「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 創業物語 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 創業物語 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年8月3日土曜日

書評『夕あり朝あり』(三浦綾子、新潮文庫、2000 単行本初版1987)― この伝記小説は文句なしに面白い「創業物語」だ!



『夕あり朝あり』(三浦綾子、新潮文庫、2000)という長編小説を読んだ。水をつかわないドライクリーニングの白洋舍の創業者の伝記小説だ。この本は、ほんとに文句なしに面白い。

読み始めると、どんどん先を読みたくなるので、電車での移動中に読み始めたが、どうしても最後まで読んでしまいたいという気持ちになってしまい、ついに3日目に読み切ってしまった。

三浦綾子の作品を読むのは、これが初めてのことになる。そもそも、あまり文学作品を読まないわたしだが、『氷点』という小説で有名な人であることは知っていたものの、なんとなくずっと避けて通ってきた。

「肺結核に脊椎カリエスを併発して療養生活13年、その病床でキリスト教に目覚め・・」というプロフィールに引いてしまったのだ。「まじめさを絵に描いたようなクリスチャン」、そんなイメージを勝手につくりあげてしまい、敬遠させていたのだろう。

ところが、この長編小説は、わたしのような経歴と趣味嗜好をもつ人間には面白い。創業者の一人語りという形をとった伝記小説だからだ。起業家の創業物語であるからだ。

ドライクリーニングの白洋舍の創業者は、五十嵐健治(1877~1972)という人である。


(五十嵐健治 Wikipediaより)


どんなキッカケだったか正確に覚えていないが、この人がキリスト教の精神にもとづいて起業したということを知って興味を抱き、『夕あり朝あり』の存在に行き着いたというわけだ。

思い立ったらすぐ行動に移す直情径行の人であり、まさに波瀾万丈としかいいようのない前半生そして北海道で出会ったキリスト教に導かれ、キリスト教伝道を目的に起業する。キリスト教がまだ白眼視されていた明治時代のことである。

労働者としてさまざまな事業にかかわってきたが、最終的に選んだ事業は「洗濯業」であった。

明治時代当時は社会的に低く見なされていた仕事だが、「人の垢を落とす」ことに大いなる意義(=パーパス)を見いだし苦難に満ちた試行錯誤の実験と研究開発の末に、独力で日本初のドライクリーニングに成功する。1907年のことだ。開拓者精神のたまものである。

この人ならぜひ助けたいという気持ちにさせるものが、創業者にはあったのだろう。化学者たちや、さまざまな人たちに応援されて成功したのである。

事業とは奉仕(=サービスなのである。世のため人のために奉仕する。しかも、それを営利事業として行うことで、私益と公益を両立させることができる。

だから、1920年に会社組織にした際には大いに悩んだらしい。株主が多いと自分の思うようにキリスト教伝道というミッションを追求できないのではないか、と。65歳で社長を長男に譲ったあとは、会長としてとどまりながらも、起業本来の目的であったキリスト教の伝道(=ミッション)に生涯を捧げている。

それにしても、信仰をもっている人は精神的に強い。世間的にみたらあきらかに成功者なのだが、自分のことを小説の題材にしてほしいとは思わない、そう生前に語っていた謙虚な人だったそうだ。

だが、その人物をよく知る著者のおかげで、その生涯が作品として残されることになったのである。

『夕(ゆう)あり朝(あさ)あり』というタイトルだけだと、どんな内容かまったくわからない。サブタイトルもないから、内容を想像するのもむずかしい。

もちろん、著者としては一(いち)キリスト者の人生を描くのが目的だったのだろう。だが、1986年に書かれたこの小説は、エンタテインメント性がきわめて高い。新聞連載ものだったからだろう。

山あり谷ありの起業家の人生であり、近代日本を生き抜いた一人の日本人の人生。その素材としての素晴らしさだけでなく、著者のストリーテリング能力がきわめて高いのである。

だからこそ、「明治の日本人の創業物語」だといえば、ぜひ読んでみたいと思う人も少なくないのではないだろうか。


画像をクリック!



<関連サイト>

・・「創業者五十嵐健治は、日本におけるドライクリーニングの創始者であり、つねに業界のパイオニアでもありました。本資料館には、まさにクリーニングに生涯をささげた故人を偲ぶ遺品、著書や写真など、数多くの資料を展示しています。
「他人の益をはかり、他人をよろこばす、人生これにまさる愉快なことはありません」五十嵐健治は、1877(明治10)年に新潟県に生まれました。洗濯業を生涯の仕事と定め、1906年(明治39年)白洋舍を創業しました。外国には水を使わない蒸洗濯のような便利な洗濯方法があることを知り、多くの苦心を重ねながらも研究に打ち込み、日本において初めてドライクリーニングの技術を開発しました。
 創業当時から健治の信念である「開拓者精神」「奉仕の精神」は、今もなお受け継がれています。館内には、健治の遺品、著書や写真をはじめ、洗剤として用いられた植物や洗濯板をはじめ、火熨斗や炭火を用いたアイロンなど貴重な洗濯の歴史や技術に関する資料を展示しています。」
場所は、東京都大田区下丸子2丁目11番8号 白洋舍本社ビル1F。ぜひ一度訪問してみたい


(追記)



<ブログ内関連記事>



・・もともとキリスト教徒であった夫妻が立ち上げた事業はパン屋であった




・・17世紀のオランダには、フランスやイングランドから洗濯物が集められ、集中的に洗濯が行われていた。カルヴィニズム精神が「清潔」をなによりも重視したことも背景にあったらしい


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2024年7月13日土曜日

新宿中村屋の創業夫妻それぞれの回想録をあわせて読むと面白い ― 『一商人として 所信 と 体験』(相馬愛蔵、1938)と『黙移 相馬黒光自伝』(相馬黒光、1936)

 

インドカ "レ" ーではなく、インドカ "リ" ーである。これが新宿中村屋のこだわりだ。  

東京は新宿に本店のある中村屋は、レトルトでも「インドカリー」を販売しているが、「インドカリー」のパッケージにはこう書いてある(・・引用は下記の写真とは別のパッケージから)。 


日本のカリー文化はここから誕生しました。インド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースが日本への亡命を手助けした創業者夫妻に心を込めてふるまった祖国のカリー。その感動が中村屋「純印度式カリー」の始まり。昭和2年から・・・ 

 



インド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースは、おなじくベンガル出身者だが、現在の日本でも知名度の高いチャンドラ・ボースとは別人である。 

ラス・ビハリ・ボースについては、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』(中島 岳志、白水社、2005)という本がある。「中村屋のボース」といえば、この人のことだ。 




この本は出版しされてすぐに読んでいる。面白い本だ。第1次世界大戦当時は同盟国であった英国からの追求をかわし、義侠心からかくまったのが頭山満であり、ひょんなことからその後を引き受けたのが中村屋の創業者夫妻であった。

その中村屋の創業者夫妻は、それぞれ回想録を残している。『一商人として 所信 と 体験』(相馬愛蔵、1938)『黙移 相馬黒光自伝』(相馬黒光、1936)がそれだ。

信州出身の愛蔵(1870~1954)と仙台出身の黒光(こっこう。本名は良 1876~1955)は、キリスト教を縁に結婚している。 

『一商人として』は青空文庫化されているので無料で読める。 amazonでは縦書きで読めるのはありがたい。もちろん無料だ。  

日本語の Kindle本は、電車での移動中にスマホでちょっとづつ読む。まったくのシロウトが始めた学生向けのパン屋から始まった、創業者自身による創業物語として面白い。 

『一商人として』は最近読み終えたので、『黙移 相馬黒光自伝』を読むことに。こちらは平凡社ライブラリーに1999年に収録されている。  

それにしても、平凡社ライブラリー版が出版され、すぐに購入してから25年もたってしまった。読もう読もうと思って四半世紀。 

ようやく読み終えたが、中村屋の創業者夫妻、ことにその妻であった「アンビシャス・ガール」相馬黒光の個性の強さと振幅の大きさ、その複雑な性格、多彩な交友関係には圧倒されるものがある。「人名索引」がないのが残念なくらいだ。 

「負け組」となった仙台藩の士族の娘として生まれ、漢学者の孫であった相馬黒光(旧制は星良子)は、その経歴は社会主義者であった山川菊栄に似ている。後者は、水戸藩の儒者の孫娘である。 

そんな相馬黒光であるが、明治時代の負け組士族の多くがそうであったように「英語・アメリカ・キリスト教」の洗礼を受けている。明治女学院では、北村透谷の教えを直接受けたわけではないが、 透谷の「内部生命」という概念が内面化されているようだ。

そんな人が、苦労に充ち満ちた創業体験や、子育て、そして自身の大病などの人生経験を積んだのち、最後の最後は10年間の「静坐」体験を経て仏教に帰依するに至るのである。 

まさに、明治維新後の日本人の精神風景をそのまま体現したような生涯であったといえようか。 

『一商人として』(相馬愛蔵)は、創業者自身による創業物語として面白い。一方、『黙移』(相馬黒光)のほうは創業物語の側面は小さく、それ以外の明治初期の文学史やボース亡命の話などが面白い。 

両者をあわせて読むと、新宿中村屋の創業当時から昭和初期までの状況がよく深く理解できるだけでなく、長年にわたる中村屋の「インドカリー」のファンとして、さらなる充足感を感じのである。 



目 次 

◆『一商人として』(相馬愛蔵) 

本郷における創業時代 
新宿中村屋として 
若き人々へ 別記 
主婦の言葉(相馬黒光) 

◆『黙移』(相馬黒光) 

出郷
『女学雑誌』と『文学界』 
明治女学校 
国木田独歩と信子
一転機
印度志士ボース

続篇 
静座十年 
白系ロシヤの人々 
発願 
半生を顧みて
 


<ブログ内関連記事>



・・玄洋社の頭山満と相馬愛蔵・黒光夫妻の関係から、亡命インド人のラス・ビハリ・ボースをかくまうことになった




(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end