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ミャンマーはもともと国際的には英語名称をビルマ(Burma)と称していた。ミャンマーに変更されたのは、現在の軍事政権が 1989年6月18日に英語表記を Union of Burma から Union of Myanmar に改称して以来である。
しかし独立以来国内ではミャンマーであり、1989年の措置は国内名称と対外英語名称を一致させたに過ぎないという主張もある。
私としては、国名としては基本的にミャンマー、歴史的名称としてはビルマを使うのがいいのではないかと考えている。また学術的には、民族名や言語名をさす場合にはビルマを使うのが適当であろう。とはいえ、厳密に使い分けるのは容易ではないので、ミャンマーとビルマを併用することも多々ある。
いずれにせよ、対外的な国名がミャンマーに変更されたのは平成元年(1989年)であり、それ以前の独立後のビルマは戦後「昭和」史と重なっているのである。私には、ミャンマーの時間は「昭和」のまま止まっているようにも思われるのだが・・・
そんなビルマで思わず大日本帝国と遭遇したのが、インレー湖の半日ボートツアーの二日目であった。
ボートが立ち寄った手巻き葉たばこの工房には土産物屋が併設されていたのだが、土産物屋のオバチャンが「どこから来たのか?」と聞くので、機械的に「From Japan」と答えると、それならちょっと待てといってよごれて汚い札束をもってきて、見せ始めたのであった。
そして見せられたのが冒頭の写真にある軍票だったのだ。大東亜戦争中、大英帝国支配下の英領ビルマに、アウンサン将軍たちとともに「ビルマ解放」を旗印に進軍した大日本帝国陸軍は、ビルマ民衆の意に反して軍政を敷くことおとなる。そして現地で発行したのが軍票であったのだ。
冒頭の写真は 100ルピー(rupee)札、英領ビルマは英領インドの一部であったため貨幣単位はルピーだったのだろう。日本陸軍はそれを踏襲してルピー札を発行したものと思われる。お札には THE JAPANESE GOVERNMENT、ONE HUNDRED RUPEE と印刷されており、真ん中下には大日本帝國政府と横書きで右から左へと印刷されている。おお、と私は思わず声に出してしまった。
オバチャンはこれもある、これもあると次々に大日本帝国政府の軍票を出してくるので、私は一枚一枚手にとって子細に点検してみた。100ルピー札、10ルピー札、5ルピー札、1/2ルピー、10セントの5種類があった。そのうちあるものは使用されて汚く、あるものは未使用のままでキレイだった。
軍票に興味津々な私に、オバチャンは波状攻撃をかけてきた。現在はほとんど流通していない、アウンサン将軍の肖像画の入ったお札も出してきて見せるのだ。1997年にはじめてミャンマーにいったとき、私はアウンサン将軍の 5チャット札をおつりとして入手していたが、このとき見せられたのはすべて見るのも初めてのお札ばかりであった。
Union Bank of Burma あるいは Union of Burma Bank 発行の 1チャット、10チャット、15チャット、35チャット札。すべてアウンサン将軍の肖像画のはいったものである。
軍票は大東亜戦争中の日本軍政下のもの、アウンサン将軍のお札はビルマ独立後のものであるが、これだけまとまって入手できる機会はなかなかない。軍票は見るのも実際に手で触るのも初めてだし、アウンサン将軍のお札もこれだけバラエティがあるとは知らなかった。
オバチャンと価格交渉のうえ、全部まとめて US$12 で買い取ることにした。安いか高いか相場について調べる時間もないのでわからないが、即断即決、ゲットすることに成功したのであった。オバチャンも売れてうれしい、私もゲットできてうれしい、つまり Win-Win の関係が成立したのである。
日本の敗戦によって大日本帝国が解体、軍票は紙切れとなってしまったのであるが、香港では強制的に軍票と交換させられて経済的損害を被った一般民衆が戦後補償を求めていることが、いまでもときどきニュースになることがある。
これにくらべると、ビルマではそういう問題は発生しなかったようだ。理由はなぜだかよくわからないが、軍票問題がクローズアップされたことはビルマではないのではないか。
帝国陸軍がビルマで軍政を敷いていたのは、1942年から1945年までの3年強に過ぎないが、65年たったいまでも軍票がでてくるというのは面白い。
せっかくの機会なので、ここでアウンサン将軍と日本の関係について書いておこう。アウンサン将軍は、いうまでもなく民主化指導者アウンサンスーチーの父親で、ビルマ独立戦争を戦い、ビルマ国軍の基礎を築いた英雄である。ちなみに間違いやすいので、あらためて書いておくが、アウンサンスーチーでひとつの名前となっており姓名ではない。ビルマ人には姓はない。自分の娘に自分の名前を入れたのは、王貞治が娘の名前の漢字に王篇の字を入れたのと同じ考えだろう。
ビルマ独立の志を抱いた青年たちをとりまとめて指導したのが、帝国陸軍の情報将校であった鈴木敬司大佐であった。対ビルマ謀略湖工作は正式に認められて南機関というコードネームをつけられ、アウンサンら30人のビルマ独立運動の志士を英国官憲の目をかいくぐって密出国させ、海南島で厳しい軍事訓練を行う。
こうして訓練をうけたアウンサンと30人のビルマ独立義勇軍が、鈴木大佐の指導下にラングーン(現在のヤンゴン)に進軍、英国植民地軍に打ち勝つが、対英領インド作戦の前線基地としてビルマを支配下におきたい陸軍主流は、アウンサンらの夢を踏みにじり、軍政を敷くこととなる。
日本の敗色が濃くなった1945年3月、真の独立を目指すアウンサンらは、日本軍に対して反旗をひるがえし、その後英軍はラングーンを奪還する。さまざまな経緯を経て、1947年ビルマ独立にかんする協定がアウンサンと英国とのあいだに結ばれ、独立に向けて準備をしていたまさにその最中に、アウンサンは政敵の放った刺客の銃弾に倒れて非業の死を遂げることになる。享年32歳、アウンサンの死がいかに独立ビルマにとって痛手となったかはいうまでもない。
こうした一連の出来事については、『アウンサン将軍と三十人の志士-ビルマ独立義勇軍と日本-』(ボ・ミンガウン、田辺寿夫訳編、中公新書、1990)、『アウンサン-封印された独立ビルマの夢-(現代アジアの肖像 13)』(根本 敬、岩波書店、1996)に詳しい。
アウンサン将軍がラングーン(=ヤンゴン)で凶弾に斃れたのは32歳、われらが坂本龍馬が京都で斬殺されたのは33歳、早すぎる死が惜しまれるのは、ともに大きな志(こころざし)をもちながら、若くして志半ばで非業の死を遂げたからである。まこともって「虎は死して皮を残す、人は死して名を残す」とは、まさにこのことを指している。
そして、その京都には、アウンサン将軍の娘であるアウンサンスーチーが客員研究者として京大に1年間滞在、父親の足跡をたどって日本人関係者とのインタビュー調査を行っている。なにやら因果は巡る、とでもいうような不思議な話である。このインタビュー調査の記録が、いまだに研究として発表されていないのは実に残念なことだ。
また、カトリック作家・遠藤周作の未亡人・遠藤順子は、民間人としてビルマ独立運動を支えた日本人・岡田幸三郎の娘であり、『ビルマ独立に命をかけた男たち-』(遠藤順子、PHP研究所、2003)で、この経緯をノンフィクションとして一冊にまとめている。戦前日本とビルマとの友情については、功罪はあるにしても、人と人とのあいだの関係であり、日本人としてはぜひ知っておきたいものである。
ところで、今回のミャンマー滞在の最終日に、ふとしたことからアウンサン将軍の旧邸を見に行くことになり、私も同行することとなった。現在はボージョー・アウンサン博物館となっているが、1945年から1947年までの2年間アウンサン将軍ファミリーの住居として使われたというお屋敷で、英国風のたいへん立派なものである。周囲は現在のドイツ大使館などのある、高級住宅地として閑静なたたずまいを示している。
しかし、われわれが訪れたときんは管理人がおらず、門は閉まったままで、理由はわからないが中に入ることができなかった残念であった。この邸宅でアウンサンスーチーが生まれ育ったとはいえ、現在は使用されていないので、とくに問題はないはずなのだが・・・同行者はしきりに残念がっていたが、私としては外から見ることができただけでも良かったとしておきたい。これが最後のミャンマー訪問とはならないであろうから。
大英帝国も、大日本帝国も、その痕跡が風化する一方の現在のミャンマーであるが、なぜかいまだに戦後「昭和」の匂いを濃厚に残しているのである。右側通行なのに、右ハンドルの中古の日本車が圧倒的に走るミャンマー、まき散らす排気ガスは、私の子どもの頃を思い出させる。
日本では「昭和も遠くなりにけり」という感慨をもつが、一方ミャンマー(ビルマ)では、いつまでたっても昭和は過ぎ去らない。
なんだか不思議な感覚にとらわれるのは私だけではあるまい。
(インレー湖 ⑤)につづく
<ブログ内関連記事>
「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次
「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)
書評 『抵抗と協力のはざま-近代ビルマ史のなかのイギリスと日本-(シリーズ 戦争の経験を問う)』(根本敬、岩波書店、2010)-大英帝国と大日本帝国のはざまで展開した「ビルマ独立」前後の歴史
(2015年10月4日 項目新設)
(2018年8月5日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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