■なぜ、再び月山に登って、歩いて湯殿山まで縦走するのか?
「山伏修行体験塾」に参加した二泊三日は無事終了、精進落としも済ませてすでに俗界の人間に戻っている。ビールも日本酒も飲んでほろ酔い加減というところだが、今回の旅のミッションはまだ完了したわけではない。
翌日の早朝に、月山八合目から月山山頂まで登り、そこから湯殿山まで縦走しなくてはならないのだ。
繰り返しになるが、今回の旅のテーマは以下のとおりである。
① 「山伏修行体験塾」(二泊三日)に参加すること
② 出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)をすべて歩くこと
③ 即身成仏による「ミイラ仏」を実際に見ること
④ 庄内地方が生んだ 大川周明、石原完爾ゆかりの地をまわること
月山から湯殿山へ縦走することにしたのは、「山伏修行体験塾」に参加を決めたあとに、コースメニューをいくらみても湯殿山に行くとはまったく書いてなかったからだ。
湯殿山にいかないで、なんで出羽三山にいったということになるのだ!!
というわけで、あらかじめ月山八合目と湯殿山の宿泊所も予約しておいたのである。
気になって、念のために事前に電話で問い合わせをした際に、やはり湯殿山には行かないことを確認した。電話口で思わず、「えっ、行かないんですかあ?」と思わずクチにしてしまった私であるが、電話したのは、湯殿山にいくのであれば、宿泊予約を取り消して旅を短縮化できるかもと思ったからなのであった。
湯殿山にいかないで、なんで出羽三山にいったということになるのだ!!
結局、月山八合目と湯殿山の予約は取り消さなくて良かったのだが、直前まで行くか行かないか迷っていたのは、ここのところ久しく山歩きをしてなかったので、ちょっと自信がなかったというのが実際のところなのである。
高校時代ワンゲル(=ワンダーフォーゲル)に入っていた私は山歩きは好きなのだが、屋久島いって以来の山歩きとなった。
結論としては、縦走して良かった(!)というものである。絶好の天気に恵まれ、8月のシーズンも終わっていたので人が少なく、山を独り占めしているような気分に浸ることができたからなのだ。
湯殿山には、シーズン中は、鶴岡駅から庄内バスで直通が走っているので、湯殿山だけいくのならわざわざ月山から歩いて縦走することはない。
このコースも検討はしたが、やはり出羽三山をすべて歩いてみたいという気持ちが勝ったのであった。芭蕉も『奥の細道』の旅では、羽黒山から月山を通って湯殿山まで歩いて巡礼しており、しかも同じコースを羽黒山まで戻っている。そうであるなら、私も芭蕉の歩いた道をたどってみたいと思ったのも当然なわけなのだ。ただし、湯殿山から月山経由で羽黒山に戻ることはせず、湯殿山からクルマで鶴岡に抜けることにした。
先にも書いたが、実に久々の山行になるので、これまた久々に神保町の石井スポーツまでいってみた。ここで『鳥海山・月山(山と高原地図 ⑧』(昭文社、2010)という地図を買う。それほど難しくないルートであっても、事前に地図を入手して見ているのとそうでないのとでは雲泥の違いがある。事前に地図を見ることによって、いわば脳内シミュレーションを行うわけである。
今回は「山伏修行体験塾」ですでに月山は登っているので、さらに気が楽であった。しかも、体験塾で昇った際は、風雨がひどく、メガネも曇って水滴がつくらいの天気であったので、事前の予行演習としては完璧である。
ところで、今回は実に久々に高校時代と社会人になってから使っていたアタックザック(写真)をひさびさに背負って、旅に出ることにしたのである。「山伏修行体験塾」で使用する荷物をせのまま背負って、山行を続けるからである。デイパック程度では容量に問題があるのだ。
ただし、パソコンや本などは蝸牛(かたつむり)のように持ち歩いていてはあまりにも重いので、「山伏修行体験塾」に出発する前に宿泊した、鶴岡駅前のビジネスホテルに預けてきた。鶴岡は出羽三山の山行のベースキャンプとしては最高の立地である。
ちなみに、30年前(!)の高校一年のときにアタックザックを買ったのが、さきほど話題にした東京・神保町の石井スポーツである。山とスキーの店は現在も健在だ。いやむしろ、中高年の登山ブームだけでなく、最近はいわゆる「山ガール」のブームも加わって、近年にない活況を呈しているのかもしれない。
流行というのは、まことにもってわからぬものだ。
■月山八合目まで、羽黒山山頂でバスを乗り継いで行く
むかしは羽黒山から月山頂上まで歩くのが当たり前だったようだ。しかし現在は、自動車道が月山八合目まで開通しているので、バスで八合目まで行くことにする。
8月のシーズンが終わると、9月は土・日しか八合目まで行かなくなる。10月になったらオフシーズンである。出羽三山の夏はきわめて短い。本日は、9月5日(日)である。
「精進落とし」会場であった大進坊からほど近い庄内バスの停留所「桜小路」から、まずバスで羽黒山頂上まで。そのバスがそのまま月山八合目行きになるので、乗り継ぎといっても降車することなく同じバスで終点まで行く。合計1,600円也。
バスの車窓に見えるのは、羽黒山からみた月山。なだらかな山容が美しい。
月山は比較的なだらかな山なので、八合目まで歩いて登るのは時間がそうとうかかるだろう。クルマを利用するのはまあ許されることしておこう。
だんだんと高度が上がって行くにつれて、植物層(フローラ)が変化していくのは面白い。
■本日は月山八合目、月山神社中の宮の御田原参籠所に宿泊
15時前に月山八号目到着。本日の終バスである。
下車して、500メートルほど少し登り道を歩き、月山神社の中の宮へ。
ここに併設された御田原参籠所に本日は宿泊する。 事前に電話で予約しておいたわけだが、シーズンが終盤で、しかも翌日は平日の日曜日の午後だったためか、宿泊客は私一人だけだった。
そのまま歩いて山頂までいって山頂小屋に泊まるという選択肢もあろうが、それではあまりにも早く湯殿山に着いてしまうので、早朝に八合目の参籠所を出発するスケジュールがもっとも適当だろう。
■月山八合目の弥陀ヶ原(=御田原)は、尾瀬と並んで世界的にも希少な湿原地帯。なんといっても国立公園なのである!
この日は、お花畑をぶらぶらする。
なんだか尾瀬の湿原に似ているなあと思っていたら、やはり月山八合目付近は、日本では希少な氷河時代の植生を残す地域らしい。弥陀ヶ原湿原という。
いま書いていて気がついたが、もしかすると、「神仏分離と廃仏毀釈」のために、弥陀ヶ原から御田原という名前に変えたのだろうか? もともと月山山頂には阿弥陀仏があったらしいというし、発音はそのまま同じで漢字を変えたというわけか。よっぽどの仏教嫌いだったのだな、西川須賀雄は。(・・この件については (7) を参照)。
池糖(ちとう)というのは、湿原にできた丸い池のこと。漢詩の「未覚池糖春草夢」(=いまだ覚めず池糖春草の夢」の池糖だな。「少年易老学難成」の三節目だ。
お花の季節は7月と8月、ほぼすでに終わっていて、咲いていたのはミヤマリンドウくらいだったのが残念だが。
でも、さすが磐梯朝日国立公園、ここのところ尾瀬にもいってなかったので、湿原散策も実に気持ちいい。
本日はすごい快晴。下界は庄内平野、北の方向には鳥海山。絶景である。明日は少し曇りか?
夕食は午後6時。参籠所のためか、完全な山菜精進料理。これにご飯と味噌汁がつく。ご飯は庄内米なのでうまいので、一杯だけお代わりをした。
一人で食事というのもなんだが、ひさびさにテレビをみながら食事をする。
昨日の「天狗相撲」の影響がやはりでてきたのだろうか。全身の節々がいたい。二階から一階に下りるのもつらいものがある。全身筋肉痛状態である。こんなことで明日は歩けるのか??
参籠所といっても実際は山小屋である。二階の大部屋で雑魚寝するのだが。一人だと占有するというよりも、なんというか。昨日までの40人雑魚寝状態からの解放という意味では良かったのだが、なんだかほっとしたような寂しいような・・・
消灯するとハエが顔にまとわりついてきてうっとおしいので、一階におりて殺虫剤を借りてほぼ完全に処分する。これで、安心して寝ることができた。
次回 (9) は、月山八号目から月山山頂を経て湯殿山へ縦走する。
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・・大学時代、アルバイトで富士山の山小屋ではたらいていた
(2014年9月1日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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