ルートヴィヒ2世(1845~1886)といえば、ルキーノ・ヴィスコンティ監督による『ルートヴィヒ-神々の黄昏-』(1972年製作)の印象があまりも強い。ヴィスコンティ映画で数々の主演を演じてきたヘルムート・バーガーの印象とともに強烈な印象が残存している。
「ローエングリンの再来!」と称された美貌の持ち主であったルートヴィヒ2世が王太子時代の15歳に、バイエルン王国の首都ミュンヘンで1858年に上演された『ローエングリン』を観て魅了されたのが、後のワーグナー狂いの発端となったのであった。
耽美主義の作家・須永朝彦氏は、『ルートヴィヒⅡ世』(須永朝彦、新書館、1980)でつぎのように書いている。
童貞王と呼ばれたルートヴィヒは、その渾名(あだな)の通り四十年余の生涯を独身で過した。同族のバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの公女ゾフィ-と婚約したが結婚には至らず、専ら歳若い同性(貴族の青年、俳優、馬丁など)が彼の特殊な友情にあずかった。これとは別に、ルートヴィヒにはとっておきの崇高なる精神的愛情があって、夫(それ)を享(う)けた者は、女では婚約者ゾフィーの姉に当るオーストリア皇后エリーザベトであり、男ではリヒャルト・ワーグナーであった。
幼くしてゲルマンの英雄伝説や騎士物語に淫するように親しみ、夢想癖をたっぷりと身につけていたルートヴィヒは、少年時代の終り頃には既にワーグナーの歌劇に取り懸かれていた。父王マクシミリアン二世の急逝に遇い、若くして王位に就いたルートヴィヒは、初めのうちこそ政務に励んだものの、秘書官に行方を探索させていたワーグナーとの間に連絡がとれるや、すなわち彼を召し出し後援に乗り出す。ルートヴィヒのワーグナーへの熱中ぶりはへ当時の<芸術家とその庇護者たる王侯>という関係の埒(らち)を大きく外れたものであり、湯水のごとく金をつぎこんで惜しまなかった。このメフィストフェレスめいた音楽家との関係は、短い蜜月のあとやや冷却するが、文通と経済的援助はワーグナーが死を迎える圭で続いた。
幼少時からのゲルマン伝説の英雄たちへのせつないまでの憧憬を、ワーグナーの歌劇によって満たされたルートヴィヒは、次にローエングリンやタンホイザーなどワーグナーの作品のタイトルロールたちが棲むにふさわしい城館の建築を思い立つ。ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ・・(後略)・・(引用は P.15)
こうしてバイエルン王国の財政を傾けるまでに城館の建設に熱中したルートヴィヒは、政治に関心を失い引きこもりがちとなり、ついには精神病の烙印を押され、強制的に退位させられ軟禁されるのだが、その翌日には侍医とともに謎の水死を遂げる。
この事件を題材に執筆されたのが森鴎外の『うたたかの記』である。ドイツ留学中の鴎外は、ちょうどこの事件のときみミュンヘン大学に在学していたのであった。
現在の日本では、ルートヴィヒ自身よりも、宝塚などをつうじてエリーザベト(=通称シシー)人気のほうが高いのだが、さすがにノイシュヴァンシュタイン城は観光名所として訪れた日本人の累計は相当な数にのぼることだろう。
バイエルン王国の財政を傾けたといわれルートヴィヒについては、その大半が一般庶民である日本人観光客たちは「なんてバカなことをしたのか」とクチにしながらも、嬉々として観光しているわけだ。
だが、ディズニーの白雪城のモデルとなったといわれるこの城によって、バイエルン州に落とされる観光収入がバカにならないことは言うまでもない。絵はがきをはじめとして観光みやげには日本語表記が入っていることからもうかがわれる。
それにつけても、バブル時代の日本は、これに匹敵できるような観光資源を資産として後生に残せたのだろうかと慨嘆せざるを得ない。
ワーグナーがらみといえば、ルートヴィヒはリンダーホーフ城内にワーグナーの『タンホイザー』に登場する「ヴェーヌスの洞窟」を作らせていた。ワーグナーの曲を演奏させながら、みずからはローエングリンに扮して船遊びを楽しんでいたという。
現地で売っていた複製絵はがきを三枚並べてスキャンしておいたが、とくに一番右の絵はがきは、ルートヴィヒ自ら「白鳥の騎士」ローエングリンに扮したもの。よほどローエングリンが好きだっただな、自らをなぞらえていたのだとわかる。太ったルートヴィヒはテノール歌手のようである。
40歳で亡くなったルートヴィヒとは正反対に、40歳過ぎるまではワーグナーを遠ざけていたわたしは、ようやくワーグナーと折り合いがつけられるようになってきた。それまでは、ヒトラーも愛したという、ドイツ的で、自己陶酔的でデモーニッシュな響きのある音楽は、実のところあまり好きではなかったのだった。いまでもイタリアオペラのほうが好きであることには変わらない。
ワーグナーは『タンホイザー』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は劇場で鑑賞してきたが、『ローエングリン』を舞台で見るのはじつは今回が初めてである。
■『ローエングリン』のあらすじ
オペラのあらすじは、『ワーグナー』(高辻知義、岩波新書、1986)の第3章によれば以下のとおりである。
あらすじは、10世紀当時、現在のベルギーの辺りのブラバント公国のエルザ公女が、魔女オルトルートの唆(そそのか)しにのった廷臣テルラムントの理不尽な求婚に悩んでいたおり、聖堂騎士団から派遣された白鳥の騎士ローエングリンが彼女の危機を救う。騎士は自分の素性を訊ねないことを条件にエルザとの愛を契り結婚生活に入るが、エルザは夫を愛するがあまり、ついに彼の名を訊ねてしまい、二人の愛は終わるという悲劇的結末である。(P.75~76)
ライン川下流地域に伝わる伝説「白鳥の騎士」をもとにしたものらしい。これはケルトにまでさかのぼるものらしい。これに聖杯騎士団がからんでくる内容。キリスト教以前の民話にキリスト教そのものである聖杯騎士団がからみあいワーグナー独特の世界が創造される。
『ローエングリン』は、ワーグナーのオペラの中でも人気が高く、一時期はもっとも演奏機会の多い作品となっていたらしい。たしかに、第1幕、第3幕への高揚感を伴った前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)などは、だれもがそれとは知らずに一度は耳にしているハズである。
■来日公演の舞台について-現代風の演出は正直いってイマイチ
『ローエングリン』をバイエルン国立歌劇場の来日公演で鑑賞したのは、昨日9月25日(日)のことだ。
会場:NHKホール(代々木)
時間:15時~19時45分 合計演奏時間215分(休憩二回各35分)
歌唱:クリシティン・ジークムントソン(ハインリヒ王役)
ヨハン・ボータ(ローエングリン役)
エフゲニー・ニキーチン(テルラムント伯爵役)
エミリー・マギー(エルザ・フォン・ブラバント役)
ワルトラウト・マイヤー(オルトルート役)
指揮:ケント・ナガノ
演奏;バイエルン国立管弦楽団
合唱:バイエルン歌劇場合唱団
ローエングリン役で出演予定だったヨナス・カウフマンが胸部結節の手術のため降板し、代わりにヨハン・ボータが舞台に立つことになった。このほか、テルラムント伯爵役、王の伝令も代役である。
雑誌『選択』(2011年8月号)に掲載されていた記事「「風評被害」に泣くクラシック音楽界-有力演奏家の「来日拒否」相次ぐ」には以下のような文章がある。
「3-11」の原発事故によって、「9月に来日予定のバイエルン国立歌劇場では、歌手、合唱団、オーケストラなど総勢400人の来日メンバーのうち80人が無給休暇を取って来日を拒否しており、同劇場は他の歌劇場から急遽エキストラを募集するなどの対応に追われているという。
こういう事情は事前に知っていたので残念ではあるが、歌手たちの「来日拒否」の心情は理解できないことはない。この事態によって、オペラの来日公演の質が維持できたのか下がったのか、熱心なオペラファンとは言い難いわたしには判断しかねるものがある。合唱団には日本人らしき顔が多かったような気がしたが。
だが、実際に第三幕の終幕にあたっては、魔女オルトルート役のワルトラウト・マイヤーを頂点に、ローエングリン役のヨハン・ボータにも万雷の拍手が送られれた。これにはわたしもまったく異論はない。この二人はじつにすばらしい歌唱を聴かせてくれたからだ。
米国人ケント・ナガノの指揮によってオーケストラが出す音も、まったく問題はなかった。バルコニー席からの長いラッパによる吹奏楽はステレオ効果が十分に発揮されて、音の快楽を存分に味わうことができた。
それよりも、現代風の演出は正直いっていいとは思わなかった。カタログには音楽評論家がもっともrたしい解説記事を書いているが、内容については自分の「直観」のほうを信じたい。
現代風に演出する理由はそれなりにあるのだろうが、ルートヴィヒ好きなな日本人にとっては違和感のみつきまとう。演出を現代風にしながら、歌詞は元もままというのもおかしなことだ。スーツを着た国王までは許されよう。しかしビジネスウーマンのようなジャケットを着た魔女オルトルートなど受け入れがたい。それならいっそのこと歌詞も現代風に改作するか、まったく別の内容で書き改めたらいいではないかと思ってしまうのだ。
たしかにルートヴィヒはさておき、ヒトラーもまた『ローエングリン』の熱狂的な愛好者だったことを考慮に入れると、ロマン主義的な演出を忌避したくなる心情はわからなくはない。
「ドイツのために剣をとれ!」などという合唱は、現代のドイツ人にとってもアンビバンレントな感情を抱くのだろうか?ドイツ人ではないわたしにとっては、正直いってきわめて耳障りな合唱である。
ただ、ワグナーが作曲した当時は、いまだドイツ統一は実現していなかったからこそ意味あるセリフだったと思う。作曲から初演にいたる 1848年から1850年は、言うまでもなく「ドイツ革命」が勃発して最終的に挫折に終わった数年間である。
繰り返しになるが、現代風演出にまつわる不快感も、第三幕にいたってはどうでもよくなった。それは音楽のもつチカラによるものである。視覚を上回る聴覚への訴えかけである。
舞台セットと舞台衣装がどうであれ「白鳥の騎士ローエングリン」のエリーザとその弟の王子を思う心情が切々と、音楽と圧倒的な歌唱をつうじて伝わってきたからだ。わたしは思わずココロで感じ入ってしまったのだった。
音楽のもつチカラはじつに強い。そう感じた日曜日の夜であった。
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