(普段とは違うゲート前 筆者撮影)
先週の土曜日(20009年8月1日)、陸上自衛隊習志野駐屯地の夏祭りに足を運んでみた。今回が初めての参加である。
毎年8月第一週の土日に駐屯地が一般開放され、地域住民との共存を図るために催される。この2日間に仮想敵国である外敵から攻撃されたらどうするのだ!?、という疑問も浮かばないわけではないが・・・もちろん、そういう想定がされていないはずはなかろう。
自衛隊は軍事にかんしてはプロであるが、まだまだ広報にかんしてはプロの仕事にはなっていないなあ、という感想をもつ。地域住民向けには自治体の広報誌などを通じての広報がなされているのだろうが、ウェブサイトでの告知はあってもないに等しい。
防衛省の市ヶ谷ツアーは、防衛庁時代に一般参加したことがある。
それに比べると、駐屯地は地域外からの来訪者は想定していないようである。優秀な軍人に不可欠な想像力(イマジネーション)が欠如しているのではないか?
荷物検査が行われているが、無視して通り抜けることも不可能ではない。徹底しているとはいいがたい。もちろん、あまりやり過ぎると一般市民の反感を、とくに「納涼夏祭り」なので出店も多くあり、アルコールが入った若者とケンカになる可能性もあることも想定されているのであろうか?自衛隊員も大半は肉体派の若者男子である。
荷物検査は女性自衛官も担当しており、これには好感がもてる。一般市民との接点として、もっと女性自衛官の存在を前面にだすべきなのではないか?
ちょっと辛口になりすぎたが、今回足を運んだ理由は、「空挺館」をみるのが目的であった。夏祭りの期間しか一般公開されていないとインターネットで知ったから。
なぜ「空挺館」かというと、習志野駐屯地は日本で唯一の空挺部隊である「第一空挺団」が配備された駐屯地であるからだ。
陸上自衛隊のパンフレットによれば、中央即応集団(CRF:Central Readiness Force)のうち、習志野駐屯地には「第一空挺団」と「特殊作戦群」が配備されている。後者の特殊作戦群とは、ゲリラ攻撃や、特殊部隊による攻撃に対応する陸上自衛隊唯一の特殊部隊である。
CRFにはこの他、千葉県の木更津駐屯地に「第一ヘリコプター団」、栃木県の宇都宮駐屯地に「中央即応連隊」、埼玉県の大宮駐屯地に「中央特殊武器防護隊」、埼玉県の朝霞駐屯地に「対特殊武器衛生隊」、静岡県御殿場市の駒門駐屯地に「国際活動教育隊」が配備されている。
さて、「第一空挺団」だが、そもそも空挺部隊(Airborne)とは、ヘリコプターや輸送機などの空中機動力を活用して、敵の本丸近くににパラシュート(=落下傘)で降下を行い、王手目指して突入する戦略部隊のことである。陸上自衛隊のなかでも屈指のエリート部隊であるといえる。
(「空の神兵」の像 空挺団につながる系譜 筆者撮影)
空挺作戦の成功例としては、「第一空挺団」の前身でもあった帝国陸軍挺進連隊による、当時オランダ領インドネシアの石油精製基地奪取を目的に行われた1942年のスマトラ島の「パレンバン降下作戦」がある。これは大成功に終わり、落下傘部隊は「空の神兵」として大いに讃えられた。習志野野駐屯地内に記念のブロンズ像が安置されている。
失敗例としては、第一次インドシナ戦争の際の「ディエン・ヴィエン・フーの悲劇」がある。1954年、膠着状態のつづくラオス国境近くのディエン・ヴィエン・フーにおける局面打開を図るために、フランス陸軍は外人部隊を主力とした空挺作戦による突撃をはかったがベトミン軍に包囲され失敗、これを境にフランスはベトナムから撤退することとなった。
ではなぜ習志野駐屯地に「空挺部隊」が配備されているのか?
空挺部隊は戦略機動部隊であり、空中輸送が可能となる以前は、騎兵隊が戦略部隊の中核であった。したがって、騎兵隊は空挺部隊の前身であるといえる。その騎兵隊の駐屯地が習志野だったのである。そもそも習志野平野は江戸時代の御料地という歴史をもち、この地に騎兵隊が置かれたのは当然といえば当然であった。
(基地内には「日本騎兵の碑」がある 筆者撮影)
司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』全体を通じての主人公、「騎兵の父」秋山好古(よしふる)陸軍中将率いる陸軍騎兵隊が日露戦争でコサック部隊との死闘を演じたことは、NHKでドラマ化されるので多くの人が見ることとなるだろう。習志野がでてくるかどうかはわからないが。
ただ、栄光の騎兵隊の歴史には、関東大震災に際して東京に治安出動し、朝鮮人虐殺に関与したという暗い側面もある(・・これはあまり知られていないが事実である)。
実は私は、習志野駐屯地の近くで少年時代を過ごした「基地の子供」である。ただし、自衛隊関係者の子弟ではない。
小学校高学年の頃、教壇に向かって左手の窓越しに、第一空挺団によるパラシュート降下訓練をいつも眺めていた。
肉眼で識別できるほどの近さで、大型輸送機からパラッ、パラッ、とひとつ、またひとつと落下傘が開き、降下していく様子を眺めるのは、ひそかな楽しみだった。訓練中の事故も一度目撃したことがある。降下中の隊員が団地に激突したようだったが、その後どうなったのかはわからない。
だから、軍隊にはまったく違和感を感じないで育った。そもそも男の子というものは、戦争とか軍隊とか好きなものだ。
東京12チャンネルでは米軍撮影部隊モーパックによる太平洋戦争のドキュメンタリーをえんえんと毎週連続でやっていたし(YouTube映像につき音声に注意!)、アメリカの「GIジョー」のフィギュア(YouTube映像につき音声に注意!)も男の子の間では流行っていた、そしてまた一度も再放送がされたことのない幻の太平洋戦争アニメ 『決断』 が毎週放映されていた(YouTubeにてオープニング映像が視聴可能。音声に注意!)時代の子供である。放送翌日の教室では男の子どうしで熱く語り合っていたものである。
いわば子供の頃から刷り込まれてきたのであり、その結果、いわゆる「平和教育」にはずっと違和感を感じてきた。ちょっと上になるが、戦争カメラマンの「不肖宮嶋」はまあ同世代の人だといってよい。「不肖」ほどではないが、私も軍歌なら耳で覚えているので何曲でもそらで歌える。ドリフも軍歌の替え歌をたくさん歌っていた。
思い出したから書いておくが、左翼系の教師が指導した「班別学習」の「班」など、まさに軍隊の内務班そのものである。同世代の天皇制研究者である原武史の『滝山コミューン1974』(講談社、2007)はそのあたりを描いており、同世代なら共感できるはず。
団塊の世代が「戦争を知らない子供たち」なんか歌ってた頃、まさにその当時の小学生たちは、どっぷりと「戦中」に漬かっていたのである。いわゆる「傷痍軍人」もまだまだ健在で、戦争の悲惨さは見える形で存在していたので、まさにリアルであった。
また、子供時代、何度も習志野演習場に"潜入"している。
演習場のウラから鉄条網をくぐって入っては、みんなでよくライフル銃の使用済み薬莢を拾いに行ったりしていたものだ。基地の近くに住む男の子たちは、日本中どこでも同じようなものだろう。
あるとき、訳知りのガキが、「基地の土を掘ると骨がでてくるんだぜ」、というのでみんなでいって掘ってみると、ほんとうに大量に骨がでてきた。
しかし人骨にしてはやけにでかい。実はウマの骨だったのである。
どこの「ウマの骨」だ!?
一説によれば、第二次世界大戦の敗戦後、これ以上もう維持できないので泣く泣く軍馬を屠殺したらしい。その骨が大量にでてくるのだ。これは演習場近くに住んでいる男の子たちの秘密であった。いまでもそうかもしれない。
「第一空挺団」のいる習志野駐屯地が、まさに戦前は騎兵隊の基地であったことを示す物証である。もちろん手元にはないが、掘れば出てくる場所はいまでもわかる。
とうわけで、習志野駐屯地に正門から入ったのは、実に今回が生まれて初めてなのであった。ウラからは何度も潜入したのであったが。
かつては常用漢字にないという理由で、「駐屯地」と書けずに「駐とん地」と書かれていた。よくブタの「駐豚地」か、と揶揄されていたものである。その時代にくらべると、自衛隊も日本国民のあいだで認知度が高まったといえよう。
国際貢献したいという理由で入隊する、英語が堪能な女性自衛官が増えていることにもそれは現れている。
私も防衛大学校進学も選択肢の1つとして、高校時代いわゆる入試問題が解説された「赤本」を研究したことがある。募集の9割が理工系だったこともあり、進学先は別の国立大学にしたが、現在でもべらぼうに勉強ができるが家が貧しくて学費が払えない家庭の子弟が防衛大学には在学している、ということをかつて席を並べていた防大出身の同僚から聞いたことがある。国家公務員として、在学中から給料がでるからだ。
この大不況の中、自衛隊のリクルート活動はだいぶ楽になったのではないだろうか。
今度の総選挙で政権交代が実現する可能性が高いが、間違っても自衛隊員の士気を下げるようなことはしてもらいたくない。
もちろんシビリアン・コントロールが大前提だが、軍事のわからない政治家にかき回されたのでは、防衛省・自衛隊組織内の武官のフラストレーションはさらに増大する一方であろう。
また、オバマ大統領の尻馬にのってアフガニスタンに陸上自衛隊を派遣することは絶対に避けるべきだ。間違いなく戦死者が続出することになるし、シビリアンによる現地支援活動を阻害することになる可能性があるからだ。海上自衛隊による給油活動とソマリア沖海賊対策で国際貢献するのが、エネルギー安全保障の観点から見ても、日本にとってはもっとも賢い選択である。
軍事科学とテクノロジーにかんする知識は政治家だけでなく、現代人にとって必須のものだと思うのだが・・・
PS 読みやすくするため改行を増やした。また写真を大判にしてキャプションを加えた。リンク先もアップデートした。
ただし、本文には手を入れてないので、最新情報は反映されていない。
また、<関連サイト>と<ブログ内関連記事>をあらたに追加した。
(2014年1月21日)
<関連サイト>
精鋭無比!陸自最狂…もとい。陸自最強の第1空挺団 【番外編】陸上自衛隊第1空挺団「訓練降下始め」見学記 (フェルディナント・ヤマグチ 日経ビジネスオンライン 2014年1月20日)
陸上自衛隊第一空挺団 公式サイト
<ブログ内関連記事>
書評 『秋より高き 晩年の秋山好古と周辺のひとびと』(片上雅仁、アトラス出版、2008)--「坂の上の雲」についての所感 (5)
・・陸軍騎兵の父・秋山好古
「下野牧」の跡をたずねて(東葉健康ウォーク)に参加-習志野大地はかつて野馬の放牧地であった ・・日本騎兵隊の父・秋山好古は陸軍騎兵第一旅団長として、日露戦争開戦前は習志野にいた
海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)
・・陸上自衛隊習志野駐屯地との関係は深い。陸海空の統合運用ができている戦後の自衛隊は戦前の国軍よりはるかにレベルが高い。離島防衛の最前線はじつはここにある
祝! 海上自衛隊創設60周年-2012年10月14日の第27回海上自衛隊観艦式ポスターに書かれている「五省」(ごせい)とは?
民主党による政権交代からちょうど二年-三人目の首相となった第95代内閣総理大臣の野田佳彦氏は千葉県立船橋高等学校の出身である
・・父親が習志野駐屯地で勤務していた自衛官であった
(2012年7月3日発売の拙著です)
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