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2025年5月4日日曜日

美術展「メキシコへのまなざし ― 戦後日本とメキシコの美術交流」(埼玉県立近代美術館)に行ってきた(2025年5月3日)― 1950年代の日本にはメキシコ美術に魅了された画家たちがいた

 


埼玉県立近代美術館に行くのは今回がはじめて。JR北浦和駅から徒歩で行ける公園内にある。北浦和に行くのも今回がはじめて。京浜東北線は南浦和止まりが多いので、大宮行きに乗り換えるハメになった。 

わたしもメキシコ(・・いや、ほんとうはスペイン語でメヒコといっておきたい!)が好きで、四半世紀も前のことだが1ヶ月かけて全土を回ったことがある。米国西海岸のサンディエゴに隣接したティファナから、東端で国境を接するグアテマラにも近い、サン・クリストーバル・デ・ラス・カサスまで行っている。 

マヤ遺跡やメルカード(市場)、色鮮やかな民芸品、そしてメキシコシティの市庁舎などに描かれた壁画の数々・・・。 

「太陽の国メキシコ」は、人を魅了させるものがある。先住民であるインディオと植民者であるスペインの文化が混合してできあがった独特の世界。 

そんなメキシコだが、「1950年代の日本では、メキシコ美術が展覧会や雑誌を通じて盛んに紹介され、多くの美術家がその鮮やかな色彩、古代文明や革命の歴史と結びついた力強い造形表現に魅了されました」と、美術展の紹介にある。 

「とりわけ、1955年に東京国立博物館で開催された「メキシコ美術展」は、美術家たちがメキシコに目を向けるきっかけと」なったそうだ。

メキシコ美術の大きな影響を受けた日本人画家のうち、数人の作品が回顧的に取り上げられたのが今回の美術展だ。メキシコの画家たちと、インスパイアされた日本人画家たちの作品が展示されている。 


(パンフレットより)


個人的な趣味としては、岡本太郎と利根山光人のふたりが好きだ。 

岡本太郎については、いまさら言及するまでもあるまい。「大阪万博 EXPO'70」の太陽の塔もそうだし、メキシコの影響は、現在は渋谷駅のコンコースに展示されている壁画にあるとおりだ。 

利根山光人は、もっと知られていい存在だと思う。岡本太郎といえば太陽が連想されるが、利根山光人もまた「太陽の画家」であった。美術展の図録を除いたら、画集もないのが残念だが、今回の美術展のパンフレットの表紙にその作品が採用されている。 


(利根山光人《いしぶみ》1961年)



2020年代の日本では、けっして一般受けするテーマではないかもしれない。とはいえ、メキシコ好き、メキシコ美術好き、そして上記の日本人画家を含めた日本人画家たちの作品を見たい人は行く価値はある。 会期は5月11日まで。テキーラ! 



■メキシコを知るために絶対に見るべきドキュメンタリー映画

ところで、メキシコの画家による展示作品のなかに、エイゼンシュテインへの言及があった。

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた(2009年8月18日)の末尾に以下のように書いたのは、すでに16年前のことになる。せっかくの機会なので、エイゼンシュテインと『メキシコ万歳』について紹介しておこう。


エイゼンシュテイン監督の『メキシコ万歳!』メキシコについては、ソ連の映画作家セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による映画『メキシコ万歳!』(・・監督の死後に未完成フィルムを編集して1980年に初公開)など書きたいことはまだまだある。エイゼンシュテインがハリウッドからの招待を受けてメキシコで映画撮影をしたのが1930年、未完成のまま放置されていたフィルムだが、メキシコを描いた映画ではもっとも神話的なアプローチで、見る価値のある作品である。エイゼンシュテインまで書き始めると際限がなくなるので、今回はここらへんでやめておく。


セルゲイ・エイゼンシュテインは、ロシア革命のさきがけとなったオデッサでの反乱事件をとりあげたサイレント映画『戦艦ポチョムキン』で有名だ。ロシア史に題材をとった『アレクサンドル・ネフスキー』や、日本の歌舞伎の影響を大きく受けた『イワン雷帝』など、芸術性の高い名作をつくりだしたユダヤ系の映画監督である。

『メキシコ万歳』(¡Que Viva México! ケ・ビーバ・メヒコ)は、ハリウッド滞在中のエイゼンシュテインが1932年に制作したモノクロ映画で、1978年に再編集されて公開されている。日本での公開は1980年で、わたしはDVD版で視聴した。


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ソ連時代に制作されたドキュメンタリー映画であり、「モスフィルム(」Mosfilm)によって YouTube で英語字幕つきで全編が  Que Viva Mexico | FULL MOVIE | by Sergei Eisenstein として YouTube に公開されている。


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タイトルはスペイン語だが、ナレーションはロシア語。ロシア語を聴きながら英語字幕で確認し、メキシコを考えるというのも、なかなか乙なものである。

メキシコの歴史が、スペインによる植民地時代のフランシスコ会ミッションスペイン文化である闘牛、そして「メキシコ革命」。民衆世界であるメルカード(市場)、ガイコツダンス、サボテンとリュウゼツラン(テキーラの原料)などなど。

モノクロではあり、すでに90年近く前のメキシコであるが、現代と過去が交錯し、濃厚な原色のメキシコがフィルムに焼き付けられている。ぜひ視聴してほしい。



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<関連サイト>

特別展覧会 没後20年「利根山光人 VIVA MEXICO」展 -メキシコに魅せられた太陽の画家」(聖徳学園・聖徳博物館 20146年9月8日(月)~2014年12月20日(土))
・・知っていたら、訪れたもの利根山利根山千葉県松戸市


<ブログ内関連記事>

・・ロシアの革命家トロツキーとメキシコの関係、スターリン主義者によって暗殺されたその最期、フリーダ・カーロなどについて記しておいた。


・・メキシコ西部の町サン・クリストーバル・デ・ラス・カサスで行われた「受難劇」。1991年に同地を訪れた際に知り合った現地の人にいただいた写真をスキャンして掲載




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2014年7月23日水曜日

『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)で、18世紀メキシコで花開いた西欧のバロックと土着文化の融合を体感する


バロックはヨーロッパのカトリック地帯を中心に17世紀から18世紀にかけて展開した。しかも、「新大陸」では異様な展開を示したこともアタマのなかに入れておきたい。

先に取り上げた 『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)が出版された翌年には、ここに取り上げる 『ウルトラバロック』(小野一郎、小学館、1995)という本も登場している。

「ウルトラバロック」とは、著者の表現を借りれば、「(西欧から移植されたバロック)様式がメキシコに集められた世界中の様式をのみこみながら、さらには古代アメリカの土着の感性とも融合し、建築を閉所恐怖症とも呼べるように装飾でびっしりと埋めるように」なったものだ。

バロックとはポルトガル語の「歪んだ真珠」から来ているというのは定説だが、メキシコの「ウルトラバロック」は本家本元のヨーロッパのバロックよりも、さらに「歪んだ真珠」になっている。とにかくごちゃごちゃと、これでもかこれでもかとつくりこまれた過剰なまでの装飾空間

そもそも建築物というものは、そのなかに入って体感するものだ。音声や空気は断念するとしても、二次元の写真画像や、三次元であってもビデオカメラの視野では捉えきれないものがある。だが、この小型サイズの写真集に収録された写真をみていても、その過剰なバロックぶりには圧倒される。

かつて1ヶ月をかけてメキシコを回ったとき、わたしも多数の教会建築のなかに入ってみたが、まさにヨーロッパの合理と非合理が、コロニアル社会で土着文化と融合するとこんなものになるのかという印象を受けたものである。

どこの教会かは覚えていないのだが、カトリック信者たちの熱狂ぶりがロックコンサート並で、バチカンの比ではないという強烈な印象を受けたのもメキシコでのことだった。


(スペイン植民地のバロック建築と文化の流れ P.85より)


本書に挿入された 「本書のスペイン植民地のバロック建築と文化の流れ」という地図をみると、メキシコは圧倒的にスペインのハプスブルク家をはじめとするヨーロッパの影響下にあったことがわかるが、一方では太平洋をはさんでフィリピンのマニラを中心としたスペイン植民地との接点もあったことがわかる。

伊達政宗が派遣した支倉常長(はせくら・つねなが)率いる「慶長遣欧使節団」もまた、このルートをつかって、仙台から太平洋を横断し、メキシコのアカプルコ経由でヨーロッパに渡航したのである。長崎で殉教した「二十六聖人」の殉教画がメキシコのクエルナバカの教会に壁画として残されていることは有名である。この壁画は、わたしも見に行った。 

メキシコをテーマにしたソビエトの映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインの『メキシコ万歳!』(¡ Que viva México ! 1932年)には、辺境で活動するフランシスコ会の修道士たちが賊の襲撃で壊滅するシーンがあったが、現在は米国領となっているカリフォルニアはフランシスコ会のミッションがつくったものだ。サン・フランシスコという地名は、フランシスコ会の創設者であるアッシジの聖フランチェスコ から来ている。

(『メキシコ万歳』のシーンより フランシスコ会士とメキシコを象徴する骸骨)

スペインの後押しを受けたフランシスコ会があとから新規参入してきて日本で宣教活動を行った結果、すでに活動を活発に行っていたポルトガルの後押しを受けていたイエズス会と激しい競争となり、結果として日本におけるカトリック布教活動が共倒れとなったわけだが、大局観を欠いた競争がいかに自滅的であるかを示した事例でもある。

「キリシタン禁教令」がでたのは1613年だが、もし、日本で「キリシタン禁教令」がでなければ、メキシコとは違った意味で日本の土着と融合した面白いバロックが展開していたかもしれないと夢想してみる。凡庸な歴史家は「歴史にイフは禁物」などとたわけたことをクチにするが、What-if (もし~かも)思考であり得たかもしれない可能性について考えることは、無意味なことではない。


装飾過剰な東照宮という日本型バロックの実例もあることだし(・・このキッチュさは霊柩車のごてごてした装飾に継承されたことは有名)、リアルタイムでヨーロッパ世界と全面的にかかわっていれば、面白い展開もあったのではないかな、と。

だが、1980年代後半のバブル期にも似た、黄金の安土桃山時代の豊臣秀吉が「蓑虫」(みのむし)だといって嫌ったフランシスコ会の「清貧」志向も、ある意味では「わびさび」という形で日本人にはあることも想起しておいたほうがいいかもしれない。

日本人もまた、その後の元禄時代やバブル期に全面開花したようなバロック的な過剰と、清貧志向のシンプルライフの両面が存在し、それが交互に交代しながら浮上しては引っ込みを繰り返している。大乗仏教でいえば、真言密教と禅仏教の対比といっていいかもしれない。

カトリックとの接点が二世紀以上にわたって消滅した結果、明治維新後は当時の最先端であった英米アングロサクソン世界というプロテスタントを基調とするキリスト教世界の影響を全面的に受けたことで、日本は近代化に成功して先進国となることができたのではあったが・・・。

これもまた「意図せざる結果」であったというべきか。まさか徳川幕府に先見の明があったわけでもあるまいが。不幸中の幸い(?)といえるかもしれない。

もちろん、これは21世紀の現時点でいえることであって、歴史解釈というものがつねに書き直されるのはそのためなのである。


 (画像をクリック!



<関連サイト>

Sergei Eisenstein: Que viva Mexico! (1931) (YouTube 85分弱)
・・エイゼンシュテインの『メキシコ万歳』


<ブログ内関連記事>

メキシコ関連

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた(2009年8月18日)
・・メキシコといえば20世紀の「壁画運動」

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)(2009年12月27日)
・・ルイス バラカンはメキシコの建築家。展示会で再現されていた寝室はフランシスコ会の修道士のような部屋であった


カトリックとバロック時代

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る

フィリピンのバロック教会建築は「世界遺産」-フィリピンはスペイン植民地ネットワークにおけるアジア拠点であった

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)-これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る


「もし~かも」思考

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

(2015年6月11日 情報追加)
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2009年8月18日火曜日

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた(2009年8月18日)





 「メキシコ20世紀絵画展」にいってみた。

 東京の世田谷美術館にて2009年8月30日まで。主催者はほかにはNHK、NHKエンタープライズ、読売新聞東京本社、メキシコ国立文化芸術審議会、メキシコ国立芸術院。後援は、外務省、メキシコ大使館。

 世田谷美術館は今回が初めてだが、美術館の建物自体がひとつの芸術作品といってよい造形で、展示スペースもゆったりとしており、なかなか好感のもてる美術館である。

 今年は、「日本メキシコ交流400年」なのだそうだ。その記念行事の一環としての開催だという。
 仙台藩の支倉常長が伊達政宗の命を受けて太平洋を渡って、メキシコ経由でヨーロッパに派遣されてから400年、なのだろうと思ってたら、そうではないようだ。

 外務省のウェブサイトにはこうある。
「1609年9月、フィリピン諸島総督ロドリゴ・デ・ビベロを長とする一団の船は、ヌエバ・エスパーニャ(当時のスペイン領メキシコ)への帰国途中、千葉県御宿沖で遭難し、村人の献身的な救助により、乗組員317人が救出されました。ビベロ一行は地元城主や村人からの暖かい歓迎を受け、その後、徳川秀忠及び徳川家康に謁見しました。翌年、徳川家康がビベロ帰国のため造らせた船はメキシコに向けて出航。ビベロと共に渡航した京の商人田中勝介他20数名の日本人は、メキシコを訪問した最初の日本人となりました。我が国の時の為政者とメキシコからの政府高官が対面し、初めての会談が行われた意義は大きく、2009年はそれから400年目にあたります」

 支倉常長がメキシコのアカプルコに到着したのは、1613年のことらしい。歴史というものは、調べると意外な事実がわかって面白いものだ。

 ところで、ここではメキシコと書いているが、本当はメヒコ(Mexico)というのが正しい名称である。しかしまあ日本では通称メキシコで通っているからそれでよしとしておこう。また一昔前なら、「日本メキシコ交流」などといわず、「日墨交流」といったであろうが、それもまたさておいて、と。
 
 メキシコ絵画といえば何といっても壁画が想起される。少なくとも私の場合はそうである。

(メキシコの壁画画家シケイロスはスターリン主義者であった)

 シケイロスリベラオロスコといった壁画画家がまず頭に浮かぶ。高校時代にみたシケイロスの壁画の画像には圧倒的な印象を受けたからだ。

 今回は東京での小規模美術館での開催である。壁画は建物の一部だから、海外に持ち出して展示することはできないので美術展向きではない。本当はこの「メキシコ壁画運動」について、美術館としてはパネルでもいいから詳しく解説すべきなのだが・・


メキシコには1カ月間滞在したことがある
 
 メキシコには、米国留学中の1990年の暮れから1991年の1月にかけて1ヶ月かけてメキシコをくまなく旅した。ちょっと寄り道してメキシコのことを書いておく。

 セメスターの期末試験を終了したらすぐに寒いニューヨーク州を脱出して、メキシコのリゾート地カンクン(Cancun)へ。友人とフロリダで待ち合わせて一緒にいったのだが、カンクンはまったくもって米国の植民地みたいな俗悪な町で、すぐに嫌気がさし、旅行代理店のすすめもあって、セスナ機でコスメル島(Cosmel)に移動したのは正解だった。ここでスキューバ・ダイビングなどして1週間過ごしたのは、いい思い出である。カリブの海は素晴らしい!

 友人とわかれて一人旅でメキシコを回ってみることとした。まずユカタン半島ではマヤ遺跡を見学、一休みしているときに中肉中背の中年とおぼしきメキシコ人からいきなり「あけましておめでとう」と日本語でいわれたのには驚いた。あっけにとられて、「おめでとうございます」と返答しただけで終わってしまったが、もしかしたら彼は日系人だったのだろうか?私はその日が元旦であったことをすっかり失念していたのだ。

 メキシコシティ(シウダ・デ・メヒコ)では、先にもふれた壁画を市内のいたるところで見ることができた。メキシコ革命とそれ以後の社会を描いた政治的なモチーフが多いのだが、美術館だけでなく、市庁舎などの建築物の外壁や内部に描かれており、生きた美術というのはあくまでも民衆のためのもので、美術館に飾られるものじゃない、と実感される。

ヨーロッパのカトリックの教会内に残されたフレスコ画も同様である。


岡本太郎の壁画「明日の神話」もメキシコで制作された

 先年、岡本太郎の壁画「明日の神話」がメキシコで発見されて、日本に里帰りして展示されたが、本来はホテル内の壁画としてオーナーから制作を注文されたものだと聞いている。

(岡本太郎の壁画「明日の神話」)

 原爆が炸裂した瞬間を描いたこの壁画をホテル内に飾ると決めた、メキシコのホテルオーナーというのも考えてみればすごい人だ。ピカソのゲルニカに勝るとも劣らない作品である。

 結局オーナーは破産してホテルが廃業されたために、壁画そのものが長らく行方不明になっていたというのもすごい話である。そして行方不明だった壁画を執念で発見した岡本敏子さんもめちゃすごい。

(* 「明日の神話」は現在では、東京の東急渋谷駅構内に展示されており、メキシコ壁画運動の精神にふさわしく無料で一般公開されているのはすばらしい。2014年2月15日 追記)。

 このほか、タスコ、オアハカ、グアダラハラなども訪問、クエルナバカでは「日本の26聖人殉教図」を教会内部で見学することもできた。

 グアテマラ国境近くのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスまで足をバスで移動して回ったが、メキシコは実に多様な文化があることを知った旅であった。


メキシコ絵画といえばフリーダ・カーロ、そしてトロツキー

 回り道をしてしまったが、メキシコ絵画については、ここ数年では、壁画よりも、むしろ女流画家のフリーダ・カーロということになるだろう。

 今回の美術展も、初公開のフリーダ・カーロの「メダリオンをつけた自画像」を目玉としてポスターに載せていることからもそれは窺えるが、フリーダ・カーロの作品はこれ一点限りなのであまり期待しない方がいい。タイトルどおり、「メキシコ20世紀絵画」を全体として扱った企画展である。

 1991年にメキシコにいったとき、メキシコ市郊外コヨアカンにあるフリーダ・カーロ美術館を楽しみにしていたのだが、いってみたら何とうかつなことか、定休日で入れないのでがっかりした、という経験がある。

 映画 『フリーダ』(2002年制作)が公開され、フリーダ・カーロの愛と情熱と芸術の生涯が、女性を中心にひろく知られることになったようで、2003年に開催された「フリーダ・カーロとその時代」展は、東京ではかなりの人出だったようだ。

 東京で見る機会を逸したので、出張先の大阪で、サントリーミュージアム(天保山)で見ることができたのは幸いだった。フリーダ・カーロの全体像を見ることのできた素晴らしい美術展であった。東京で見るよりは比較的すいていたのではないかと思う。

 フリーダ・カーロの絵はグロテスクなまでに自虐的で、受難像としての自画像が多いので、嫌いな人は嫌いだろう。

 決してフランス印象派のようなポピュラリティを獲得することはないと思うが、メキシコを代表する画家の一人であることは間違いない。かなり独自な世界を描き続けた人である。 


 実は、メキシコ市郊外の高級住宅街コヨアカンまでいってみたのは、フリーダ・カーロが主目的ではなく、亡命先のメキシコで暗殺されたトロツキーの旧宅がミュージアムとして保存されており、そこを訪れるのが目的であった。

(トロツキーの書斎 暗殺直前の状態を保存 筆者撮影)


 トロツキーが殺害された当時のままに書斎が保存されており(写真はいずれも私が撮影)、革命家であり、赤軍の生みの親というよりも、亡命先でも次々と旺盛に著作を執筆し続けた著作家としてのトロツキーをうかがうことができた。

 1991年1月のこの時点では、いまだソ連は崩壊しておらず(・・8月の夏休み中に旅行先のスペインでモスクワでクーデターが発生したことを知ったことを覚えている。トロツキーの再評価が行われるようになったのはソ連崩壊後である。

(トロツキーの墓と要塞のような邸宅 しかし暗殺は実行された 筆者撮影)

 その後、岩波文庫で読んだトロツキーの『裏切られた革命』(藤井一行訳、1992)によって、革命後のスターリン統治下ソ連の官僚制にかんするトロツキーの分析の鋭さと、ソ連が崩壊するにいたった理由もよく了解することができた。

 私が、山口昌男の『歴史・祝祭・神話』(中公文庫、1978)で知ったトロツキーは、ロシア革命の指導者というよりも、ある種「負け組」として、負の刻印を押された悲劇的な敗者としてのトロツキーである。このトロツキー像が念頭にあって、メキシコにいった際、あえてコヨアカンまでいってみたのだ。

 アラン・ドロン主演の映画 『暗殺者のメロディ』(1972年制作)は、原題を The Assassination of Trotsky といい、スターリンの密使によって書斎で殺害されたトロツキーの殺害犯を描いた心理ドラマであるが、1940年8月20日に最終的に暗殺される前にも、画家のシケイロスは殺害未遂事件にも関与しており、芸術と政治が密接にからまっていたのが、20世紀前半のメキシコである。

 また、トロツキーはディエゴ・リベラの妻であったフリーダ・カーロとは愛人関係にあり、メキシコ20世紀前半の美術界と共産主義者との関係は、人間関係の面からみても非常に錯綜としている。この点については、映画 『フリーダ』でも扱われていたと記憶している。


メキシコの画家たちと縁の深い画家・利根山光人の展示会

 私がもっているシケイロス画集(『ファブリ世界名画集87 シケイロス』平凡社、1970)の解説を担当している画家・利根山光人の展示会が、2階で開催されていたのでついでに見る。利根山光人は世田谷在住で、死後作品の多くが世田谷美術館に寄贈されている。

 日本の芸術家たちのメキシコとのかかわりも興味深い。メキシコの民芸運動にかかわった北川民次のような人もいる。

 今回の美術展は、メキシコ20世紀美術の概要を知るにはいいだろう。私としては、オロスコによる「十字架を自らの手で壊すキリスト」(1943)という一枚の絵を見るためだけでもいく価値があると思った。

(オロスコの「十字架を自らの手で壊すキリスト」)


 スペインによる西洋の植民地300年のくびきを断ち切り、革命によって自らの歴史を取り戻したメキシコ人の自画像ともいえるかもしれない。

 もちろんメキシコ国民の大半は熱心なカトリックであり、オロスコ自身の信仰については詳しく知らないが、見る人に強烈なインパクトを与える絵画であることは間違いない。


エイゼンシュテイン監督の『メキシコ万歳!』

 メキシコについては、ソ連の映画作家セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による映画『メキシコ万歳!』(・・監督の死後に未完成フィルムを編集して1980年に初公開)など書きたいことはまだまだある。

 エイゼンシュテインがハリウッドからの招待を受けてメキシコで映画撮影をしたのが1930年、未完成のまま放置されていたフィルムだが、メキシコを描いた映画ではもっとも神話的なアプローチで、見る価値のある作品である。

 エイゼンシュテインまで書き始めると際限がなくなるので、今回はここらへんでやめておく。
   



PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にし、あらたに小見出しを加えた。誤字脱字を修正し、リンク先の変更を行ったほかは本文には手を入れていない。<ブログ内関連記事>で、そのご執筆したブログ記事を参照できるようにした。 (2014年2月15日 記す)



<関連サイト>

「企画展 岡本太郎とメキシコ 熱いまなざし-岡本太郎とメキシコ」(川崎市岡本太郎美術館 会期2002年8月10日~9月29日)
・・ 「メキシコというのは、なんて怪しからん所だ。何千年も前から断りも無く、私のイミテーションを作っているなんて。」古代メキシコ美術を見てユーモアを込めて語られた岡本太郎のこの言葉は、古代メキシコ芸術と彼の作品が共感し合い、本質的な部分で通底している証である。本展では、壁画《明日の神話》の原画、未完に終ったメキシコ・プロジェクト〈海の博物館構想〉といったメキシコと深い関わりのある岡本作品や、彼が現地で撮影した写真を展示した。また、岡本が特に感動した古代アステカ文明の神像コアクトリエや古代都市テオティワカン遺跡などの古代メキシコ世界を紹介すると共に、シケイロス、リベラ、タマヨなどメキシコの近・現代の作家を取り上げ紹介した。

The Assassination of Trotsky (1972) よりトロツキー暗殺シーン (YouTube 『暗殺者のメロディ』より)・・暗殺者を演じるのはアラン・ドロン



<ブログ内関連記事>

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)
・・ピンク色の壁で有名なメキシコを代表する建築家ルイス・バラガン

「聖週間 2013」(3月24日~30日)-キリスト教世界は「復活祭」までの一週間を盛大に祝う
・・メキシコのサン・クリストーバル・デ・ラス・カサスでもらった「受難劇」の写真

・・イスラームを排除して「純化」したスペインは海外に・・・。南米植民地を獲得した・・・

・・イエズス会士たちは大西洋を渡って南米へ、あるいはインド洋をわたって戦国時代の日本に向かう

・・「私は何の先入観なしにこの『アバター』をみているうちに、これはロバート・デ・ニーロ主演の『ミッション』だな、と思った。監督が意識していたかどうかは知らない・・(中略)・・南米では、スペイン人植民者が宣教師と軍人と行動をともにしたのと同様、西欧文明の継承者である、米国においてはビジネスマンと科学者と軍人がセットで登場するが、宣教師の枠割りは科学者が代替している。」。アバターは、滅亡に追い込まれた原住民インディオのメタファーと考えるべきではないかと思われる。南米ミッションについて、やや詳しく書いておいた

「生誕100年 人間・岡本太郎 展・前期」(川崎市岡本太郎美術館) にいってきた (2011年6月)

「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・この本の表紙は「縄文人の彫刻」であある

書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)


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