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2016年5月30日月曜日

祝! ル・コルビュジエ設計の東京・上野の国立西洋美術館が念願の「世界遺産」登録が内定(2016年5月18日)


(ロダンの「カレーの市民」の背後に西洋美術館 筆者撮影)

ル・コルビュジエ設計の東京・上野の国立西洋美術館が、念願の世界遺産登録に向けて大きく前進した。ほぼ確定となったのだ。

このニュースが報道されたのは、2016年5月18日。一昨年の2014年に登録されて大きな話題となった富岡製糸場とは違って、コルビュジエって誰(?) という人も多いだろう。

だが、東京・上野の国立西洋美術館くらいなら知っている人も少なくないはずだ。独立行政法人となったいまも、ブランディングの観点から「国立」を名乗ることが許されている美術館だ。

今回の世界遺産登録は、世界に点在するコルビュジエの作品群を一括してまとめて申請したことが奏を効しとされている。日本の国立西洋美術館だけが登録されたのではない。フランスはもとより、ドイツやスイス、さらにはインドなどに点在する建築と一括しての登録である。

コルビジュエの建築が、フランスの息がかかっている「世界遺産」に登録されなかったのは不思議なこと。なぜなら、コルビジュエがフランス語圏の人であるだけでなく、国立西洋美術館もまた、きわめてフランス色の濃い施設であるからだ。

国立西洋美術館の常設展示の中核は、いわゆる「松方コレクション」であり、フランスでの収集品が中心の個人コレクションである。戦時中にフランスに差し押さえられていた松方コレクションが、差し押さえが解除されて日本に移動することになった際、その器として建設されたのが国立西洋美術館なのである。1959年(昭和34年)のことである。

美術館の前庭には彫刻家ロダンの作品群。冒頭に掲示した「カレーの市民」や「考える人」、ダンテにもとづく「地獄門」などの代表的な傑作がずらりと屋外展示されている。 美術館内の展示もすばらしいが、屋外展示もまたオープン性が強いのが特色なのだ。「フランスがまだ輝いて見えていた頃」を体現しているといってよいだろう。


(1階部分を柱でささえた開放的なピロティ構造が特色のひとつ 筆者撮影)

建築家の名前はコル「ビュ」ジエ」。これを誤ってコル「ビ」ジュエ」という人がいるが要注意! ビジネスパーソンでも、「シミュレーション」を誤って「シュミレーション」という人がいるのと同様、ちょっと恥ずかしいことですよ。

とはいえ、コルビュジエじたいがペンネームなので、『ル・コルビュジエ-終わりなき挑戦の日々-』(創元社、2006)の監修者で序文を書いている建築史家の藤森照信氏によれば、欧米の建築家のあいだではでは略してコルビュ、日本の建築家はコルと呼んでいるというそうだ。

本名は、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレといい、スイスのジュラ山脈中のフランス語圏に生まれた人。ラ・ショー=ド=フォン(La Chaux-de-Fonds)というその町は、スイスの機械時計製造では代表的な都市で、世界的なメーカーのタグ・ホイアーなどが本社を置いている。コルビュジエの父も祖父も時計の絵付け師で、その先祖はフランス南西部から16世紀に逃れてきたプロテスタントなのだという。つまりはユグノーである。

ラ・ショー=ド=フォンの中央市街は、隣接するル・ロックルの中心市街とともに、「ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックル、時計製造業の都市計画」という名で「世界遺産」に登録されれている(2009年)。

ラ・ショー=ド=フォンには、建築家として独立したコルビュジエの最初の作品がある。「白い家」という通称の両親のために建てられたジャンヌレ=ペレ邸があり、今回の「世界遺産」登録においてもリスト内のひとつとして筆頭にあげられている。たいへん名誉なことであろう。

コルビュジエ本人も、1900年に地元の美術工芸学校に進学し、時計職人としての彫金などを学んでいたということで、手仕事を重視する時計製造とは切っても切れない町なのだ。

だが、コルビュジエは基本的に独学で建築を学んだ人だ。この点に、安藤忠雄のような人も大いに魅せられたのだろう。ただし、馬鹿の一つ覚えのように「コンクリート打ちっ放し」ばかりなのは、思うがいかがなものかと・・・。発注者の問題でもありますが。

コルビュジエのスタイルは、「コンクリート打ち放し」が中心にある。このほか、国立西洋美術館がそうだが、ピロティー、スロープ、自然光を利用 した照明計画などもあげられるだろう。

構造的にみたらピロティには難があるような気もしないではないが、前回の東日本大震災も乗り切ったことだし、とくに大きな問題はないのだろう。


(東京文化会館の設計者について記されたプレート 筆者撮影)

コルビュジエは日本人建築家にも多大な影響を与えた人だ。西洋美術館じたい、前川國男など日本人直弟子の筆頭に立つが設計たちとともに設計したものであり、西洋美術館のはす向かいにある東京文化会館は、その前川國男によるものだ。

上野公園は、JR上野駅からのアプローチがコルビュジエ流の近代建築で迎えてくれるというわけなのだ。この事実を知ってから、あらためて西洋美術館や東京文化会館を建築物として鑑賞してみるといいだろう。

もちろん、建築物というものは外観だけでなく、そのなかに入って体感するものこそ大事なことは言うまでもない。


PS 2016年7月17日、トルコのイスタンブールで開かれた委員会で「世界文化遺産」に正式決定

じつは決定は一日遅れ。なんと正式決定されるはずだったその当日に、トルコでクーデターが勃発したからだ。結局、軍の一部による蜂起として一日で鎮圧されたが、委員会の開催そのものが中止になる恐れがあった。関係者はやきもきしたことだろう。いずれにせよ、「世界文化遺産」として正式決定されたことは、じつに喜ばしいことだ。(2016年7月18日 記す)



<関連サイト>

三度目の正直、上野沸く 西洋美術館 世界遺産へ (日本経済新聞、2016年5月18日)



<ブログ内関連記事>

ドニゼッティのオペラ 『ロベルト・デヴェリュー』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた
・・「東京文化会館」は1961年の建築。設計は、前川國男建築設計事務所で、「建築業協会賞」第3回(1962年)を受賞しており、公共建築百選」にも選出されている。反対側にあるのが、今回「世界遺産」に登録が決定した国立西洋美術館。前川國男はコルビュジエの弟子である

今年2011年の世相をあらわす漢字は 「水」 に決まり-わたしが勝手に決めました(笑)
・・「ピロティ(Pilotis)といえば、世界遺産登録が試みられている建築家ル・コルビュジエで有名ですが、ベトナムやカンボジア、タイでは民家ではよく見られます。伝承されてきた知恵。国立西洋美術館はコンクリート打ちっぱなしのピロティ構造

「説教と笑い」について
・・モダニズム建築の代表的建築家・丹下健三が設計し、1964年に完成したコンクリート打ちっ放しの東京カテドラル聖マリア大聖堂の内部を体験

「日本近代建築の父アントニン・レーモンドを知っていますか-銀座の街並み・祈り-」にいってきた(2016年1月28日)-日本の教会建築と洋風建築に大きな影響を与えた知られざる建築家を知る
・・コルビュジエから盗作の抗議を受けているレーモンドは、日本では教会建築を多く手がけている

『連戦連敗』(安藤忠雄、東京大学出版会、2001) は、2010年度の「文化勲章」を授与された世界的建築家が、かつて学生たちに向けて語った珠玉のコトバの集成としての一冊でもある
・・安藤忠雄はコルビュジエの「コンクリート打ちっ放し」の系譜のなかにある

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)(2009年12月27日)

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
・・専門として建築を学んでないが独創的な建築物を設計

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・専門として建築を学んでないが独創的な建築物を設計


コルビュジエの生まれたスイス

書評 『ブランド王国スイスの秘密』(磯山友幸、日経BP社、2006)-「欧州の小国スイス」から、「迷走する経済大国・日本」は何を教訓として読み取るべきか

「急がば回れ」-スイスをよりよく知るためには、地理的条件を踏まえたうえで歴史を知ることが何よりも重要だ
・・スイスの時計産業を支えたのがフランスから脱出した難民のユグノーであったことに触れている

映画 『アルプス-天空の交響曲-』(2013、ドイツ)を見てきた(2015年5月28日)-360度のパノラマでみる「アルプス地理学」

「フェルディナント・ホドラー展」(国立西洋美術館)にいってきた(2014年11月11日)-知られざる「スイスの国民画家」と「近代舞踊」の関係について知る

書評 『からくり人形の夢-人間・機械・近代ヨーロッパ-』(竹下節子、岩波書店、2001)-「西洋からくり人形」にさぐるバロック時代の精神世界


フランスのプロテスタントであるユグノー

映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ
・・アンリ4世は「ナントの勅令」によって
「ナントの勅令」は約一世紀後の1685年に太陽王ルイ14世によって廃止されてしまう。この結果、産業の担い手であったプロテスタント(=ユグノー)たちは、大挙して英国やスイス、プロイセンへと脱出


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