話題になっているということは、それなりに意味がある。
というよりも、『土を育てる ー 自然をよみがえらせる土壌革命』(ゲイブ・ブラウン、服部雄一郎訳、NHK出版、2022)を読んで思ったのは、この本はテーマそのものもさることながら、それ以上に大事なことを語っている本だと気がついたことだ。
「耕さない」農法を実践して大成功し、見学者が殺到しているという米国の農家の記事をたまたま目にして、それは面白いなと思ってネットで調べてみたら、その当の本人が本を出していることを知った。しかも、その本は日本語訳されていて話題になっているということも。
帯には「真に生きた土」をつくる野心的な土壌のバイブル」とある。つまり、基本的に土壌について書かれた本だ。
米国中部でカナダと国境を接したノースダコタ州で農業を経営する農業経営者の、自分の畑をつかった実験の記録であり、試行錯誤と成功にいたるまでのドラマでもある。
ノースダコタ州の気候条件ははっきりいって悪い。従来型の農法であれば、年間120日間しか「耕作」できないというのだから。だが、この「耕作」という農業の「常識」こそが捨て去られなくてはならないものだったのだ。
■古代以来の農業と近代農業に対するアンチテーゼ
わたしなら「耕さないという選択」というタイトルでもいいのではないかなと思う。
農業といえば耕作、耕作とは土を掘り返して畑をつくること。工業化以前の時代であっても、いや古代以来、この耕作という営みが繰り返されてきたが、「耕さないという選択」は、まさに「常識外れ」、というよりも「常識」への挑戦であり、発想の大転換である。
主語を作物から、土壌に変えるのである。あくまでも土壌という視点から、環境全体をみる視点。
いままでの農業は、耕すことによって表土に必要な炭素を充分に止めておくことができず、しかも窒素を補うために化学肥料を施肥してきた。この結果、土壌流出や化学肥料による土壌汚染と河川の汚染を引き起こしつづけている。環境汚染である。
土壌を回復することは、「全体性」の回復といってもいいだろう。「ホーリスティック」である。著者のいう「リジェネラティブ農業」(Regenerative agriculture)とは環境再生のことであり、土壌を中心とした生態系の回復を目指した農業のことである。
土壌を中心においたとき見えてくるのは、生物多様性の重要性であり、植物と菌、植物と動物の共存関係であり、人間の役割が限定されているということだ。人間は土壌のなかの生態系がうまく働くように、調整を行うことにとどめるだけでいい。
著者は、「土の健康の5原則」として、以下のように提唱している。
第1の原則 土をかき乱さない第2の原則 土を覆う第3の原則 多様性を高める第4の原則 土のなかに「生きた根」を保つ第5の原則 動物を組み込む
重要なのは「炭素」である。カーボンである。炭素は環境問題でやり玉にあげられる筆頭だが、植物と共生している菌根菌(キンコンキン)にとって不可欠なのである。
植物は光合成によって二酸化炭素を取り込み、根から炭素を排出して菌をおびよせる。この菌根菌が植物に栄養を供給し、糊状物質を分泌することで団粒構造の土を生成し、土壌の保水力が増すのである。森林に保水力があるのはこのためだ。
だから、ほんとうにことをいえば、農業などしないで森のまま維持しておくことが炭素吸収のためにはベストなのだ。
とはいえ、人間が生きていくためには食料が必要であり、そのためには農業が必要だ。であれば、できるだけ「土壌の生態系」を乱すことなく、自然にできるだけ近い形で「循環経済」を成立させるべく努力しなくてはならないわけだ。
「カーボン・ファーミング」(carbon farming)とは、この炭素を植物の光合成によって土壌に増やすという農法のことだ。植物が生育するための10元素があるが、もっとも重要なのは炭素と窒素。窒素(nitrogen)もまた化学肥料ではなく、マメ類や大根によって土壌に供給することが可能である。
耕作という古代以来の農業のアンチテーゼであり、化学肥料を施肥するという近代農業へのアンチテーゼである。
2018年の出版後に「第6の原則 背景の法則」を加えている。
英語の原文がどうなっているかわからないが、その土地の土壌をめぐる「背景」とは、「文脈」(コンテクスト)のことだと考えたらいいだろう。
土地の来歴と、気象条件もふくめた地理的な環境である。農地は個別性がつよいので、自分の農地にあった策を講じなくてはならないからだ。
■逆境からの出発。災い転じて福となす
著者がこの農法にたどりついたキッカケは、農家の出身ではない新規就農者であった著者が農家の娘と結婚して、農業をはじめてから直面した厳しい現実であった。
厳しい気象条件による4年間連続の不作という「逆境」。この逆境でも農業をやめることなく、つづけたいという思いが「逆転の発想」にたどりつくのである。
カネがないというよりも、4年連続の不作で多額の借金を背負っているので新規投資はできない、肥料を買うカネもない。そんな状況におかれて「耕さないという選択」になったわけだ。
逆境をいかに奇禍として、災い転じて福としたか。そんなドラマとしても読み応えがある。
現在すでに「リジェネラティブ農業」は軌道にのって、少ない人数で農場を回しているだけでなく、リユースとリサイクルによってムダを徹底的になくして、多角化経営を実践している。
サステイナブルであるためにには、農業もビジネスとして継続的に利益を出していかなくてはならない。生産量を増やすよりも利益を出し続けることが重要だ。そんな哲学が著者にはある。まったくそのとおりだ。
化学肥料や殺虫剤の購入が農家の経営を圧迫しているのは、米国でもおなじなのだという。
トウモロコシや大豆などのモノカルチャーは、生産効率性を高めるが、土壌を疲弊させるので中長期的には生産性がさがっていき、経費のみがかかって利益の少ない農業になっているという現実。米国の農業が抱える問題は、ふだん日本では話題にならないが、かなり深刻なものがあるようだ。
■大きな変化を起こすには「発想の大転換」が不可欠
ものの見方を変えよ、これがいちばん難しい。「常識を捨てよ」とは、「アンラーン」(unlearn)のことである。無意識レベルまで浸透している習慣や発想法を捨て去るのは、じつにむずかしい。
もともと「不耕起」が拡がっている米国だからと取り組みやすかったということもあるようだ。とはいえ、著者の不屈の精神と実験精神は、ある意味では米国人らしいといえるかもしれない。米国の底力である。しかも現代らしく、全米でネットワークも組んでいる。
そんな「リジェネラティブ農業」だが、発想のひとつは日本の「自然農法」にもあるらしい。日本もまた近代農業のワナにはまってしまい、高齢化と後継者不足がさらに問題を深刻化させている。
農業経験のない新規就農者が、従来型の農法のワナにとらわれることなく「自然農法」である「リジェネラティブ農業」に取り組むといいかもしれない。なんせ人手は最小限で済むのだから。さまざま工業型農業と共存可能だろう。植物工場は日本には不可欠である。
著者は、ある畜産家が講演で語ったというフレーズを、なんども繰り返し引用している。それは、「小さな変化を生み出したいなら、やり方を変えればいい。大きな変化を生み出したいなら、見方を変えなければ」というものだ。まさに至言というべきだろう。
だからこそ、『土を育てる ー 自然をよみがえらせる土壌革命』は、近代農業を乗り越えるための「21世紀の農業革命」の本であるが、さまざまな読み方が可能な本であるといえる。
ふだん農業には関心のない人も読む価値がある。あるいは、ビジネス書として読むことも可能かもしれない。
目 次日本版に寄せてはじめに いちばんの師第1部 道のはじまり第1章 絶望からの出発第2章 自然をよみがえらせる第3章 リジェネラティブの目覚め第4章 牛が牛でいられるように第5章 次世代に引き継ぐ第6章 〝自然そだち〟第2部 理想の「土」を育てる第7章 土の健康の5原則第1の原則 土をかき乱さない第2の原則 土を覆う第3の原則 多様性を高める第4の原則 土のなかに「生きた根」を保つ第5の原則 動物を組み込む(第6の原則 「背景の法則」)第8章 カバークロップの偉大な力第9章 土さえあればうまくいく第10章 〝収量〟よりも〝収益〟をおわりに 行動を起こす謝辞訳者あとがき参考資料
著者プロフィールゲイブ・ブラウン(Gabe Brown)農場経営者。気候変動対策として、いま世界で注目を集めるリジェネラティブ農業(環境再生型農業)の第一人者。アメリカ、ノースダコタ州で2,000ヘクタールの農場・牧場を営む。妻と息子の家族3人でたび重なる危機を乗り越え、化学肥料・農薬を使わない不耕起栽培によって自然の生態系を回復させる新たな農業を確立した。その農場には国内外から毎年数千人の見学者が訪れるほか、講演やメディア出演も多数行い、世界中にメソッドを伝えている。米国不耕起栽培者賞、天然資源保護協議会から成長グリーン賞を受賞。日本語訳者プロフィール服部雄一郎(はっとり・ゆういちろう)翻訳家。2014年より、高知にてサステイナブルな暮らしの実践をスタート。環境に配慮した「ゼロウェイスト」や「プラスチック・フリー(プラフリー)」の実践的な取り組み、循環や持続可能性を意識した暮らし方がメディアで紹介され注目を集めている。訳書に、『ゼロ・ウェイスト・ホーム』(アノニマ・スタジオ)、『プラスチック・フリー生活』(NHK 出版)、『ギフトエコノミー』(青土社)など。共著書に、『サステイナブルに暮らしたい』(アノニマ・スタジオ)。(出版社サイトより)
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・・「土壌は、もっぱら農業や園芸の対象であるが、同時に地質学でもあり、微生物学でもあり、植物学でもあり、動物学でもあり、化学でもあり、地球環境問題でもある」
・・「シュタイナー農法」について
・・日本における「自然農法」の取り組み。雑草はいっさい抜かない。殺虫剤もつかわない
■近代農業と化学肥料
書評『毒ガス開発の父ハ-バ- ー 愛国心を裏切られた科学者』(宮田親平、朝日選書、2007)ー 平時には「窒素空中固定法」で、戦時には「毒ガス」開発で「祖国」ドイツに貢献したユダヤ系科学者の栄光と悲劇
・・植物の生長に必須の窒素を化学的に製造する方法を確立した「ハーバー・ボッシュ法」
・・東京都江東区の釜屋堀公園にある「人造肥料工業発祥の地」の石碑は高峰譲吉が日本で取り組んだ化学肥料工場の跡地
■21世紀の「工業型農業」
■米国農業を象徴する農業機具
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