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2020年5月5日火曜日

書評『唯葬論 ― なぜ人間は死者を想うのか』(一条真也、サンガ文庫、2017)― 「なぜ生者は死者を弔うのか?」という問いを18の視点から論じ尽くした渾身の一冊 



先日(2020年4月25日)に父が急逝してから、2年前に購入し、積ん読のままだった本を読む。この本ほど、そんな状態の自分にとって読むのがふさわしい本もあるまい。

それが、唯葬論-なぜ人間は死者を想うのか』(一条真也、サンガ文庫、2018 読んだのは、初七日となる5月1日のことだ。ほぼ一気読みした。

葬儀会社の社長で、葬儀業界の論客による本。著者は集大成となる1冊だとしている。

共同幻想論(吉本隆明)、唯幻論(岸田秀)、唯脳論(養老孟司)の流れを組み、そのネーミングにあやかったのが「唯葬論」である。シンボル操作するのが人類。「唯葬論」はシンボル操作するホモ・シンボリスク(カッシーラー)の系譜のなかにある。

ネアンデルタール人が死者を丁重に扱っていたことは、考古学の発掘調査から明らかになっているネアンデルタール人は、現生人類であるホモ・サピエンスの直接の祖先ではないが、間違いなく引き継がれているはずだ。

 「なぜ葬儀が大切なのか」を、著者は全18章で論じ尽くしている。この問いは、「なぜ生者は死者を弔うのか」と言い換えてもいい。

死者を弔うことは、対象である死者にとってだけでなく、遺された者たちのためでもある。葬儀を手順どおりに行うことが、いかに大事なことであるか、自分自身も一連のプロセスを体験することで、強く実感している。

きわめて多くの本からの引用は、博覧強記の著者ならではだが、引用で埋め尽くすことで論拠を補強するだけでなく、著者の多くがすでに故人であることを考えれば、読書と本文からの引用は、そのまま供養ともなる。

「 宇宙論」「人間論」「文明論」「文化論」「神話論」「哲学論」「芸術論」「宗教論」「他界論」「臨死論」「怪談論」「幽霊論」「死者論」「祖先論」「供養論」「交霊論」「悲嘆論」「僧議論」という全18章で論じ尽くした壮大な「唯葬論」。

とにかく読みごたえのある1冊だ。ぜひお薦めしたい。


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著者プロフィール 
一条真也(いちじょう・しんや) 
1963年、福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。作家。株式会社サンレー代表取締役社長。全国冠婚葬祭互助会連盟会長。九州国際大学客員教授、冠婚葬祭総合研究所客員研究員。2012年、第2回「孔子文化賞」受賞(同時受賞は稲盛和夫氏)。主な著書に『儀式論』(弘文堂)、『決定版 冠婚葬祭入門』『決定版 おもてなし入門』(以上、実業之日本社)、『葬式は必要! 』『ご先祖さまとのつきあい方』(以上、双葉社)、『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP研究所)、『はじめての「論語」』(三冬社)、『慈経 自由訳』(三五館)、『般若心経 自由訳』(現代書林)、『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)など多数。


<ブログ内関連記事>

書評 『サピエンス全史 上下-文明の構造と人類の幸福-』(ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳、河出書房新社、2016)-想像力によって作り出したフィクション(虚構、擬制)が人類をここまで進化させてきたが・・

書評 『唯脳論』(養老孟司、青土社、1989)-「構造」と「機能」という対比関係にある二つの側面から脳と人間について考える「心身一元論」

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)-宗教社会学者が分析した「テレビ霊能者」現象
・・シャマニズムとしての儒教、葬送儀礼の本質、先祖祭祀が根本にある日本人の宗教観念は儒教に由来し東アジア共通


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2020年5月2日土曜日

葬儀は究極のサービス業である(2020年5月2日)-4月25日に永眠した父の葬儀一式にかかわって思うこと


■【謹告】

去る2020年4月25日(土曜日)早朝、父が永眠いたしました。5月3日の誕生日を目前に控えての旅立ちでした。享年83。外出自粛が要請される時節柄、家族葬で浄土への旅立ちを見送りました。初七日が終わったいま、ここにご報告いたします。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。合掌。

「願わくば 光となりて 世をば照らさん」


■葬儀は究極のサービス業

父親が亡くなって、葬儀の一式にかかわることになったわけだが、いろいろ思うことがあったので、この機会に記しておきたいと思う。内容が内容だけに、関心のない人は無視してください。

***

まずは、やはり葬儀は絶対に重要だということ。冠婚葬祭はすべて人生の節目にかかわるものだが、生まれてきたものは、すべて死ぬ。これは宿命であって、宇宙の法則というべきものだろう。だからこそ、誕生とともに葬儀は、きわめて大事な儀式なのだ。

母の話によれば、父は宅で死にたいと希望していたが、病状が悪化したため急遽入院することになった。残念ながら臨終には立ち会えなかった(・・コロナウイルス感染防止のため、病院からは見舞いができないと言われていたのだ)。思うに、自宅で死ぬということは、じつはすごく難しことなのだとだな、と。

病院で亡くなってからは、病院で死に顔はみることができた。手を握ることもできた。病院から葬儀会社までの搬送には霊柩車に同乗し、納棺と告別式、そして火葬には立ち会うことができた。

そのすべてのプロセスに参加することで、死者を見送るということの意味、その重要性をあらためて認識した。儀式は、手順にのっとって粛々と行うことが大事であり、そしてそれこそ意味があることなのだ。

ちなみに故人は浄土宗だったので、浄土にいくことになる。告別式を執り行う導師(僧侶)の読経を聞くともなしに聞いていて、つむっていた目の奥で光が見えたような気がした。浄土は光に満ちた空間なのだ。

話を戻すが、納棺の儀にも立ち会った。映画『おくりびと』の世界そのものだ。映画を企画し、みずから主演を務めたのは元木雅弘だったが、今回の納棺師の方も、30歳台前半という感じの若い方だった。遺体を丁重に扱う専門技能と心遣い。これぞ、まさに究極のサービス業なのだな、と。

火葬場で焼いて、遺骨を骨壺に入れるわけだが、そのときの担当者も20歳台の若い女性だった。納棺師の方もそうだったが、全体的に若い人が多いことが印象に残った。そういえば、タレントの壇蜜もまた、若い頃には葬儀の仕事も体験していたのだなと思い出す。

家族葬で送ったのだが、葬儀いっさいを担当していただいた葬儀会社の葬祭ディレクターもまた、30歳台後半と思われる若い方だった。

映画『おくりびと』には、ほんとうに心から感動したが、あの映画の影響はすごく大きいのだなあと思う。高齢化社会にあって、死ぬ人は、これからどんどん増えていくわけだが、そういう世界に若い人たちが多いということに、心強い強い印象を受けた。

葬儀は、冠婚葬祭のなかでも、きわめつけのサービス業だ。こういう世界に若い人たちが多いということは、ほんとうに心強い。業界じたいは成長しているからだろうか。

いかなる動機からこの業界に入るのか、人それぞれで違いがあるだろうが、若い頃から死について考えることは、ほんとうに重要なことなのだ。

父親を見送るという機会に、いろいろ思ったことの一端を記してみた。


PS 明日5月3日は父の誕生日だった。誕生日を前にして逝った父の無念さを想う。


<ブログ内関連記事>

善光寺御開帳 2009 体験記
・・導師(僧侶)による読経を聞くとのなしに聞いていて、想起したのは善光寺のこと



2017年10月27日金曜日

タイのラーマ9世プミポン前国王の「火葬の儀」がバンコクで行われた(2017年10月26日)

(煙につつまれる火葬塔 The Nation の動画よりキャプチャ)


2017年10月26日、タイのラーマ9世プミポン・アドゥンヤデート前国王(通称プミポン国王)の「火葬の儀」(Royal Cremation)が行われた。文字通り誇張なく、タイ全土が涙に包まれた一日となった。これが最期のお別れとなる。合掌。
   
タイ現地時間の午後11時(=日本時間では27日の午前1時)、現国王で長男のラーマ10世ワチラロンコーン国王が火葬塔の薪に点火、前国王は荼毘に付された(冒頭の画像)。

火葬塔(Royal Crematorium)は高さ50メートルと歴代のタイ国王の葬儀のなかでは最長で総工費は5億バーツ(日本円で約16億円)、仏教の世界観を表現した須弥山(しゅみせん)を象ったものだ。つまりは仏教式なのだが古代インドの宇宙観であり、その意味においては限りなくヒンドゥー教的でもある。タイの王権は、カンボジアなどと同様に、ヒンドゥー教の王権神授説にのっとったものである。


(須弥山を象った「火葬塔」の宇宙観 The Nation サイトより) 


(須弥山の構造 wikipediaより)


ゴールドで輝く豪華絢爛な構築物で、ディテールに至るまで細かい装飾が施されたもの。この火葬塔のなかに安置されたご遺体が焼かれたのである。「大王」にふさわしい葬儀である。



(シンガポールの Channel NewsAsia のLIVE中継をキャプチャ)



■「火葬の儀」のスケジュール

葬儀は念入りに計画されたもので、一連の儀式は10月25日から29日まで5日間にわたる。26日は国民の公休日となった。式次第は以下のとおりだ。情報は、タイの英文日刊紙 The Nation の記述に基づく。

<葬儀の式次第>

10月25日(水) 
  17:30 宮殿に安置された御遺体へのタンブン(A royal merit-making ceremony)とお別れの祈り。 ご遺体の移動準備

10月26日(木) 
  7:00 宮殿から火葬場への御遺体移動
  17:30 仮火葬式(The symbolic Royal Cremation)
  22:00 本火葬式(The actual Royal Cremation)

*この間、18時から翌朝6時までの12時間にわたって、前国王に別れを告げ捧げるために、タイの古典仮面舞踊劇のコーン、人形劇、オーケストラの演奏などのパフォーマンスが王宮(サナーム・ルアン)で行われる

10月27日(金)
  6:00 ご遺骨(Royal Relics)と御遺灰(Royal Ashes)の収集。ご遺骨を納めた骨壺が宮殿に移動、ご遺灰は容器に移されワット・プラケーオ(=エメラルド寺院。いわゆる「エメラルド・ブッダ」が納められた寺院)のプラ・シー・ラッタナ・チェディー(Phra Sri Rattana Chedi)に移送

10月28日(土)
  17:30 宮殿でご遺骨へのタンブン(A royal merit-making ceremony)

10月29日(日)
  10:30 ご遺骨が宮殿内の Heavenly Abode in Chakri Maha Prasat Throne Hall に安置されるために移送
  17:30 ご遺灰が2つの寺院、ワット・ラチャボピット(Wat Rajabopidh)とワット・ボーウォンニウェート(Wat Bovoranives)に安置されるために移送


(10月26日の「ご遺体」移送経路 The Nation サイトより


火葬後のご遺骨(Royal Relics)と御遺灰(Royal Ashes)は、別の扱いを受けることになるようだ。

タイ国内からインターネットで生中継されていたのだが、仕事の関係上でリアルタイムの視聴は一部に限られたのは残念だった。だが、幸いなことに動画や画像はネットで視聴可能である。royal cremation で検索してみるといいだろう。


(シンガポールの Channel NewsAsia 画面からキャプチャ)


葬儀の中心は10月26日で、この日はゴールドで装飾された豪華絢爛な、船を象った霊柩を移動。英国のバッキンガム宮殿の近衛兵のような兵士が護送役にあたっている。霊柩車が船の形をしているのは、さすが「水の民」である。


(シンガポールの Channel NewsAsia 画面からキャプチャ)


だが、日本の天皇の神道式の葬儀と比べると、だいぶ違う印象を受けるのではないだろか。近代以前の天皇の葬儀は仏式だったが、タイのような豪華絢爛なものでなかったことは確かだ。

しめやかに行われる日本、豪華絢爛に行われるタイ。おなじ「仏教国」といっても、内実は大きく異なる。大乗仏教と上座仏教の違いだけではなく、それ以外の要素も大いに反映していると考えるべきだろう。

先に見たように、タイ国王は現在でも「神聖にして絶対不可侵」の存在である。すでにそうのような存在ではない天皇も、近代以降は神道式の葬送儀礼となっている。



■これから名実ともに「新しい時代」が始まることを期待

タイ国民から絶大の信頼と敬愛の的であったプミポン国王が崩御されたのは、一年前の昨年(2016年)の10月13日。享年88歳。在位70年目(!)であった。」

タイ史上では最長であることはもちろん、英国のエリザベス二世女王(現在最高齢の91歳)の在位65年よりも長い。タイ現代史、とくにここ40年ほどは、まさにプミポン国王の時代であったといっても過言ではない。

その意味では、この日をもって名実ともに一つの大きな時代が終わったのである。日本近現代史でいえば、明治大帝が崩御したあとの「大正時代」、あるいは昭和大帝が崩御したのちの「平成時代」に該当するが、はたして今後のタイは「大正時代」なのか「平成時代」なのか、それとも・・・??

「火葬の儀」が無事つつがなく終了したあとには、新国王の即位式が待っている。現時点(10月26日現在)では、来る12月1日の可能性が高いとされている。

前国王のラーマ9世の兄で、悲劇的な死を遂げた前々国王のラーマ8世の葬儀(1946年)の際は、3年間にわたって喪に服すことが求められたが、さすがにグローバル資本主義のまっただ中に置かれた現在のタイには不可能な話だ。葬儀の5日間が終わる29日で1年間の服喪期間は終わる。30日からは、黒づくめだったタイにはふたたび明るい色彩が戻ってくる。

「2014年クーデター」による軍政下のもと、現在は議会が停止中のタイであるが、新憲法の批准はすでに終わり、あとは民政移管と総選挙がいつ行われるかが焦点になっている。

粛々と平常化への道を歩むことを期待したい。








<関連サイト>

Phra Meru Mas (the royal crematorium) for the late King Bhumibol Adulyadej
・・歴代の国王葬儀のための火葬塔の写真あり

Thailand's royal cremation ceremony caps year of mourning(CNN、October 27, 2017)
・・動画あり

【AFP記者コラム】プミポン前国王の葬儀で見えた秘密と不敬罪の国(AFP、2017年12月12日)

(情報追加 2017年12月12日)


<ブログ内関連記事>

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)


タイ王国のラーマ9世プミポン国王が崩御(2016年10月13日)-つひにゆく道とはかねて聞きしかど・・・

タイのあれこれ(17) ヒンドゥー教の神々とタイのインド系市民

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

タイのあれこれ (8)-ロイヤル・ドッグ
・・「タイ語のマンガ版が興味深いのは、タイ王国憲法では、「神聖にして絶対不可侵」の存在である国王陛下を(・・戦前の大日本帝国憲法と同じ)、いかにマンガに登場させるかという点にかんして作者が大いに悩んだという。その結果、国王陛下はすべて白塗りで、透明人間のような描き方となった」

書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)-急激な経済発展による社会変化に追いつかない「中進国タイ」の政治状況の背景とは

書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)-戦後アジアとの関係において果たした「皇室外交」の役割の大きさ
・・「火葬の儀」に日本からは秋篠宮ご夫妻が参列。ブータン国王夫妻も参列

成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)
・・火のもつ力について


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2013年12月21日土曜日

書評『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)― 日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー



『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)は、出版されてすぐに購入したが、それはタイトルに表現されたテーマがあまりにも好奇心を刺激するものだからだ。

著者のデビュー作である『新宗教と巨大建築』(講談社現代新書、2001)を読んでひじょうに感心していたこともある。通読したのは今回がはじめてである。

2007年の出版時にすぐに本書を購入したのは、当時の部下である若い人たちの結婚式に呼ばれてさまざまな形態の結婚式に参列者として経験するなかで、「結婚式教会」での結婚式にひじょうに違和感(!)を感じたからでもある。

ホテルの結婚式場に併設されたチャペルではなく、結婚式(・・というよりもウェディングとカタカナで書くべきだろう)だけを目的に建設された商業建築物である「結婚式教会」。ゴチック様式の建築物が都市部に出現してからすでにだいぶたつ。

結婚式教会で挙げられるウェディングはキリスト教の儀式で行われるが、それがじっさいにキリスト教にのっとったものかどうかは信者でなければわからないし、式をつかさどるのがニワカ牧師あるいはニセ牧師であるというのも常識だろう。だからといって、それが問題になったという話は聞いたことはない。


(千葉県柏市にある結婚式教会 筆者撮影)


本書には 2006年当時の調査データが引用されているが、数ある結婚式の形態のなかでもキリスト教結婚式を選択するカップルが圧倒的に多いようだ。

キリスト教信者が全人口の1%にも満たないのに、なぜ「結婚式教会」が好まれるのか?

その大きな理由は、ウェディングの主導権を握っているが女性であるということに求められるだろう。日本では消費社会をリードしているのは男性よりも女性である。

日本人女性がもつキリスト教の教会イメージとはゴチック様式であり、それは純白のウェディングドレスに似合う空間である。キリスト教の教義や信仰とは何の関係もない。日本人が抱く根強い西洋への憧れとファンタジーが、戦後大衆社会で実現されたのが「結婚式教会」でのウェディングということになるのだろう。ことし2013年に開業30年を迎えた東京ディズニーランドと同じなのだ。

ハリウッド映画や少女マンガに限らず、西洋式の教会でのウェディングのイメージはすでに日本人のアタマのなかに浸透し定着しているのである。「まぎれもない日本的なキリスト教の受容のかたち」(P.218)という著者の指摘にはおおいに納得する。

これはおなじく建築史家である井上章一氏が扱っている視点にも重なるものだ。教義や信仰ではなく、習俗としての「キリスト教的なもの」の日本人の受容にかんするケーススタディにもなっている。だが、著者の五十嵐氏は、建築そのものへの関心がより深いようだ

建築物には施主が存在することも見逃してはいけない。「結婚式教会」はなによりも商業建築である。そこに貫いているいのは商業性であり、ビジネス、投資、資本主義といった観点で考えなくてはいけないテーマでもある。

本場の教会建築とは異なり、日本の「結婚式教会」は安普請(やすぶしん)であり、流行遅れになれば取り壊されてしまう運命にあるものだ。日本ではスクラップ・アンド・ビルドが当たり前なので、その意味では著者もいうように「結婚式教会」はパチンコ屋となんら変わりはない

「結婚式教会」は、ホンモノとニセモノ、大衆社会におけるポピュリズムとキッチュなど、さまざまな文化論的なテーマを論ずる対象としても面白いが、「建築界でも歴史的な視野を通じた教会への興味は減っているように思われる。・・(中略)・・ 建築の分野においても教養の抑圧は薄れた」(P.142)という著者の指摘は、建築の専門家ではないわたしには興味深く思われる。

明治時代になってから、近代化=西洋化という枠組みののなかで西洋建築を徹底的に学んだ日本人は、西洋建築をその歴史性というコンテクストを離れて、商業建築物の一テーマとして設計し建設し、そして壊してゆく建築もまた流行現象のヒトこまに過ぎない。

さて、出版から6年たっている現在2013年の状況はどうなのだろうか。もうすこし編集にチカラを入れたほうがよかったのではないかと思うので、ぜひ本書の増補版ないしは改訂版を読みたいものである。


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目 次

まえがき
第1章 結婚式教会とは何か
 先駆けはアメリカのウエディング・チャペル
 女性とメディアのための建築
 ウエディング・ドレスの舞台装置
第2章 祝祭のかたち-様式と比較
 西洋の建築様式について
 にっぽんのゴシックと古典主義
 結婚式神社は存在するのか
 本物の教会とフェイク教会
 教会史から考える
第3章 いざ、「聖地巡礼」
 名古屋の結婚式教会めぐり
 東京で増える教会のようなもの
 中国地方カテドラル紀行
第4章 建築家と教会
 城館と教会のキッチュ
 日本における教会の受容 ほか)
 建築家による結婚式教会
 ホテルのなかのチャペル
 なんちゃってポストモダン
第5章 起源から現在へ-結婚式の歴史と空間
 軽井沢という聖地
 長崎と単塔式教会
 母体としての互助会
 拡大するブライダル産業
 日本人と結婚観
あとがき
初出一覧

著者プロフィール

五十嵐太郎(いがらし・たろう)
建築史・建築批評家。1967年パリ生まれ。1990年、東京大学工学部建築学科卒業。1992年、東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。東北大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

あこがれのチャペルウェディング特集(ゼクシィnet)



<補論> 冠婚葬祭におけるキリスト教的なるものの浸透について-葬儀においてもその傾向が現れてきている

おなじく建築史家だが現在では風俗史家になっている井上章一氏は、『霊柩車の誕生 増補新版』(朝日文庫、2013 初版は1984)の「文庫版あとがき」で以下のように述べている。

かつて隆盛を誇っていた「宮型」の霊柩車にとってかわって「洋風」の霊柩車が増えてきたことについて、「どうやら、葬送の風俗にもキリスト教のそれは、しのびこんでいるようである」と述べている。

明治時代にキリスト教が「解禁」されてからも、葬儀にかんしてはなかなかキリスト教式が認められなかった。明治17年まで葬儀は仏教式以外は認められていなかった(!)のである。それまでたびたびキリスト教式による「自葬」事件が起こっていた。NHK大河ドラマ『八重の桜』では新島襄の葬儀がキリスト教式に行われているのは、新島襄が死去したのが明治23年だからである。

『「唱歌」という奇跡 十二の物語-讃美歌と近代化の間で-』(安田寛、文春新書、2003)にも書かれているが、現在の告別式と仏教式の葬儀で音楽が演奏されることもあるが、これはキリスト教式の葬儀の影響だという。この動きを主導したのがキリスト教の聖歌の旋律をそのままつかった唱歌にあることは、讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された を参照されたい。

人生の通過儀礼のなかで、結婚がキリスト教式となり、葬送もまたキリスト教的なるものとなりつつあるという事実。これをどう読みとるか・・・。

意匠そのものに注目すれば、「宮型」の霊柩車も現在の「結婚式教会」も、ともにキッチュ以外のなにものでもない。その意味では、逆転現象がみられるといっていいのかもしれない。

冠婚葬祭レベルで「キリスト教なるもの」が浸透している日本であるが、洗礼を受けてキリスト教の信者となるということは、よほどの覚悟と思い切りがなければできないことだとみなされるわけである。

葬儀と先祖祭祀の関係については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、  ソフトバンク新書、2007)-宗教社会学者が分析した「テレビ霊能者」現象 に書いておいた。意匠がキリスト教的になったとしても、先祖祭祀という本質には影響はないのではないだろうか?

カトリック国フランスでもカトリックの位置づけは「家の宗教」であり、多くの人はそれほど熱心に信仰しているわけではなく、日本における仏教の位置づけと似ていると、浄土真宗の僧侶で宗教学者の大村英昭は『日本人の心の習慣-鎮めの文化論-』(大村英昭、NHKライブラリー、1997)のなかで述べていることが参考になるだろう。




<ブログ内関連記事>

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに
・・「結婚式教会」は、宣教する側の意図せざる「土着」という形での日本人によるキリスト教受容の一形態であることは、この本を読むと納得できるだろう。

「免疫系の比喩でいえば、キリスト教という異物に対する免疫反応は拒絶するか、取り込んで自分のものとしてしまうかの二つしかない。その意味では、キリスト教はもはや日本では増えることはないだろうが、多くの日本人は無意識のうちに取捨選択してキリスト教の要素をすでに何らかの形で取り込んでしまっているといってもよいかもしれない。しかも自分に都合のいい、「いいとこ取り」という形で。これは冒頭で言及した「キリスト教式結婚式」に端的にあらわれている。」

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・抜書きしておいた「日本におけるキリスト教の不振」にはぜひ目を通していただきたい。文化人類学者・泉靖一氏の見解に説得力がある

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観

書評 『なんでもわかるキリスト教大事典』(八木谷涼子、朝日文庫、2012 初版 2001)一家に一冊というよりぜひ手元に置いておきたい文庫版サイズのお値打ちレファレンス本
・・この本の著者は、キリスト教徒ではない「キリスト教オタク」。こんな人が日本にはいるのだ


「習俗化」したキリスト教

書評 『普通の家族がいちばん怖い-崩壊するお正月、暴走するクリスマス-』(岩村暢子、新潮文庫、2010 単行本初版 2007)-これが国際競争力を失い大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏だ
・・クリスマスは日本の習俗化したキリスト教の一つ。教義と信仰抜きのキリスト教的なもの

バレンタイン・デーに本の贈り物 『大正十五年のバレンタイン-日本でチョコレートをつくった V.F.モロゾフ物語-』(川又一英、PHP、1984)

ケルト起源のハロウィーン-いずれはクリスマスのように完全に 「日本化」 していくのだろうか?

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ


建築におけるキリスト教要素の日本化

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・「キリスト教が解禁されてから約125年、日本における仏教の衰退は生活習慣の洋風化を通じて、敗戦後は圧倒的なアメリカナイズ、とくに高度成長以降の前近代的要素の払拭を通じて、知らず知らずのうちに達成されたというべきであろう。ヴォーリズの洋風建築は先導役の一つとなったといえる」 「大丸心斎橋店」、東京ではお茶の水の「山の上ホテル」、「明治学院大学の礼拝堂」なを設計したヴォーリズは宣教師ではないが伝道を志して日本にやってきた人である

「聖徳記念絵画館」(東京・神宮外苑)にはじめていってみた(2013年9月12日)
・・「日本が洋風建築を受け入れたうえで、そのうえで日本の洋風建築を意図したとのことです。一言でいえば和風テイストの洋風建築となるのでしょうか。これ自体が明治時代の学習成果というべきでしょう」

(2014年8月22日 情報追加)


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