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2011年8月30日火曜日

民主党による政権交代からちょうど二年-三人目の首相となった第95代内閣総理大臣の野田佳彦氏は千葉県立船橋高等学校の出身である


 昨日(2011年8月29日)におこなわれた民主党の代表選において、決選投票で代表の座を獲得した野田佳彦氏は、本日30日、第95代内閣総理大臣として国会での首相指名選挙におおいて指名された。

 前首相の菅直人氏の退陣が事実上確定した段階で名乗りをあげた野田佳彦氏が、一時期は泡沫候補扱いされたにもかかわらず代表に選出されたのは、民主党内部の勢力争いが反映している。

 ちょうど2年前、このブログでは時事ネタとして、Be a Good Loser ! と題して「政権交代」を取り上げたが、わずか二年間で三人目の首相が誕生することになってしまった。敗れた自民党に向けたコトバが、いまでは民主党にも向けねばならない状況だ。

 すでに多くの国民と同様、民主党への失望感にあふれているわたしであるが、以下の3点において野田佳彦氏を歓迎したいと考えている。

 まず第一に、若いということである。

 1957年(昭和32年)生まれの現在54歳という年齢は、企業社会ではけっして若いとはいえないが政界では若い部類に入る。自民党の安倍晋三が50歳台で首相になったとき、「戦後生まれでは初の首相」と話題になったが、健康上の理由で政権を放り出してからは再び老人政治に逆戻りしてしまっていた。

 民主党に政権交代がされてからも、鳩山由紀夫に菅直人と、「♫ 昔の名前ででています」という類の超老政治家が続いていたのは、民主党員にすら不本意なことであったろう。ましてや、民主党員でも民主党支持でもないわたしからみればウンザリの一語に尽きるものであった。

 その意味では、54歳の野田佳彦氏は戦後生まれであっても、いわゆる「団塊の世代」ではない若い首相といえるだろう。大の日本酒好きで酒量が多いとのウワサだが、健康には留意していただきたいものだ。

 第二に、野田佳彦氏は陸上自衛隊の空挺隊員の長男(*)として生まれて育ってきた人だ。

 千葉県習志野市にある陸上自衛隊第一空挺団といえば、陸上自衛隊ではエリート中のエリートの精鋭部隊である。空挺団はパラシュート降下によって敵の最前線に突入する戦略部隊だ。

 第一空挺団に勤務する父親のもと育った野田氏が、いかなる子ども生活と思考の持ち主であるかは容易に想像できるだろう。家庭環境というものを考えてみればいい。地盤・看板・カバンの三つがない一般庶民の家庭に育ったということだ。

 しかも、ひと言で要約すれば、国防と安全保障問題については現実主義、この国のマスコミ用語をつかえばいわゆる「保守」ということになろう。

 先日も「A級戦犯は戦争犯罪人にはあたらない」という答弁をしてマスゴミによって批判めいた取り上げかたをされた。強い信念の持ち主である野田氏からは、今後も物議をかもす発言が飛び出すかもしれないが、近隣の大国におもねることなく、日本人として堂々と主張していただきたいものだ。


(*) これは事実とは違うらしい。陸上自衛隊習志野駐屯地に勤務していた自衛隊員ではあるが、「空挺団」ではなく「業務隊」に所属していたという (2014年1月21日 記す)



 第三に、これは私的なことだが、野田佳彦氏はわが母校の千葉県立船橋高等学校の先輩にあたる人である。

 野田氏は1976年(昭和49年)の卒業で、わたしの5年先輩にあたるので、直接の接点はないのだが、この事実を知って以来、政策の中身はさておいて親近感を感じてきた。これは人間として自然な感情であろう。

 わたし自身は、野田氏とは違って船橋市の出身ではないが、小学校5年のときに千葉県に移ってから、かなり長い年月を千葉県で過ごしてきた。高校は先にも書いたように船校(ふなこう)だが、八千代市から毎日通っていたので船橋市民となったのは、じつは2年前に現在地に引っ越してきたのがはじめてだ。

 ちなみに船校(ふなこう)は、地元では略して県船(けんふな)ともいう。スポーツで有名な市船(いちふな:市立船橋高等学校の略)と区別するためである。県船と市船は、JR総武線の東船橋駅をはさんで南北に位置している。

 船校(・・以下、すべて千葉県立船橋高等学校をさす)は、現在では三番目になってしまっているのが残念だが、わたしが在学していた当時は千葉県では二番目の進学校であった。

 進学校はどこでも似たようなものだろうが、かなり自由な校風であった。しかも、神奈川県の進学校とは異なり、受験勉強を強制されることもないので一浪して大学に進学する者が多かった。野田氏の頃もおそらくそうだったのだろう。きょう(8月30日)のお昼の情報番組で当時の同級生が話していたが、18歳の野田氏は、髪の毛も長くてアイドル風(!)の顔立ちであった。

 大学は早稲田大学政治経済学部政治学科卒業ということで、この点は同じく船校ではわたしの先輩にあたるジャーナリストの江川紹子さん(1958年生まれ)と同じ学部である。野田氏の紹介では松下政経塾第一期生ということがよくでてくるが、大学進学以降の軌跡はわたしとはまったく異なる。

 だからというわけではないが、あえてここでは出身高校を強調しておきたいと思う。今後もマスコミでは船校の名前が出てくることはあまりないと思うが、大学や社会人になってからよりも、人間形成のもっとも重要な20歳までの時期にふれないのは適切とはいいがたい。

 そういう理由もあって、出身大学よりも出身高校が注目されるようになってきているともいう。たしかに、大学はわたしが進学した一橋大学のような比較的小規模な大学はいまでも個性が強いと思うが、野田氏の出身大学である早稲田大学は規模も大きく、かつてのようなバンカライメージではもはや捉えきれないほど、個々の学生は多様化しているだろう。

 6年前にでた本だが、『名門高校人脈』(鈴木隆祐、光文社新書、2006)という本では、当然のことながら(?)船校も取り上げられている。ただし、千葉高(=千葉県立船橋高等学校)が 35行あるのに対して、船校はたったの12行。千葉高は、政治家も共産党委員長の志位さんのような有名人を輩出していたが、ここにきて船校は首相を輩出して大逆転したわけだ。

 と思って、千葉県立船橋高等学校の公式サイトをみたら、なんだこれは見にくいったらありゃしない。せっかく総理大臣を輩出したのだから、早急に作り替えるべきだろう。この機会を捉えて、学校の広報しないでどうするのだ!

 母校出身者ならではの発言だと受け止めてほしいものである。昨日(8月29日)から急にTVでも船橋市がクローズアップされるようになっている。この機会を逃してはいけない!




■野田佳彦氏に期待するものと懸念するもの

 というわけで、じつは三番目の理由を書きたいがために今回の記事を書いたのだが、期待するものが大きい一方では、同時に懸念材料も多い。

 日本の財政問題が危機的状況にあることは、わたしも数字でものを考えるビジネスマンである以上、問題の深刻さは野田氏と同様に重々承知している、しかし、いまこの現在で増税を強行するのは政策としてはいかがなものかと思う。

 消費税はとりあえず据え置きでいいのではないかと思うのだ。いずれ消費税も税率アップは不可避だが、同時に所得税の減税をするとか、セットで示すことが必要だろう。消費税のほうが、原理的には公平な税であることは、アタマではわかっているが、消費税導入を強行しようとして敗れ去り、志半ばにして命も落とした大平正芳元首相や、財政均衡を強行して、政権もみずからの命を縮めた橋本龍太郎元首相を想起してしまうのである。

 昨日(8月29日)の代表戦の演説で、子どもの頃TVでみた、浅沼社会党委員長が白昼の演説中に右翼少年に刺殺された事件に触れて、政治に「命を賭けている」と、その容貌にも似た西郷隆盛のような覚悟をしめした野田新首相であるが、信念を貫くためには妥協するところは妥協し、解散がなければ次の総選挙まで長くてあと二年、短くみれば代表の任期が一年とはいえ、在職中に命を落とすようなことはしてもらいたくない。

 未曾有の国家的危機のさなかである現時点で首相に選出されたということは、ある意味では天命であろう。国民の期待を裏切ることなく、天命は果たしていただきたいものである。

 高校の後輩からのエールだと受け止めていただければ幸いである。



PS 野田前首相は、みずから解散総選挙を実行したことで、結果として「民主党をぶっ壊した」人になったが、自民党へのふたたびの「政権交代」への道を開いた人として、自民党は大いに感謝すべきであろう。今後の再起を期したいものである。 (2014年1月21日 記す)



<読書案内>

『名門高校人脈』(鈴木隆祐、光文社新書、2006)

目 次

都道府県別高校の索引
プロローグ
1章 名門公立高校人脈(全国都道府県別)
2章 名門私立高校人脈(男子校、女子校、共学校)
3章 名門国立高校人脈
あとがき
主要参考文献

著者プロフィール

鈴木隆祐(すずき・りゅうすけ)


1966年、長野県軽井沢町生まれ。明治学院東村山高校卒。法政大学文学部日本文学科在学中より、月刊誌、週刊誌、ムック、CD-ROM の編集、制作、著述を手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。






<関連サイト>

いよいよ税率引き上げ、野田前首相が語る消費税-8%は初めの一歩、政局の年「2015年」を懸念 (日経ビジネスオンライン、2014年3月31日)
・・「穏健保守の再生を目指す」という野田元首相。その使命にむけて、政界再編の主役となることを期待

野田 Who? 新首相はこんな人-代表選の発言を追う (日経ビジネスオンライン、2011年9月1日)
・・これまでの発言へのリンクつき

『民主の敵-政権交代に大義あり-』(野田佳彦、新潮新書、2009)  
・・「はじめに」と「目次」が立ち読みできます。 

怠ることなく続ける駅頭演説、「10年続けることは偉大なり…」
・・「日常的に街宣活動を継続してきたお陰で、衆院本会議においても原稿なしで質疑に立てるようになりました・・」・・なるほど、これが野田氏の秘密だったのか。菅直人とは大違い。



千葉県立船橋高等学校 公式サイト
・・現在は千葉県の指定で現役合格を目標とする「進学指導重点校」となっているので校風に変化が現れているかもしれない

千葉県立船橋高等学校同窓会だより

千葉県立船橋高等学校(wikipedia 日本版)
・・船校は全国各地の名門校のように、儒学を中心とする教育機関であった「藩校」に起源をもつ高校ではない。大正時代に船橋大神宮の神官がはじめた、神社の境内にあった「私立学校」がその原点だ!


野田佳彦(wikipedia 情報)略歴はこちらを参照

衆議院議員 野田よしひこ 公式サイト


<ブログ内関連記事>

船橋漁港の「水神祭」に行ってきた(2010年4月3日)
・・冒頭に掲げた写真は水神祭であいさつをする野田佳彦氏。このときはじめてスピーチをきいたが、いまでも「漁師町」でもある船橋出身の野田氏の海洋主権にかんする認識の高さには感心させられた

"昭和ノスタルジー"な一夜・・・船橋漁港直送 「いわし料理 ふなっ子」にて

船橋大神宮の奉納相撲(毎年恒例10月20日開催)を見に行ってきた

船橋大神宮で「酉の市」・・商売繁盛!を祈願

初詣は船橋大神宮で参拝、そして境内にある"木造の灯台"を見学してきた(2010年1月3日)

南極観測船しらせ(現在は SHIRASE 5002 船橋港)に乗船-社会貢献としてのただしいカネの使い方とは?

「東北関東大震災」(2011年3月11日)直後とその後-千葉県船橋市から

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた
・・ここに陸上自衛隊最強の第一空挺団が駐屯している

Be a Good Loser !
・・2009年8月30日、歴史的な「政権交代」実現の日に麻生元首相にむけたコトバ

「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲) 


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2009年8月3日月曜日

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた



(普段とは違うゲート前 筆者撮影)


 先週の土曜日(20009年8月1日)、陸上自衛隊習志野駐屯地の夏祭りに足を運んでみた。今回が初めての参加である。

 毎年8月第一週の土日に駐屯地が一般開放され、地域住民との共存を図るために催される。この2日間に仮想敵国である外敵から攻撃されたらどうするのだ!?、という疑問も浮かばないわけではないが・・・もちろん、そういう想定がされていないはずはなかろう。

 自衛隊は軍事にかんしてはプロであるが、まだまだ広報にかんしてはプロの仕事にはなっていないなあ、という感想をもつ。地域住民向けには自治体の広報誌などを通じての広報がなされているのだろうが、ウェブサイトでの告知はあってもないに等しい。

 防衛省の市ヶ谷ツアーは、防衛庁時代に一般参加したことがある。

 それに比べると、駐屯地は地域外からの来訪者は想定していないようである。優秀な軍人に不可欠な想像力(イマジネーション)が欠如しているのではないか?
 

 荷物検査が行われているが、無視して通り抜けることも不可能ではない。徹底しているとはいいがたい。もちろん、あまりやり過ぎると一般市民の反感を、とくに「納涼夏祭り」なので出店も多くあり、アルコールが入った若者とケンカになる可能性もあることも想定されているのであろうか?自衛隊員も大半は肉体派の若者男子である。

 荷物検査は女性自衛官も担当しており、これには好感がもてる。一般市民との接点として、もっと女性自衛官の存在を前面にだすべきなのではないか?


 ちょっと辛口になりすぎたが、今回足を運んだ理由は、「空挺館」をみるのが目的であった。夏祭りの期間しか一般公開されていないとインターネットで知ったから。

 なぜ「空挺館」かというと、習志野駐屯地は日本で唯一の空挺部隊である「第一空挺団」が配備された駐屯地であるからだ。
 

 陸上自衛隊のパンフレットによれば、中央即応集団(CRF:Central Readiness Force)のうち、習志野駐屯地には「第一空挺団」と「特殊作戦群」が配備されている。後者の特殊作戦群とは、ゲリラ攻撃や、特殊部隊による攻撃に対応する陸上自衛隊唯一の特殊部隊である。

 CRFにはこの他、千葉県の木更津駐屯地に「第一ヘリコプター団」、栃木県の宇都宮駐屯地に「中央即応連隊」、埼玉県の大宮駐屯地に「中央特殊武器防護隊」、埼玉県の朝霞駐屯地に「対特殊武器衛生隊」、静岡県御殿場市の駒門駐屯地に「国際活動教育隊」が配備されている。
  

 さて、「第一空挺団」だが、そもそも空挺部隊(Airborne)とは、ヘリコプターや輸送機などの空中機動力を活用して、敵の本丸近くににパラシュート(=落下傘)で降下を行い、王手目指して突入する戦略部隊のことである。陸上自衛隊のなかでも屈指のエリート部隊であるといえる。

(「空の神兵」の像 空挺団につながる系譜 筆者撮影)


 空挺作戦の成功例としては、「第一空挺団」の前身でもあった帝国陸軍挺進連隊による、当時オランダ領インドネシアの石油精製基地奪取を目的に行われた1942年のスマトラ島の「パレンバン降下作戦」がある。これは大成功に終わり、落下傘部隊は「空の神兵」として大いに讃えられた。習志野野駐屯地内に記念のブロンズ像が安置されている。

 失敗例としては、第一次インドシナ戦争の際の「ディエン・ヴィエン・フーの悲劇」がある。1954年、膠着状態のつづくラオス国境近くのディエン・ヴィエン・フーにおける局面打開を図るために、フランス陸軍は外人部隊を主力とした空挺作戦による突撃をはかったがベトミン軍に包囲され失敗、これを境にフランスはベトナムから撤退することとなった。


 ではなぜ習志野駐屯地に「空挺部隊」が配備されているのか?

 空挺部隊は戦略機動部隊であり、空中輸送が可能となる以前は、騎兵隊が戦略部隊の中核であった。したがって、騎兵隊は空挺部隊の前身であるといえる。その騎兵隊の駐屯地が習志野だったのである。そもそも習志野平野は江戸時代の御料地という歴史をもち、この地に騎兵隊が置かれたのは当然といえば当然であった。

(基地内には「日本騎兵の碑」がある 筆者撮影)


 司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』全体を通じての主人公、「騎兵の父」秋山好古(よしふる)陸軍中将率いる陸軍騎兵隊が日露戦争でコサック部隊との死闘を演じたことは、NHKでドラマ化されるので多くの人が見ることとなるだろう。習志野がでてくるかどうかはわからないが。

 ただ、栄光の騎兵隊の歴史には、関東大震災に際して東京に治安出動し、朝鮮人虐殺に関与したという暗い側面もある(・・これはあまり知られていないが事実である)。


 実は私は、習志野駐屯地の近くで少年時代を過ごした「基地の子供」である。ただし、自衛隊関係者の子弟ではない。

 小学校高学年の頃、教壇に向かって左手の窓越しに、第一空挺団によるパラシュート降下訓練をいつも眺めていた。

 肉眼で識別できるほどの近さで、大型輸送機からパラッ、パラッ、とひとつ、またひとつと落下傘が開き、降下していく様子を眺めるのは、ひそかな楽しみだった。訓練中の事故も一度目撃したことがある。降下中の隊員が団地に激突したようだったが、その後どうなったのかはわからない。

 だから、軍隊にはまったく違和感を感じないで育った。そもそも男の子というものは、戦争とか軍隊とか好きなものだ。

 東京12チャンネルでは米軍撮影部隊モーパックによる太平洋戦争のドキュメンタリーをえんえんと毎週連続でやっていたし(YouTube映像につき音声に注意!)、アメリカの「GIジョー」のフィギュア(YouTube映像につき音声に注意!)も男の子の間では流行っていた、そしてまた一度も再放送がされたことのない幻の太平洋戦争アニメ 『決断』 が毎週放映されていた(YouTubeにてオープニング映像が視聴可能。音声に注意!)時代の子供である。放送翌日の教室では男の子どうしで熱く語り合っていたものである。

 いわば子供の頃から刷り込まれてきたのであり、その結果、いわゆる「平和教育」にはずっと違和感を感じてきた。ちょっと上になるが、戦争カメラマンの「不肖宮嶋」はまあ同世代の人だといってよい。「不肖」ほどではないが、私も軍歌なら耳で覚えているので何曲でもそらで歌える。ドリフも軍歌の替え歌をたくさん歌っていた。

 思い出したから書いておくが、左翼系の教師が指導した「班別学習」の「班」など、まさに軍隊の内務班そのものである。同世代の天皇制研究者である原武史の『滝山コミューン1974』(講談社、2007)はそのあたりを描いており、同世代なら共感できるはず。

 団塊の世代が「戦争を知らない子供たち」なんか歌ってた頃、まさにその当時の小学生たちは、どっぷりと「戦中」に漬かっていたのである。いわゆる「傷痍軍人」もまだまだ健在で、戦争の悲惨さは見える形で存在していたので、まさにリアルであった。


 また、子供時代、何度も習志野演習場に"潜入"している。

 演習場のウラから鉄条網をくぐって入っては、みんなでよくライフル銃の使用済み薬莢を拾いに行ったりしていたものだ。基地の近くに住む男の子たちは、日本中どこでも同じようなものだろう。
 あるとき、訳知りのガキが、「基地の土を掘ると骨がでてくるんだぜ」、というのでみんなでいって掘ってみると、ほんとうに大量に骨がでてきた。

 しかし人骨にしてはやけにでかい。実はウマの骨だったのである。
 どこの「ウマの骨」だ!?

 一説によれば、第二次世界大戦の敗戦後、これ以上もう維持できないので泣く泣く軍馬を屠殺したらしい。その骨が大量にでてくるのだ。これは演習場近くに住んでいる男の子たちの秘密であった。いまでもそうかもしれない。

 「第一空挺団」のいる習志野駐屯地が、まさに戦前は騎兵隊の基地であったことを示す物証である。もちろん手元にはないが、掘れば出てくる場所はいまでもわかる。
 

 とうわけで、習志野駐屯地に正門から入ったのは、実に今回が生まれて初めてなのであった。ウラからは何度も潜入したのであったが。

 かつては常用漢字にないという理由で、「駐屯地」と書けずに「駐とん地」と書かれていた。よくブタの「駐豚地」か、と揶揄されていたものである。その時代にくらべると、自衛隊も日本国民のあいだで認知度が高まったといえよう。


 国際貢献したいという理由で入隊する、英語が堪能な女性自衛官が増えていることにもそれは現れている。

 私も防衛大学校進学も選択肢の1つとして、高校時代いわゆる入試問題が解説された「赤本」を研究したことがある。募集の9割が理工系だったこともあり、進学先は別の国立大学にしたが、現在でもべらぼうに勉強ができるが家が貧しくて学費が払えない家庭の子弟が防衛大学には在学している、ということをかつて席を並べていた防大出身の同僚から聞いたことがある。国家公務員として、在学中から給料がでるからだ。

 この大不況の中、自衛隊のリクルート活動はだいぶ楽になったのではないだろうか。

 今度の総選挙で政権交代が実現する可能性が高いが、間違っても自衛隊員の士気を下げるようなことはしてもらいたくない。

 もちろんシビリアン・コントロールが大前提だが、軍事のわからない政治家にかき回されたのでは、防衛省・自衛隊組織内の武官のフラストレーションはさらに増大する一方であろう。

 また、オバマ大統領の尻馬にのってアフガニスタンに陸上自衛隊を派遣することは絶対に避けるべきだ。間違いなく戦死者が続出することになるし、シビリアンによる現地支援活動を阻害することになる可能性があるからだ。海上自衛隊による給油活動とソマリア沖海賊対策で国際貢献するのが、エネルギー安全保障の観点から見ても、日本にとってはもっとも賢い選択である。


 軍事科学とテクノロジーにかんする知識は政治家だけでなく、現代人にとって必須のものだと思うのだが・・・



PS 読みやすくするため改行を増やした。また写真を大判にしてキャプションを加えた。リンク先もアップデートした。
ただし、本文には手を入れてないので、最新情報は反映されていない。 
また、<関連サイト>と<ブログ内関連記事>をあらたに追加した。

(2014年1月21日)


<関連サイト>

精鋭無比!陸自最狂…もとい。陸自最強の第1空挺団 【番外編】陸上自衛隊第1空挺団「訓練降下始め」見学記 (フェルディナント・ヤマグチ 日経ビジネスオンライン 2014年1月20日)

陸上自衛隊第一空挺団 公式サイト


<ブログ内関連記事>

書評 『秋より高き 晩年の秋山好古と周辺のひとびと』(片上雅仁、アトラス出版、2008)--「坂の上の雲」についての所感 (5)
・・陸軍騎兵の父・秋山好古

「下野牧」の跡をたずねて(東葉健康ウォーク)に参加-習志野大地はかつて野馬の放牧地であった ・・日本騎兵隊の父・秋山好古は陸軍騎兵第一旅団長として、日露戦争開戦前は習志野にいた

海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)
・・陸上自衛隊習志野駐屯地との関係は深い。陸海空の統合運用ができている戦後の自衛隊は戦前の国軍よりはるかにレベルが高い。離島防衛の最前線はじつはここにある

祝! 海上自衛隊創設60周年-2012年10月14日の第27回海上自衛隊観艦式ポスターに書かれている「五省」(ごせい)とは?

民主党による政権交代からちょうど二年-三人目の首相となった第95代内閣総理大臣の野田佳彦氏は千葉県立船橋高等学校の出身である
・・父親が習志野駐屯地で勤務していた自衛官であった






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