■原始キリスト教におけるイエスとその教団の活動を、精神疾患の「病気直し」集団のマーケティング活動と捉えることも可能■
そもそも「治癒神イエス」とは何か? イエスが「治癒神」とは何を意味しているのか?
この卓抜なネーミングで読者の心を掴んだ一般書が、再びオリジナルのタイトル『治癒神イエスの誕生』に戻して文庫版として再登場した。
小学館の「創造選書」の一冊として初版がでたのは1981年、この間に何度か版を改めているが、すでにいまから30年前のことである。
「治癒神」(ちゆしん)と書くとわかりにくいが、ひらたくいってしまえば「病気治しの神様」のことだ。こう書くと、なんだか日本の新興宗教のようだが、本質的には同じことだといっていい。
もしかすると、キリスト教会内部では、イエスを「病気直しの新興宗教」と一緒にするとは何事か(!)という声があったのかもしれないが、キリスト教徒ではない私には何ともいえない。
いずれにせよ、イエスと使徒たちの教団もまた、最初は「新興宗教」だったことは、間違いのない事実なのである! 多国籍巨大企業も、始まりはすべてベンチャーだったのと同じことだ。
本書によれば、「治癒神」であったイエスとその教団と、先行するアスクレピオス教団との、病気直しをめぐる競合が、古代地中海世界を舞台に展開したのである。アスクレピオス教団は、その代表的人物である医聖ヒポクラテスにみられるように、麻酔を使用した外科的治療も行っていた。
古代ギリシア世界が崩壊し、ヘレニズム時代の大変動期に生きた人々は大きな不安をかかえながら生きていたのである。こういう時代背景のもと、「救い=癒し」の観点から、魂の病である精神疾患に「ニッチ分野」を発見したイエス教団は、地中海では最大勢力となっていたアスクレピオス教団との直接的な対峙と競合をうまく回避しながら、着々と自分たちの地歩を固めて行き、最終的には地中海世界での病気治しの勝利者となる。
生老病死が最大の悩みだった時代、むしろ現代社会を先取りしたかのように、精神疾患の治癒に重点をおいたイエスとその教団の姿勢は、強い訴求性があったに違いない。これは、新興宗教のさかんな日本という国に住む日本人には、比較的理解しやすい枠組みである。
キリスト教徒ではない私にとっても本書が非常に面白く感じられるのは、著者の山形孝夫氏がキリスト教徒でありながらも、けっして護教論的な立場からではなく、宗教人類学という学問的立場から、日本民俗学の成果も大きく吸収した視野の広い柔軟な視点で、原始キリスト教について研究しているからだ。
その意味では、哲学者の梅原猛、ゴリラ研究者の河合雅雄、社会学者の作田啓一、牧畜社会のフィールドワークを行っていた人類学者の谷泰、中東史を専攻する歴史学者の三木亘といった異色のメンバーが参加したシンポジウムの内容は、30年たったいま読んでも、きわめて新鮮である。学際的な研究の見本としても格好の事例となっているといってよいだろう。
イエス教団に敗れ去ったアスクレピオス教団が、その後どうなってしまったのだろうか? 本書では触れられていないが、アスクレピオス教団の地中海世界におけるイエス教団への敗北が、近代医学発生を遅らせた可能性についても考えたくなってしまうのだが・・・。
さまざまな読み方が可能な、もはや古典といってもいいような一冊である。読みやすい本なので、ぜひ一読を薦めたい。
<初出情報>
■bk1書評「原始キリスト教におけるイエスとその教団の活動を、精神疾患の「病気直し」集団のマーケティング活動と捉えることも可能」投稿掲載(2010年10月29日)
■amazon書評「原始キリスト教におけるイエスとその教団の活動を、精神疾患の「病気直し」集団のマーケティング活動と捉えることも可能」投稿掲載(2010年10月29日)
*再録にあたって加筆した。
目 次
「病気のメタファ」とその呪い
第1部
治癒神イエスとイエスの運動-治癒神アスクレピオスとの競合と葛藤
治癒神イエス登場の地中海的背景
イエスにおける“触”のドラマトゥルギー
遊行する治癒神イエス―G・タイセンの描く遍歴のカリスマ集団
第2部
病いと癒し-傷ついたシャーマン
砂漠の変貌-治癒神イエス誕生の構図
第3部
治癒神イエスの誕生
キリスト教神話の構造“シンポジウム”(梅原猛、河合雅雄、作田啓一、谷泰、三木亘)
著者紹介
山形孝夫(やまがた・たかお)
1932年生まれ。東北大学文学部卒。同大学院博士課程修了。宮城学院女子大学教授、学長を歴任し、現在同大学名誉教授。専攻は宗教人類学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<書評への付記>
書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)もあわせて読んでいただくと、山形孝夫の志向するところができると思う。
また、先行する『レバノンの白い山-古代地中海世界の神々-』(未来社、1976)をあわせ読むと、古代地中海世界とキリスト教の発生について、より深く理解ができるであろう。この本はレバノン内戦が勃発する前に現地フィールドワークした記録でもある。
<ブログ内関連記事>
書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)
・・キリスト教徒が「人口の 1%」である日本、なぜそうなのか
書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010)
・・キリスト教が発生した古代東地中海世界に現在に至るまで生き残ったキリスト教諸派。圧倒的なマジョリティであるイスラーム世界の内側で 1% 以下のマイノリティとして生きる彼らは、本来のキリスト教の姿をとどめている
書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)
ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている
・・ヘルメスの杖には蛇2匹、アスクレピオスの杖には蛇1匹
『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
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