『ロボット新世紀』というタイトルになっているのは、21世紀初頭の2003年に出版されたからだろう。原著は、2002年にフランスで出版された Les robo(レ・ロボ=ロボット) という、じつにそっけないタイトルの本である。
「文庫クセジュ」は、フランスの岩波新書のようなものだ。サイズからいって文庫ではなく新書であるだけでなく、自然・人文・社会の科学全般にわたる百科全書的な知のライブラリーの日本語版である。「クセジュ」は、16世紀のモンテーニュの名言 Que sais je ?(わたしは何を知っているというのか?)という反語的表現からきている。
全般的にその分野の碩学が、簡潔なページ数に学識を詰め込んだかつてのスタイルと異なり、最近のものは読みやすくて理解しやすいものが多くなった印象を受ける。これは翻訳レベルの向上だけでなく、フランス語の本じたいがそういう傾向にあるのだろう。知の軽薄化というよりも、それが本来の「一般読者向け啓蒙書」のあり方ではないか。英語圏の影響だろう。
じつはこの本は、買ってからすでに11年もたっているのだが、ずっと本棚の奥で眠っていたこの本を「再発見」してパラパラと読んでいたら面白いので、あっという間に最後まで読んでしまった。
日進月歩のロボット分野のことだから、原著出版から12年もたてば、もうはるかかなたの昔のような気がしなくもない。だが、押さえるべきところは押さえているので過不足はない。最新事例を入れ替えれば、2014年時点でも読む意味はないとはいえない。
ロボット前史からはじまり、ロボット開発の方向性を分類している。「目次」を見ていただければわかると思うが、現在のロボット開発の方向性はほぼ網羅されている。
フランス人のコンピュータエンジニアでジャーナリストの著者が、フランス人向けにフランス語で書いた本だが、でてくる事例の大半は日本とアメリカである。この両国がロボット分野では世界の二大大国なのである。とはいえ、日本人が書いたのでもアメリカ人が書いたものでもないので、第三者が俯瞰的に見ている公平な視点が感じられる。
読んでいて思うのは、現在でも圧倒的に中心に位置づけられる産業ロボットを除けば、ヒューマノイドという二足歩行の人間型ロボット開発に注力してきたのが日本だが、どうも日本人には「ロボット性善説」があるようだ。人間の生活空間における人間とロボットの共生というテーマである。たしかに著者がいうように、文化的な影響が無意識のうちに働いているのだろう。
だが、アメリカにかんしてはかならずしもそうではない。アメリカは軍事以外でもさまざまな用途のロボット開発が行われてきているが、あくまでも「道具」として位置づけている印象を受ける。いってみれば「ロボット性悪説」とでもいうべきか。ヨーロッパもそうだが、アメリカでも開発者の動機の背後には、哲学や思想が背景にある印象を受ける。人間機械や人造人間である。
本質においてコンピュータであるロボットは、ますます「自律性」を明確にしつつある。コンピュータに自律性とモビリティが加わると自立型のロボットになる。フランス人の目からみると、アメリカのロボット開発にある種の懸念をもっていることがわかる。
「第4章 特殊探査ロボット」では、「自律性」を備えたロボットの出現によって、アシモフのロボット三原則の尊重がますます難しくなるであろう事が指摘されている。
特殊探査ロボットのカテゴリーには、戦争、観測、偵察、探索などの目的が含まれるが、もっとも裾野が広く投資額が膨大であり、目的性や道具性が明確なこの分野では、自律性をもったロボットが制御不能になった場合の What-if (もし~なら)にかんするイマジネーションが必要となってくるはずだ。「性悪説」が不可欠なのである。
人工知能そのものにはページはあまり割いていないが、「ロボットが知能的であるとは?」という問いを最後に行っている。こういう問いは西欧人ならではという気もする。
著者は、人間型ロボットであるヒューマノイドが感情面まで備えたように見えるのは、人間型ロボットだけでなくペットの動物に対しても、人間はどうしても擬人化して感情移入しがちだからだとする。ロボットに知能があるのは、人間がそのように設計しているからだ、と。2002年当時でも、2014年現在でも、この見解はそのとおりだろう。
だが、著者は未来にかんしては断定的な結論は出すことなく、アメリカの発明家で人工知能研究の第一人者カーツワイルの「特異点」にかんするビジョンも含めて、さまざまなロボット開発者や人工知能開発者の議論を紹介している。ここでもその大半がアメリカ人と日本人の見解になるのだが、その違いが興味深い。
先日(2014年6月)、日本のソフトバンクが人間の自然言語を理解する人間型ロボット Pepper を発表したが、プロトタイプはフランスのベンチャー企業 Aldebaran Robotics のものだという。日本企業でもアメリカ企業でもなく、フランス企業と提携したというのが興味深い。個別企業との提携だが、ロボット開発思想にフランス的なものがあるのかどうか。
「クセジュ」は写真も図版もいっさいない、文章だけのそっけないつくりの本だ。日本語版もそうである。フランスの「クセジュ」は、同じタイトルの本を、著者を替えて定期的にアップデートしているが、つぎのエディションではホンダでもソニーでもなく、ソフトバンクの取り組みが全面にでてくるのかもしれない。
目 次
はじめに
第1章 ロボットの歴史
Ⅰ ロボットという言葉の進化と方向
Ⅱ 映画とサイエンス・フィクション
Ⅲ 最初のロボット
第2章 産業用ロボット
Ⅰ 敏感でダイナミックな市場
Ⅱ 目的が異なるさまざまなロボット
Ⅲ 外科手術支援ロボット
第3章 家庭用ロボット
Ⅰ 純粋に仕事が目的のロボット
Ⅱ 高級なオモチャ
Ⅲ アイボ、家庭用ロボット、すべてをこなすパートナー
Ⅳ ロボット泥棒にご用心
Ⅴ パーソナルロボットのオペレーションシステム
第4章 特殊探査ロボット
Ⅰ 戦争と秩序の維持
Ⅱ 探索ロボット
Ⅲ 闘争するロボット
第5章 人間型ロボット
Ⅰ ヒューマノイド型ロボット、なにを目ざすのか?
Ⅱ 歩くロボット、アシモ
Ⅲ ソニーの夢ロボット
Ⅳ HRP、日本の未来のスター
Ⅵ アメリカのコグが道筋を示す
Ⅶ 「社会化」する機械、注目されるキズメット
第6章 ロボットの未来
Ⅰ いくつかの大きな傾向
Ⅱ 問題の人工知能
Ⅲ 未来を予測する
おわりに
Ⅰ 多様性の支配
Ⅱ 曲がり角
Ⅲ 意識するロボットか? あるいは一緒に存在するロボットか?
訳者あとがき
参考文献/ウェブリスト
著者プロフィール
シリル・フィエヴェ(Cyril Fiévet)
1967年生まれ。コンピュータエンジニアでジャーナリスト.1991年、トゥールーズの国立電子情報高等学院を卒業。1994年までパリのオルガ・コンセイユというコンサルタント会社に情報システムエンジニアとして勤務したあと独立。現在、ウェブサイトを利用したコンピュータ、ロボット、ナノテクノロジーなどの先端科学技術を専門とするジャーナリスト、フリーランスライターとして活躍。(訳者あとがきより)
訳者プロフィール
本多力( ほんだ・つとむ)
1977年東京工業大学大学院博士課程修了。国内外の大学研究所等をへて現在日本原子力研究所勤務。富士山火山洞窟学研究会理事、日本洞窟学会評議員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
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・・カーツワイルの「特異点」(シンギュラリティ)
(2022年12月23日発売の拙著です)
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