本日は毎年めぐってくる広島原爆投下の日だ。8月9日の長崎と二回にわたって行われた原爆投下は、白人が非白人に対して行った極悪非道の行為、原爆投下にかんしてはそれ以外の表現はない。今に至るまで米国政府からはただの一言の謝罪もないのは理解に苦しむ。
ここにきて米国のオバマ大統領が「核廃絶」の一歩を踏み出したのは、彼が半分は白人の血が混じっているとはいえ、半分はアフリカの黒人の血が入っていることと関係なくはあるまい。果たしてオバマ大統領が「遺憾の意」を表明することはあるのだろうか?
白人の非白人に対する差別視、蔑視は、恐怖感の裏返しであろう。鬼畜米英の裏返しは、ジャップは人間ではないという自己正当化。敵愾心は無知による恐怖感の裏返しである。
えんえんと「昭和20年」の歴史を書き続ける民間史家・鳥居民(とりい・たみ)の『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(草思社、2005)は必読書である。
原爆投下の意志決定を行ったトルーマンは、公式には自分の非をいっさい認めなかったが、内心では死ぬまで自らの意志決定を倫理的に正当化することができず、精神を蝕んでいったようだ。当然だろう。原爆投下こそまさに「人類に対する犯罪」である。
昨年の8月、出張のついでにはじめて広島の原爆ドームを訪れた。「少年ジャンプ」に連載されていた『裸足のゲン』はリアルタイムで読んでいたし、大学時代には教室でドキュメンタリー映画『人間をかえせ』を見た。そして、大学の卒業旅行で友人たちと1ヶ月かけて九州を回った際には当然のことながら長崎の原爆資料館は訪れている。
しかし、広島の原爆ドームには一回もいったことながなったのだ。
現在、東アジアの近隣某国が核ミサイル開発に狂奔し、日本もその射程圏に入っている。目には目を、歯に歯を、といいたいところであるが、核に対して核を、とは決して思わない。
広島の原爆資料館を訪れてあらためて思ったのは、原爆の被害はあまりにも非道すぎる、核戦争は絶対に避けねばならない、という倫理観というよりも、生理的な感覚であった。あまりにも酷すぎるのだ。悲惨すぎるのだ。
たとえ「敵」とはいえ、生身の人間だ。憎むべきは独裁政権であり、独裁政権のもとで苦しむ一般民衆ではない。核による核への報復はけっして望むものではない。
米国ワシントンの「酢味噌に餡」博物館に、広島に原爆投下を行ったエノラ・ゲイが展示され、あまっさえミュージアムショップでは売れ筋だという。なんだか割り切れないものを感じるのは私だけではあるまい。
米国の在郷軍人会は一貫して、原爆投下は戦争継続による日米双方の死傷者を増大させないための必要悪であった、と。このロジックは一見もっともなことをいっている。しかしほかに何も変わるべき手段はなかったのだろうか?なぜ原爆なのか?
しかし、こういう人がいた、ということも、頭の片隅に置いておきたいとは思う。
その人とは、ローレンス・ヴァン・デル・ポスト大佐(Sir Colonel Laurens van der Post)である。
南アフリカ出身、名字からもわかるとおり、オランダ系ブール人(ボーア人)の末裔、第二次世界大戦の際には、英国陸軍コマンド部隊の将校として東南アジア戦線に派遣され、オランダ領インドネシアのジャワにおいて特殊部隊を率いて日本軍と戦うが戦争捕虜(POW)となり日本軍の捕虜収容所に入れられる。このときに経験をもとに執筆されたのが、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス Merry Christmas Mr. Laurence』の原作『影の獄にて』(The Seed and the Sower, 1963)である。
彼は、『新月の夜』(The Night of the New Moon, 1970)という回想風小説のなかで、原爆投下によって日本降伏が早まり、ジャワの捕虜収容所から解放されて再び生きて世界に戻ることができたことを、神秘的な体験とともに描いている。原爆投下によって救われた命もある、これは確かな事実なのだ。この小説は米国にいるときに Penguin Books で読んだので(写真)、非常に印象が強く残っている。
若き日に南アフリカから、日本人船長の好意で日本船に乗せてもらい日本にきた親日家で日本通の文筆家が、敵となった日本軍と戦うにいたった運命の皮肉。
第二次大戦後スイスのチューリヒで心理学者C.G.ユングと出会い大きな影響を受けた小説家は(・・Jung and the Story of our Time, 1976 という本をのちに書いている。この本は途中まで読んだままになっているが、実に面白い)、運命の不可思議さについて語っている。
けっして日本人を憎んでいるわけではなく、また原爆投下が正しかったと主張しているわけではない。原爆投下によって日本の降伏が早まったことが、彼の命を救ったのである、これは否定しようのない事実である、と。
何事も一筋縄でいくものはない。ヴァン・デル・ポストという著名人の個人的体験だけでなく、無数の英国人、米国人そしてまた日本人も朝鮮人も中国人も、日本の降伏が早まったことによって命が救われたことは否定できない。そのかわり原爆によって多くの死傷者がでたこともまた事実であり、いまだ後遺症に苦しむ人たちが多数いることも事実である。
では今後、核戦争を行うことが正当化されうるのか? もちろん NO である。
かつて日本を代表する軍事思想家であった陸軍参謀将校の石原完爾は『最終戦争論』(1942年出版)において、「戦争をなくすための最終戦争」を構想し、西洋文明の代表選手である米国と東洋文明の代表選手である日本が最終戦争において激突し、その後に「永久平和」が訪れることになると、軍事科学と彼が信仰する法華経的世界観を合体した終末論的解釈による予言を行った。
その結果はどうであったか? 日本は敗れ去ったが米国が最終勝者となり、その結果として米国の核の傘の下に入った日本には長く続く平和がもたらされることとなった。
しかし、現実世界においては「永遠の勝者」はありえない。世界は流動化する。「永久平和」は錯覚だったのか?
米国の支配力の弱体化にともない、核拡散は止まる勢いがない。東南アジア某国の軍事政権がすでに核開発に着手しているという未確認情報もある。
終末論で語ることは現実世界においては不可能である。いや、別の形の終末がもたらされるのか?
人間は痛い思いをしないと本当に目覚めることはない。
しかしそれではあまりにも遅すぎる。
オバマ大統領はいかなる構想をもって、先の発言を行ったのか? 核廃絶に言及はしても、陸上戦力によるアフガニスタン介入は積極的に推進しようとしている。
お題目ではない、戦略としての核廃絶について詳しく知りたいものである。
PS 読みやすくするために改行を増やした。内容には手は入れていない。あらたに<ブログ内関連記事>をつけくわえた。(2014年6月27日 記す)。
『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)
書評 『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(高瀬毅、文春文庫、2013 単行本初版 2009)-"最初の被爆地" 広島と "最後の被爆地" 長崎の背後にあった違いとは?
書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ
書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史
書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない
(2014年6月27日 項目新設)
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