「おお、これはいい本がでた!」と思って、出版されたらすぐ読むつもりで買ったのだが、あっという間に4年もたっていた。そんな本を読了。 『かくて行動経済学は生まれたり』(マイケル・ルイス、度会圭子訳、文藝春秋、2017)。翻訳本だが、こなれた日本語になっているので読みやすい。
現在ではすでに「常識」となっている「行動経済学」がいかに生まれてきたのか、生みの親となった2人の心理学者たちのライフストーリを軸に描いた知的エンターテインメント。ベストセラー作家の読ませるストーリーテリング能力はバツグンだ。
経済学が前提としてきた「合理的経済人」は、実際には存在しないフィクション(虚構)の存在であるが、経済理論を組み立てるための前提となっていた。だが、これに対する違和感を感じた人がいたとしても、異議申し立ては経済学の内側から発生してくることはない。
そもそも人間は、それほど合理的に生きているわけではなく、間違った選択を行うことも多い。常識的に考えたら当たり前だ。英語にも To err is human, to forgive divine.(誤つは人のさが、赦すは神)という17世紀英国の詩人アレグザンダー・ポープに由来する格言があるではないか。
なぜ人間は先入観や固定観念にもとづいた、そんな考えをしてしまうのか、なぜ思考にはさまざまなバイアスがつきものなのか。
この観点を欠いた経済学が、かつてはまかり通っていたのだ。経済学の外からみたら、異常でしかなかったのだ。革命的変化をもたらしたのは、経済学の「外側」からやってきた認知心理学の理論であった。
2002年のノーベル経済学賞を受賞したので世界的に有名になったのは、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)である。だが、本来はもう一人の研究者にも与えられるはずのものだった。共同研究者のエイモス・トヴェルスキー(Amos Tversky)はすでに死去していたため、それは叶わなかったのである。
建国後まもないイスラエルに育った2人の「若者」が、強い関心を抱いたのは心理学であった。第2次世界大戦後に誕生したイスラエルという環境と、心理学という研究分野が大きな意味をもっていたことが、本書を読むとよく理解できる。 本書は、ある意味ではイスラエル現代史であり、認知心理学の歴史でもある。
建国の時点から「国民皆兵」のイスラエルでは、将校はすべて兵士からのたたき上げであり、徴兵された若者から指揮官になるポテンシャルをもった人間をいかに選別し、軍事作戦においていかに意志決定の誤りを避けるか、これは国家の存続そのものにかかわる重大問題であり、実践的な問題解決が求められるのである。
カーネマンの研究は前者の将校選別実務から始まったのであり、実戦においても力量を発揮したトヴェルスキーは後者の意志決定にかんする問題を痛感していた。2人の天才も予備役期間中(*男性の場合、戦闘任務は41歳まで、その他の一般任務は54歳まで)は、海外にいてもただちにイスラエルに戻って軍務に服している。戦争で命を落とした大学教授や知識人も少なくないのが、サバイバル国家イスラエルの現実だ。
そんなイスラエルで、性格も得意分野もまったく異なるユダヤ系の2人の天才が、なぜかウマが合って、きわめて密度の濃い共同研究で数々の理論を生み出したのである。英語でいえばいわゆる Dynamic Duo というやつだろう。
既存の思考や枠組みを変えるのは「若者、バカ者、よそ者」だとよく言われるが、まさに行動経済学の成立においても、その法則が成り立っていたわけだ。世界を変えていったそのプロセスが興味深い。
恐れ知らずの若者たちが、当初は現在ほど人気のなかった心理学という分野で、しかもイスラエルという当時の知的辺境から生み出された理論なのである。
原題は、The Undoing Project A friendship that changed the world. である。"The Undoing Project" とは、 実際にはやらなかったが、「もし~してたなら」と考えてしまうたぐいの物事のことを指している。
日本語訳タイトルの『かくて行動経済学は生まれり』は、たしかに内容的にはそのとおりなのだが、副題の「世界を変えた友情」(A friendship that changed the world)を活かしたほうがライフストーリーとしての面白さを前面に出せたのではないかと思うのだが・・・。
これも "The Undoing Project" というべきものなのかな? 文庫化される際には、タイトルについては、よくよく考え直していただきたいものだ。
もちろん、そもそも人間は間違うものである。絶対にただしい意志決定など、世の中には存在しない。
目 次序章 見落としていた物語第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか?第2章 ダニエル・カーネマンは信用しない第3章 エイモス・トヴェルスキーは発見する第4章 無意識の世界を可視化する第5章 直感は間違える第6章 脳は記憶にだまされる第7章 人はストーリーを求める第8章 まず医療の現場が注目した第9章 そして経済学も第10章 説明のしかたで選択は変わる第11章 終わりの始まり第12章 最後の共同研究終章 そして行動経済学は生まれた参考文献について謝辞訳者あとがき解説 「ポスト真実」のキメラ(月刊誌『FACTA』主筆 阿部重夫)
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・・「経済人」(economic man)とは、ドラッカー自身が第2章で説明しているように、18世紀の経済学の父アダム・スミス以来の「ホモ・エコノミクス」(homo economicus)概念のことだ。 「ホモ・エコノミクス」とは、経済活動において自己の利益の最大化を図ることを目的にした完全に合理的な人間のことを指した経済学の仮説のことである。このように絵にかいたような「経済人」(ホモ・エコノミクス)が、じっさいには多数派ではありえないことは、健常な「常識」をもった人にとっては当たり前だろう。そもそも人間は非合理的な存在であることを前提にした「行動経済学」が近年発達してきたが、それでも主流の経済学においてはまだまだ「ホモ・エコノミクス」仮説が幅をきかせている」
・・ドローンもまたイスラエルで生まれて米国で育った技術である
・・建国から20年くらいまでのイスラエルは、「レバノン侵攻」(1978年)で完全に終わったといっていいだろう。大義なき戦争に徴兵された若き兵士たちの精神は大きなトラウマを抱えることになる
・・国民皆兵のイスラエルでは、将校はすべて一般兵士からのたたき上げである
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