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2018年4月22日日曜日

「韮山反射炉」を見に行ってきた(2018年4月21日)ー 日本人なら一度は見学しておきたい反射炉は、まさに「百聞は一見にしかず!」の産業遺産

(韮山反射炉は高さが15.6m 筆者撮影)


昨日(2018年4月21日)のことだが、「韮山反射炉」を見に行ってきた。世界遺産に登録されている「幕末・明治の産業革命」の遺産の一つだ。 

幕末の歴史を見ていると、やたら「反射炉」というものが登場する。有名なところでは藩主・島津斉彬の薩摩藩、藩主・鍋島閑叟の佐賀藩など全国各地の藩や幕府で取り組まれた。

「反射炉」は大砲の鋳造を主目的に建設された金属融解炉のことだ。 燃焼室で発生させた熱を、天井や壁で「反射」させて炉床に熱を集中させ、そこで金属の融解を行う。

明治時代になると、いきなり「転炉」の時代になって、「反射炉」の「は」の字も目にすることがなくなる。だからだろう、困ったことに「反射炉」とは何かという説明が、ほとんどなされることがないのだ。

「反射炉」ってなんだ?  なぜ「反射炉」なんだ? 

やたら出てくる割には、現在の製鉄技術とどう関係するのかよくわからない。そんなことが、ずいぶん昔から気になっていた。 

「韮山反射炉」は、韮山の代官で技術官僚の江川太郎左衛門(=江川英龍、坦庵)が主導して建設した幕府側のものだ。現在まで残る唯一の「反射炉」である。

というわけで、意を決して(!)見に行ってくることにしたのだ。長年の疑問を解決するために。 


■韮山は伊豆半島の真ん中に位置

韮山は、静岡県の伊豆半島の真ん中に近い伊豆の国市にある。関東からならムリすれば日帰りも可能だ。今回は、あたらしく開設された「新宿バスタ」から高速バスで行ってみた。座席指定で事前に要予約、往復で4510円なので、鉄道を利用するより安い。 

朝9時15分の便で出かけて、16:00現地発の便で帰るという日帰りの強行軍。土曜日なので満席だ。時刻表では2時間強で到着することになっているのだが、東名高速が混んでいるので定刻より1時間以上の遅れ、片道で3時間以上もかかった。したがって、現地滞在時間は3時間程度しかないので、観光案内所でレンタサイクルを借りて走りまくった。 

目的地は2つ。まずは「韮山反射炉」、そして「江川邸」。江川邸とは、反射炉を建設した江川太郎左衛門の屋敷のことである。

巡回バス(300円)という選択もあったが(観光案内所ではそちらを推奨していた)、レンタサイクル(500円)を選択。自転車のほうが機動力があるので正解だった。

スマホをナビに変速ギアの自転車で走りまくった。なんといっても富士山の裾野だから、天気は快晴で富士の白嶺を見ながらのサイクリングは最高だ! 


(反射炉から江川邸に向けて走る。目の前には富士山! 筆者撮影)


■なぜ韮山に反射炉なのか?

韮山反射炉は、1853年に建設が開始され、ここで大砲が製造された。この1853年というのはペリー艦隊が「黒船」として「開国」を求めて来航した年だ。翌年の2度目の来日で日米和親条約が締結されることになる。

そもそものきっかけは、1840年のアヘン戦争のインパクトである。当の中国ではなく、日本の武士を中心とした知識階層に大きな危機感を呼び覚ますことになった。江川太郎左衛門は、伊豆半島の治める代官であり、海防にはきわめて大きな危機感を感じていた一人であった。

世界的大都市の百万都市の江戸にとっての江戸湾、そして伊豆半島の地政学的重要性から、海防のための大砲による備えは喫緊の課題であったのだ。

当時の最先端ハイテク地域は鍋島公が藩主の佐賀藩で、江川太郎左衛門は佐賀藩の協力のもとに反射炉の建設と大砲製造を行ったらしい。そもそも佐賀藩自体、オランダ語の専門書だけ読んで建設に取り組んで成功しているのだから、驚きとしかいいようがない。 

「反射炉」の時代があっという間に終わったのは、同時代の英国はまさに「産業革命」の真っ最中で、日本で洋書を頼りに自前で反射炉の製造に取り組んでいた時期には、英国では最新鋭のベッセマー法が発明されていたからだ。

明治維新以後は、高給で雇った外国人技術者をフルに活用することになる。つまるところ、時間をカネで買うという戦略に転換したわけだ。 


(反射炉の説明書き 筆者撮影)

技術史的に見れば、「反射炉」は過渡期の製造技術であったわけだが、専門書を読んだだけで自前で創ってしまう日本人というのは、現在から見てもとてつもない人たちであったとしか言い様がない。 

2015年にはめでたくも「世界遺産」に登録されているが、わたしが訪問した時には、外国人観光客は皆無であった。「世界遺産」というのは外国人観光客を呼び込むためのものというよりも、権威付けによって日本人の関心を喚起するために利用されている仕組みなのだな、と思うのであった。

別に皮肉で言っているわけでない。世界遺産に登録されたことで予算が付き、遺跡を保護しようという地域住民の意識が高まり、しいては地域振興につながるという「効用」があるからだ。

まあ、そんなことはさておいても、日本人なら一度は見ておきたい「韮山反射炉」165年前の産業遺産が、原型を保ったまま保存されているのは素晴らしいことだ。 

まだ見たことがない人は、ぜひ見るべきだと力説しておきたい。






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2014年5月27日火曜日

東西回廊とメコン川を横断する「第2タイ=ラオス友好橋」-開通記念セレモニー(2006年12月20日)出席の記録

    (国境を挟んで流れるメコン川のタイ側からみた「第2タイ=ラオス友好橋」 筆者撮影)

「東西回廊」というものがある。東南アジア、とくにメコン圏のインドシナ半島を東はベトナムから西はミャンマーまで東西に結ぶ道路のことだ。

ここ数年は「民主化」されたミャンマーが話題になることが多く、東西回廊の話題もタイから西のミャンマーへのアクセスがいっこうに開発されないことに集中しがちだが、それは東のラオスからベトナムへかけてのルートがすでに完成しているからだろう。、

いまから8年前の2006年のことだが、また、2006年12月20日の、Thai-Laos Friendship Bridge Ⅱ(第2タイ=ラオス友好橋)の開通記念セレモニーに、ラオス政府の招待で参加しているので、そのときのことを、以前書いた文章を再編集する形で紹介しておきたい。

第二メコン橋は、日本の経済援助によって作られたものである。国境を接する中国の影響圏にあるラオスを少しでも日本に引き戻すためにはどうしたらいいか。まずは事実関係の確認の意味で、2006年当時を振り返っておきたい。


ラオスと「第2タイ=ラオス友好橋」について


(日本の経済協力によることを示した掲示板)

第2タイ=ラオス友好橋は、タイ側のムクダハーンとラオス側のサヴァナケットを結ぶ、メコン川にかけられた二番目の橋である。日本の ODA 資金による援助ローンで建設された、日本の息もかかったものである。

インドシナ半島には国跨いだ2つの回廊(コリドー)がある。東西回廊と南北回廊である。東西回廊が日本の息のかかったものであれば、南北回廊は中国の息のかかったものである。中国は海に出るためのルートとして南北回廊の建設にはチカラを入れてきた。

タイとラオスを結ぶ橋は、いちばん最初にできたのは、タイ側のノンカイとラオス側のヴィエンチャンを結ぶもので、現在では鉄道線路も敷設された。三番目の橋は中国のカネによるものだ。

(東西回廊とメコン第二友好橋 出典:毎日新聞 2007年2月12日)

面白いことにタイは日本と同じくクルマは左側通行だが、ラオス側はフランスの植民地であったこともあり右側通行である。このため、橋のまんなかで交通レーンが入れ替わることになっている。先日TV番組でみたが、タイとミャンマーのあいだも同様であるようだ。

インドシナ半島を陸路で結ぶ交通ルート、いわゆる「東西回廊」がだんだんと整備されてゆく状況にあるが、この点は面倒なものであるといわざるをえない。ラオス、カンボジア、ベトナムの三カ国は右側通行である。

「東西回廊」など陸路だけでなく、空路と海路も含めた東南アジアのロジスティクスについては、『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、2008) が、実用書としても、読み物としても面白いので推薦しておこう。


タイ側の主賓はシリントーン王女

ちなみのこの式典には、タイ側からはタイ国王ラーマ9世の長女であるシリントーン王女(・・下の写真で左から二人目)が主賓として列席されていた。

(シリントーン王女とタイのプリンセスたち 筆者撮影)

私たちと行動をともにしていた通訳のタイ人女性は、この式典のあと聞いた話だが、感激のあまり涙がこぼれたと漏らしていた。タイにおけるシリントーン王女の存在はスーパースター並である。

私がシリントーン王女をナマで、しかも至近距離から拝顔させていただいたのはこの一回限りだ。

(タイの仏教僧侶たちの読経 筆者撮影)

セレモニーにつきものなのが仏教僧侶たちである。これはタイ側のものだが、仏教僧侶たちの読経が行われる。日本ではこのようなセレモニーにおいては、とくに地鎮祭においては神道の領域であるが、上座仏教圏ではもっぱら仏教僧侶が行うことになっている。

ラオスもまた上座仏教圏である。世界遺産に指定されている古都ルアンプラバーンの早朝の托鉢シーンは有名であり、わたしも実見しているが、やや観光化してしまっているような印象を受ける。とはいえ、それ以外は熱心な仏教国であるといえよう。

(微笑む制服姿のタイの女性文官たち 筆者撮影)


ラオスは「美少女大国」

左に掲げる写真は、ラオスの美少女たち。ラオスは知られざる(?)「美少女王国」である。タイ北部のチェンマイ方面とラオスはもともと同じ民族で、タイ北部に美人が多いのは理由があるのだ。

(日本の旗をもって歓迎してくれるラオスの美少女たち 筆者撮影)

記念式典にあたって、ラオス国旗とタイ国旗にまじって日本の日の丸も振ってくれているのはうれしいかぎりだ。

(ラオス側の国境ゲート 筆者撮影)

ラオスは人口500万人と国土の割には人口密度が低く首都ヴィエンチャンも人もバイクもまばらにしか走っていない。それでも「昔よりクルマが増えた!」と現地の人から聞くと、なんだか不思議な気分になる。むしろ古都ルアンプラバーンのほうが、欧米からの観光客であふれているので賑やかなくらいだ。

観光地といえばヴィエンチャンとルアンプラバーンというイメージが定着しているが、じつはそれ以外の地方都市が面白い。とはいえ、まだまだ危険な箇所も多く、仕事でもなければなかなか行く機会もないかもしれない。

まずはラオスという国がどこにあるかという地理的な位置関係をつかんでほしいと思う。


(Google Map でみる内陸国ラオス)


<関連サイト>

「東西回廊」整備はアセアン全体に影響及ぼす-抑えておきたいミャンマー特有の物流事情(ダイヤモンドオンライン、2014年5月29日)
・・「インドシナ半島のベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー4ヵ国を結ぶ東西経済回廊を通じた物流は、タイ・ムクダハンとラオス・サバナケット間を流れるメコン川にかかる第2メコン友好橋が2006年12月に開通して以降、年々増えている。ベトナム・タイ間の陸上物流の増加は目覚ましく、北ベトナム発タイ向け貨物の増加は特に顕著だ。 道路と橋が整備される頃には、タイ・ミャンマー間の輸送は、タイ・ベトナム間の陸上輸送と同様に、飛躍的に増加することが予想される。そのころには、アセアンにおいてより重要度を増したミャンマーの姿が見られているであろう」





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本の紹介 『鶏と人-民族生物学の視点から-』(秋篠宮文仁編著、小学館、2000)-ニワトリはいつ、どこで家禽(かきん=家畜化された鳥類)になったのか?
・・「メコン第二友好橋」の話は、もともとこの秋篠宮の記事の付録として書いたが、関連性が薄いので切り離して独立の記事とすることにした


インドシナとメコン圏

『東南アジアを学ぼう-「メコン圏」入門-』(柿崎一郎、ちくまプリマー新書、2011)で、メコン川流域5カ国のいまを陸路と水路を使って「虫の眼」でたどってみよう!

書評 『消費するアジア-新興国市場の可能性と不安-』(大泉啓一郎、中公新書、2011)-「新興国」を消費市場としてみる際には、国全体ではなく「メガ都市」と「メガリージョン」単位で見よ!




物流・ロジスティックス

タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察-

『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、エヌ・エヌ・エー、2008)で知る、アジアの物流現場の熱い息吹

書評 『空洞化のウソ-日本企業の「現地化」戦略-』(松島大輔、講談社現代新書、2012)-いわば「迂回ルート」による国富論。マクロ的にはただしい議論だが個別企業にとっては異なる対応が必要だ




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2014年5月26日月曜日

ラオスよいとこ一度はおいで-ラオスへようこそ!


(ラオスの首都ヴィエンチャン空港にて)

♪ ラオスよいとこ一度はおいで!

わたしはラオスには、仕事と観光で、​これまで二回いってます。【♪ ラオスよいとこ一度はおいで!】と題して、3年前の2011年にフェイスブックに投稿した記事がありますので、ここに再編集して再録しておきたいと思います。


内陸国ラオスはインドシナの小国

ラオス(Laos)は、東南アジアのインドシナ半島の内陸の小国​。正式名称は、ラオス人民民主共和国。まず、地理的な位​置づけについて写真で確認しておきましょう。この地図は、ベトナ​ムの旅行会社のものですが、左上に Laos の文字がみえるでしょう。

(ベトナムの観光地図に記されたラオス)

人口は600万人超で、人口密度たった 26人/k㎡(!)。首都ヴィエンチャンも、クルマは少しだけで​人もまばらです。

フランス植民地だったため、ベトナム、カンボジ​ア、ラオス三国をあわせて「インドシナ諸国」ということもありますが​、現在でもフランス語の看板のほうが英語よりも多く、フランス語​も比較的通じます。いわゆる「インドシナ三国」のなかでは、発展が遅れたためか、もっともフランス語が残っている国かもしれません。

しかしご心配なく。現在では英語は十分通じます。とくに「世界遺産」の指定を受けた古都ルアンプラバーンは圧倒的に西欧人の観光客があふれているので英語にかんしてはまったく問題ありません。


ラオスを代表する「伝統」

ラオス(Laos) の伝統にかかわるものを2つ紹介いたします。仏教と舞踊について​です。

(ラオスにて筆者撮影)

写真の左は早朝の托鉢風景

「世界遺産」に指定されている古都ル​アン・プラバーンでは朝の托鉢が有名です。大勢のお坊さんたちが​列をつくって市内を托鉢で歩きます。お布施をすれば功徳を積むこ​とができるので、大勢の善男善女が集まってきています。

写真に写​っているのは、隣国のタイから来ている観光客たちですね。ラオスもタイも、ともに上座仏教圏にあります。

写真の右は、ラオスの伝統舞踊の先生。ラオス美人ですね。

手の形に注目優美な舞踊は、隣国のカンボジアやタイと似ていま​す。仏教についてもそうですが、ベトナムとの共通性はほとんどありません​。ラオスは民族的にも、文化的にも、むしろタイ北部に近いのです​。

また、腰にまいた布にも注目ラオスといえば美しい織物。どこ​の国でも、女性は伝統衣裳派が多いですよね。ラオスの織​物はほんとうにバラエティ豊かで、ラオスの女性もおしゃ​れです。

ラオスの布はシルクの織物です。工房も見​学しました。土地による違いもありますし、少数民族の多​い国ですから民族ごとの違いもあります。

市場(いちば)​にいくと、色とりどりの織物を、反物として売っています​。なかなかのものがありますよローカル・マーケットで値切​りながら気に入った布を探すのも旅の楽しみの一つですね。イン​テリアにもなります。


ラオスの一般庶民の食事

いきなり質問ですが、あなたは「パン食い」ですか? それとも「麺食い」で​すか(笑)?  

(ラオスにて筆者撮影)

ラオスならこの両方を満たしてくれますよ。パン食いも麺食いも、ともに満足させてくれるのがラオスです。

写真の上は、フランス​パンでつくるサンドイッチ。ベトナムで食べたことがある方もいら​っしゃるかもしれませんね。フランスの植民地だった名残でしょう​、ベトナムやラオスではパンといえばフランスパン。サンドイッチ​は屋台で食べるものです。

写真の下はラオス麺。ベトナムと同じく米粉でつくった麺ですね。​いずれも屋台で食べることができます。麺料理の種類はじつにバラ​エティに富んでいます。ラオスにいったら 「屋台で麺!」 。これは覚えておきましょう。じつに美味いですよ!

なお、今回紹介していませんが、ふだんの食事はタイ料理に似てい​ます。タイの東北地方のイサーン料理とほぼ同じもの。ソムタムな​どの激辛系ですね。このブログには記事として書いているのでご参照してください。 


ラオスといえばビアラオ!

ということで、ビア・ラオ(Beer Lao)で乾杯!

(ラオスにて筆者撮影)

 ビア・ラオは、コメからつくったビール。ビア・ラオは、ラオスでは数少ない近代的製造設備を備えた醸造所​で生産される「国民ビール」です。日本ではラオスと「ス」までいうことが多いですが、ラオスでは「ラオ」とのみいうことが多いです。

東南アジアではシンガポールの​タイガー・ビア(Tiger Beer)がメジャーですが、わたしは個人的には、ラオスのビア​・ラオとミャンマーのミャンマー・ビアがイチオシですね。日本で​もタイ料理店の一部では取り扱ってますので、機会があれば試して​みてください。

写真は、ラオスの古都ルアン・プラバーンにて。右手に東南アジア​を貫く大河メコン川の流れを見下ろすカフェテラスで、ビアラオ飲​みながら一息ついてみる。うーむ、最高だなあ! 


ラオス側からみる「メコンの夕陽」がすばらしい!

南北に長いが海には面していないラオスにとって、メコン川はまさに天からの恵み。豊かな水量と豊富な水産資源は、ラオスの人々だけでなく、川をはさんで隣国のタイや下流にあるカンボジア、ベトナムにとっても同様になくてはならない存在です。

メコン川はラオスとタイのあいだの国境を流れています。ラオスにとっては西を流れています。

(ラオスにて筆者撮影)

写真は、ラオス中部の地方都市サワナケートにてメコン川をはさんだ対岸はタイ西に沈んでゆく夕陽がじつに美しいですね。

「サンセットはラオスから見よ!」、これがメコンの旅の教訓です。 これだけ美しい夕陽もなかなかないのではないかな? 「百聞は一見にしかず」、写真よりはるかに美しいはずですよ。


さて、いろんな面からラオスを見てきましたが、いかがですか?

ラオスよいとこ一度はおいで!-ラオスへようこそ!




PS ラオスのネコ(番外編)

では、「ラオにゃん」に登場してもらいましょう。ラオスネコを略してラオにゃん。中国語で「おふくろさん」を意味する「老娘」と発音が同じですが(笑)

(ラオスにて筆者撮影)

この写真は、とあるラオスの町でたまたま撮影したネコ。 うっすらとキジ模様がうかびあがってますが、眼も青いし、なんだかシャムネコみたいな感じも。

ラオスの隣はシャム(=現在のタイ)ですからかもしれません。エジプトが原産のネコ、日本にネコがやってくる前に、すでに東南アジアにはネコがいた(!)ということは、アタマのなかにいれておきたいものです。


(Google Map でみる内陸国ラオス)



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本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)-インドシナに関心のある人の必読書
・・敗戦時バンコクにいた陸軍参謀の辻政信は英国から指名手配され、僧侶に身をやつして仏領インドシナ経由の「敵中三千里」の逃避行を実行。帰国後に参議院議員となった辻政信は、ふたたび僧形になって単独ラオスに潜入したが、1961年以後消息を絶ったままである

ディエン・ビエン・フー要塞陥落(1954年5月7日)から60年-ヴォー・グエンザップ将軍のゲリラ戦に学ぶ
・・ディエン・ビエン・フーはラオスとの国境近く


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2014年1月19日日曜日

かつてバンコクは「東洋のベニス」と呼ばれていた・・・

(バンコク市内の水上バス)

「東洋のベニス」というフレーズがある。いまではすっかりイタリア風にヴェネツィアというのがあたりまえになっているが、かつては英語のヴェニスを日本人はベニスと表記していたのである。

ヴェネツィアはイタリア北部のアドリア海に面した「海洋国家」で、マルコポーロ以来、「東洋への窓口」として生きてきた。「ヴェネツィア映画祭」で日本をはじめとするアジア人監督の作品の受賞が多いのは、そうしたヴェネツィアの歴史によって形成されてきた風土があるからだろう。

ヴェネツィアが、水と共生してきた都市国家の長い歴史を有していることは、塩野七生の名作 『海の都の物語』で日本人にも親しいものとなってきた。また、須賀敦子の『ヴェネツィアの宿』など、日本でもヴェネツィアを舞台にした作品は多い。

ヴェネツィアは「水の都」と呼ばれることも多い。ロシア帝国の首都であったサンクト・ペテルブルクは「北のベニス」と言われてきた。オランダのアムステルダムをモデルの設計されたペテルブルクもまた、運河の多い美しい港町である。


(これが本家本元のベニス=ヴェネツィア 筆者撮影)


「●●という町は▲▲のベニスと言われてきた」という記述は多いのだが、逆に「▲▲のベニスと言われてきたのは●●である」という記述が意外に少ない。

では「東洋のベニス」とはどこを指しているのか? 

まずは、日本でもファンの多い中国は江南の蘇州であろう。蘇州は、わたしはまだ訪れたことがないのがじつに残念なのだが、写真や映像で見る限り、日本人好みの漢詩的な風景がいまでも保存されている、たいへん風情のある観光名所だ。

縦横に張り巡らされた水路が旅情を誘う蘇州だが、日本でいえば福岡県の柳川や佐賀県の佐賀市の「クリーク」(creek)ようなものか。江南の地の水路はかつては日本でもクリークと呼ばれていたようだ。ノスタルジックで風情ある、まさに絵になる風景である。

かつてバンコクもまた、「東洋のベニス」と呼ばれていたことがあるのをご存じだろうか。19世紀の頃だ。西欧人がそう命名したのである。

バンコクはいまでは水路が埋め立てられて、そのほとんどが道路となってしまっているが、かつては縦横に水路が張り巡らされた文字通りの「水の都」だったようだ。これは東京も同じようなものだろう。


(お茶の水 神田川にかかる聖橋 筆者撮影)


東京には数寄屋「橋」や京「橋」、それに日本「橋」といった地名が現在も残っているが、そこには水路も橋も存在しない。数寄屋橋が水路のままだったら、どれだけ風情のあることだろうか。バンコクもまた同じである。


(東京・月島付近 隅田川ウォーターフロント)


厳密には東京都内ではないが、東京ディズニーランドが立地する東京湾岸の千葉県浦安市は、「3-11」の大地震の際に大規模な液状化が発生したことが記憶にあたらしい。

バンコクもまた、ヴェネツィアと同様に地盤沈下という問題を抱えている。かつてのような美しさはすでに失われているが、水辺の弱い地盤という地質学的な状態にかんしては、現在でも「東洋のベニス」であることは確かなのである。


クロンというタイの水路

バンコクの水路はタイ語でクロン(klong)という。水路はすべてが埋め立てられたわけではなく、市街地のなかに生き残っている。

水路を生活に利用しているバンコクの姿は、Klongs - Thai Waterways and Reflections of Her People (Pamela Hamburger, 2008)というカラーの写真集がおすすめだ。バンコクで出版されたこの写真集は現在は電子書籍化されて Kindle で見ることができる。外交官の妻であるアメリカ人アーチストによるものだ。


(バンコクの水路をテーマにした写真集)


タイ人自身によるものとしてはスラット・オスタヌグラフ氏(1930~2007)の『グッバイ・バンコク Goodbye Bangkok』(バンコク、2003)というモノクロの写真集がじつに味わい深い。たまたまバンコク市内の洋書店でみかけて、気に入ったので購入したものだ。


(「消えゆくバンコク」を写したタイ人写真家の写真集)


スラット氏はリタイア後に本格的に写真をはじめた人らしいが、1999年から2001年にかけて撮影されたモノクロ写真の数々を見ていると、写真家が水辺で暮らす人々の日常生活に抱いている古き良きバンコクを愛惜する気持ちが伝わってくる。Vanishing Bangkok (消えゆくバンコク)という写真展(2002年)のサイトをみてみるといいだろう。

この記事の冒頭に掲載した写真は、ジム・トンプソンハウスの裏にある水路。ヴェネツィアのヴァポレット(Vaporetto)と同様、現在でもバンコクでは水上バスが現役である。

道路の混雑ぶりは、BTS(高架鉄道) ができても MRT(地下鉄)ができてもいっこうに改善される見込みがないが、水上バスは混雑とは無縁のようだ。

ただし、バンコクの水路には生活排水が流れ込み、ゴミも不法投棄されていて汚染されている。悪臭を放つドブのようなものも多い。

水上バスの乗客は、水路の汚染水の水しぶきを浴びないように気をつける必要がある。水上バスにはビニールシートが貼ってあるが、十分ではない。


「東洋のベニス」だった頃の前近代のバンコク

バンコクの水路が「東洋のベニス」と呼ばれていた頃はどんなものだったのか想像してみるには、観光スポットになっている水上マーケット(floating market)を訪れてみればいい。
あるいは隣国ミャンマーのインレー湖を訪ねてみるといいだろう。生活のほぼすべてがモーターボートや小舟の利用によっている。三度目のミャンマー、三度目の正直 (2) インレー湖は「東洋のベニス」だ!(インレー湖 ①)というブログ記事を参照されたい。

前近代のタイの水路を想像するのは、『ナン・ナーク』(1999年)のようなタイ映画をみるとよいだろう。


(タイ映画 『ナン・ナーク』 予告編より)


『ナン・ナーク』(Nang Nak)は、19世紀の実話に基づいた定番の怪奇映画で、1999年製作の最新版が映像とゆったりした時間の流れがいかにもノスタルジックなものを感じさせる映画のなかではバンコクと近郊の農村を水路をつかって舟で縦横に移動するシーンがたくさんでてくる。

『ナン・ナーク』の舞台プラカノーンは現在はバンコク市内になっているが、水路は現在でも現役である。『ナン・ナーク』については、書評 『怪奇映画天国アジア』(四方田犬彦、白水社、2009)-タイのあれこれ 番外編-で触れている。


「水の民」であるタイ人

タイ人は「水の民」だというのは日本のタイ研究の草分けであった石井米雄氏がなんども強調していたことだ。

タイ族は基本的に北から南下してきた民族で、メコン川、チャオプラヤー川などの主要水系によって習俗も異なるという。タイは東西方向のの平面ではなく、南北方向の水系単位で見よ、ということだ。基本的に中国の雲南方面の山岳地帯から南下してきたのがその歴史である。


(バンコク中心部を流れるチャオプラヤー川 平常時でも水かさがある)


エジプトのナイル川ではないが、タイのチョプラヤー川もまた、上流から運ばれてきた肥沃な土壌が稲作に欠かせないものであった。大洪水は大きな問題だがそう頻繁におこるものではない。多少の増水は想定内のものであるし、稲作農業には欠かせないものなのだ。

工業団地の工場の多数が水没(!)するという事態が発生したのだが、水田地帯を埋め立てて工業団地を造成したのである以上、ある意味では避けられないことであったのかもしれない。バンコクは、チャオプラヤー川が大きく蛇行するデルタ地帯の砂州に形成された、地盤のきわめて弱い都市である。

ウィットフォーゲルの『オリエンタル・デスポティズム』(東洋的専制主義)は、水利社会論から中国社会の本質を解明した大作だが、ウィットフォーゲルが政治的支配を生み出す源泉として着目したのは「水の管理」という観点である。

ウィットフォーゲルの区分によれば、「遊牧」、「牧畜」、「天水農法」、「灌漑農法」が区分されるが、「灌漑農法」のもとで巨大官僚制による管理が成立した典型が中国であり、とくに中国北部がそれに該当する。ロシアもまた「東洋的専制主義」そのものであると指摘されている。

タイは日本と同様に「天水農法」に分類される。水にめぐまれた風土では、中国のように人間のチカラで大規模に水利を管理しようという発想が生まれにくい。自然にさからわず、自然のめぐみを享受するという発想だ。ときには自然の猛威に翻弄されることもあるとはいえ・・・。


(欧米人にはタイ人は「水の民」というイメージがある)


水との共生、水とともに生きる人々。この点に日本人が無意識レベルでタイに引かれる側面があるのかもしれない。だが現実には、エンターテインメントや食事など別の要素がタイとバンコクへと日本人をいざなう要因となっている。

いつの日か、バンコクがふたたび「東洋のベニス」と呼ばれていたことが思い起こされるといいのだが・・・。ポストモダン(後近代)の観光資源としては仏教寺院などよりもはるかにリピーターを呼び寄せることのできるものになるはずと思うのだ。

だが、そのためにはまず水路網の再整備と水質浄化が課題となる。まだまだ開発経済の渦中にあるタイとバンコクには、それは期待してもムリな話かもしれないが・・・。


(バンコク市内を蛇行するチャオプラヤ川 『新詳高等地図』(帝国書院)より)


PS 2012年の秋にバンコクも大きな被害を受けた大洪水の際に書き始めたまま放置していた原稿だが、現在は野党になっている「黄色シャツ派」が呼びかけている「バンコク封鎖」(Bangkok Shutdown)にかかわらず、対策として水上バスを使って通勤する人も少なくないことを知って、執筆を再開することにした。もっと文章を練るべきなのだが、いつまでも放置していても仕方ないので、仕上がり具合はあまりよいとは思わないがアップすることにした次第。 (2014年1月19日 記す)。





<参考文献>

『タイの水辺社会-天使の都を中心に-(水と<まち>の物語)』(高村雅彦=編著、法政大学出版局、2011)
『バンコクの高床式住宅-住宅に刻まれた歴史と環境-(ブックレット≪アジアを学ぼう⑨≫』(岩城孝信、風響社、2008)
『東南アジアの自然 講座東南アジア学②』(高谷好一=編集責任、弘文堂、1990) 「第Ⅲ部 世界のなかの東南アジア 7章 稲作と水利」


<関連サイト>

スラット・オスタヌグラフ氏のウェブサイト (英語)

スラット氏のfacebookページ (英語)

タイ映画「ナンナーク」 日本版予告編


<ブログ内関連記事>

『龍と蛇<ナーガ>-権威の象徴と豊かな水の神-』(那谷敏郎、大村次郷=写真、集英社、2000)-龍も蛇もじつは同じナーガである


バンコクへの渡航は自粛を!-タイの大洪水と今後の製造業立地の方向性について (2011年10月26日)
・・チャオプラヤー川とバンコクの関係について

ひさびさに隅田川で屋形船を楽しむ-屋形船は東京の夏の楽しみ!

書評 『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)-出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史

(2014年5月11日 情報追加)


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