「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 民衆 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 民衆 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011年8月27日土曜日

書評『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)― 「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!


「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!

 「歴史にはイフはない」とは凡庸な歴史家たちの常套句である。だが、歴史が人間の営みの軌跡である以上、その時点その時点における判断と意志決定がその後の歴史の流れを大きく左右していく。

 その判断と意志決定がなぜ、いかなる状況のもとでなされたかを、当事者意識でもって自分のアタマで考えることこそが、ほんとうの歴史を知ることの意味であるのだ。

 これは政治リーダーだけではなく、日本国民の一人一人に求められていることだ。なぜなら、国民は投票や世論形成など、その他さまざまな形によって意思表示し、歴史の流れを変えることも不可能ではないからだ。

 この「授業」は、受験界でも有名な私立男子校・栄光学院の歴史研究部のメンバーを対象に行ったものだそうだが、ビジネスマンのわたしからみると、ある意味ではハーバード・ビジネス・スクールで用いられる経営史のケーススタディにも近いものがある。歴史を傍観者としてではなく、当事者として考えて見よという姿勢が一貫しているからだ。

 とはいえ、そのときどきの政治指導者や軍事指導者の立場にたって、最善の政策を考えよという授業は高校生にはきわめてヘビーなものだっただろう。大人でも考えながら読むのはヘビーなのだから(笑)。しかし、知的好奇心が強く、向上心のある人間にとっては最高に刺激的な授業であろう。

 その授業がまとめられて1冊になった「それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009は、順序に従って「まえがき」と「序章」から読み始めたが、第3章からはがぜん面白くなり始めた。大衆社会が進展するなか、その当時はまだ男子に限られていたとはいえ、一般人が歴史の動きに、さまざまな方法によって参画し始めることが可能となってきたためであろう。

 英雄豪傑や傑出した指導者の人物史ではなく、本書の主人公はじつは「日本国民」そのものである。その時代、その時代を、地政学的条件や社会資本の蓄積がいまだ十分ではないといったさまざまな制約条件のもとで精一杯生きてきた日本国民である。それはわれわれ自身であり、われわれの父母や祖父母、そしてそのまた先の世代の話でもある。

 明治維新以来、徴兵制や義務教育の普及によって「国民国家」(nation state)の「国民」(nation)として成長してきた「日本国民」。名もなき市井の一般人が「国民」の一人として「声」を持ち、「声」の集合がチカラを発揮していったプロセスが日本近現代史そのものである。

 このプロセスは、日清戦争と日露戦争からすでに始まっていたことが著者によって示される。国民の意思が何らかの形で反映していたのである。「総力戦」の時代においては、すでに戦争は政治家と軍人のものだけではなくなっていたのである。戦死という多大な犠牲を払うことになる国民の支持なくしては、たとえ軍部といえども勝手に動くわけにはいかなかったのである。これが著者のいう「社会契約」というものだ。戦争へという「空気」をつくりだしたのは、じつは国民自身による世論であった。

 第3章と第4章がとくに面白いのは、今年(2011年)初頭から始まった中東世界の「民主化革命」、中国やタイの状況を、デジャヴュー感覚でみているような気がするからだろう。

 「フランス革命」後のナポレオン時代のフランスがその典型であったが、国民国家は国民統合の求心力を外敵との戦争に求めやすい傾向がある。軍が権力の中心にいて、農民比率の高い社会というのは、近代化をすすめる発展途上国ではよくある話だ。もちろん安易な比較は禁物であるが。

 第3章と第4章にくらべて、第5章がやや精彩を欠くのは、分量的にすくなく、やや物足りない気がするだけでなく、誰もがその破局的な結末を十分すぎるほど知りすぎているからかもしれない。

 「大東亜戦争」(・・著者は「太平洋戦争」としているが)の結末を知らないという前提で、昭和16年(1941年)までの状況を直観的に理解するのは、じつはなかなか困難な課題なのだ。本書でも、後付けの説明にならないように、著者もかなり努力をして説明を行っているのだが、読者の側にそうとう程度の知的な取り組みとイマジネーションがなければ、ありのままの事実を受け止めるのは難しい

 本書は、かなり刺激的なタイトルであるが、中身はいたってロジカルなレクチャーと議論がぎっしり詰まった本である。著者の主張に賛成であれ反対であれ、「アタマの体操」として、ぜひ一度は読んでみることを多くの人にすすめたい。


画像をクリック!



<初出情報>

■bk1書評「「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!」投稿掲載(2011年8月21日)
■amazon書評「「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!」投稿掲載(2011年8月21日)



目 次

はじめに
序章 日本近現代史を考える
  戦争から見る近代、その面白さ
  人民の、人民による、人民のための
  戦争と社会契約
  「なぜ二十年しか平和は続かなかったのか」
  歴史の誤用
1章 日清戦争-「侵略・被侵略」では見えてこないもの
  列強にとってなにが最も大切だったのか
  日清戦争まで
  民権論者は世界をどう見ていたのか
  日清戦争はなぜ起きたのか
2章 日露戦争-朝鮮か満州か、それが問題
  日清戦後
  日英同盟と清の変化
  戦わなければならなかった理由
  日露戦争がもたらしたもの
3章 第一次世界大戦-日本が抱いた主観的な挫折
  植民地を持てた時代、持てなくなった時代
  なぜ国家改造論が生じるのか
  開戦にいたる過程での英米とのやりとり
  パリ講和会議で批判された日本
  参加者の横顔と日本が負った傷
4章 満州事変と日中戦争-日本切腹、中国介錯論
  当時の人々の意識
  満州事変はなぜ起こされたのか
  事件を計画した主体
  連盟脱退まで
  戦争の時代へ
5章 太平洋戦争-戦死者の死に場所を教えられなかった国
  太平洋戦争へのいろいろな見方
  戦争拡大の理由
  なぜ、緒戦の戦勝に賭けようとしたのか
  戦争の諸相
おわりに
参考文献
謝辞


著者プロフィール

加藤陽子(かとう・ようこ)


1960年、埼玉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。1989年、東京大学大学院博士課程修了。山梨大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所訪問研究員などを経て現職。専攻は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 2016年6月に新潮文庫から文庫化された。(2016年7月18日 記す)





<書評への付記>

 正直いって前評判どおり面白かった。いや前評判以上というべきだろう。以下に、書評に書ききれなかったことをいくるか書いておきたい。


「人口膨張」が戦前の日本にとっては大きな問題であった

 地政学的状況、安全保障の観点からの「植民地拡大」という戦略を採用した日本国家。「海洋国家」という地政学的条件について、本書ではあまり強調されていないのが残念だ。

 英国にとってのインドが、日本にとっての台湾と朝鮮、そして満洲であった。日本はそれ以外の植民地は、まさに「海洋国家」としての「安全保障」の観点から、面ではなく、点と線で押さえていたに過ぎない。

 あとは膨張する人口問題解決という意味もあったことは、もっと強調すべきであった。

 現在は、人口減少トレンドにある日本だが、かつては膨張する人口をどう食わせるかが、最大の課題だったのだ。だからこそ、移民問題で米国とは険悪な関係になったのである。


民主主義が未発達であったために戦前の日本は・・・

 本書のなかで重要なポイントだと感じたのは、日本の場合は国会で第一党をとったナチス党のドイツとは異なるということだ。このドイツの事例は、ワイマール共和国体制の崩壊は民主主義そのものによってなされた「民主主義の鬼子(おにご)」だという議論がよくなされている。
 
 これに対して、日本では、政党政治では要求を満たされなかった農民や中小商工業者を中心とした国民大衆が、軍部を支持したことにあったのだ。これが第4章の内容であり、きわめて重要なことである。

 とくに1925年には25歳以上の成人男子に限定されたとはいえ、「普通選挙」が実現したが、現在2011年の状況と同様、政党政治に対するきわめて大きな失望感が世の中全体にみなぎるに至った。


事実をベースにした是々非々の「対話」が必要だ
 
 ところで、Amazon でも、bk1 でも、わたしがネット書店に投稿した書評(レビュー)でも賛否両論のようだ。どうもい著者の好き嫌いが、そのまま発言の好き嫌いに反映しているようだ。

 加藤陽子は「贖罪史観」だとかいって非難する論者もいるが、そんなことはどうでもいいことだ。この授業の記録を読んでみれば、かならずしもそうでないことがわかるはず。

 このような非難をする論者は、自分色の色眼鏡をかけたまま、曇った目でレッテル貼りをして、虚心坦懐に読むという知的行為を放棄しているに過ぎないことを、悲しいかな、みずから露呈しているわけだ。

 書評のなかでも書いているように、わたしは「大東亜戦争」と書くべきだという意見の持ち主なので、「太平洋戦争」と書く著者には、その点においては賛同できない。これは、かつてこのブログでも、書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006) でも書いたことである。現在の東南アジアを舞台に、英国やオランダと戦われた戦争が太平洋戦争ではないからだ。

 米国との戦争は、その大半が「太平洋」を舞台にしたものであり、「太平洋戦争」というのも不思議ではない。ただ、米国に完膚無きまでにたたきのめされたという日本人の記憶が、占領中の米軍による「洗脳工作」とあいまって、日本人の脳裏に焼き付いてしまったのだろう。この点は、江藤淳が明らかにした「米軍による手紙検閲」など、すでに定説となっている。

 そういった点はあるにしても、日本近現代史を「対話型授業」でやってのけた著者の能力と暴勇(?)は、素直に賞賛すべきである。読者は、授業に参加したつもりになって著者や高校生たちとの知的格闘を楽しむべきなのだ。

 ただし、「対話型授業」とはダイアローグ(対話)をベースにしたものであり、ダイローグはディベートではない。これを混同している人が多いので注意が必要だ。

 ものの見方は多元的、複眼的であるべきこと、これこそ歴史を学ぶ意義である。



(amazon レビュー 2011年8月28日現在 右クリックで拡大)


<関連サイト>

日本史近代を楽しむ野島研究室のページ
・・論文執筆名は加藤陽子、戸籍名は野島陽子とのこと。プロフィールと研究活動の履歴など


<ブログ内関連記事>

民衆(ピープル)が「声」をもっていくのが歴史の不可逆の流れ-これがただしい歴史観というものだ

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・民なくして国家なし、されど国家なくして国民なし、とは言っていい。

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
・・ナショナリズムは「近代」の産物

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命そのものよりもナポレオン戦争が「近代」のカギであった

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 
・・日本近代史を100年単位で、連続性と断絶をみる

エジプトの「民主化革命」(2011年2月11日)
・・ついにアラブ世界でも「主権在民」の流れがメインストリームに

書評 『バンコク燃ゆ-タックシンと「タイ式」民主主義-』(柴田直治、めこん、2010)
・・いかなる政治的思惑があろうと、大衆に「声」を与えたタクシン元首相は、ただしい歴史観の持ち主だ

映画 『イメルダ』 をみる
・・「ピープル革命」といえばフィリピン。革命された側の視点も重要だ

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む 
・・「応仁の乱」以降の日本史についての、内藤湖南の発言を引用しておいた。


日本近現代史と戦争

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・加藤陽子氏が文庫版の解説を執筆している

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない
・・無謀な戦争であったが、その事実を直視するためには「大東亜戦争」と名付けた当時を想起しなくてはならない

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2) 

書評 『ノモンハン戦争-モンゴルと満洲国-』(田中克彦、岩波新書、2009)

書評 『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)-いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!


「対話型授業」とダイアローグ(対話)

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある

「◆未来をつくるブック・ダイアログ◆『国をつくるという仕事』 西水美恵子さんとの対話」に参加してきた-ファシリテーションについて

書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)
・・これは経済史の授業。加藤陽子教授の授業に近いかもしれない。ただしエグゼクティブ向け

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ

(2014年7月24日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2009年8月18日火曜日

「メキシコ20世紀絵画展」(世田谷美術館)にいってみた(2009年8月18日)





 「メキシコ20世紀絵画展」にいってみた。

 東京の世田谷美術館にて2009年8月30日まで。主催者はほかにはNHK、NHKエンタープライズ、読売新聞東京本社、メキシコ国立文化芸術審議会、メキシコ国立芸術院。後援は、外務省、メキシコ大使館。

 世田谷美術館は今回が初めてだが、美術館の建物自体がひとつの芸術作品といってよい造形で、展示スペースもゆったりとしており、なかなか好感のもてる美術館である。

 今年は、「日本メキシコ交流400年」なのだそうだ。その記念行事の一環としての開催だという。
 仙台藩の支倉常長が伊達政宗の命を受けて太平洋を渡って、メキシコ経由でヨーロッパに派遣されてから400年、なのだろうと思ってたら、そうではないようだ。

 外務省のウェブサイトにはこうある。
「1609年9月、フィリピン諸島総督ロドリゴ・デ・ビベロを長とする一団の船は、ヌエバ・エスパーニャ(当時のスペイン領メキシコ)への帰国途中、千葉県御宿沖で遭難し、村人の献身的な救助により、乗組員317人が救出されました。ビベロ一行は地元城主や村人からの暖かい歓迎を受け、その後、徳川秀忠及び徳川家康に謁見しました。翌年、徳川家康がビベロ帰国のため造らせた船はメキシコに向けて出航。ビベロと共に渡航した京の商人田中勝介他20数名の日本人は、メキシコを訪問した最初の日本人となりました。我が国の時の為政者とメキシコからの政府高官が対面し、初めての会談が行われた意義は大きく、2009年はそれから400年目にあたります」

 支倉常長がメキシコのアカプルコに到着したのは、1613年のことらしい。歴史というものは、調べると意外な事実がわかって面白いものだ。

 ところで、ここではメキシコと書いているが、本当はメヒコ(Mexico)というのが正しい名称である。しかしまあ日本では通称メキシコで通っているからそれでよしとしておこう。また一昔前なら、「日本メキシコ交流」などといわず、「日墨交流」といったであろうが、それもまたさておいて、と。
 
 メキシコ絵画といえば何といっても壁画が想起される。少なくとも私の場合はそうである。

(メキシコの壁画画家シケイロスはスターリン主義者であった)

 シケイロスリベラオロスコといった壁画画家がまず頭に浮かぶ。高校時代にみたシケイロスの壁画の画像には圧倒的な印象を受けたからだ。

 今回は東京での小規模美術館での開催である。壁画は建物の一部だから、海外に持ち出して展示することはできないので美術展向きではない。本当はこの「メキシコ壁画運動」について、美術館としてはパネルでもいいから詳しく解説すべきなのだが・・


メキシコには1カ月間滞在したことがある
 
 メキシコには、米国留学中の1990年の暮れから1991年の1月にかけて1ヶ月かけてメキシコをくまなく旅した。ちょっと寄り道してメキシコのことを書いておく。

 セメスターの期末試験を終了したらすぐに寒いニューヨーク州を脱出して、メキシコのリゾート地カンクン(Cancun)へ。友人とフロリダで待ち合わせて一緒にいったのだが、カンクンはまったくもって米国の植民地みたいな俗悪な町で、すぐに嫌気がさし、旅行代理店のすすめもあって、セスナ機でコスメル島(Cosmel)に移動したのは正解だった。ここでスキューバ・ダイビングなどして1週間過ごしたのは、いい思い出である。カリブの海は素晴らしい!

 友人とわかれて一人旅でメキシコを回ってみることとした。まずユカタン半島ではマヤ遺跡を見学、一休みしているときに中肉中背の中年とおぼしきメキシコ人からいきなり「あけましておめでとう」と日本語でいわれたのには驚いた。あっけにとられて、「おめでとうございます」と返答しただけで終わってしまったが、もしかしたら彼は日系人だったのだろうか?私はその日が元旦であったことをすっかり失念していたのだ。

 メキシコシティ(シウダ・デ・メヒコ)では、先にもふれた壁画を市内のいたるところで見ることができた。メキシコ革命とそれ以後の社会を描いた政治的なモチーフが多いのだが、美術館だけでなく、市庁舎などの建築物の外壁や内部に描かれており、生きた美術というのはあくまでも民衆のためのもので、美術館に飾られるものじゃない、と実感される。

ヨーロッパのカトリックの教会内に残されたフレスコ画も同様である。


岡本太郎の壁画「明日の神話」もメキシコで制作された

 先年、岡本太郎の壁画「明日の神話」がメキシコで発見されて、日本に里帰りして展示されたが、本来はホテル内の壁画としてオーナーから制作を注文されたものだと聞いている。

(岡本太郎の壁画「明日の神話」)

 原爆が炸裂した瞬間を描いたこの壁画をホテル内に飾ると決めた、メキシコのホテルオーナーというのも考えてみればすごい人だ。ピカソのゲルニカに勝るとも劣らない作品である。

 結局オーナーは破産してホテルが廃業されたために、壁画そのものが長らく行方不明になっていたというのもすごい話である。そして行方不明だった壁画を執念で発見した岡本敏子さんもめちゃすごい。

(* 「明日の神話」は現在では、東京の東急渋谷駅構内に展示されており、メキシコ壁画運動の精神にふさわしく無料で一般公開されているのはすばらしい。2014年2月15日 追記)。

 このほか、タスコ、オアハカ、グアダラハラなども訪問、クエルナバカでは「日本の26聖人殉教図」を教会内部で見学することもできた。

 グアテマラ国境近くのサン・クリストバル・デ・ラス・カサスまで足をバスで移動して回ったが、メキシコは実に多様な文化があることを知った旅であった。


メキシコ絵画といえばフリーダ・カーロ、そしてトロツキー

 回り道をしてしまったが、メキシコ絵画については、ここ数年では、壁画よりも、むしろ女流画家のフリーダ・カーロということになるだろう。

 今回の美術展も、初公開のフリーダ・カーロの「メダリオンをつけた自画像」を目玉としてポスターに載せていることからもそれは窺えるが、フリーダ・カーロの作品はこれ一点限りなのであまり期待しない方がいい。タイトルどおり、「メキシコ20世紀絵画」を全体として扱った企画展である。

 1991年にメキシコにいったとき、メキシコ市郊外コヨアカンにあるフリーダ・カーロ美術館を楽しみにしていたのだが、いってみたら何とうかつなことか、定休日で入れないのでがっかりした、という経験がある。

 映画 『フリーダ』(2002年制作)が公開され、フリーダ・カーロの愛と情熱と芸術の生涯が、女性を中心にひろく知られることになったようで、2003年に開催された「フリーダ・カーロとその時代」展は、東京ではかなりの人出だったようだ。

 東京で見る機会を逸したので、出張先の大阪で、サントリーミュージアム(天保山)で見ることができたのは幸いだった。フリーダ・カーロの全体像を見ることのできた素晴らしい美術展であった。東京で見るよりは比較的すいていたのではないかと思う。

 フリーダ・カーロの絵はグロテスクなまでに自虐的で、受難像としての自画像が多いので、嫌いな人は嫌いだろう。

 決してフランス印象派のようなポピュラリティを獲得することはないと思うが、メキシコを代表する画家の一人であることは間違いない。かなり独自な世界を描き続けた人である。 


 実は、メキシコ市郊外の高級住宅街コヨアカンまでいってみたのは、フリーダ・カーロが主目的ではなく、亡命先のメキシコで暗殺されたトロツキーの旧宅がミュージアムとして保存されており、そこを訪れるのが目的であった。

(トロツキーの書斎 暗殺直前の状態を保存 筆者撮影)


 トロツキーが殺害された当時のままに書斎が保存されており(写真はいずれも私が撮影)、革命家であり、赤軍の生みの親というよりも、亡命先でも次々と旺盛に著作を執筆し続けた著作家としてのトロツキーをうかがうことができた。

 1991年1月のこの時点では、いまだソ連は崩壊しておらず(・・8月の夏休み中に旅行先のスペインでモスクワでクーデターが発生したことを知ったことを覚えている。トロツキーの再評価が行われるようになったのはソ連崩壊後である。

(トロツキーの墓と要塞のような邸宅 しかし暗殺は実行された 筆者撮影)

 その後、岩波文庫で読んだトロツキーの『裏切られた革命』(藤井一行訳、1992)によって、革命後のスターリン統治下ソ連の官僚制にかんするトロツキーの分析の鋭さと、ソ連が崩壊するにいたった理由もよく了解することができた。

 私が、山口昌男の『歴史・祝祭・神話』(中公文庫、1978)で知ったトロツキーは、ロシア革命の指導者というよりも、ある種「負け組」として、負の刻印を押された悲劇的な敗者としてのトロツキーである。このトロツキー像が念頭にあって、メキシコにいった際、あえてコヨアカンまでいってみたのだ。

 アラン・ドロン主演の映画 『暗殺者のメロディ』(1972年制作)は、原題を The Assassination of Trotsky といい、スターリンの密使によって書斎で殺害されたトロツキーの殺害犯を描いた心理ドラマであるが、1940年8月20日に最終的に暗殺される前にも、画家のシケイロスは殺害未遂事件にも関与しており、芸術と政治が密接にからまっていたのが、20世紀前半のメキシコである。

 また、トロツキーはディエゴ・リベラの妻であったフリーダ・カーロとは愛人関係にあり、メキシコ20世紀前半の美術界と共産主義者との関係は、人間関係の面からみても非常に錯綜としている。この点については、映画 『フリーダ』でも扱われていたと記憶している。


メキシコの画家たちと縁の深い画家・利根山光人の展示会

 私がもっているシケイロス画集(『ファブリ世界名画集87 シケイロス』平凡社、1970)の解説を担当している画家・利根山光人の展示会が、2階で開催されていたのでついでに見る。利根山光人は世田谷在住で、死後作品の多くが世田谷美術館に寄贈されている。

 日本の芸術家たちのメキシコとのかかわりも興味深い。メキシコの民芸運動にかかわった北川民次のような人もいる。

 今回の美術展は、メキシコ20世紀美術の概要を知るにはいいだろう。私としては、オロスコによる「十字架を自らの手で壊すキリスト」(1943)という一枚の絵を見るためだけでもいく価値があると思った。

(オロスコの「十字架を自らの手で壊すキリスト」)


 スペインによる西洋の植民地300年のくびきを断ち切り、革命によって自らの歴史を取り戻したメキシコ人の自画像ともいえるかもしれない。

 もちろんメキシコ国民の大半は熱心なカトリックであり、オロスコ自身の信仰については詳しく知らないが、見る人に強烈なインパクトを与える絵画であることは間違いない。


エイゼンシュテイン監督の『メキシコ万歳!』

 メキシコについては、ソ連の映画作家セルゲイ・エイゼンシュテイン監督による映画『メキシコ万歳!』(・・監督の死後に未完成フィルムを編集して1980年に初公開)など書きたいことはまだまだある。

 エイゼンシュテインがハリウッドからの招待を受けてメキシコで映画撮影をしたのが1930年、未完成のまま放置されていたフィルムだが、メキシコを描いた映画ではもっとも神話的なアプローチで、見る価値のある作品である。

 エイゼンシュテインまで書き始めると際限がなくなるので、今回はここらへんでやめておく。
   



PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にし、あらたに小見出しを加えた。誤字脱字を修正し、リンク先の変更を行ったほかは本文には手を入れていない。<ブログ内関連記事>で、そのご執筆したブログ記事を参照できるようにした。 (2014年2月15日 記す)



<関連サイト>

「企画展 岡本太郎とメキシコ 熱いまなざし-岡本太郎とメキシコ」(川崎市岡本太郎美術館 会期2002年8月10日~9月29日)
・・ 「メキシコというのは、なんて怪しからん所だ。何千年も前から断りも無く、私のイミテーションを作っているなんて。」古代メキシコ美術を見てユーモアを込めて語られた岡本太郎のこの言葉は、古代メキシコ芸術と彼の作品が共感し合い、本質的な部分で通底している証である。本展では、壁画《明日の神話》の原画、未完に終ったメキシコ・プロジェクト〈海の博物館構想〉といったメキシコと深い関わりのある岡本作品や、彼が現地で撮影した写真を展示した。また、岡本が特に感動した古代アステカ文明の神像コアクトリエや古代都市テオティワカン遺跡などの古代メキシコ世界を紹介すると共に、シケイロス、リベラ、タマヨなどメキシコの近・現代の作家を取り上げ紹介した。

The Assassination of Trotsky (1972) よりトロツキー暗殺シーン (YouTube 『暗殺者のメロディ』より)・・暗殺者を演じるのはアラン・ドロン



<ブログ内関連記事>

「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)
・・ピンク色の壁で有名なメキシコを代表する建築家ルイス・バラガン

「聖週間 2013」(3月24日~30日)-キリスト教世界は「復活祭」までの一週間を盛大に祝う
・・メキシコのサン・クリストーバル・デ・ラス・カサスでもらった「受難劇」の写真

・・イスラームを排除して「純化」したスペインは海外に・・・。南米植民地を獲得した・・・

・・イエズス会士たちは大西洋を渡って南米へ、あるいはインド洋をわたって戦国時代の日本に向かう

・・「私は何の先入観なしにこの『アバター』をみているうちに、これはロバート・デ・ニーロ主演の『ミッション』だな、と思った。監督が意識していたかどうかは知らない・・(中略)・・南米では、スペイン人植民者が宣教師と軍人と行動をともにしたのと同様、西欧文明の継承者である、米国においてはビジネスマンと科学者と軍人がセットで登場するが、宣教師の枠割りは科学者が代替している。」。アバターは、滅亡に追い込まれた原住民インディオのメタファーと考えるべきではないかと思われる。南米ミッションについて、やや詳しく書いておいた

「生誕100年 人間・岡本太郎 展・前期」(川崎市岡本太郎美術館) にいってきた (2011年6月)

「生誕100年 岡本太郎展」 最終日(2011年5月8日)に駆け込みでいってきた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・この本の表紙は「縄文人の彫刻」であある

書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)


(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end