今年2010年の「文化功労者」に選ばれた世界的な建築家・安藤忠雄。ファッションデザイナーの三宅一生、演出家の蜷川幸雄とともに、かつての異端児は、現在では国際的に評価の高い世界的日本人として、日本国内でも完全に認知されたものとなったわけだ。
安藤忠雄は、本の紹介 『建築家 安藤忠雄』(安藤忠雄、新潮社、2008)において、以前このブログでも取り上げたが、今回ふたたび取り上げることにしたのは、何よりも『連戦連敗』という著書のタイトルに込められた・・について紹介したいからだ。
『連戦連敗』(安藤忠雄、東京大学出版会、2001)は、著者が東京大学大学院で行った講義録をまとめたものである。1997年から2003年まで東京大学教授を務め、現在は名誉教授である。
安藤忠雄は大学は出ておらず、しかも建築事務所で修行したこともない、まったくの「独学の人」である。1997年に東京大学教授として迎えられる前にも、米国のイェール、コロンビア、ハーバード大学で客員教授として教鞭をとっているが、大学教育を受けたこともなく、しかも学位をもたない著者を招聘した東大の度量の大きさ、先進性、戦略性には感心する。
建築の世界は、その他の芸術やスポーツと同様に、実績がすべてモノをいう世界である。しかも、芸術やスポーツとは違って、個人技としての制約条件はきわめて多い。
なぜなら、施主というクライアントからの依頼があってはじめて建築はスタートするのであり、施主の意向や予算、法規、デッドラインなど、数多くの制約条件のなかでの最適値をもとめる行為であり、しかも一人だけではできない総合芸術のようなものだからだ。
若くして独立して名を挙げることの難しい世界、40歳を過ぎてからやっと認められるのがザラな世界が、建築の世界なのである。
安藤忠雄が「連戦連敗」といっているのは、「コンペ」(競技設計)のもつ本質にかかわるものだ。
コンペとはコンペティション(競争)の略、建築設計の世界では、複数の設計者に設計案を出させ、優れたものを選ぶことを指していう。ゴルフコンペとは違って、誰が一等賞か決めるだけで終わるのではない。コンペに勝つことによって初めて、実際の建築施工の道筋が開けてくるのである。
安藤忠雄は、このコンペにおいて「連戦連敗」だというのである。これはけっして誇張ではないことが本書では、繰り返し繰り返し語られる。あの世界的な建築家・安藤忠雄ですらというのではなく、公開を前提としたコンペにおいては、著名な建築家であっても、必ずしも「連戦連勝」とはならないのだ。
むかしから「連戦連敗」の人生を過ごしてきた私には、非常にココロに刺さるコトバなのである。履歴書には現れてこない「連戦連敗」こそが、ほんとうは人生の本質ではないか。誰もあえて書き記そうとはしないだけである。
では、学生たちに向けて語った「珠玉のコトバ」を、私が感じ取った限りではあるが、以下に引用しておきたいと思う。
何しろコンペはほとんど連戦連敗といっていいほどの惨憺たる状況なのである。常に競争状態という緊張にさらされるし、その上その苦労もなかなか報われない。仕事になるか、計画案のまま終わるか、全く賭けのようなところがあるからだ。(P.22)
コンペを通じて、自らの建築への姿勢を問い直し、その意思を確かめる。そのような思考をもつことができることが、コンペに参加する意義といって過言ではない。・・(中略)・・しかし、コンペで勝てなくてもアイディアは残る。実際コンペのときに発見した新たなコンセプトが、その後に別な形で立ち上がることもある。(P.23)
ギリギリの状況に追い込まれれば、人間は考えざるを得ない。何をしたいのか、そのためには何をするべきか。
建築は闘いです。そこでは緊張感が持続できるか否かに全てがかかっている。緊張感の持続と物事を突き詰めてその原理にまで立ち返って組み直す構想力こそが、問題を明らかにし、既成の枠組みを突き破る強さをもた建築を生み出すのです。(P.31)
数値化された快適さではなく、その建物が周辺の文脈とどのような応答を交わし、またその応答が内部空間に身を置く人にどのような意味をもつかという関係性の問題です。コンピュータによる解析結果は、その効果を裏付け、客観的な評価を下すための手段に過ぎません。結局、大きな枠組みや方向性の設定は全て、建築家自身に肉体化されている感覚的な判断力に拠っているのです。(P.153)
結局、発想する力、構想力とは、建築にリアリティをもって臨めるか否か、この一点に大きく関わってくるのだと思います。情報メディアを駆使してどれほど膨大なデータを集めようとも、ただ一回の実体験にはかないません。(P.178)
私はアイディアの原点、発想の核となる部分は、やはり建築家として社会的に認知される以前の時間をどう過ごしたかに関わってくるものだと思っています。(P.188)
建築家として生きてゆこうとするならば、まず自分というものがしっかり確立されていなければならない。デザイン感覚、知力もそれなりに必要ですが、それ以前の人間としての芯の強さ、即ちいかに生きるかというその生き方が、何より重要なのです。(P.189)
十代の終わり頃から自らの力だけで生活していかねばならないという現実があり、本を読むのは大抵夜中、あるいは長い旅行中の電車や飛行機のなどの移動の最中でした。大学に行けなかった私には、そんな時間も含めて、旅こそが唯一の教師だったのです。(P.190)
実際にその建築空間を体験してみることは、建築家として最低限必要な教養です。それも重要なのは、メディアを通じての疑似体験ではありません。現地に足を運んで、その空気に触れ、手で素材感を確かめ、声の響き方に耳を澄ますといった実体験なのです。(P.191)
結局、力となるのは身体で感じ取った、肉体化された空間の記憶だけなのです。頭で理解できるほど、建築とは甘いものではありません。(P.192)
旅をしていると人間は考えるのです。その孤独ゆえに思考が深まり、自分自身への問いかけへと続いてゆく。・・(中略)・・私にとって旅とは、単なる身体的移動を意味するのではなく、文字通りの自立した自我の発見の過程でした。(P.192)
結局、自分の進むべき道は自分で見つけるしかない、ということです。(P.199)
誰にでも等しく手に入る情報を、自分なりに正しく選び取って構築していくのは人間の総合的な判断力にかかっているということにほかなりません。・・(中略)・・材料にしても構法にしても、部分の寸法ひとつとっても、自らの身体で確かめ、血肉化された知識がなければ、確信をもって決定することは決してできないのです。(P.219)
ときに、自分の身体を通して考え、試してきたことの積み重ねでしか得られない情報があること。そのことは肝に銘じてほしいと思います。(P.220)
「創造とは逆境のなかでこそ見出されるもの」。これは、ル・コルビュジエとともに、安藤忠雄が大きな影響を受けた建築家・ルイス・カーン(1901~1974)のコトバである。安藤忠雄の生き方そのものであるともいえよう。
本書で、安藤忠雄が建築を志す学生たちに繰り返し説いているのは、建築の世界というものの厳しさと、であるからこそチャレンジするに値するものであることだ。
建築家として生きていくのは、最後まであきらめずない不屈の、強靱な精神力と体力が求められるという。
それは、予定調和を拒否し、戦い続ける人生、考え続ける人生、である。
創造するということの意味、人生に対する態度である。
人生においてムダということは一つもない。
誰のコトバか忘れたが、いや誰のコトバであっても構わない、これが真実であることは、建築家・安藤忠雄の生き様がまた示していることでもある。
本書は、若い人たちにとってはもちろん、もうすでに若くない人たちにとっても、気を引き締めて闘いに臨むことを促して止まない、元プロボクサーの建築家の珠玉のコトバの集成でもある。
<安藤忠雄の作品>
安藤忠雄の建築作品は、東京では、「表参道ヒルズ」が比較的簡単に実体験できる建築物として存在する。
かつての同潤会アパートは、商業施設となって2006年に再生した。これによって、道を挟んだ両サイドが、ともにブランド通りとして、歩くのが楽しい街として、さらに魅力が増したことになった。
PS 2015年7月に「炎上」した国立競技場改築問題における安藤忠雄氏の「残念」な振るまい
建築の専門家である安藤忠雄氏が審査委員長として決定した東京・代々木の国立競技場改築問題。ザハ・ハディド氏の斬新な新国立競技場プランの施行費が、当初予定の1,300億円から2520億円に肥大化した件について国民から大批判が起こっている。
にもかかわらず審査委員長であった安藤忠雄氏は説明責任を回避し逃げ回った。まさに「敵前逃亡」である。この件によって、安藤氏の評判も地に落ちたというべきだろう。
もちろん、それによって建築分野における安藤氏の功績がすべて否定されるわけではないし、本書『連戦連敗』の価値もなくなるわけではないが、日本の建築家としては一般での知名度も高かった安藤氏の評価が回復することは期待しにくいのではないだろうか。
「戦後70年」の節目となる2015年、撤退戦のできない無責任体制の事例がまた加えられることとなってしまった「国立競技場改築問題」。安藤忠雄氏は、「無責任体制・日本」の象徴として、すっかり「残念な人」になってしまったのである。
(2015年7月17日 記す)
<ブログ内関連記事>
■建築と建築家
本の紹介 『建築家 安藤忠雄』(安藤忠雄、新潮社、2008)
「ルイス・バラガン邸をたずねる」(ワタリウム美術館)
・・メキシコの建築家バラガンについて
「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
■独学者
書評 『独学の精神』(前田英樹、ちくま新書、2009)
■鼓舞するコトバのチカラ
書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる
「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」 と 「And the skies are not cloudy all day」
Where there's a Will, there's a Way. 意思あるところ道あり
Winning is NOT everything, but losing is NOTHING ! (勝てばいいいというものではない、だけど負けたらおしまいだ)
キング牧師の "I have a dream"(わたしには夢がある)から50年-ビジョンをコトバで語るということ
(2014年8月21日 情報追加)
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