葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道をゆきし人あり
(釋迢空)
大阪生まれの国文学者で民俗学者の折口信夫はまた、歌人の釈迢空としても一流の人であった。国学者の流れに自らを位置づけていた彼の学問においては、和歌と学問は切っても切れない関係にあったのである。
歌集『海やまのあひだ』に収められたこの歌は、連作「島山」の冒頭にある、実に有名な歌である。「大正十三年 -五十二首- 島山」。
沖縄での民俗調査の帰途、調査のため訪れた壱岐(いき)での連作らしい。壱岐は九州・福岡の、玄界灘に浮かぶ島である。
葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。 この山道を行きし人あり
ちなみに「葛の花・・」の一首は、一般におもわれているような内容ではなく、匂い立つような、かなりセンシュアル(官能的)な意味を秘めた歌のようである。
中高生程度の理解では、ただ単に時間を含んだ因果関係を示したものとしか受け取らないだろうし、国語の教師もそのようにしか教えないだろう。大学の国文科でどう教えているのかは、文学部出身でない私にはわからない。
いまの季節、日本全国の野山、里山、あるいは平地でも、葛の花が咲き乱れている。
赤紫色というのだろうか、葛の花は、実に甘い匂いを発散しており、この甘い匂いに引き寄せられて、虫たちが集まってきては蜜を吸っている。
この赤紫色の花が、「踏みしだかれて」いる光景。これもまた、この時期に日本の野山や里山を歩けば、少なからず目にする光景だ。けっして特異なものではない、実にありふれた風景である。
「匂い立つような、かなりセンシュアルな意味」とは、イマジネーションをフルに発揮していただくしかないが、日本語の「破花」(はか)というコトバのウラの意味を考えて見れば、理解できるはずだ。
視角、嗅覚を含めた五感をフルに働かせ、さらにイマジネーションを働かせないと、歌の本当の意味は理解できないのだろう。
実際に葛の花を足で踏みつぶしてみればいい。甘酸っぱい匂いが漂ってくるはずだ。まさに匂い立つような。そして、ぐちゃぐちゃに踏みつぶされて、一面に拡がる赤紫色の色彩。
葛は日本に自生する豆科の植物で、ほっておくとすぐに伸びて一面を葛の葉っぱだらけにしてしまう。それほど、生命力の旺盛な植物である。
その根である葛根(かっこん)からつくった葛粉を、日本人は昔から利用してきた。葛粉からつくる葛湯、くずきり、くず餅は、むかし懐かしい味である。
なかでも珍重されているのが吉野葛。
奈良県吉野で食べた、葛餅は本葛粉を使っているので実にうまい。くず餅で粒あんを包んだ夏の和菓子。くず餅と称しながらも、本葛粉を使用していないくず餅が多いので、余計その旨さに感じ入るものが大きいということだろうか。
葛なんて里山に入らなくても、平地でも川沿いなどでは、よく見かける、実にありふれた植物である。
しかし、あえて葛を掘り返して葛根(かっこん)から葛粉をつくってみようなどという気にはならないのは、あまりにもありふれすぎているわりには手間がかかるからであろう。
葛の花が咲くこの時期、もし日本にいるのであれば、身の回りにある自然観察として、ちょっとだけでも注意して見てほしいものである。
書評 『折口信夫―-いきどほる心- (再発見 日本の哲学)』(木村純二、講談社、2008)
・・「葛の花・・」を含む、「大正十三年 -五十二首- 島山」すべてを掲載しておいた。
書評 『折口信夫 霊性の思索者』(林浩平、平凡社新書、2009)
・・歌人・釋迢空はな「釋」などというペンネームを使用したのか?浄土真宗との関係にも焦点をあてた、新しい折口信夫像。
書評 『折口信夫 独身漂流』(持田叙子、人文書院、1999)
・・「古代日本人が、海の彼方から漂う舟でやってきたという事実にまつわる集団記憶。著者の表現を借りれば、「波に揺られ、行方もさだまらない長い航海の旅の間に培われたであろう、日本人の不安のよるべない存在感覚」(P.212)。歴史以前の集団的無意識の領域にかつわるものであるといってよい。板戸一枚下は地獄、という存在不安」
「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる
・・逆説的であるが、折口信夫のコトバのチカラそのものは激しい
「役人の一人や二人は死ぬ覚悟があるのか・・!?」(折口信夫)
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