(グエルチーノの「聖母被昇天」(1622年)
「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家」(国立西洋美術館)に行ってきた(2015年3月4日)。バロック好きだから楽しみにしていたからだ。「グエルチーノって誰?」状態のままであったが、今回はいっさいの先入観なしに作品を見ることにした。
最近の国立西洋美術館は面白い。行政改革によって独立行政法人となったこともあるのだろう、老舗美術館の革新というべきか、斬新な企画が目白押しである。昨年(2014年)のスイスの国民画家ホドラーもそうであったが、今回のグエルチーノもまた、美術史の教科書には登場しないが重要なアーチストを拾い上げ、発見のよろこびを分かち合おうという姿勢を感じるのだ。
それは上から目線の啓蒙とは違うなにかである。イベントは企画から実施まで数年かかるのだが、つよい思いをもったキュレーター(=学芸員)と、知られざるアーチストを取り上げるというリスクを承知で実行に踏み切った館長のコラボレーションというべき企画といっていいだろう。
概要は以下のとおりである。イタリア・バロック美術の美術展である。
グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家
会期: 2015年3月3日(火)~5月31日(日)
主催: 国立西洋美術館、ボローニャ文化財・美術館特別監督局、チェント市、TBS
後援: 外務省、イタリア大使館
ニュースで見たかどうか記憶にないのだが、グエルチーノの出身地でその作品の大半が残っているイタリア北部のチェント市は、2012年に大地震に見舞われ、大きな被害を受けたのである。美術館も崩壊の危険があって閉館されたまま(・・会場に掲載されていた写真でみると美術館内部に瓦礫が散乱状態)、現在でも復旧のメドがたっていないのだという。
今回のグエルチーノ展は「震災復興事業」であり、地震国日本と地震国イタリアの深い絆の象徴ともいえるものだ。収益の一部は震災復興にあてられるということで、その意味でもぜひ協力したいという気持ちにさせられる。
■グエルチーノという17世紀イタリアのバロック画家
グエルチーノのグエルというと、バルセローナにあるガウディ設計のグエル公園を想起するが、それとはまったく関係ないようだ。グエルチーノ(Guercino)は、子ども時代のあだ名だそうだ。やぶにらみという意味らしい。
グエルチーノの本名は、ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ、1591年に生まれ1666年に亡くなった。同時代人には、イタリアのカラヴァッジョ、スペインのベラスケス、オランダのレンブラントなど、西洋美術史のメインプレイヤーである、そうそうたる画家がいる。
グエルチーノも、17世紀にはたいへん評判の高かった画家らしい。注文が引きも切らず、各国から宮廷画家の誘いを受けても断っていたという。故郷を離れたのは教皇庁の依頼でローマに滞在していた期間のみである。
18世紀のゲーテの『イタリア紀行』には、1786年10月17日の「チェントにて」の記述に以下ものがあることを会場で知った。第一次ローマ滞在の前に一日だけ途中のチェントに滞在している。である。
昨日よりもいい気分で、グェルチーノの生まれた町から手紙を書いている。・・(中略)・・グェルチーノは生まれ故郷を愛していた。総じてイタリア人は最高の意味での愛郷心を抱きかつ育てているが、そうした美しい感情から、たいへん多くの貴重な施設が、いや多数の郷土的聖徒さえ生まれ出たのである。・・(中略)・・グェルチーノの名は聖なるもので、子どもや老人の口にもよくのぼる。・・(中略)・・グェルチーノは精神的にしっかりした、男性的に健全な画家であるが、粗野なところは少しもない。むしろ彼の作品には繊細な道徳的優美さ、静かな自由さと偉大さがあり、それでいてひとたびそれで目を馴らしたものは、その作を見誤ることのないような独自なものをそなえている。彼の筆の軽妙さ清純さ完全さには驚嘆のほかはない。・・(中略)・・これらの美しい芸術品の収集に接したことをひじょうに好ましくありがたく思っている。(引用は、『ゲーテ全集 第11巻 紀行文』(高木久雄訳、潮出版社、1979) P.82~84)
以前に岩波文庫版で読んだはずなのだが、記憶からまったく消えていた。チェントもグエルチーノも関心の外にあったためだろう。ゲーテはこの翌日にはボローニャに入っている。
今回の美術展に出品されているなかでゲーテが絶賛している作品を紹介しておこう。『聖母のもとに復活したキリスト』(1628~1630)である(下図)。
(グエルチーノの『聖母のもとに復活したキリスト』(1628~1630)
復活したキリストが母のもとに姿を現すところを描いている絵は、ぼくにはたいへん好ましいものであった。キリストの前に跪きながら聖母は、えも言えぬ心情をこめて彼を見上げている。・・(中略)・・母を眺めている哀愁をおびたまなざしは無類なもので。あたかも自分や母の受けた苦悩の思いが復活によってすぐには癒されることなく、その高貴な魂の前を漂っているかのようだ。(引用は同上)
ゲーテはもう一点、聖母子を描いた作品を絶賛しているがここでは省略しておく。
グエルチーノは19世紀には忘れ去られてしまうが、美術批評家たちによって「再発見」されたのは、20世紀半ば以降のことであるらしい。作曲家のバッハもそうであるが、初期近代のバロックが見直されたのは、「近代」の行き詰まりと関係もあるといっていいかもしれない。
だから美術史に登場していなかったわけであり、現在でも日本で出版されているイタリア・バロック関連の本にも出てこないのだろう(・・ただし、詳細に調べたわけではない)。
今回の美術展では、なんといっても17世紀バロックを存分に楽しめることにある。ダイナミックな迫力、光と影のコントラスト、精神と肉体、聖と俗、生と死・・。そういったフレーズがすぐに脳裏に浮かぶことだろう。
バロック時代の絵画とは、プロテスタント側の「宗教改革」に対するカトリック側の「対抗宗教改革」が生み出したものであり、その時代背景は宗教戦争の時代である。いとも簡単に人が殺さるという状況であったからこそ、生まれてきた絵画作品であるということもできるのではないか。
わたしは個人的には、グエルチーノのローマ滞在時代前後のバロック絵画がもっとも見所があると思われた。ポスターに使用されている「聖母被昇天」(1622年頃)は、チェント市のサンティッシモ・ロザリオ聖堂のものだというが、美術館の所蔵品ではない作品が国外の美術館で展示されることなど、あまりないのではなかろうか。その意味でも、この作品は正面から見るのではなく、ひざまづいて仰ぎ見るべき作品だろう。
基本的に聖書とキリスト教を題材にした作品が大半だが、意外なことにギリシア神話世界も題材とした作品が出展されている。中世末期のルネサンス時代にはギリシア・ローマ神話という「異教」世界の題材が多く取り上げられたが、バロック時代にもそうした絵画があったことは知らなかった。
グエルチーノは、工房システムで制作しており、コピーや複製も大量に制作されたらしい。会計記録が残っており、それによると、細かくスペックにわけた料金システムが設定されていたようだ。「近代的」というべきだろうか?
いろいろ周辺情報を書いてきたが、グエルチーノの作品をつうじて17世紀イタリアのバロック時代を知ることができる美術展である。さきにゲーテによる評価を引用したが、それはそれとして、余計な先入観なしにグエルチーノの作品世界を堪能するのがよいのではないかと思う。
(国立西洋美術館前のパネル 筆者撮影)
<関連サイト>
グエルチーノ展(国立西洋美術館のサイト)
グエルチーノ展(後援するTBSのサイト)
<ブログ内関連記事>
■バロック美術
エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう
・・バロック絵画を代表するエル・グレコ(1541~1614)が活躍したのは1600年前後、グエルチーノよりちょうど50歳年長にあたる
ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)
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「ジャック・カロ-リアリズムと奇想の劇場-」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年4月15日)-銅版画の革新者で時代の記録者の作品で17世紀という激動の初期近代を読む
・・ジャック・カロ(1592~1635)は、17世紀初頭のロレーヌ地方が生んだエッチングの革新家であり、時代の記録者でもある。グエルチーノとほぼ同年齢である
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『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る
『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する
■ゲーテ関連
ルカ・パチョーリ、ゲーテ、与謝野鉄幹に共通するものとは?-共通するコンセプトを「見えざるつながり」として抽出する
・・ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』
銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩
・・ゲーテの『西東詩集』
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(2020年9月24日 情報追加)
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