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2014年12月19日金曜日

「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験


東京の築地本願寺で毎月最終金曜日に開催されている 「パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた。

前々から気にはなっていたのだが、ウィークデーの金曜日のお昼にいくのはむずかしいので今回まで実現しなかったのである。

お寺でコンサートというのは、現在ではとくに珍しいものではない。そもそも、お寺や神社は本来は開放系のスペースなので、コンサートなどの集客を行いやすい場所である。落語が仏教の説教から派生して誕生したことも、比較的知られていることではないだろうか。

だが、お寺と西洋音楽、それもキリスト教とは切っても切り離せない教会音楽が中心のパイプオルガンとお寺は結びつきにくい。築地本願寺はその例外的な存在だろう。

そもそも近代日本を代表する建築家の一人である伊東忠太(1867~1954)設計の外観がインド風でエキゾチックだとはいえ、黄金色に輝く阿弥陀如来の本尊が安置された本堂は浄土真宗のお寺そのものだし、充満する線香の抹香臭い匂いはお寺以外のなにものでもない。

ところが本堂に入って振り返ると、そこにあるのは本格的なパイプオルガンである。しかも、築地本願寺のサイトによれば、1970年に公益財団法人「仏教伝道協会」から寄進いただいたものだそうだ。現代人に仏教を伝道するための導入手段としては、なかなかのアイデアではないか!

(築地本願寺本堂内のパイプオルガン 筆者撮影)

本日は 「パイプオルガン ランチタイムコンサート」の104回目だそうだ。毎月一回開催されているので、すでに8年以上にわたってつづいていることになる。入場無料であり、息の長い「伝道活動」である。

本日の演奏者は佐藤雅江氏。立教新座中学校・高等学校オルガニスト、聖路加国際大学礼拝堂オルガニストである。

コンサートは入場無料で 12時20分から30分。お昼のひとときである。

今回のプログラムは以下の4曲である。

J.P. スウェーリング: エコー・ファンタジア イ短調
  Jan Pieterzoon Sweelinck (1562~1621): Echo Fantasia in a
坂本日菜: 南無不可思議光-「しんじんのうた」によるファンタジア
 Hina Sakamoto (b. 1968): I entrust myself to the Buddha of Inconceivable Light - Fantasia on "Shinjin no uta" from Hymn book ofor Buddhists
Ch.M. ヴィドール: オルガン交響楽 第5番 より 第4楽章「アダージョ」
 Charles-Marie Widor (1844~1937): Ⅳ. Adagio extrait de Cinquieme Symphonie
J.S. バッハ: ファンタジアとフーガ ハ短調 BMV 537
 Johann Sebastian Bach (1685~1750): Fantasia et Fuga in c BMV 537

ちなみにファンタジアとは「幻想曲」と日本語で表現されているが、音楽の楽曲のジャンルとして即興性の高い作品のことをいう。ディズニーのファンタジアとはニュアンスが違う。

二曲目の「南無不可思議光」は今回のコンサートのために作曲されたものだそうだ。「正信偈」(しょうしんげ)にでてくるシーンを音楽化したものだと解説されていた。なんだか電子音楽のような印象だった。

(築地本願寺本堂内のパイプオルガン 側面からみる)

ヨーロッパの教会で行われるパイプオルガン演奏と比べると、音響の面では劣るのは仕方がない。そもそもオルガン演奏を前提に本堂が設計されているわけではないからだ。天上から音が降り注ぐように、音響を最大限に計算にいれた設計のキリスト教の教会とは違うのである。

とはいえ、お寺の本堂でパイプ椅子に座ってパイプオルガンの演奏を聴くのも、なかなか不思議な経験である。築地本願寺の本堂には雅楽で使用する太鼓もおかれているので、音楽としては和洋双方に対応できるようになっているようだ。

インド風のお寺の、日本風の本堂のなかで、西洋のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験。まだ体験されていない方は、毎月最終金曜日に開催されているので、ぜひ時間をつくって体験されることをおすすめしますよ。



<関連サイト>

お寺で♪パイプオルガンのランチタイムコンサートはいかが (築地本願寺)

築地のお寺でパイプオルガン (築地本願寺の副オルガニストの小島弥寧子氏のブログ)
・・明福寺(みょうふくじ)ルンビニー学園(東京都江戸川区)ではオルガニストをつとめているという。明福寺(浄土宗)のパイプオルガンは1999年設置とのこと。画像で見る限り小型のオルガンである

科学するTAMAGAWA 80年以上にわたるパイプオルガンの伝統
・・教会以外でパイプオルガンを導入したきわめて初期の事例(昭和6年)をもつ玉川大学のパフォーミングアーツ学科ではオルガン奏者の実技教育も行っている





<ブログ内関連記事>

タイのあれこれ (16) ワットはアミューズメントパーク
・・タイのお寺は日本のお寺が失った公共の集会所としての役割をいまでも果たしている

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる ・・浄土真宗の西本願寺の大谷家に生まれた歌人・九條武子夫人について触れている

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・ルター以降のプロテスタント教会の賛美歌によって不可逆的に変化した日本人の脳

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観
・・築地本願寺について触れている

書評 『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)-日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー
・・キリスト教的なるものという西洋への憧れは依然として日本女性のなかにポジティブなイメージとして健在

「説教と笑い」について
・・2010年3月7日に東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた、カトリック東京管区の「司祭叙階式」で体験したカトリック聖歌について書いてある。プロテスタント聖歌との違い


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2010年7月26日月曜日

書評『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)ー 経済学の立場からみた知的エンターテインメント




お寺の経営は今後も成り立つのか?-経済学の立場からみた知的エンターテインメント

 「檀家制度」に乗っかっただけの仏教寺院経営は今後はなり立たない、これが著者のメッセージである。

 著者はこの結論に到達するまでに、実に日本仏教の現状についてよく調べており、日本仏教の現状を経済学の観点から網羅的に過不足なく見ている

 しかも、叙述は淡々とした文体、批判や糾弾ではなく、冷静な分析に基づいた、けっして無理のない具体的な処方箋が提示されている。

 著者が分析対象である仏教に対して、本書を執筆するまでほとんど関心がなかったとあとがきに書いているが、変な先入観なしに対象と取り組んだのがよかったのかもしれない。

 仏教の立場からする「仏教の経済学」といえば、本書の第一章の内容のみがその対象となる。しかし、著者は仏教僧侶でも仏教研究者でもない。あくまでも、経済学者の立場から仏教にアプローチしており、しかも対象は日本仏教である。

 仏教信仰のなかみには過度に深入りせず、社会制度としての仏教を歴史的に概観し、市場経済外の範囲まで含めて、日本仏教が成り立っているメカニズムを経済学的に分析、本山と末寺という宗派の組織論から、個々の仏教寺院の経営数字を、収入から支出、宗教法人の非課税にまで踏み込んで分析しており、たいへん読み応えのある読み物となっている。

 また、日本内地の仏教の特徴を際立たせるために、沖縄の仏教事情について一章を割いているのも心憎い。タイ仏教についてはコラムだけにとどめているのは物足りない気もしないではないが、日本仏教とはあまりにも異なる上座仏教は比較対象としては、「檀家制度」を前提にした「葬式仏教」という、著者の関心からはあまり実り多いものではないからだろう。沖縄の仏教事情にうとい私には、非常に興味深い内容であっただけでなく、内地の仏教の未来図となっているのかもしれないという著者の指摘は傾聴に値すると思われた。

 キリスト教や新興宗教との比較があれば、さらに面白いものになったと思うが、それでは議論が拡散してしまったかもしれない。

 本書は、経済学を知っていればもちろんのこと、経済学の知識がなくても十二分に楽しめる知的エンターテインメントになっている。

 仏教者の立場から日本仏教の現状に警鐘を鳴らす本は少なくないが、これほど面白くためになる本もなかなかないのではないかと思う。とくに期待せずに読み始めたのだが、読んで正解であった。

 ぜひ多くの人に一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「お寺の経営は今後も成り立つのか?-経済学の立場からみた知的エンターテインメント」投稿掲載(2010年7月25日)
■amazon書評「お寺の経営は今後も成り立つのか?-経済学の立場からみた知的エンターテインメント」投稿掲載(2010年7月25日)




目 次

序章 今なぜお寺なのか
第1章 仏教の経済学
第2章 すべては檀家制度からはじまった
第3章 お寺は仏さまのもの
第4章 お坊さんは気楽な稼業か
第5章 今どきのお寺は本末転倒
第6章 お寺はタックス・ヘイブンか
第7章 葬式仏教のカラクリ
第8章 沖縄のお寺に学ぶ
第9章 お寺に未来はあるか
文庫版補章 最近の動きなどを交えて


著者プロフィール

中島隆信(なかじま・たかのぶ)
1960年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。現在、慶應義塾大学商学部教授。商学博士。実証的な分析を行う一方で、従来の経済学ではなかなか扱われないできた事象を経済学で読み解く一連の仕事を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




<書評への付記>

 日本にあるお寺の総数は7万6千と、4万軒のコンビニよりも数が多いと著者はいっている。沖縄はたったの60(!)というのも、逆の意味で驚きではあるが。
 ちなみに、ちょっと調べてみたら、郵便局は約2万4千(2007年)、ガソリンスタンドは4万9千(2008年)である。

 お寺の数は、これらのいずれよりも多い! 

 むかし10年ほどだが、コンサルティング・ファーム時代に、石油流通の分野で調査に従事したことがあるが、その当時ガソリンスタンド数は激減するといわれながらも、現在でもなかなかしぶとく生き残っている。マクロ的な総需要と総供給の話と、個々の企業体の企業努力の話にはタイムラグが存在するのだ。

 お寺も人口減少の影響だけでなく、「葬式仏教離れ」で減少することは間違いない。しばらくは統廃合で漸減ではかなろうかと思うが、減るときは一気に雪崩を打ったように激減することも、可能性としてはなくはないだろう。  
 中小企業と同様、原因は総需要の縮小もさることながら、後継者不足が最大の要因となるだろう。後継者不足は寺院とその檀家の統廃合という形で顕在化するものと考えられる。

 いわゆる「仏教経済学」にかんしては、シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』(講談社学術文庫、1986)など多数ある。この分野については、ブログでも別途取り上げてみたいと考えている。
 日本仏教の現状に警鐘を鳴らし、新しい方向への示唆を語った本としては、『がんばれ仏教-お寺ルネッサンス-』(上田紀行、NHKブックス、2004)や、『前衛仏教論-<いのち>の宗教への復活-』(町田宗鳳、ちくま新書、2004)をあげておく。
 『葬式は、要らない』(島田裕巳、幻冬舎新書、2010)はベストセラーになっている。時代の変化を反映した内容だからであろう。


<ブログ内関連情報>

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・・<書評への付記>として、「先祖供養」についてやや詳しく書いておいた。先祖供養は日本において、儒教から仏教に入り込んだものである。『お寺の経済学』の著者もこの考えを基本に置いて、いわゆる「葬式仏教」についての考察を行っている。


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2010年4月10日土曜日

三度目のミャンマー、三度目の正直 (9) 13年ぶりのチャウタン水中寺院(イェレー・パヤー)




 メインイベントへの参加も終わったし、「三度目のミャンマー」の旅もそろそろ終わりに近づいてきた。
 結婚式のあとは、ヤンゴン市内のカバイェー寺院と併設の仏陀博物館、インヤー湖(・・インレー湖ではない!)のカフェ(tea house)へ、そして夜はヤンゴン市内のチャイナタウンにてミャンマー・ビアの生ビールをガンガン飲みまくり・・・という楽しくも充実した一日を過ごした。

 私は早めにミャンマー入りしたこともあり、また会社設立作業を一時中断してのバカンス(?)となったため、翌日の夕方の便でバンコク乗り継ぎで帰国することにしていた。結婚式ツアーの皆さんは、三連休であったのであと2日の予定をまだ残していたのだが。
 さて、日曜日を帰国日としていた。レイト・チェックアウトが運良く午後4時まで可能となったが、夕方まで特にすることもない。友人からの誘いで、昼食までツアーの皆さんと同行することした。
 
 向かった先はチャウタン(Kyautan)、ヤンゴンからはクルマで1時間ほど南の近郊にある「水中寺院」で有名な町である。バスで走っているうちに思い出したが、この道は13年前に通ったことがあるなー、進行方向右側に遊園地の観覧車がある!・・・ひさびさだ。なんんだか妙に懐かしい。
 大河ヤンゴン川の河口に向かって走ることになるのだが、中国の援助で建設された大橋を渡る。
 道すがら、周囲に何もない環境のなかに「ミャンマー海洋大学」Myanmar Maritime University)のキャンパスが現れてくる。以前、バンコク行きのTGで隣り合わせた日本人が日本の海運会社の社長さんで、ミャンマーに経済ミッションで行くというのだが、ミッションの内容は船員確保のための視察がテーマなのだという。

 現在では、人件費高騰のため日本人の船員はほとんどおらず、フィリピン人船員が多いということは知っていたが、ミャンマー人の船員も多いのだということはその時まで知らなかった。
 船員というのは労働集約型産業の最たるものだから、人件費の比較的安いフィリピン人やミャンマー人が採用されることは理解できる。海運会社の社長さんの話では、ミャンマー人の船員の質は高いらしい。ミャンマー政府も人材育成にチカラを入れているようだ。かつては繁栄していても、独立後に経済のテイクオフに失敗した国の共通点かもしれない。
 これといった産業のない最貧国にとっては、観光とならんで貴重な外貨獲得手段と位置づけられているのだろう。

 さてバスはチャウタンの町へ。川を左手にみながら狭い道の陸側には干物屋がぎっちりと軒を並べている。個人旅行なら干物屋をひやかしてみたい気もしたが、団体様一行なのでそこはぐっとこらえてバスのなかから写真を撮るだけにとどめる。
 バスを下りると暑い! にわかミャンマー人スタイルのミスター・ロンジーこと私も、陽射しがきつくいのでサングラスは必携である。
 「水中寺院」は川の中州にある。イェレー・パヤーという名のパゴダ(仏塔)である。アクセスは舟のみである。そうそう13年前に来たときもこうだった。人でごったがえしたような船着き場からはひっきりなしに舟が行き来している。
 舟に乗っている時間はわずかなのだが、それにしても水中(・・というより水上というべきだと思うのだが)にパゴダを建設するのは、インレー湖もそうだが、ミャンマー人一般に共通する性格のようだ。ミャンマーは多民族国家であるが、東南アジアに共通する「水の民」としての性格が濃厚であることを実感する。

 川の中州のパゴダは面積としては小さいのだが、この島にミャンマー各地から大量の善男善女(ぜんなんぜんにょ)が集まってきて、思い思いに祈ったり、そぞろ歩きをして、ごった返しているる姿を見るのは壮観である。日本でいえば、東京・浅草の浅草寺(せんそうじ)を狭い島のなかに移し替えたようなものか。そういえば浅草寺も、漁民が網に引っかかった観音様を拾い上げて、それをお祀りしたことから始まったのが縁起だということを思い出したが、その意味では日本人も「水の民」としての性格をもっていることがわかる。

 ガイドをしてくれたミャンマー人青年によると、この日に多く来ていたのはモン人であるという。チャイティーヨーの「ゴールデン・ロック」周辺地帯に住む民族である。私からみても外見で区別することができないのだが。
 エサをまくと魚が争うようにして集まってくる。どうやらナマズらしいが、神聖な魚なので食べてはいけないらしい。こうやってエサをやることもまた仏教的にいえば功徳を積むことになる。なんだか、房総半島の泡勝浦の鯛ノ浦の日蓮上人の故事を思い出す。

 水中寺院の参観はミャンマー人は無料(フリー)だが、外国人は米ドルで1ドル払わなければならない。面白い看板を見つけた(写真)。「外国人は US1.00 (or) FEC 1.00 per person to the Pagoda 寄付せよ」と看板に書いてある。FEC ねえー、FEC とは Foreign Exchange Certificate の略、日本語でいえば兌換券のことだ。13年前からこの看板はそのままなのだろうか。
 そうそう13年前のミャンマーにはまだ兌換券が使用されていたのだ。空港で(・・しかも現在の新しくて立派な建物ではなく昔の木造のやつ)、300ドルの強制両替が強いられていたことを思い出したが、兌換券は現在でも使用されているのかどうか?
 米ドルの使用は公には禁止されているはずだが、実際には市中に流通しているし、公の交換レートとは別に実勢レートでのミャンマーの通貨チャットとの交換もされるし、受取が拒否されることもそれほど多くない。中国でも昔は兌換券があったが現在では使用されてないし、ミャンマーはいったいどうなっているのだろうか・・・。

 さて、今回の旅は以上で終わりである。

 ミャンマーには、チャイティーヨーの「ゴールデンロック」バゴーの巨大寝仏マンダレーの王宮、世界遺産であるバガンの仏教遺跡など、まだまだ訪れるべき観光名所も多い。これらはみな、13年前にクルマと運転手を雇って1週間で回ったので、この場で紹介することはしないが、いずれも定番コースであるのであえて説明するまでもないだろう。
 上座仏教では、「ゴールデンロック」もそうであるが、女人禁制(にょにんきんぜい)の場所も多いので、女性の方には不満も多いだろうが、これは異文化だと思って割り切っていただくしかない。日本も明治時代になるまで女人禁制の場所は多かったことを思い出していただけばよい。
 
 そうそう、女人禁制の話だが、最期にティラシンについて触れておこう。
 タイに比べてミャンマーは、まだまだ生活の中に仏教が生きている国だが、お坊さんだけでなく尼さんのような姿形のティラシンを多く見かける。チャウタンの水中寺院にも多かった。
 スキンヘッドに色鮮やかな衣を身にまとったティラシンは、実は大乗仏教には存在する尼僧ではない。上座仏教では女性は出家できないのは、比丘尼に求められる戒律をみたしていないこと、授戒の伝統が途絶えてしまっていることが理由であるらしい。これはタイの場合も同じであるようだ。
 『ビルマ佛教』(生野善應、大蔵出版、1975)によれば、在俗信者であるが、出家者と在俗信者の中間的存在とみなされているらしい(P.182-185)。生野善應氏は修道女という日本語をあてている。戒律は10のうち8つを守り、独身であり、午後は食事を摂らないようだ。
 東南アジア学の権威である石井米雄氏によれば、タイの場合についていうと、息子が一時出家することが母親にとっては最大の功徳であり、女人救済はこういった迂回ルートをとって行われると説明している。逆にいえば、息子としては一時出家することが母親に対する最高の親孝行となるわけだ。ミャンマー(ビルマ)も同様であろう。
 ただしこのことをもって人権侵害とか短絡的に捉えるべきではないだろう。ユダヤ教正統派やイスラームにおいてと同様、上座仏教圏は異文化なのであるから、それはそれとして受け取るべきである。実際、タイもそうだが、ミャンマーでは女性の社会進出は日本の比ではない。

 ということで、ここでいったん終わりにします。キリがないからね。
 あと1回、総集編を書いて締めくくります。旅のアドバイスや参考文献の追加など。

 二度あることは三度ある、三度あることは・・・。なんだかすっかミャンマーに取り込まれつつある私です。


(つづく)



<ブログ内関連記事>

「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次

「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)

(2015年10月4日 項目新設)





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2009年11月22日日曜日

タイのあれこれ (16) ワットはアミューズメントパーク





「ワットはアミューズメントパーク」、といっても何のことか、さっぱりわからないかもしれない。

 What an amusement park ! なんのことはない、「お寺は遊園地」ということだ。

 タイのお寺(ワット:wat)は、バンコク市内であれば、観光スポットである、三島由紀夫の小説のタイトルでも有名なワット・アルン(暁の寺)、タイ・マッサージの総本山であるワット・ポーなど、訪れたことのある人も多いと思う。

 私もはじめてタイにいった十数年前、観光客として訪問したことがある。訪問したのは一回切りだけだが、観光なんてそんなものだろう。暑いのであまり観光なんてしたくないしね。



 しかし、本当に面白いのは、観光客なんかまったくこない、地元住民しか訪れないローカルな仏教寺院なのである。こういったお寺は、実は何でもありの場所なのだ。

 お寺は子供たちのための遊園地であり、オトナのためのコミュニティーセンターであり、コンサート会場であり、もちろんお参りするための場所である。

 日本でもお寺本来の機能を回復しようと、コンサート会場などとして提供するケースがでてきているのは、たいへんよろしいことだ。


 お寺について書きながら、何か書き落としているのではないか、と思われた方がいたら、それはさすがである。お寺といえば墓地じゃないか、と。

 いや、書き忘れたわけではないのです。そう、日本のお寺では常識であるお墓が、タイのお寺にはないのだ! タイのお寺には本来的に墓地という機能が存在しないのである!

 もちろん、バンコクの旧市街にあるお寺には、顔写真のついた石造りのお墓がある。しかしよく見ればわかるように、すべてが華僑・華人のお墓である。

 華人は基本的に大乗仏教信者であり(・・私が"中華文明の三点セット"といっている、儒教・道教・大乗仏教の3つは切り離せない存在だ)、祖先祭祀の観点からもお墓を作らないなんてことはありえないからだ。だから、華人はお寺に寄進してお墓を作ってもらうこともあるようだ。第2世代以降の華人についてはわからないが。


 タイはいうまでもなく上座仏教の国であり、国民の90%以上が仏教徒である。上座仏教徒はお墓はつくらない。日本では「千の風にのって」なんて歌が流行っているが、タイをはじめとする上座仏教圏ではもともとお墓をつくる慣習はないのである。遺体はそのまま土葬にするか、あるいは焼いて灰にして撒いてしまうのである。 

 ちなみに、血まみれの遺体写真が平気でタイ語の新聞にデカデカと載ったりするのと、どこかで関係しているのかも知れない。どうも日本人とは感覚が大きく違うようである。
 というわけで、タイのお寺にはもともと墓地がない。だからお寺そのものは非常に明るい空間なのだ。


 お寺の名前は忘れたが、私が当時住んでいたバンコク市内北部のラチャダ地区から近い、ディンデーン地区にかなりの規模の仏教寺院があって、日曜日の午後に散歩がてら兼ねて訪ねてみたことがある。幹線道路から中に入り、路地を抜けて歩いていくのだが、地元住民しかいない地域なのでタイ人になりすまして潜入する。私は顔が華人系といわれてもおかしくないようで、よくいきなりタイ語で話しかけられていたので、タイ人なりすましはそれほど困難ではない。

 路地を通り抜けてたどりついたお寺でいきなり驚いたのは、なんとお寺の境内が子供向けの遊園地となっていたことである。



 なんせ、境内のなかに観覧車(!)があるし、なんとピカチューのメリーゴーランドもあって子供たちが遊んでいる。犬も放し飼いなので出入り自由、捨て猫がのびのびとおねんねしてる(・・これはすでに写真で紹介済み)。


 お寺はまたオトナのためのコミュニティーセンターであり、コンサート会場となっているのである。しかも、お坊さんの衣が極彩色のオレンジなので、墨染めの袖などとはほど遠い。辛気くささの一切ない、実に賑やかで、明るい雰囲気に充ち満ちた空間なのだ。


 そう、タイでは、ワットはアミューズメントパークなのだ! 

 ミャンマーでは同様に、パゴダはディズニーランドよりすごい! このブログでは「ミャンマー再遊記(8)」を参照)と題して書いている。

 日常生活のなかにホンモノの象が登場するバンコクでは、日本と違って仏教説話もリアルなものと感じることができるのだ。 

 日本のお寺で唯一の例外は、インド風の建築物である、東京の築地本願寺くらいだろうか?



* タイのあれこれ(17)につづく

           

<ブログ内関連記事>

タイのあれこれ (4)-カオパンサー(雨安吾入り)

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)                   
     
バンコクの高架鉄道 BTS のプンナウィティ駅から見える巨大な仏塔ワット・タンマモンコンにいってみた(2012年11月15日)

(2014年2月1日 情報追加)


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