(拙著 『アタマの引き出し』(2012年刊) P.68 より)
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「ワークライフバランス」というコトバがある。ワーク(仕事)とライフ(生活)のバランスのことである。英語の work-life balance をそのままカタカナにした表現だ。
日本ではいつ頃からいわれるようになったのだろうか、基本的に家庭をもつ女性社員が、仕事と家庭を両立させるためのマインドセットとその具体的な方法について、企業の社会的責任論(CSR)とからめて推進されてきたものである。
基本的に私は「ワークライフバランス」の趣旨には全面的に賛成である。女性だけでなく、男性も大いに意識して取り組むべきものだからだ。
ただ一つ気になっていることがある。ワーク(仕事)とライフ(生活)は対立概念なのか、ということだ。
「ワークライフバランス」をきわめて浅く理解している20歳台の若者が少なくないので現場では困っている(?)という話をよく聞くが、これは仕事と生活をまったく交わることのない別個の存在として捉え、キッチリと区別したいという、若者たちの思いの表れだろう。
私が20歳台の頃も、仕事とプライベートは厳密に区別したいという表明がよく聞かれたし、私自身も強くそう思っていた。
■ワーク・イズ・ライフ? ライフ・イズ・ワーク?
いちばん最初に就職した時、新人研修で講師の一人がこんなことを言っていた。「仕事を趣味にするくらいでないと、コンサルタントとしては成功しない」。その人は直接の上司にはならなかったが、隣の部の部長のコトバであった。
いきなり金融系コンサルティング会社に入ってしまった私は、リサーチ関係の仕事に就けるものだと思っていたのに、コンサル部門に配属された。正直なところ希望するところではなかったので、この発言を聞いて、「絶対にそうはなるまい」と心に堅く決意したものである。
「あくまでも仕事は仕事、ほんとうの自分は仕事にはない」などと。できれば大学院にもどりたいなどという気持ちが強くあったのもその理由の一つである。
20歳台は、なんとか仕事とプライベートを分けるべく努力して、一歩オフィスをでたら仕事のことはアタマから完全に消そうと努力していた。
しかし、仕事は猛烈に忙しく、寝る時間と食事をする時間を除けば、出張で移動中の時間も含めて、ほとんどが仕事漬けの生活になっていた。それでも「あくまでも仕事は仕事、ほんとうの自分は仕事にはない」という気持ちだけは持ち続けていた。
その当時はワークライフバランスなどというコトバはなく、仕事とプライベートは厳密に分けるという考えに立っていたのである。その当時、カフカの『城』という作品にえらく共感を覚えて読んだことを覚えている。「城」という不可解で理不尽なシステムに翻弄される主人公を描いた小説である。
だが働き出してから3年目に、いままでつながらなかった断片が一気につながるという、やや神秘的な体験をしてから仕事の意味が一気に見えるような気がしたことを明確に覚えている。これはすでに「三日・三月・三年」(みっか・みつき・さんねん)と題してブログに書いたことである。
その後数年を経て、あるときに明確に気がついたのだが、人間というものは、自分が従事している仕事によって、無意識のうちに大きな影響を受けているということである。
そのとき気がついたのは、仕事を離れたふだんの生活でも、職業特有のものの見方になったいることだ。
私の場合は、経営コンサルという仕事についていたこともあり、ものを見る見方がコンサルタントの目になっていることを感じた。世の中のすべてに対して現状を分析し、処方箋を書くというマインドセットができあがっていることに気がついたのであった。もちろん森羅万象ではなく、自分が疑問をもったことに対して、何かと「なぜ?」という疑問をもって見ている自分にである。「そんなことしてないで、こうすればいいのに・・・」といつも思っている。
同じ大学を卒業したのに、銀行に就職した人間は、見た目だけでなく人間の中身まで銀行員になってしまうこと、マスコミの就職した人間はいかにもマスコミ人になっていくことと同じであろう。これは銀行員やマスコミ以外でも、すべての職業に当てはまるのではないだろうか。いわゆる会社に染められるというやつである。
これは同じ会社であっても、営業と経理、製造と研究開発でも大きく異なるものである。ずっと経理畑にいた人間と営業一筋の人間とでは、同じ企業に長く勤めていても大きく異なるものだ。
これは社会人になって就職する前に、すでに出身大学によって色濃くカラーがでているものだ。むかしほど明確ではないというものの、やはり早稲田と慶應ではカラーが違うし、同じ大学でも文学部と工学部とではカラーが違う。
これは見えない文化によって人間が形作られていくことを示しており、ブルデュー流の社会学的に表現すれば"ハビトゥス"(habitus)が形成されるということでもある。クチグセという生活習慣が企業文化となっていることについては、書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)に書いてある。
企業文化や職業文化といったものは、その企業や職業特有の文化を指したコトバだが、その企業のなかに生活して、その職業を長く続けているとその色に染まっていくものである。
つまるところ、いやがおうにかかわらず、仕事(ワーク)は人生(ライフ)のかなりの部分まで規定し、その人の人生(ライフ)から仕事(ワーク)を切り離せないものとしているということだ。程度の違いは個人によって異なるものの、たいていの人間にとって仕事のもつ意味はきわめて大きい。
■ワーク(仕事)は、けっしてライフ(生活)の対立概念ではない。ライフは仕事と生活と趣味の3つに区分すべき
「ワークライフバランス」を正確に理解するうえで重要なことは、ワーク(仕事)は、けっしてライフ(生活)の対立概念ではないということだ。
ライフ(人生)全体のなかに、ワーク(仕事)が含まれると考えるべきだろう。それほど仕事が人生に占める割合は物理的な時間だけでなく、意味も大きい。
しかし、ライフ・イズ・ワークであっても、ワーク・イズ・ライフであっても、それは過ぎたるは及ばざるがごとし、どう考えても正常な状態ではない。
家事をしない中高年男性の、単なる言い逃れであることも少なくない。
おそらく「ワークライフバランス」でいうライフとは、日本語では「私生活」という、プライベートライフと理解されることが多いのだろう。だから、私が20歳台であった30年前も、仕事とプライベートと区別したいという表明とまったく同じ理解が現在でもされている。
ライフには、私生活の領域である家族や家事、個人の趣味という領域など、仕事以外のさまざまな領域が含まれている。
私は、ワークライフバランスは3つに分解するのがよいと考えている。すなわち、ワーク(仕事)とプライベートライフ(私生活)と趣味(遊び)の3つである。
よくいわれることだが、テキパキと家事をこなす優秀な主婦は、実は仕事をやってもテキパキとこなす能力を身につけていることが多い。逆に仕事のできる女性は、家事もテキパキとこなす能力をもっている。これは生活が仕事に与える影響について語ったものだ。あるいは仕事と生活の相互作用である。
また趣味や遊びの時間に気がついたことが思わず仕事におけるブレイクスルーにつながることも多い。『プロジェクトX-挑戦者たち-』という NHKの番組で、オムロンの自動改札機の開発を取り上げた回があったが、主人公の開発担当者が開発に行き詰まっていたとき、息子を連れて出かけた釣りの場で、流れゆく木の葉をみて開発のヒントを思いついたというエピソードがでてくる。
これは趣味(遊び)が仕事に大きな影響を与えた好例だろう。
家事であれ、趣味であれ、そこで培って磨かれた方法論や気づきが、無意識のうちに別の場である仕事でも発揮されることがあるということだ。もちろん意識して応用することはなおさら良いことだ。
「ワークライフバランス」は、ワーク(仕事)とライフ(生活)を対立的に捉えるのではなく、仕事だけが人生の大部分を占めるのでは、ほんとうに意味のある人生を過ごしているとは言い難いということを示している。私はそのように受け取っている。
日本人、とくに中高年男性が、仕事を隠れ蓑にして家事をやらないのは実にもったいないのである。
朝から晩まで仕事に追われ、情報に追われる日々多忙なビジネスパーソンが意識的に仕事から実を話して「情報遮断」する。これは是が非でもやらなければならないことである。情報処理に慣れてしまった脳を休ませる必要があるからだ。そうでないとクリエイティブな思考ができなくなる。生活や趣味の時間はきわめて重要だ。
できる経営者に自分で料理をする人が少なくないと言われるのも、料理作りがマネジメントとよく似ているからだろう。
PS このブログ記事に書いた内容は、拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(佐藤けんいち、こう書房、2012)に再編集して収録してある。 (2014年9月9日 記す)。
<ブログ内関連記事>
働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)
・・ここまで仕事にのめりこんで私生活も犠牲にしてしまうのは・・・
書評 『語学力ゼロで8カ国語翻訳できるナゾ-どんなビジネスもこの考え方ならうまくいく-』(水野麻子、講談社+α新書、2010)
・・主婦だからこそできる時間マネジメント
書評 『わたしはコンシェルジュ-けっして NO とは言えない職業-』(阿部 佳、講談社文庫、2010 単行本初版 2001)
・・できる主婦が仕事でもできることに言及
"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと
・・仕事以外の生活や趣味をもつ重要性について、別の側面から考えてみる
書評 『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)
・・「情報遮断」の重要性について指摘しておいた
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