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2013年12月21日土曜日

書評『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)― 日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー



『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)は、出版されてすぐに購入したが、それはタイトルに表現されたテーマがあまりにも好奇心を刺激するものだからだ。

著者のデビュー作である『新宗教と巨大建築』(講談社現代新書、2001)を読んでひじょうに感心していたこともある。通読したのは今回がはじめてである。

2007年の出版時にすぐに本書を購入したのは、当時の部下である若い人たちの結婚式に呼ばれてさまざまな形態の結婚式に参列者として経験するなかで、「結婚式教会」での結婚式にひじょうに違和感(!)を感じたからでもある。

ホテルの結婚式場に併設されたチャペルではなく、結婚式(・・というよりもウェディングとカタカナで書くべきだろう)だけを目的に建設された商業建築物である「結婚式教会」。ゴチック様式の建築物が都市部に出現してからすでにだいぶたつ。

結婚式教会で挙げられるウェディングはキリスト教の儀式で行われるが、それがじっさいにキリスト教にのっとったものかどうかは信者でなければわからないし、式をつかさどるのがニワカ牧師あるいはニセ牧師であるというのも常識だろう。だからといって、それが問題になったという話は聞いたことはない。


(千葉県柏市にある結婚式教会 筆者撮影)


本書には 2006年当時の調査データが引用されているが、数ある結婚式の形態のなかでもキリスト教結婚式を選択するカップルが圧倒的に多いようだ。

キリスト教信者が全人口の1%にも満たないのに、なぜ「結婚式教会」が好まれるのか?

その大きな理由は、ウェディングの主導権を握っているが女性であるということに求められるだろう。日本では消費社会をリードしているのは男性よりも女性である。

日本人女性がもつキリスト教の教会イメージとはゴチック様式であり、それは純白のウェディングドレスに似合う空間である。キリスト教の教義や信仰とは何の関係もない。日本人が抱く根強い西洋への憧れとファンタジーが、戦後大衆社会で実現されたのが「結婚式教会」でのウェディングということになるのだろう。ことし2013年に開業30年を迎えた東京ディズニーランドと同じなのだ。

ハリウッド映画や少女マンガに限らず、西洋式の教会でのウェディングのイメージはすでに日本人のアタマのなかに浸透し定着しているのである。「まぎれもない日本的なキリスト教の受容のかたち」(P.218)という著者の指摘にはおおいに納得する。

これはおなじく建築史家である井上章一氏が扱っている視点にも重なるものだ。教義や信仰ではなく、習俗としての「キリスト教的なもの」の日本人の受容にかんするケーススタディにもなっている。だが、著者の五十嵐氏は、建築そのものへの関心がより深いようだ

建築物には施主が存在することも見逃してはいけない。「結婚式教会」はなによりも商業建築である。そこに貫いているいのは商業性であり、ビジネス、投資、資本主義といった観点で考えなくてはいけないテーマでもある。

本場の教会建築とは異なり、日本の「結婚式教会」は安普請(やすぶしん)であり、流行遅れになれば取り壊されてしまう運命にあるものだ。日本ではスクラップ・アンド・ビルドが当たり前なので、その意味では著者もいうように「結婚式教会」はパチンコ屋となんら変わりはない

「結婚式教会」は、ホンモノとニセモノ、大衆社会におけるポピュリズムとキッチュなど、さまざまな文化論的なテーマを論ずる対象としても面白いが、「建築界でも歴史的な視野を通じた教会への興味は減っているように思われる。・・(中略)・・ 建築の分野においても教養の抑圧は薄れた」(P.142)という著者の指摘は、建築の専門家ではないわたしには興味深く思われる。

明治時代になってから、近代化=西洋化という枠組みののなかで西洋建築を徹底的に学んだ日本人は、西洋建築をその歴史性というコンテクストを離れて、商業建築物の一テーマとして設計し建設し、そして壊してゆく建築もまた流行現象のヒトこまに過ぎない。

さて、出版から6年たっている現在2013年の状況はどうなのだろうか。もうすこし編集にチカラを入れたほうがよかったのではないかと思うので、ぜひ本書の増補版ないしは改訂版を読みたいものである。


画像をクリック!


目 次

まえがき
第1章 結婚式教会とは何か
 先駆けはアメリカのウエディング・チャペル
 女性とメディアのための建築
 ウエディング・ドレスの舞台装置
第2章 祝祭のかたち-様式と比較
 西洋の建築様式について
 にっぽんのゴシックと古典主義
 結婚式神社は存在するのか
 本物の教会とフェイク教会
 教会史から考える
第3章 いざ、「聖地巡礼」
 名古屋の結婚式教会めぐり
 東京で増える教会のようなもの
 中国地方カテドラル紀行
第4章 建築家と教会
 城館と教会のキッチュ
 日本における教会の受容 ほか)
 建築家による結婚式教会
 ホテルのなかのチャペル
 なんちゃってポストモダン
第5章 起源から現在へ-結婚式の歴史と空間
 軽井沢という聖地
 長崎と単塔式教会
 母体としての互助会
 拡大するブライダル産業
 日本人と結婚観
あとがき
初出一覧

著者プロフィール

五十嵐太郎(いがらし・たろう)
建築史・建築批評家。1967年パリ生まれ。1990年、東京大学工学部建築学科卒業。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。東北大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

あこがれのチャペルウェディング特集(ゼクシィnet)



<補論> 冠婚葬祭におけるキリスト教的なるものの浸透について-葬儀においてもその傾向が現れてきている

おなじく建築史家だが現在では風俗史家になっている井上章一氏は、『霊柩車の誕生 増補新版』(朝日文庫、2013 初版は1984)の「文庫版あとがき」で以下のように述べている。

かつて隆盛を誇っていた「宮型」の霊柩車にとってかわって「洋風」の霊柩車が増えてきたことについて、「どうやら、葬送の風俗にもキリスト教のそれは、しのびこんでいるようである」と述べている。

明治時代にキリスト教が「解禁」されてからも、葬儀にかんしてはなかなかキリスト教式が認められなかった。明治17年まで葬儀は仏教式以外は認められていなかった(!)のである。それまでたびたびキリスト教式による「自葬」事件が起こっていた。NHK大河ドラマ『八重の桜』では新島襄の葬儀がキリスト教式に行われているのは、新島襄が死去したのが明治23年だからである。

『「唱歌」という奇跡 十二の物語-讃美歌と近代化の間で-』(安田寛、文春新書、2003)にも書かれているが、現在の告別式と仏教式の葬儀で音楽が演奏されることもあるが、これはキリスト教式の葬儀の影響だという。この動きを主導したのがキリスト教の聖歌の旋律をそのままつかった唱歌にあることは、讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された を参照されたい。

人生の通過儀礼のなかで、結婚がキリスト教式となり、葬送もまたキリスト教的なるものとなりつつあるという事実。これをどう読みとるか・・・。

意匠そのものに注目すれば、「宮型」の霊柩車も現在の「結婚式教会」も、ともにキッチュ以外のなにものでもない。その意味では、逆転現象がみられるといっていいのかもしれない。

冠婚葬祭レベルで「キリスト教なるもの」が浸透している日本であるが、洗礼を受けてキリスト教の信者となるということは、よほどの覚悟と思い切りがなければできないことだとみなされるわけである。

葬儀と先祖祭祀の関係については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、  ソフトバンク新書、2007)-宗教社会学者が分析した「テレビ霊能者」現象 に書いておいた。意匠がキリスト教的になったとしても、先祖祭祀という本質には影響はないのではないだろうか?

カトリック国フランスでもカトリックの位置づけは「家の宗教」であり、多くの人はそれほど熱心に信仰しているわけではなく、日本における仏教の位置づけと似ていると、浄土真宗の僧侶で宗教学者の大村英昭は『日本人の心の習慣-鎮めの文化論-』(大村英昭、NHKライブラリー、1997)のなかで述べていることが参考になるだろう。




<ブログ内関連記事>

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに
・・「結婚式教会」は、宣教する側の意図せざる「土着」という形での日本人によるキリスト教受容の一形態であることは、この本を読むと納得できるだろう。

「免疫系の比喩でいえば、キリスト教という異物に対する免疫反応は拒絶するか、取り込んで自分のものとしてしまうかの二つしかない。その意味では、キリスト教はもはや日本では増えることはないだろうが、多くの日本人は無意識のうちに取捨選択してキリスト教の要素をすでに何らかの形で取り込んでしまっているといってもよいかもしれない。しかも自分に都合のいい、「いいとこ取り」という形で。これは冒頭で言及した「キリスト教式結婚式」に端的にあらわれている。」

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・抜書きしておいた「日本におけるキリスト教の不振」にはぜひ目を通していただきたい。文化人類学者・泉靖一氏の見解に説得力がある

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観

書評 『なんでもわかるキリスト教大事典』(八木谷涼子、朝日文庫、2012 初版 2001)一家に一冊というよりぜひ手元に置いておきたい文庫版サイズのお値打ちレファレンス本
・・この本の著者は、キリスト教徒ではない「キリスト教オタク」。こんな人が日本にはいるのだ


「習俗化」したキリスト教

書評 『普通の家族がいちばん怖い-崩壊するお正月、暴走するクリスマス-』(岩村暢子、新潮文庫、2010 単行本初版 2007)-これが国際競争力を失い大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏だ
・・クリスマスは日本の習俗化したキリスト教の一つ。教義と信仰抜きのキリスト教的なもの

バレンタイン・デーに本の贈り物 『大正十五年のバレンタイン-日本でチョコレートをつくった V.F.モロゾフ物語-』(川又一英、PHP、1984)

ケルト起源のハロウィーン-いずれはクリスマスのように完全に 「日本化」 していくのだろうか?

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ


建築におけるキリスト教要素の日本化

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・「キリスト教が解禁されてから約125年、日本における仏教の衰退は生活習慣の洋風化を通じて、敗戦後は圧倒的なアメリカナイズ、とくに高度成長以降の前近代的要素の払拭を通じて、知らず知らずのうちに達成されたというべきであろう。ヴォーリズの洋風建築は先導役の一つとなったといえる」 「大丸心斎橋店」、東京ではお茶の水の「山の上ホテル」、「明治学院大学の礼拝堂」なを設計したヴォーリズは宣教師ではないが伝道を志して日本にやってきた人である

「聖徳記念絵画館」(東京・神宮外苑)にはじめていってみた(2013年9月12日)
・・「日本が洋風建築を受け入れたうえで、そのうえで日本の洋風建築を意図したとのことです。一言でいえば和風テイストの洋風建築となるのでしょうか。これ自体が明治時代の学習成果というべきでしょう」

(2014年8月22日 情報追加)


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2010年4月9日金曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直 (8) 僧院付属の孤児院で「ミャンマー式結婚式」に参列




 さて、いよいよメイン・イベントに参加しなければならない。ミャンマー式の結婚式に参列することになっているのだ。そのためにミャンマーに渡航することになったのだ。
 といっても私の結婚式ではない(笑)。私の友人の結婚式である。
 日本人女性とミャンマー人男性のカップルが、娘一人を連れてミャンマーの首都ヤンゴンで結婚式を行う、というわけだ。その日本人女性が私の友人である。

 「ミャンマー式結婚式」がどういうものかは、私は何の知識ももっていなかった。たぶん「タイ式」と同じようなものだろう、と。キンキラのカンムリなんかかぶって、男も「おてもやん」みたいな化粧する、というやつ。
 ところが、今回は新婦じゃなくて、新郎の希望でそういう結婚式はあげたくないので、簡素化したものである、と。しかも、新婦の希望で、豪華なものではなく、孤児院でやりたいのだ、と。
 というわけで、僧院付属の孤児院を会場にして結婚式が行われることになったのであった。

 孤児院で結婚式をやる!?、という話を新婦から聞いたときは、「またまた、なんでそんなとこで」と思ったのは正直な感想であったが、ヤンゴンで日本からの「結婚式ツアー」に合流し(・・私は早めにミャンマー入りしていた)、その翌日の朝にバスで孤児院に到着したとき、「ああ、こういう手作り感に充ち満ちた結婚式もいいものだなあ」、と思ったのであった。

 ヤンゴン市内の、その僧院付属の孤児院は、日本でいえば、お寺が経営する幼稚園みたいなものだ、といってもいいだろうか。2階で行われた結婚式のあと、1階の孤児院の昼食風景や授業前の教室を見学させていただいたとき、子どもたちにまったく暗さがないのが実に印象的だった。
 こういう場所で結婚式を行って、食事を振る舞い、お坊さんや子どもたちに日本からのプレゼントを差し上げるということで功徳を積む、これまた正しい振る舞いなのである。

 われわれ「結婚式ツアー」とほぼ同時期に、かの有名な勝間和代女史が特定非営利法人JEN の視察のため、ミャンマー入りしていたらしいということは、私は友人から教えてもらって帰国後に知った。
 勝間女史のやっていることはそれはそれで正しいのだが、社会貢献というものは、必ずしも狭義の NPO(・・日本の法律に基づく NPO法人 のこと)をつうじて行わなくてもいいのである。
 お寺という広義の NPO(=非営利組織。英語ではむしろ広義での使用が当たり前)に寄進して、それが孤児を含めた子どもたちにために直接使われるのであれば、けっして目新しいものではなく、むしろ伝統的な方法であるが、寄進を行った本人にとっても個人として「功徳を積む」ことになるのである。
 「現世で積んだ徳は、あの世で引き出す」、というわけだ。むしろそのした援助のほうがミャンマー社会からは受け入れられやすいだろうし、いかなる政権であれ拒むことはできないであろう。キリスト教色が全面に出過ぎた欧米の援助団体よりは受け入れやすいはずだ。
 とはいえ、上座仏教徒であるミャンマー人たちは、パゴダを建てることが、現世で徳を積むには最高のことだと考えているので、生活を切り詰めてでもお寺に寄進してしまうことがあるようだ。この寄進の一部でも現世で役に立つことに使われるといいのだが。
 それはさておき、勝間女史のような有名人が、直接ミャンマーに入ってその様子をブログやツイッターで報告するのは、たいへんよいことである。フォロワーの皆さんは、ネット上でフォローするだけでなく、リアルワールドで勝間女史をフォローするべきだろう。これを機に、ぜひ直接、ミャンマーの地に足を踏み入れて欲しいものである。
 

 話が先走ってしまったが、メイン・イベントは「ミャンマー式結婚式」である。この話をしなくてはならない。

 それはどういうものかと一言で説明すれば、「仏教式結婚式」なのである。
 日本でも仏教式のものがあるらしいが、残念ながら私は参列したことはない。
 今回は、仏教は仏教でもミャンマーの上座仏教、日本の葬式仏教とはまったく異なり、仏教はミャンマー人の人生を誕生からその死まですべてに仏教がかかわってくる。これはタイも同様である。機能としては、日本でいえば、むしろ神道に近いかもしれない。上座仏教は宗教と云うよりも、人生全般を律する倫理としての意味合いが大きいからだ。

 式次第を簡単に説明すると、まず僧院の大僧正による法話40分。結婚式をあげるカップルは15分くらいに短くしてくれと頼んだそうだが、大僧正からは即座に却下されたらしい。大僧正いわく、キチンと決められて通りにやらないと祝福したことにならない、と。ごもっともである。
 ただし、日本と違ってずっと正座していなくてもいいので、その点は参列者にとってはラクなものだ。とはいっても、ミャンマーでもタイでも、目上の者や高僧の前でする正式な横座りは、慣れていないと日本人には腰への負担が大きいので、ロンジーをはいて「にわかミャンマー人」になりすました私も、日本人ということで正座と胡座(あぐら)を交互に繰り返して、足がくたびれるのを防止したのであった。
 
 大僧正の法話だが、まったく理解できなかった、というのが正直な告白である。私にとってだけでなく、日本から来た人たちにとっては、まったくもって「お経のようなもの」であり(・・文字どおりお経なのであるが)、ミャンマー人にとっても仏教要語をすべて理解できりうわけでもないらしい。
 なぜなら、法話はミャンマー語(ビルマ語)ではなく、聞くところによるとパーリ語らしい。上座仏教圏に産まれた男子なら、とくにミャンマーでは子どものときに一時出家するのは重要な通過儀礼の一つだから、パーリ語のお経は内容はわからなくても、耳にはしているはずである。
 私のパーリ語の知識といえば、仏法僧の三宝にたてまつるという意味の、「ブッダム サラナム ガッチャーミー、ダンマム サラナム ガッチャーミー、サンガム サラナム ガッチャーミー」くらいしかないので、法話の内容は、結婚を祝福し人生の門出にあたって云々というような意味だろうと推測するくらいしかないのであった。法話の最中に聴き取れたのは、アルハットくらいである。アルハットとは阿羅漢のことである。
 ちなみに誤解あるようだが、上座仏教の経典はパーリ語、大乗仏教の経典はサンスクリット語である。涅槃はパーリ語ではニッパーナ、サンスクリット語ではニルバーナ。仏法の法はパーリ語ではダンマ、サンスクリット語ではダルマ。まあ似たようなものではある。

 大僧正による法話の最中、両隣に高僧が座っているが、まったく一言も発しない。大僧正の衣の色はややオレンジ。この三人はイスに座っている。
 そのまわりに小坊主たちが床に直か座りをしているが、これがまあ落ち着かないといったらありゃしない。まったくもって退屈なのだろうし、じっと座っていられないようだ。そんな小坊主を観察するのも面白い。日本的な形式主義文化ではなさそうだ。

 法話が終わると、そのお礼に食事を差し上げる儀式がある。丸テーブルというよりもちゃぶ台に所狭しと並べられた食事を前に座った高僧と祝福されたばかりのカップルが、ちゃぶ台を持ち上げる儀式が行われる。この意味はよくわからないが、江戸時代の武士が殿中(でんちゅう)でお膳を捧げ持つのと同じようなものなのだろうか。この儀式は、ちゃぶ台ごとに行われる。
 この儀式のあと、高僧から先に食事をとることになる。高僧たちの食事が終わったら、今度は小坊主たちのい食事である。小坊主たち全員でお祈りのコトバを大声で唱えてから、食事をいただくことになる。
 時間は午前11時過ぎ、昼食の時間であるが、上座仏教においては出家僧は、一日2回しか食事をとることが出来ない。しかも、午後12時以降は水以外はクチにすることができないのである。このため、小坊主たちは腹一杯食ってお腹にため込まなくてはならないのだ。育ち盛りの小坊主たちにとっては、空腹を耐えるのもまた、なかなか大変な修行であろう。 
 まかないの人たちが、ご飯をよそって歩き回る光景を眺めているのは、われわれ参列者の食事が一番最後になるからだ。

 このあと、うながされて1階におりて孤児たちの食事風景を見学させていただいた。先にも触れたが、孤児院という感じではなく、幼稚園みたいな感じで、子どもたちはまったく屈託がない。
 ついでに授業開始前の教室も見学させていただいた。私が大声でミンガラバー!(こんにちは)というと、子どもたちも声をそろえてミンガラバー!と返してくれた。


 この教室の場合は、机と椅子があるので、三度目のミャンマー、三度目の正直 (6) ミャンマーの僧院は寺子屋だ-インデインにて (インレー湖 ⑤)で書いたような寺子屋ではないが、僧院付属の孤児院ということもあり、ここでの先生はお坊さんたちである。ある意味で、ミャンマーの基礎教育は仏教抜きには語ることはできないであろう。
 ちなみにミャンマーの識字率は90%以上と、発展途上国とは思えないような高い数値を示している。ミャンマー語(ビルマ語)の独特な丸文字は、漢字仮名交じりの日本語よりは習得は容易だろうと思われる。
 教育は国作りの基礎である。こうして教育を受ける機会にめぐまれた孤児たちのあいだからも、立派な人物がでてくるかもしれない。
 つくづく教育の機会均等の必要性を痛感させられるとともに、基礎教育レベルが行き届いていることに、ミャンマーという国の潜在能力の大きさもまた感じるのである。まあ、もともと第二次大戦後の1950年代には、敗戦国日本よりも生活水準が高かったらしいのだが。


 やっとわれわれの食事の番が回ってきた。お坊さんたちと同様、ちゃぶ台の前に座ってミャンマー料理をいただくことになる。
 メニューはいうまでもなく各種のミャンマー風カレー。中華料理と同様、ミャンマー料理も、大人数でいろんなものを注文して、ちょっとずつ食べるのがよい。
 なんせ腹が減っているし、久々の本格的なミャンマー料理なので、たらふく食べてしまう。

 ついでにでてきた、お茶の葉を発酵させて味付けしたラペットウをいただく(写真左)。ああこれを食べるとミャンマーだなあ、という気持ちになる。
 デザートででてきたマンゴーがまたうまい! 前回の投資ミッションでマンダレーのマンゴー農園を訪問したときに食べたマンゴーもうまかったが、ミャンマーのマンゴーは知られざる名品だなあ。日本ではフィリピン産かタイ産しか入手できないが、ミャンマーのマンゴーはうまい! と繰り返しておく。
 このあとさらにスイーツがでてきたのだが、さすがにちょっとだけ食べてみるだけにとどめておいた。濃いい紅茶があればいいのだが、ミャンマーではインドと同様に砂糖入りのミルクティーになってしまって甘すぎるのだ。まあ、そんな贅沢は求めてはいけないのであるが・・。


 ということで、お昼過ぎには結婚式とその後の食事会もすべて終了、次のスケジュールは、孤児たちへのプレゼントを贈るイベント。エンピツや消しゴムをあげたのだが、こういった形で直接孤児たちに手渡しであげることができるのはよいことだ。

 援助しても本当に必要な人たちに、本当に必要なものが届かない、ということはよくある話である。モノを媒介にしているわけであるが、「収益の一部は寄付しました」というような免罪符的な形よりも、はるかに意味のあることだし、あげる側も貰う側も、ともに幸せを実感することができる機会となる。
 この孤児院じたい、日本の援助によって建築されたものであることが、プレートとして飾られている。具体的に見える形で寄付をする、援助することが重要なだけでなく、こういった本当に必要な援助まで現在は抑制されているのは、どうしたものか、という感もうけるのである。
 杓子定規で、原理原則だけで物事をすすめるのがいいのだろうか、日本人としては、原理原則もさることながら融通無碍(ゆうづうむげ)にフレクシブルに振る舞うべきなのではないかと思ってみたりもした、ミャンマーでの一日であった。

 書き始めると、ついつい長くなってしまうのは悪いクセ。少しまじめな内容になりすぎてしまっただろうか・・・・


(ミャンマーの話、もう少しだけ続きます)




<ブログ内関連記事>

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)

(2015年10月4日 項目新設)





(2012年7月3日発売の拙著です)










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