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2011年12月19日月曜日

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) ー 『日本語の将来 ー ローマ字表記で国際化を』(NHKブックス、2004)


ローマ字からカナモジへ。そして、最後の到達点はふたたびローマ字に

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) では、ローマ字時代からカナモジ時代にかけての梅棹忠夫の日本語論を取り上げた。

『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(梅棹忠夫=編著、NHKブックス、2004)は、梅棹忠夫がふたたび日本語をローマ字で表記する主張を展開したものである。

本書で展開されるのは、「日本語の表記はローマ字化しないと、21世紀のなかばには日本文明は滅亡する?」という主張である。

しかし、本書の amazonレビューをご覧になってみるといい。そこにあるのは酷評の数々。漢字にこだわる日本人の無意識の地雷原(?)を踏んでしまったのだろうか? 神経を逆なでしてしまったのだろうか?

本書で展開されているのは、はっきりいってきわめて過激な主張である。あるいは荒唐無稽とうつるかもしれない。

だが、じつは著者がはじめて主張するわけではない。すでに明治初期の欧化主義者たちによる啓蒙団体「明六社」メンバーの西周(にし・あまね)が「国語洋字化」、すなわち日本語表記のローマ字化を主張していた。

幕末には、幕臣であった前島密(まえじま・ひそか)が漢字を廃止してカナモジ化すべきだと主張している。郵便制度の父・前島密は、その主張を「漢字御廃止之議」として将軍・徳川慶喜に建白書として上申している。しかし、その後の明治時代が同音異義の和製漢字語の氾濫で、さらに混乱をきわめたことはすでに前回書いたとおりだ。

日本語の音声体系は、母音(vowel)が5つしかないのできわめて簡単、しかも文法にかんしても、動詞の変化はきわめて規則的でほとんど例外がない。身分制度のもとで発達した、やっかいな敬語が現在でも生き残っているが、社会の変化にともなって、へつらい表現である謙譲語が衰退し、丁寧語と尊敬語が残っているのみだ。

ところが、文字体系にかんしては、正書法(・・いわゆる表記法)はいまだにスタンダードなものが制定されておらず、同音異義の漢字語が大量に存在して、「耳できいてわかる」日本語になることを阻害している。

これがおおざっぱな梅棹忠夫の主張だが、パソコンでローマ字入力で日本語を書きながら、多くの人がじつは感じていることではないだろうか? いっそのことローマ字で日本語が表記できるなら、どんなにラクだろうか、と。

いくら変換機能が進化しようが、ほぼ100%完全に変換できるのはまれである。

文体は人によって好みがわかれるし、わたし自身もできるだけ漢字を減らして書きたいと思っているのに、漢字変換機能によって、接続詞など不要なものまで漢字に変換されるのには、おおいに閉口している。

ワープロ普及による反動、時代の逆行に対する嘆きは、わたしにはよく理解できる。


視覚障害者にとってのバリアフリー、ユニバーサル化の観点からの発言として

梅棹忠夫の発言は、失明して視覚障害者となった立場からの発言として耳を傾ける必要がないだろうか。視覚障害者の情報格差をなくすためのバリアフリー、ユニバーサル化という論点でもある。

梅棹忠夫が、突然の失明で目が見えなくなってからも知的生産を続行できたのは、もともと耳できいてわかる日本語を使うことを実行していたからだ。

また、ローマ字で書くようになってから、文章がわかりやすいものとなった、という。難しい漢字の同音異義語を避けるため、和語でやさしく言い換えるようにしたからだと。

たしかに梅棹忠夫の文書は、現時点からみても漢字をミニマムにしているので、ひらかながひじょうに多い文章で、慣れないと逆に読みにくいといえなくもない。

だが、考えてみれば、公文書は漢文をもとにしたものが多かったとはいえ、平安時代の王朝文学は女流文学が中心であり、ひらかなによる文章が主流となっていたのだ。

『源氏物語』が一人で目で読むものではなく、一人がおこなう朗読を複数のひとが耳で聞くものであったことは、菅原孝標女(すがはらのたかすえのむすめ)が 『更級日記』(さらしなのにき)で少女時代を回想している記述であきらかなとおりだ。

現代でもラジオは、耳できいてすぐにわかるような言い回しを徹底するなど、かなり慎重な対応をしているようだが、TVのバラエティ番組では、字幕が画面の1/.3も占めるまでにエスカレートしており、おそろしく後退していると言わざるえない。

平安時代には、せっかく耳で聞いてわかる日本語の文章が確立したのに、なんという後退、歴史に反する逆行現象であることか。問題の根源は、近代化をすすめていた明治時代にある。



日本語の表記をローマ字化しないと、21世紀のなかばには日本文明は滅亡する?

「日本語の表記をローマ字化しないと21世紀のなかばには日本文明は滅亡する」、といっても、だれもまともに受け取らないだろう。

だが、梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える をみていただければわかるように、1970年頃には 「人類の未来」 を構想していた梅棹忠夫だ。

年をとったから、将来に対して悲観的になった年寄りの繰り言だろうという評価もなくはないだろうが、ちょっと立ち止まって考えてみる必要がなくはないだろうか?

まず何よりも、「情報論」の立場からすれば、インターネットの登場によって、これだけ情報量が膨大な量に増大しているのに、情報処理スピードにかんしては、ローマ字オンリーの言語と日本語とでは、大きな処理能力差が存在し続けるのであれば、日本語の将来に悲観的になるのもムリはないという気もしなくはない。

梅棹忠夫はまた『情報の文明学』(中公文庫、1999 単行本初版 1988)という名著を著した人でもある。

われわれの日常経験からいっても、漢字かなまじり文は慣れれば読むスピードはローマ字オンリーより早いだろう。だが、入力スピードは日本語の場合、漢字変換という作業がくわわるのでどうしても遅くなりがちだ。

日本人の7割以上がキーボードでローマ字入力しているのに、漢字変換で時間のロスがあることは否定できない。マン・マシン・ツールという観点からみると、日本語の表記法に問題があることは否定できない。

さらに、梅棹忠夫が主張している点でなるほどと思わされることがある。それは本につける索引(=インデックス)についてである。欧米の著作には、文学作品以外ではほぼつけられている索引がなぜ日本語の本にはあまりないのか?

『梅棹忠夫著作集』の編集で、もっともやっかいで、時間がかかったのが索引(=インデックス)の作成だという。漢字の読みが一定していないので、機械的に索引がつくれないのが日本語の大きな問題点だというのだ。

たしかに、これは説得力がある。つねに「分類よりも検索を!」と主張してきた梅棹忠夫だ。索引のついていない本の価値がきわめて劣るのは言うまでもないだろう。

何をインデックスとして抽出しているかをみれば、その本の中身はだいたいわかるものだ。目次を詳しくすることで対応も不可能ではないが、やはりそれには限界がある。





日本語はできるが、読めない、書けない日本人はじつは少なくない

あまり気が付いていないだろうが、じつは日本や海外にに居住する日本人や日系人で、日本語は聞いてしゃべることはできるが、読み書きはできないという人は少なくない

先日、MITのメディアラボ所長に就任した伊藤穣一(Joi Ito)は、日本生まれだが10代半ばまでカナダ、米国で過ごした日本人。日本語は聞いて話すことができるが、日本語の本は読まずに活字の情報源はすべて英語らしい。

タレントの西田ひかるはカリフォルニアで生まれ育った日本人だが、彼女もまた活字として読むのは英語だけらしい。

若き日にそれぞれ英国と米国で留学生活を送った白洲次郎と白洲正子夫妻は、夫婦の会話はときに英語であったとも言われている。

このような有名人だけでなく、日本語は読まない(・・読めない)日本人はけっして少なくない。

これは米国滞在中、わたし自身が実感したことでもあるが、日系米人や日系ブラジル人などとの交友で、日本語で話していても漢字がわからないという日本人はすくなくなかった。しかし普段は英語をしゃべる彼らも、日本語でしゃべるときは発想が日本人になっていることに気が付く。

反対に、日本語がしゃべれずに英語しかしゃべらない日系人は、実質的にアタマの中身は英語人だ。日本生まれの日本人だが少年時代に両親とともに英国に移り、現在も英国に在住して英語で創作活動を行う作家のカズオ・イシグロなどその最たるものだろう。彼は日本語はじゃっかんわかる程度らしい。

「国際語としての日本語」という観点に立てば、ローマ字で日本語を表記することのメリットはじつに多い。日本を世界にむかって発信するに際して英語をつかって行うのもいいが、ローマ字の日本語で発信することも必要ではないかと思う。

フェイスブックをやっていると、日本語を勉強している日本ファンが少なくないことがわかる。漢字やかなの読み書きができないかれらとは、わたしはローマ字の日本語で会話している。

本書が出版された当時、ローマ字会の会長であった梅棹忠夫がいうように、ワープロ入力と同じ、ふりがな方式でのキーボード入力をそのまま打ち出せば、ローマ字による日本語になる。あと気を付けるのは、わかち書きだけだろう。

わたしはいままでローマ字はヘボン式で入力していたが、日本語の文法を考えると、ほんとうは訓令式ないし、その改良版である「99式」をつかうのがいいようだ。これは本書で学んだ重要なことである。 

ドイツ語だってドイツ統一後、インターネット時代に対応するために正書法が改訂されている。ö(= o にウムラウト)をつかわずに、oe で対応させる方式に移行している。

こういった実例もアタマのなかに入れておく必要があろう。


日本語最大の問題である同音異義語はどうなっていくか?

ローマ字化すれば競争原理によって、同音異義語は出現頻度によって自然と淘汰されて落ち着くところに落ち着くだろうというのが梅棹忠夫の楽観的見解だ。

本書に収録された「綿羊と回教」(2001)という文章は、その50年前にはフツーにつかわれていた綿羊と回教というコトバが、2001年時点ではつかわれなくなっていることを大いに評価していたものだ。

綿羊(めんよう)とはヒツジのこと、回教とはイスラームのこと。いずれも現在は、ヒツジ(ひつじ)やイスラームと表現するのが当たり前になった。この点をさして、梅棹忠夫は、50年単位でみると進歩があるのではないかという、楽観的というか慰めのようなことを漏らしている。

耳で聞いてわからないコトバが「集合知」によって自然淘汰され、べつのコトバに言い換えられる。現代日本語では、いわゆるカタカナ語が増えた結果でもあるが、肯定的な評価も可能であるということである。

英語由来の外来語が増えても、発音は日本語のものに変化させられてしまう保守派が懸念しているより、日本語の生命力はつよい。なにものをも貪欲に取り込んで、自分流のものに変えてしまう吸収力。

わたしは、漢字がアルファベット文明に対する防波堤などという愚論に与するつもりはまったくない。それは、おなじく漢字文明圏にあったベトナムや韓国朝鮮の現状をみれば明らかだし、そもそも漢字文明圏ではなかったタイやカンボジアといったヒンドゥー文明圏を観察すればすぐにわかるからだ。 いずれも濃厚にアジア性を残しているではないか!

わたしが、作家や知識人の「日本語防衛論」とは一線を画している梅棹忠夫の議論に耳を傾けるのはそこにもある。



とはいえ、「梅棹ローマ字論」への違和感や疑問については述べておかねばなるまい

ただ、本書に収録された対談を読んでいて思うのは、「知の巨人」であった梅棹忠夫に反論できない物足りなさが対談者のすべてから感じられることだ。

「生涯において議論に負けたのはアフガニスタンでの一回きりだ」と豪語する梅棹忠夫に、あえてたてつくものがいないというのも、日本語ローマ字論の議論においては、不幸なことであったかもしれない

梅棹忠夫が、「くもん選書の日本語三部作」でも述べているように、明治維新後の早い段階で、日本語をカナモジ化するなり、ひらかなのかなもじ化するなり、ローマ字化するなりしていれば、そのまま定着したであろうことは、トルコやベトナムの事例をみれば理解できる。

しかし、すでに教育程度も向上し、ワープロ(パソコン)などの情報機器が普及した現在、カナモジであれローマ字であれ、転換することはきわめてむずかしいのは当然だ。あらたな革命でも起こるか、強制力をもって導入しない限り日本語のローマ字化は不可能だろう。

なによりも懸念されるのは、過去の知的遺産との断絶だ。ローマ字化以前に出版された出版物をそのままローマ字化することは不可能であろう。

もしそれを強行すれば、ローマ字化したベトナムや、完全にハングル化した北朝鮮のように、漢字で書かれた文献は専門研究者以外は読むことができないという事態となってしまう。

たしかに、『万葉集』や『古事記』など、かな文字発明以前の文献は、われわれの大半はいずれにせよ漢字そのもので書かれた原文を読むわけではなく、漢字で表記された万葉仮名をさらに書き下した文を読んでいるにに過ぎない。だからこれらの古典はローマ字化しても、じつはあまり実害はない。

だが、カタカナとひらかなが発明されて以降の日本語は、漢字かなまじり文が主流となり、いやな表現だが「二重言語」体制になってしまっている。すでに漢字は抜き差しならないまでに、日本語のなかに取り込まれてしまっているのである。

とはいえ、実用性の高い文献であれば、いまからでも遅くない。ローマ字化を最初から念頭において書けば、漢字の読めない外国人にも大いに門戸が開かれることになることは間違いない。「開かれた日本語」であるためには、ローマ字化の文書が増えることはけっして悪い話ではないのだ。

社会言語学者の田中克彦は、「かわいい日本語には旅をさせよ」と言っているが、日本語を母語としない人たちによって、日本語が国際語として鍛えられていくことになるだろう。


梅棹忠夫の日本語論の原点にはモンゴル体験も関係しているのだろう

社会言語学者の田中克彦はモンゴル学者でもあり、『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦、角川SSC新書、2011)の「あとがき」のなかでこう記している。

最後まで果敢にたたかった、梅棹忠夫さんのようないたましい例も私のすぐ近くにある。梅棹さんのような素朴で明快で単純な果敢さを、私はそのまま引き受けて実行するわけにはいかないが、その精神を私のことばに翻訳して・・(以下略)・・ (同書 P.264)。

ともにモンゴル研究から学問をはじめた梅棹忠夫と田中克彦は、何度か対面しているが、『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)に収録された対談「21世紀の文明の行くえと国際語のあり方」(1995年)で、梅棹忠夫は若き日のモンゴル体験と、敗戦後引き揚げてきた占領下日本での不快な体験が、アンチ米国とアンチ英語になったことを語っている。そしてその結果、エスペラント語を本格的にやることになったのだ、と。

この対談では、梅棹忠夫が筋金入りのエスペランティストであったことの理由が明確に語られており、ある意味では、もともと理系であった梅棹忠夫のほうが、 田中克彦よりもはるかにラディカルな言語思想家で実践家であったことがわかる。

戦時中に内モンゴルでフィールドワークを行っていたことが梅棹忠夫の原点であることは、『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)を読むとよく理解できることだが、日本の敗戦後、内地に引き上げてきた際に感じた占領軍に対する反発が、英語嫌いで米国には一度も足を踏み入れたことがないという姿勢をとらせたようだ。

そのあらわれが国際補助語としてのエスペラント語であり、自然科学者としてのローマ字日本語であった。

耳で聞いてわかる日本語の改革に生涯をかけて精力を注いでいたことに、失明後も旺盛な知的生産を行うことのできた秘密の一端があるようだ。

また、音声言語としてのモンゴル語も、少なからず影響を与えているように思われる。

田中克彦は、中国の周辺民族は漢字は絶対に受け入れず、独自の文字体系を作り上げる努力をしてきたことを語っている。それだけ、漢字の魅力、いや魔力というべきか、漢字のもつイメージ喚起力は強いのだ。

漢字のもつ魔力については、碩学・白川静(しらかわ・しずか)博士が繰り返し主張してきたように、漢字はもともとシャマニズムと呪術の産物なのである。漢字のもつ呪術的なチカラに負けてしまう著者と読者が多いことが、日本語で書かれた文章につきまとう最大の問題点である。

梅棹忠夫の 『回想のモンゴル』によれば、モンゴル文字をつかったモンゴル語のタイプライターは活字が横組みになっていて、縦書きに打ち出せることが書かれている。これを読むとなるほどと思うのである。すでに戦前そうだったわけなのだ。

梅棹忠夫にとってのモンゴル体験の意味、これはフィールドワークや知的生産といった分野だけでなく、日本語論もふくめた、さまざまな意味においてキチンと押さえておきたいテーマなのである。


最後に

そして、日本語ローマ字化論も荒唐無稽な論として片付けるのではなく、またいたづらに感情的に反発するのではなく、21世紀以降も日本が、日本人が、日本文明が生き残っていくためには何をどうすればいいかについて、大きなヒントを与えてくれる論であることを知ってほしいと思う。

もちろん、完全な日本語ローマ字化は不可能に近い試みではあることは否定できないのだが・・・。


(⇒ 本編は、梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)で黙殺されている第7章とあわせ読むべきだ の続きである)




PS 読みやすくするために加筆修正を行った。趣旨にはいっさいの変更はない。 (2014年3月12日 記す)


<関連サイト>

カナモジカイ 

「日本ローマ字会」は「国際日本語学会日本ローマ字会」へ名称が変わりました。

wikipedia で検索可能な項目

漢字廃止論
国語国字問題
カナモジ会

なお、エスペラント語は、中国網(チャイナネット)で音声を聞くこともできる



<ブログ内関連記事>

日本語の表記方法について

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)で黙殺されている第7章とあわせ読むべきだ

『大本営参謀の情報戦記-情報なき国家の悲劇-』(堀 栄三、文藝春秋社、1989 文春文庫版 1996)で原爆投下「情報」について確認してみる
・・情報参謀の堀大佐は、「いっそのことローマ字にしたほうがいい」と陸軍部内で主張したという記述がある

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・漢字語が急速に増大していた明治時代の近代日本。少女時代に米国にわたり11年にわたって英語で教育を受けた帰国子女たちの苦労がいかに大きなものであったことか。胸の内を英語でつづっていた理由を考える必要がある

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・この記事で触れた、鶴見俊輔の「お守りことば」にも通じる呪術性が「八紘一宇」などの意味不明瞭な和製漢語には多い 

「役人の一人や二人は死ぬ覚悟があるのか・・!?」(折口信夫)
・・国語国字改革に際して折口信夫が弟子にもらした憤り


モンゴル学者で社会言語学者・田中克彦と梅棹忠夫

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)
・・とくにモンゴル学者で社会言語学者の田中克彦との対談を参照。「ある意味では田中克彦よりもはるかにラディカルな言語思想家で実践家であったことがわかる。耳で聞いてわかる日本語の改革に生涯をかけて精力を注いでいたことに、失明後も旺盛な知的生産を行うことのできた秘密の一端があるようだ」。

書評 『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦、角川SSC新書、2011)
・・その田中克彦の最新論考

書評 『お馬ひんひん-語源を探る愉しみ-』(亀井孝、小出昌洋=編、朝日選書、1998)-日本語の単語を音韻をもとに歴史的にさかのぼる
・・社会言語学者の田中克彦は、「かめい たかし」と表記していた国語学者の亀井孝の弟子。収録されている「かァごめかごめ」(1971年)という論文は内容もさることながら文体に特徴がある。ひらかなの多い、しかも分かち書きの文章は、日本語が漢字を廃止してかな文字化したりローマ字化したらこういう文章になるという見本と考えてもいい」


梅棹忠夫関連

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・最晩年の放談集。日本人に勇気を与える元気のでるコトバの数々

書評 『梅棹忠夫のことば wisdom for the future』(小長谷有紀=編、河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

書評 『まだ夜は明けぬか』(梅棹忠夫、講談社文庫、1994)-「困難は克服するためにある」と説いた科学者の体験と観察の記録

『東南アジア紀行 上下』(梅棹忠夫、中公文庫、1979 単行本初版 1964) は、"移動図書館" 実行の成果!-梅棹式 "アタマの引き出し" の作り方の実践でもある

書評 『回想のモンゴル』(梅棹忠夫、中公文庫、2011 初版 1991)-ウメサオタダオの原点はモンゴルにあった!

(2014年3月12日、2016年3月13日 情報追加)


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