「人間五十年」と書いて「じんかん・ごじゅうねん」と読む。ついつい「にんげん・ごじゅうねん」と読んでしまいがちだが、じつは誤りである。
京都の本能寺で命を落とすよりはるか前、桶狭間(おけはざま)の戦いを前に織田信長が舞った幸若舞(こうわかまい)の一節である。
「人間(じんかん)五十年 化天(げてん)のうちを比ぶれば 夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」。
ここに表現されているのは、まさに仏教的「無常感」。この世に存在するものすべては「常ならず」、移ろいゆく変化の相のもとにある。
信長もまたみずからの死期を悟っていたのか定かではないが、五十を待たずに死ぬこととなる。
「人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり」を含む一節を引いておこう。出典は、「織田信長と「敦盛」 (wikipedia)。
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露
水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ
榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も
月に先立つて有為の雲にかくれり
人間(じんかん)五十年
化天(げてん)のうちを比ぶれば
夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり
一度生を享け
滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは
口惜しかりき次第ぞ
これは『平家物語』でもきわめて有名なシーン、熊谷直実が(くまがい・なおざね)が出家して世をはかなむ中段後半の一節である。
直実は、自分の息子と同じ年頃の平家の若き公達(きんだち)敦盛(あつもり)の首を掻いたことを思い出して「無常」を感じ、法然上人のもとで出家して念仏三昧の生活に入った直情径行な武士であった。敦盛は17歳であった。直実は、関東に戻ったのち66歳で天寿を全うしている。
(永青文庫蔵『一の谷合戦図屏風』より: 振り向く敦盛 呼び止める直実 )
『敦盛』を舞った信長も当然のことながら、この故事を知ったうえでのことだったろう。乱暴者の代名詞のような印象を受ける信長だが、天才的な知性は豊かな教養にも支えられていたと考えるべきだろう。
「化天」(げてん)とは、栄華を誇った平家が滅亡していったことを指す。まさに盛者必衰の理(ことわり)である。信長もまた、その運命をたどることになる。
さて、五十年といえば半世紀。じつは本日はわたしの誕生日。本日(2012年12月6日)をもって50歳になる。
すでに「人生の正午」(C.G.ユング)は過ぎているが、これからの10年間がほんとうの勝負だと思い定めているところである。
10代の若者で美少年であった敦盛の年をはるかに過ぎ、そしてまた信長の野望を実現することもままならぬまま(笑)、「人間五十年」を過ぎようとしている。
こういうのは「馬齢重ねて」と嘆くべきことなのであろうか。それとも五十年も生きたことを祝すべきことであろうか。
「人間五十年 化天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり」。
まさに夢や幻のごとく五十年という月日は過ぎ去ったが、ますます流動化し激動化する時代のなか、信長のように太く短くではなく、これからも山あり谷ありであろうとも、"太く長く" 生きていきたいものだ。
PS. 奇しくも今年度200本目の記事となった。さすがに毎日一本はムリですが、マイペースで書き続けていきたいと思います。今後もよろしくお願いします!
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熊谷直実は法然上人の弟子でもあった。浄土宗のウェブサイトを参照
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(2015年1月13日 情報追加)
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