010年6月26日)とでもいうべき一期一会

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)

書評 『こころを学ぶ-ダライ・ラマ法王 仏教者と科学者の対話-』(ダライ・ラマ法王他、講談社、2013)-日本の科学者たちとの対話で学ぶ仏教と科学

書評 『世界を動かす聖者たち-グローバル時代のカリスマ-』(井田克征、平凡社新書、2014)-現代インドを中心とする南アジアの「聖者」たちに「宗教復興」の具体的な姿を読み取る
・・第3章でダライラマ14世が取り上げられている

「チベット蜂起」 から 52年目にあたる本日(2011年3月10日)、ダライラマは政治代表から引退を表明。この意味について考えてみる

「チベット・フェスティバル・トウキョウ 2013」(大本山 護国寺)にいってきた(2013年5月4日)

チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009
・・ 「チベット密教僧による「チャム」牛と鹿の舞」と題して、YouTube にビデオ映像をアップしてある。ご覧あれ http://www.youtube.com/watch?v=jGr4KCv7sAA




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2015年6月19日金曜日

映画 『ダライ・ラマ14世』(日本、2014)を見てきた(2015年6月18日)-日本人が製作したドキュメンタリー映画でダライラマの素顔を知る


ドキュメンタリー映画 『ダライ・ラマ14世』を、東京・渋谷のユーロスペースで見てきた。

ダライラマについては熟知している人はもちろん、ダライラマは名前は知っていても詳しくは知らないという人も、ぜひ見てほしい映画だ。


日本人に見せた素顔のダライラマ

このドキュメンタリー映画は、日本人が製作したものだ。日本だけでなく、欧米社会を中心に信奉者の多いダライラマだが、日本人が描くダライラマはすこし違うかもしれない。

仏教徒ではなくても「非暴力」のスピリチュアル・リーダー(=精神的指導者)として、欧米社会で礼賛されているダライラマ。熱心さの度合いはさておき、いちおう仏教徒が大半の日本社会におけるダライラマ。当然のことながら、受け止められ方が異なるのは、ふしぎでもなんでもない。もちろん、ダライラマ自身も、日本と日本人との接し方には、無意識レベルでの違いがあるはずだ。

この映画が面白いのは、ごくごくフツーの日本人が抱いている、ごくごく素朴な疑問を遠慮なくぶつけてみるという姿勢である。東大生のようなインテリ候補生もいるが、それ以外のストリートにいる若者たち、おじさんやおばさんなど、それぞれの立場からの質問の内容が面白い。

これらの質問に対して、ダライラマは真摯に真っ正面から答えることもあれば、冗談交じりで笑いを誘ったり、あるいはじつにそっけなくはぐらかしてしまうこともある。いつものことながら、この態度こそダライラマ14世の人気の源でもあるかもしれないと思う。

カリスマらしくないカリスマ。答えを押しつけず、問いを建てる者みずからに考えさせるよう誘導する姿勢。まさに人生の教師としての仏教者のあるべき姿ではないか!


このドキュメンタリー映画は、日本人写真家の親子が、6年にわたって日本やチベットやインドなどで写真と動画で追ってきたダライラマの素顔を見せてくれる。

わたし自身も訪れたことのあるインド北部のチベット人居住地域ラダックの荒涼とした風景も懐かしい。いまだ訪れたことのない、亡命政府のあるダラムサラにおける子どもたちも興味深い。そして、南インドのチベット仏教寺院での問答修業。チベット本国では不可能となったチベット仏教の本格的な修行がそこでは行われているのである。


迫害を受ける同胞のチベット民族へのメッセージ

印象的なシーンがいくつもあった。もっとも感動的で、ふだん見ることのないダライラマの素顔がかいまみることができたのが、日本で勉強しているチベット人留学生たちを激励するシーンである。

講演やインタビューでは英語でしゃべることの多いダライラマだが、滞在先の日本のホテルのロビーでダライラマを歓迎するチベット人留学生の一人一人に、母語(!)のチベット語で激励のコトバをかけるダライラマ。迫害を受ける少数民族が、厳しい環境のなかをサバイバルするためには、母語の維持と教育がなによりも大事なことをみずからが示しているのである。

チベット人にとって、切って切れないチベット語とチベット仏教の関係。民族を民族たらしめているものが、まずなによりも母語であること、そしてチベット語によって伝えられてきたチベット仏教の伝統を、世代をつうじて保持していくことの重要性を強調されているのだ。

これは、欧米社会にむけてのメッセージとは質的にまったく異なるものである。チベットの政治上のリーダーを公式に引退し、あくまでも精神的なリーダーとしてみずからを位置づけているダライラマは、みずからの責務として、チベット民族が生き残るための言語と文化の重要性を深く認識されているのであろう。

ダライラマは世界の精神的指導者であるが、なによりもチベット民族への強い同胞意識の持ち主なのである。


日本の若者たちへのメッセージ

閉塞感を訴える日本の若者たちへのメッセージもある。

「英語を勉強して、外の世界を見よ!」というメッセージは、亡命を余儀なくされ、国際社会に向けて「非暴力」のメッセージを発信しつづけてきいたダライラマだからこそ説得力がある。すでに80歳になりながら、いまなお世界中を飛び回って「非暴力」を説くダライラマ14世。

この映画を見終わる頃には、仏教が説く「非暴力」が、きわめて強い意志に支えられてはじめて実現可能であることを認識することになろう。暴力に対して暴力をもって対したのでは、一時的な解決にはなっても最終的な解決にはならないのだ。

どこにでもいるお坊さんのようなダライラマ14世。すべての人に、すべての生きとし生けるものに、慈悲のまなざしで、同じ目線で接することのできる人

ほんとにすごい人とは、そういう人なのだ。あらためて、強くそう思う。




<関連サイト>

ドキュメンタリー映画 『ダライ・ラマ14世』 公式サイト 

監督:光石富士朗
出演:ダライ・ラマ法王14世
2014年/日本/カラー/116分
配給=ブエノス・フィルム

ドキュメンタリー映画 『ダライ・ラマ14世』 予告編

ドキュメンタリー映画 『ダライ・ラマ14世』 | Facebook




ウイグル語ネイティブが中国語を使って英語を学ぶ?! 新疆で進む中国語教育の実態 The Economist (日経ビジネスオンライン、2015年7月3日)
・・「母語」が奪われつつあるのはチベットだけではない!






<ブログ内関連記事>

ダライ・ラマ14世関連

「ダライ・ラマ法王来日」(His Holiness the Dalai Lama's Public Teaching & Talk :パシフィコ横浜)にいってきた
・・「ダライラマ・スーパーLIVE横浜」(2010年6月26日)とでもいうべき一期一会

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)

書評 『こころを学ぶ-ダライ・ラマ法王 仏教者と科学者の対話-』(ダライ・ラマ法王他、講談社、2013)-日本の科学者たちとの対話で学ぶ仏教と科学

書評 『世界を動かす聖者たち-グローバル時代のカリスマ-』(井田克征、平凡社新書、2014)-現代インドを中心とする南アジアの「聖者」たちに「宗教復興」の具体的な姿を読み取る
・・第3章でダライラマ14世が取り上げられている


チベット民族とチベット仏教

映画 『ルンタ』(日本、2015)を見てきた(2015年8月7日)-チベットで増え続ける「焼身」という抗議行動が真に意味するものとは

「チベット蜂起」 から 52年目にあたる本日(2011年3月10日)、ダライラマは政治代表から引退を表明。この意味について考えてみる

「チベット・フェスティバル・トウキョウ 2013」(大本山 護国寺)にいってきた(2013年5月4日)

チベット・スピリチュアル・フェスティバル 2009
・・ 「チベット密教僧による「チャム」牛と鹿の舞」と題して、YouTube にビデオ映像をアップしてある。ご覧あれ http://www.youtube.com/watch?v=jGr4KCv7sAA

(2015年6月28日、9月3日 情報追加)




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2014年7月16日水曜日

NHK連続ドラマ小説 『花子とアン』 のモデル村岡花子もまた「英語で身を立てた女性」のロールモデル



NHK連続ドラマ小説(通称「朝ドラ」)は、いま『花子とアン』。

『赤毛のアン』を日本語に翻訳した村岡花子の生涯を描いたもの。「戦争」を挟んで「戦前」と「戦後」を生きた女性を主人公にするという基本路線はしっかりと守ってます。

NHKの最近のテーマは「女性と英語」かな。「英語で身を立てた女性」たちのロールモデルの紹介。

昨年(2013年度))の大河ドラマ『八重の桜』には、日本の女子留学生第一号の大山捨待と津田梅子が登場してましたが、津田梅子はいうまでもなく津田塾の創立者。英語で身を立てる道を日本女性に開拓した先駆者ですね。

村岡花子はミッションスクール東洋英和の出身。山梨県はカナダ・メソジスト教会が宣教が行ったなので、いちはやくキリスト教の洗礼を受けた静岡出身の父親の人的なつながりからカナダ・メソジスト教会が創立したミッションスクールに入学。それが東洋英和であったということです。

津田梅子のアメリカに対して村岡花子はカナダですが、「女性と英語と「英語で身を立てた女性」というテーマは、文部科学省の方針とも合致していると言うことでしょうか。

「英語・アメリカ・キリスト教」というと語呂がいいのですが、「英語・カナダ・キリスト教」もまた近代日本の西欧近代化において無視できない影響を与えてきたということでしょう。『赤毛のアン』の日本語訳をつうじて、直接また間接的にきわめて多くの日本人女性たちに影響を与えてきたわけですから。

ドラマも後半に入ってから、原案となった『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を読んでみました。孫娘にあたる村岡恵理氏による、丹念に事実関係を跡づけた労作です。




この本を読むと、村岡花子という人はドラマ以上に波瀾万丈の人生を送った人であることがわかります。同時にドラマは事実そのものではなく、かなり脚色されていることもわかります。

数多くの出会いに恵まれた村岡花子の生涯は、その恵まれた機会において、多大な努力を行い、その才能を世のため人のために活かし、自分がやるべきことをやった人生だといえることです。

津田梅子はアメリカで11年間にわたって英語漬けの少女時代を送ってますが、村岡花子は日本国内でカナダ系のミッションスクールで10年間にわたって英語漬けの生活を送っています。この時代に村岡花子ほど英文学を英語で読み込んだ人は、それほど多くはないのではないでしょうか。

とはいえ、ミッションスクールの授業も午前中は日本語によるもので、午後は英語によるものであったようです。とくに寄宿生は、朝から晩まで規則正しい生活を送るだけでなく、休日にはキリスト教の勉強や社会奉仕もあったようです。

「日本語学」では、国語、漢文、数学、理科、日本史、日本地理、習字、裁縫といった授業を日本人教師から受け、午後の「英語学」では聖書、リーダー、英文法、英作文、英文読解、英会話、英文学、世界史、世界地理といった授業を婦人宣教師から英語で受けた。(P.51)  

最近、日本でも国際バカロレア(IB)がトレンドとなりつつありますが、どの科目を英語で、どの科目をローカル言語である日本語で行うかについての参考になるかもしれません。英語だけではだめなのです。アイデンティティの根幹となる日本語が大切なのです。

村岡花子の場合も、日本国内にいながらにして、英語の読み書きや会話には不自由しなくなっても、日本文学の素養がかけていることを痛感した、ということが重要です。ミッションスクールで「腹心の友」となった柳原白蓮から紹介してもらい、歌人の佐佐木信綱のもとで和歌の勉強もしていることは特筆すべきことでしょう。『アンのゆりかご』には村岡花子の和歌も多数収録されています。

すぐれた翻訳者の条件とは、外国語に堪能だけでなく、母語である日本語にも堪能であることが求められることを示しているわけです。最初から翻訳家として生きるつもりはなかったようですが、『赤毛のアン』が現在も読み継がれてきたのは、村岡花子の英語力だけではなく日本語表現力があずかって大きいことを示しているのでしょう。

村岡花子の生涯をドラマ化したことは、近代日本における英語とキリスト教の意味について考える点においても意味のあることだといえるでしょう。できればドラマだけであく、原案となった『アンのゆりかご』も読んでみることをおすすめします。


画像をクリック!


著者プロフィール

村岡恵理(むらおか・えり)
1967(昭和42)年生れ。成城大学文芸学部卒業。祖母・村岡花子の著作物や蔵書、資料を、翻訳家の姉・村岡美枝と共に保存し、1991年より、その書斎を「赤毛のアン記念館・村岡河子文庫」として、愛読者や研究者に公開している(不定期・予約制)。また『赤毛のアン』の著者、L.M.モンゴメリの子孫やプリンス・エドワード島州政府と交流を続け、日本とカナダの友好関係促進につとめる。東日本大震災で保護者を亡くした子どもたちの支援を目的とした「赤毛のアン募金」の運営に参加している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



ドラマの影響で村岡花子の「腹心の友」であった柳原白蓮に対する関心が急上昇中だという。文藝春秋社もこの機会に装幀をあらたなものに変更して、文春文庫版の『恋の華・白蓮事件』の重版に踏み切ったようだ。電子書籍版もあるとのこと。ご参考まで (2014年8月6日 記す)



<関連サイト>

NHK連続ドラマ小説『花子とアン』 公式サイト


(村岡花子が働いていたキリスト教系の出版社・教文館の書店部にて)


(「村岡花子と教文館」展 教文館の3階はキリスト教関連書のフロア)


<参考> 山梨県におけるカナダ・メソジスト教会の宣教

『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、 ぜひ復刊を望みたい基本書
・・山梨県におけるキリスト教の布教については以下の目次を参照

4. 日下部メソジスト教会 (・・カナダ・メソジスト教会系、勝沼方面)
  日下部教会への関心/教線勝沼方面に伸びる
  指導的信徒像/日下部教会の成立
  教勢伸張の背景/東方区の分割
  小野と自給独立/自給問題の背景
  自給への歩み/信徒の苦心
  自給の達成/自給達成への契機
  勝沼教会との比較/教勢の発展

  組合を足場として/禁酒運動との結合
  禁酒運動と地域社会/西保村の禁酒運動
  各地の禁酒運動


明治維新後に将軍家は静岡に移封され、その地に招聘された教師としての宣教師が伝えたキリスト教が支えを失った旧武士階級に受け入れられ、洗礼を受けた日本人信者が宣教師となって静岡から山梨方面へ伝道を行った。その結果、カナダメソジスト教会は、静岡・山梨。東京のトライアングルが形成されることになった。東洋英和の系列校はこのトライアングル上にあるのはそのためである。

書評 『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992)-静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち を参照されたい。



<関連サイト>

港区の東洋英和女学院 : ヴォーリズを訪ねて
・・東洋英和の建物は1933年にヴォーリズが設計

(港区の東洋英和の本部 筆者撮影)


<ブログ内関連記事>

書評 『恋の華・白蓮事件』(永畑道子、文春文庫、1990 単行本初版 1982)-大正時代を代表する事件の一つ「白蓮事件」の主人公・柳原白蓮を描いたノンフィクション作品
・・東洋英和の同窓生で村岡花子と「腹心の友」となった白蓮もまた波瀾万丈の人生を送った人

マンガ 『はいからさんが通る』(大和和紀、講談社、1975~1977年)を一気読み
・・大正ロマン! ただしモデルの跡見女学園はミッショスクールではない。『花子とアン』は明治時代末期のカナダ系ミッションスクール東洋英和

映画 「百合子、ダスヴィダーニヤ」(ユーロスペース)をみてきた-ロシア文学者・湯浅芳子という生き方
・・大正時代はまたロシア革命の時代でもあった

書評 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)-「芸能界」と「霊能界」、そして法華経
・・NHKテレビ小説(通称朝ドラ)『花子とアン』(2014年度上半期)でナレーションを担当しているのが美輪明宏


日本の「近代化」とキリスト教

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・「英語・アメリカ・キリスト教」の三位一体

NHK大河ドラマ 『八重の桜』もついに最終回-「戦前・戦中・戦後」にまたがる女性の生涯を戊辰戦争を軸に描いたこのドラマは「朝ドラ」と同じ構造だ
・・「西洋化(=欧化)とキリスト教(・・とくにアメリカのプロテスタンティズム)については、非常に重要なテーマであり、同志社大学の建学にからめて大河ドラマで取り上げたという意義はきわめて大きいというべきでしょう。これもまた多くの日本人はふだんほとんど意識することがないテーマだからです。

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・キリスト教伝道のため来日し日本に帰化したヴォーリズ。東洋英和の建築もヴォーリズが設計

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点でつらなる人脈のひとつの中心は新渡戸稲造は盛岡藩士の息子

映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた-日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念
・・原作本の主人公の河井道(かわい・みち)という女性は、『BUSHIDO』の著者で教育家の新渡戸稲造の薫陶を受けた日本人キリスト教徒。恵泉女学園を創設した教育家


ラジオの時代

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!
・・「ラジオのおばさん」と呼ばれていた村岡花子の時代、教養番組には仏教系の修養を内容とするものもあった

NHKの連続テレビ小説 『カーネーション』が面白い-商売のなんたるかを終えてくれる番組だ

(2014年8月19日、9月24日 情報追加)


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2013年11月3日日曜日

映画『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと ― ひさびさに岩波ホールで映画を見た



映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を岩波ホールでみてきた。女性哲学者を描いた作品だが、シンプルなタイトルがじつにいい。

この映画は、政治哲学者ハンナ・アーレント(1906~1975)の生涯において、巨大な論争を引き起こした『イェルサレムのアイヒマン』(1963年出版)をめぐる一時期に焦点をあてて描いたものだ。

哲学者が主人公の映画というとそれだけで敬遠してしまうかもしれないが、この映画はヒューマン・ドラマとしても味わい深い。10月26日から東京・神保町の岩波ホールで公開されている。ひきつづき全国の映画館で上映される予定である。

構想から完成まで10年かかったというだけに、映画化するのも大変なことだった思う。その意味では、1963年前後に時代設定を行い、ニューヨーク在住の亡命ドイツ系ユダヤ人知識人たちの狭い世界に限定して描いたのは成功であったといえるだろう。

ハンナ・アーレントという哲学者は、その人生自体が、とくに前半生がじつに劇的であった。第二次大戦期に30歳代を過ごしただけでなく、ドイツでユダヤ人として生きるということがいかなる意味をもったことを知っていれば。


ハンナ・アーレントはドイツ北部ハノファー近郊で生まれた。世俗的なユダヤ人家庭に育った一人娘で、若い頃から聡明で哲学に多大な興味を示していた。18歳で入学したマールブルク大学で出会った哲学者マルティン・ハイデガーからその才能を愛された師弟関係は愛人関係に発展するのだが、これはフラッシュバック的なシーンとして映画の中にも何度か登場する。

この不倫関係は両者の死後明らかになってスキャンダラスな事件として報道されたのだが、アーレントと関係のあったまさにその時期こそ、ハイデッガーは未完成に終わった主著『存在と時間』にかんする思索と執筆のピークを迎えていたのである。創作意欲とはまさに生きるチカラと密接な関係にあることを示したエピソードである。

フライブツク大学総長となったハイデガーが1933年にナチス党に入党(!)したため、ユダヤ人のアーレントはハイデガーとの交友を断っている。しかし戦争をはさんだ17年後、1950年にドイツで再会し交友関係は復活させている。

ナチスにかかわった男とユダヤ人女性という関係は、なんだかイタリアの女性映画監督リリアーナ・カヴァーニによる『愛の嵐』(The Night Porter 1973年)の設定を思い出してしまうのだが、倒錯的なものはではないとはいえ、人間関係、とくに男女関係が一筋縄ではいかないものがあると言わねばなるまい。




ナチスによる政権奪取後、アーレントは秘密警察のゲシュタポに逮捕されるがまもなく出獄、そのままパスポートのないままパリに脱出し、以後アメリカで市民権を獲得するまでの18年のあいだ「無国籍」のまま生きることになる。

その後、ユダヤ人の故郷をパレスチナに建設するというシオニズム運動にもかかわり、1940年にはフランスで収容所に抑留されるが、これもまたうまく脱出し、翌年にはアメリカに渡航してニューヨークに落ち着くことにった。まさに間一髪の連続である。

映画では前半生はほとんど描かれないが、アーレント自身がユダヤ人として「過酷な時代」を生き抜いた人であったことはアタマのなかに入れておきたい。彼女の政治哲学は、そうした過酷な前半生が前提にありながらも個人的な体験そのものは語らないというスタイルに貫かれている。

だからこの映画で主要テーマとなる『イェルサレムノアイヒマン』においても、アイヒマンという「凡庸な人物」がなぜ「ユダヤ人虐殺という絶対悪」にかかわっていたのかという一点に集中して解明が行われることになる。それが「悪の陳腐(凡庸)さ」(the banality of evil)というアーレントの有名なフレーズとして結晶することになる。

絶滅収容所で虐殺された「被害者」の立場に立つ大多数のユダヤ人からは、裏切り者だという轟々たる非難を浴び続けることになっても、アーレントは見解を変えることも妥協することもいっさいなかった。たとえ長年の親友たちから絶交を言い渡されても。

そういう勇気ある発言を行ったアーレントがいかに危機的状況を乗り切ったのか、その時期をヒューマン・ドラマとして描いた映画でもある。



<関連サイト>

映画『ハンナ・アーレント』 公式サイト





ユダヤ人虐殺後も変わることのないドイツ系ユダヤ人のドイツ語へのこだわり

この映画の監督であるマルガレーテ・フォン・トロッタ(Margarethe von Trotta)は、いわゆる「ニュー・ジャーマン・シネマ」の旗手の一人。とくに知的女性を主人公にしたヒューマン・ドラマを数多く製作してきた。

わたしはマルガレーテ・フォン・トロッタ監督の作品は、『ローザ・ルクセンブルク』(1986年)はビデオで、チェーホフ原作のイタリア映画『三人姉妹』(1988年)は岩波ホールで、『ローゼンシュトラッセ』(2003年)はDVDですでに見ている。

ローザ・ルクセンブルクはマルクス主義の理論家として、かつては日本でもよく読まれた人だが、映画では社会正義のために奮闘する女性として描かれている。第一次大戦敗戦後のドイツにおける「スパルタクス団」の反乱に参加し虐殺されている。

ハンナ・アーレントは、その精神においてローザ・ルクセンブルクにつながる人だが、ローザもまたドイツ語で著作活動を行ったポーランド出身のユダヤ人である。

『ローゼンシュトラッセ』では、ユダヤ人男性と結婚した貴族出身の非ユダヤ系ドイツ人女性の苦難を描いた作品。

主人公の非ユダヤ系ドイツ人女性に助けられたユダヤ人少女は、戦後ドイツからニューヨークに移住することになるのだが、アメリカ社会に生きながら、ドイツ語にこだわって生きてきたことが映画で描かれる。

アーレントの二番目の夫は非ユダヤ人であり、『ハンナ・アーレント』と『ローゼンシュトラッセ』では設定が正反対になるが、夫婦ともにドイツ出身であり、アメリカ人としゃべるときは英語だが、夫婦間や親しい友人たちとはドイツ語でしゃべる。

アーレントはアメリカに移住後は英語で著作活動を行っているが、英語を身につけたのはアメリカに移住後の36歳からであり、『イェルサレムのアイヒマン』を掲載する雑誌『ニューヨーカー』の編集部では、英文に誤りがあることが編集者から指摘されるシーンがある。

大学の授業でも一般学生を対象にした授業では英語で語るが、ドイツ文化専攻の週数の学生に対してはすべてドイツ語で講義を行っている。

アーレントにとっても、その他の亡命ドイツ系ユダヤ人についても同様、「母語としてのドイツ語」を捨て去ることはなかったようだ。

たとえナチスドイツによるユダヤ人虐殺を体験しながらも、ドイツ語を捨てなかったドイツ系ユダヤ人たち。ドイツ語はナチスのドイツ語でもあるが、ゲーテのドイツ語でもある。

「アイヒマン裁判」を傍聴するため渡航したエルサレムのシーンでも、旧友のドイツ出身の老シオニストとドイツ語で会話するシーンがある。隣のテーブルから話にわりこんできたドイツ出身の仕立屋が、父親が好んでゲーテのことばを引用したがるクセがあったと語るシーンもある。

人間にとって母語とはそういうものだ。そのなかで生まれ育った言語から切り離されることは、人生そのものが否定されるようなものなのだ。

その意味では、ドイツの女性監督がドイツ人女優を主人公にキャスティングして、セリフの一部を英語にするという設定に意味がある。英語を母語とするアメリカ人にドイツ語をしゃべらせたのではリアリティがなさすぎるからだ。

ラストに近いシーンでハンナ・アーレントが「悪の凡庸さ」について、なんと8分にもわたるスピーチを英語で行うのだが、ドイツ語なまりの英語で熱弁するアーレントがじつによく描かれていた。

イスラエルは建国後、ドイツやオーストリアなど中欧系ユダヤ人の母語であったドイツ語や、おなじく多数派であた東欧系ユダヤ人の母語であったイディッシュ語(・・ドイツ語に近い)でもなく、死語となっていたヘブライ語を復活させ国語とした。

この映画ではドイツ語、英語、ヘブライ語が飛び交うが、こうした言語状況について注意を払ってみるのも、ユダヤ民族が生きてきた現実を考えるうえで重要なことだ。

この点は日本語を固有の民族語とし、日本語と日本人を切っても切り離せないものとしてきた日本人とは大きく異なる点である。


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『イェルサレムのアイヒマン』(1963年)で「組織と個人」の問題を考える

『イェルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告-』(大久保和郎、みすず書房、1969)は、1980年代後半にわたしも読んでいる。

二段組みでびっちり詰まった小さな活字。正直いって読みとおすのには骨が折れたが、「個と組織」の問題について考えるにあたっては必読書というべきだ。




魂なき官僚制は官僚組織だけの問題ではない。アイヒマンもまたナチスという巨大官僚組織のなかで出世を願っていた一人の凡庸な一官吏に過ぎないのである。

チェコ生まれのユダヤ人でドイツ語で著作活動を行っていたフランツ・カフカには『審判』や『城』といった長編小説がある。いずれもカフカを想わせる Kというイニシャルの平凡な勤め人が主人公であるが、組織のなかで不条理に運命にもてあそばれ、つぶされていく姿が描かれている。

アイヒマンの場合は、たとえ組織の命令が不条理であろうとも、積極的に主体的にそのなかに身を投じたのがカフカの小説の主人公とは異なるが、組織なくしては個が生きることのできない現代社会の象徴のような存在だ。

『イェルサレムのアイヒマン』の出版が、ユダヤ人たちのあいだで轟々たる非難を呼び起こしたことはすでに記したが、ユダヤ人のなかにはアーレントを積極的に支持した人もいなかったわけではない。

たとえば精神分析家のブルーノ・ベッテルハイム(1903~1990)である。彼自身がダッハウ強制収容所、そしてブーヘンヴァルト強制収容所に送られたが、戦争勃発前の1939年に解放されるという体験の持ち主だが、アーレントの主張を全面的に支持した結果、これまた大きな非難を浴びることになった。

ベッテルハイムに対して投げつけられた「ユダヤ人によるユダヤ嫌い」であるという非難は、なんだか「自虐史観」を非難する日本人の存在を想起させるものがある。自意識過剰傾向のつよいユダヤ人と日本人が互いに似た存在でもあると思わされる。

『イェルサレムのアイヒマン』(1963年)が出版されたのは1963年、その後の1960年代という時代が「権威」を否定する一大ムーブメントが先進国のなかで巻き起こった時代であったことを考えれば、アーレントの主張が世の中に受け入れられていったのもある意味では当然ではないかと思う。

ドイツ映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』に描かれているのは、ナチス世代の親をもつ若者世代が「革命運動」にかかわった1960年代後半を描いた作品だが、ドイツに限らず、イタリアでも日本でも、フランスに端を発した「権威を否定する1968年以後」の社会は、すでにそれ以前の世界とは異なるものとなった。



社会心理学者ミルグラムによる「アイヒマン実験」

現在では「六次のへだたり」というネットワーク理論で知られているアメリカの社会心理学者スタンリー・ミルグラム(1933~1984)だが、かつては「アイヒマン実験」という通称で知られた「服従の心理的メカニズム」を解明した人として知られていた。

わたしはこの2つの理論が同じミルグラムによるものであることに、なかなかアタマのなかで結びつかなかったのだが、それはさておき「アイヒマン実験」が世界に与えたインパクトもきわめて大きなものがあったのである。

「アイヒマン実験」とは、閉鎖的な環境で権威者の指示に対して人間がどう振る舞うかについて行われた実験だが、具体的には被験者に対して電気ショックを与える命令が下されたときの反応をみたものである。

かなりショッキングな内容の実験であり、現在では倫理的な観点から実施することは禁止されているが、その結果のほうがさらにショッキングなものであった。

人間は、権威あるものによって命令されたとき、電気ショックにスイッチを押してしまうのである。それほど人間というものは、普段の環境では理性ではおかしいと思っている行為であっても、いとも簡単に実行してしまうのである、と。

「アイヒマン実験」」についてはじめて知ったのは、日本的経営論の権威であった津田眞澂教授の1980年代に出版された著書であったが(・・タイトルは忘れた)、「組織と個」について考察する文脈のなかであったと記憶している。

『服従の心理』(原題は Obedience to Authority : 権威への服従)という本は1974年に出版されている。「アイヒマン実験」そのものは「アイヒマン裁判」に触発されて行われたものだが、一般向けの書籍として出版されたのは、『イェルサレムのアイヒマン』出版後の11年後にあたる。




ミルグラムもまたユダヤ系であるが、アーレントとは28年と、約一世代違うので親子ほどの関係になる。ニューヨーク生まれなので、直接ヨーロッパで反ユダヤ主義を経験したわけではない。

『服従の心理』のなかでミルグラムは、『イェルサレムのアイヒマン』について以下のように書いている。山形浩生氏による新訳が河出書房から文庫化されているので、そこから引用しておこう。

実はこれは、ハンナ・アーレントの著書『イェルサレムのアイヒマン』に関連して提起された問題を想わせる。アーレントは、アイヒマンをサディスト的な化け物として描きだそうとする検察側の試みが根本的にまちがっていると述べた。アイヒマンはむしろ、机に向かって仕事をするだけの凡庸な官僚に近いも者だというのがその主張だ。・・(中略)・・
われわれ自身の実験で、何百人もの一般人が権威に従うのを目の当たりにして、わたしは「悪の陳腐さ」というアーレントの発想が、想像もつかないほど真実に近いと結論せざるを得ない。被害者に電撃を与えた一般人は、義務感--被験者としての自分の役目についての認識--に従ってそれを行っただけだ。ことさら攻撃的な性向のためにそうしたのではない。
おそらくこれが、われわれの研究の最も根本的な教訓だろう。・・(以下略)・・ (P.21)

新訳版には、ミルグラムの先生であったジェローム・ブラナーによる2004年版序文がついているが、ベトナム戦争だけでなく、つい最近のこととして、米軍兵士ったいがイラクの囚人たちに対して行った虐待について触れている。

「アイヒマン実験」に先だって公表されたアーレントの「悪の陳腐(凡庸)さ」という観点がいかに先駆的なものであったか人間の本質についての哲学者の考察の鋭さ、深さについてあらためて思わざるをえないのである。



「アイヒマン裁判」には日本から傍聴しにいった文芸評論家がいる

大学時代のことだが古本屋で『ナチズムとユダヤ人-アイヒマンの人間像-』(村松剛、角川文庫、1972)という本をみつけて読んだことがある(*注)。




村松剛はすでに亡くなっているが、文芸評論家で三島由紀夫とは親しく交友していたことでも知られる人。日本文学にかんする造詣の深い人であったが、一方では本書以後、ユダヤ人問題や中近東問題についても深い関心をもち、さまざまなノンフィクション作品を発表している。

『ナチズムとユダヤ人-アイヒマンの人間像-』は、初版は1962年の発行だという。まさに同時代としてリアルタイムで「アイヒマン裁判」を傍聴した記録である。

ユダヤ人に対してとくに敵意をもっていたわけでもないアイヒマンという人物。十分な学校教育も受けず、中流階級から転落したこの男は、社会的上昇を願って新興のナチス党という組織に入る。

ナチズムや反ユダヤ主義からではなく、あくまでも出世のためにユダヤ人問題にかかわることになったアイヒマン。

シオニズムの原典となったテオドール・ヘルツルの『ユダヤ問題』を読んで、そのナショナリズムに感激したアイヒマン。これがのちにシオニストと結んだ秘密協定の伏線ともなるのだが、個人的悪意からでもなく、主義主張からでもなく、ユダヤ人虐殺の責任者となったアイヒマンは、まさに組織の一歯車として働いたに過ぎない。

そのような内容が書かれている村松剛のこの報告書は、機会があればぜひ図書館で探してでも読んでほしいものだ。

(*注)村松剛の『ナチズムとユダヤ人』は、2018年11月に『新版 ナチズムとユダヤ人-アイヒマンの人間像』(角川新書)として復刊された。ぜひ一読することを勧めたい(2018年11月11日 第一次世界大戦終結から100年の日に記す)



終わりに-半世紀前の1960年代を振り返る

映画のなかでハンナ・アーレントはひっきりなしにタバコを吸っている。映画をみているときに、なんだかタバコの匂いが漂ってくるような感じがしたのは、岩波ホールが古い劇場だからだろう。

考えてみれば岩波ホールで映画をみるのは20年以上ぶりのようだ。改装も改築もされていない古い映画館には、過去に蓄積された匂いが染みついている。

現在ではヨーロッパですら禁煙エリアが拡大しているが、1960年当時のアメリカでも、授業中に講師がたばこを吸うことが許されていたというのは驚きだ。

おなじくユダヤ系のフランス人セルジュ・ゲンズブールもひっきりなしにタバコを吸っているが、1960年代という時代がそこに現れているようでもある。

半世紀を経て時代は根本的に変わったのだが、さて2010年代の現在、人間の本性は変わったといえるのかどうか。あらためて考えてみる必要がある。



<関連サイト>

映画『ハンナ・アーレント』 公式サイト

映画『ハンナ・アーレント』 Official facebook

民族としてのアイデンティティーとは、いったい何なのか---映画『ハンナ・アーレント』が内包する普遍的なテーマを考える(川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 現代ビジネス 2013年10月18日)

映画『ハンナ・アーレント』 どこがどう面白いのか 中高年が殺到!(週刊現代 2013年12月9日)




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(2014年4月25日、5月14日、7月9日 情報追加) 


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