「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 訳詩 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 訳詩 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年6月2日土曜日

詩人・佐藤春夫が、おなじく詩人・永井荷風を描いた評伝 『小説 永井荷風伝』(佐藤春夫、岩波文庫、2009 初版 1960)を読む


『小説永井荷風伝』(佐藤春夫、岩波文庫、2009 初版 1960)は、詩人・佐藤春夫が回想しつつ描いた、詩人・永井荷風の生涯を自由に描いた「小説」である。

永井荷風について語る佐藤春夫もまた、本質において「詩人」なのである。

佐藤春夫の小説はもはや読まれることもあまりないだろうが、佐藤春夫の詩作品は今後も愛唱されるであろう。

追憶的に語られる「少年の日」や、卑俗な現実を文語体で歌った「秋刀魚の歌」など、リズム感のある詩は、意外と古さを感じさせないものだ。

そのむかし、はじめて熊野を訪れた際に新宮(しんぐう)で、佐藤春夫の東京の旧居が移築されていることを知り、なかに入ったことがある。佐藤という名字は共通だが、わたしとはまったく関係はない。

紀州の新宮といえば、現在では中上健次の名がでてくるだろうが、同じ風土のなかから出てきた佐藤春夫という文学者のこともアタマのなかに置いておきたいものだ。

中上健次が散文作家であれば、やはり佐藤春夫は詩人というべきであろう。

ここで、佐藤春夫の代表作である「少年の日」を引用しておこう。『殉情詩集』(大正10年=1921年)に「犬吠埼旅情のうた」などとともに収録された名編である。


少年の日

1 春
野ゆき山ゆき海辺ゆき
眞ひるの丘べ花を籍き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し空よりも。

2 夏
蔭おほき林をたどり
夢ふかきみ瞳を戀ひ
なやましき眞晝の丘べ
さしぐまる、赤き花にも。

3 秋
君が瞳はつぶらにて
君が心は知りがたし
君をはなれて唯ひとり
月夜の海に石を投ぐ。

4 冬
君は夜な夜な毛絲あむ
銀の編み棒にあむ絲は
かぐろなる絲あかき絲
そのラムプ敷き誰がものぞ。


佐藤春夫が詩人であるというのは、こういうことだ。

では、つぎに永井荷風が詩人であるということはどういうことかを見ておこう。

彼自身は詩作を行っていないが、『珊瑚集(仏蘭西近代抒情詩選)』(大正2年=1913年)という、フランス詩の訳詩集がある。この訳詩集の岩波文庫版(1938年)には、佐藤春夫が解説を書いている。岩波文庫の新版(1991年)には、フランス語の原詩も併載された。

英独仏詩人の訳詩集である上田敏の『海潮音』(かいちょうおん)や、同じくフランス詩の訳詩集である堀口大学の『月下の一群』ほど現在は有名ではないが、永井荷風を詩人とする理由がそこにあることを知っておきたい。ただし、佐藤春夫の「小説」には、『珊瑚集』への言及はなぜかない。

永井荷風による、ヴェルレーヌの訳詩を一編だけ引用しておこう。

ぴあの

しなやかなる手にふるゝピアノ
おぼろに染まる薄(うす)薔薇色の夕(ゆうべ)に輝く。
かすかなる翼のひゞき力なくして快き
すたれし歌の一節は
たゆたひつゝも恐る恐る
美しき人の移香(うつりか)こめし化粧の間にさまよふ。

あゝゆるやかに我身をゆする眠りの歌、
このやさしき唄の節、何をか我に思へとや。
一節毎に繰返す聞えぬ程の REFRAIN(ルフラン) は
何をかわれに求むるよ。
聴かんとすれば聴く間もなくその歌声は小庭のかたに消えて行く、
細目にあけし窓のすきより。



永井荷風は、佐藤春夫が強調しているように、いいとこの坊っちゃんの生まれであったが、下降願望のつよい人であった。長男であるがゆえに、かえって上流階級の俗物性と窮屈さがいやで仕方がなかったのだろう。しかも、弟は農学者として成功した人でキリスト教徒でもあった。

わたしはフランス流のモラリストとしての荷風は好きで、高校時代に読み始めてからも、表面の描写と作家の本質が異なるように思われたのだが、その理由は佐藤春夫が的確に指摘するとおりなのだろう。荷風は、儒者の家系に生まれた人なのである。

永井荷風の評伝はいくつもあって、わたしも磯田光一のものや紀田順一郎のものを読んだことがある。だが、なんといっても本書の佐藤春夫のように学生時代に直接に私淑し、その謦咳に接しただけでなく、同じ文学者として微妙な関係でもありながら、終生つかず離れずの関係にあった作家が書いた「小説」は、読む価値のあるものだと思った。

森鴎外、永井荷風、佐藤春夫という近代文学における系譜。これに、佐藤春夫に私淑していた檀一雄を加えれば、わたしの趣味は一貫しているのだなあと感じさせられる。

永井荷風の作品世界のいくばくかでも知っているならば、より興味深く読むことのできる作品であるといってよいであろう。




(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2010年11月27日土曜日

枯葉 Les feuilles mortes





 フランス語のシャンソンで「枯葉」といえば、知らぬ人のいない名曲である。

 イヴ・モンタン、ジュリエット・グレコなど数知れぬシャンソン歌手が歌ってきただけでなく、米国ではジャズのスタンダード・ナンバーとしてもよく知られた名曲だ。

 ところで、フランス語では枯葉のことを les feuilles mortes という。直訳すれば「死んだ葉っぱ」(複数形)、確かに生物学的にみれば死んだから枯葉となって落ちているから、そのとおりである。

 しかし、日本語で「死葉」といえば病虫害などで死んだ葉っぱのこと、「病葉」(わくらば)といえば詩語ではあるが、必ずしも秋とは連想が結びつかない。

 一方、このシャンソンは米国では Autumn Leaves と訳された。これは直訳すれば「秋葉」、フランス語を直訳して dead leaves よりかはましだろうが、日本語の「枯葉」のニュアンスはどうしてもでてこない。むしろ、fallen leaves のほうがよいのでは? 日本語だと「落ち葉」か。


 明治時代の上田敏の訳詩集 『海潮音』は、高校時代の愛読書だったのだが、有名なヴェルレーヌの「秋の歌」は、日本語の名作として有名だ。

 秋の日の ヰ゛オロンの
 ためいきの ひたぶるに
 身にしみて うら悲し。

 鐘のおとに 胸ふたぎ
 色かへて 涙ぐむ
 過ぎし日の おもひでや。

 げにわれは うらぶれて
 ここかしこ さだめなく
 とび散らふ 落葉かな。


 上田敏が訳した「落葉」は、フランス語では feuilles mortes、同じ3音節であるが、「枯葉」にするか「落葉」にするか、詩語の選択はきわめて難しい。


Et je m'en vais
Au vent mauvais
 Qui m'emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
 Feuille morte.

 上田敏の訳詩の場合は、定型詩で訳したうえで、「うらぶれて」と「落葉かな」を意味のうえで対応させている。「うらぶれて」は意味的には「落ちぶれて」と同じなので、「落ちる」というイメージを強調するために「落葉」という訳語を選択したのであろう。

 ヴェルレーヌの原文では、Qui m'emporte と Feuille morte. で韻を踏んでいる。このほか、vais、la でも韻を踏んでいる。上田敏の訳詩が、きわめて巧みな処理を行ってうえで、すぐれた日本語の詩になっていることがわかる。

 シャンソンのタイトルが「落葉」ではなく、「枯葉」となったのは、「かれは」(ka-re-ha)と k音 の響きに乾いたものが感じられるからだろう。「おちば」(o-chi-ba)だと濁音で終わるので、何かしらじとっと湿った語感がある。「濡れ落葉」という連想もなくはない。

 秋の落葉樹の枯葉は、乾いていて風に舞うような軽さがある、そういう存在でなくてはならないのだ。


 「枯葉」と「落葉」といえば、最後に一首。

金色(こんじき)の ちひさき鳥の形して 
 いてふ散るなり 夕陽の丘に

 與謝野晶子の歌である。倒置法をつかっている。


 つれづれと秋の日に「枯葉」と「落葉」についてつづってみた。





<関連サイト>

枯葉 Les feuilles mortes(ジュリエット・グレコ)
Les Feuilles Mortes - Juliette Greco

枯葉 Les feuilles mortes(イヴ・モンタン)
Les Feuilles Mortes_Yves Montand à l´Olympia





<ブログ内関連記事>

映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた-ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画

映画 『最後のマイウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ

書評 『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』(豊田正義、講談社、2008)-「芸能界」と「霊能界」、そして法華経
・・シャンソン歌手として出発した丸山明宏(=美輪明宏)

枯葉のベッドで眠るネコ二匹-ノラネコも寒い日はお互い助け合い ②

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩

キンモクセイの匂いが心地よい秋の一日

(2014年8月31日 項目新設)



(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end