東京スカイツリーが完成したいま、東京タワーの運命はどうなってしまうのだろうか?
このように心配している人も少なくないと思う。このようにいうわたしもまたその一人である。
電波塔としての役割は、634メートルと世界一高いスカイツリーで十分なのではないか?
333メートルの東京タワーは周囲に高層ビルが多くて電波障害の影響を受けている以上、もはやその使命は終えたのではないか?
このような機能主義と合理主義だけでものを語る人が一方では多いのではないかという懸念を抱いているからだ。もしその議論がとおってしまうと、東京タワーはいずれ解体されてしまうかもしれない・・・。ああ。
リリー・フランキーの小説 『東京タワー-オカンとボクと、ときどきオトン』を原作にした映画を、海外出張で移動する国際線の機内でみたが、なぜか感動して涙があふれてくるのを止めることができなかった。子どもの頃から見慣れてきた東京タワー、いまでもスカイツリーより東京タワーのほうが好きだ。いまの自宅からは東京スカイツリーが見えるのだが、港区にいくたびにそう思う。
この本の著者である細野透氏は、工学博士で一級建築士の資格をもつ建築&住宅ジャーナリストである。
東京タワーをなんとか後世に残しておきたいというつよい思いが、本書で展開される謎解きに時間をかけて挑戦させ、ついには東京タワーと東京スカイツリーにまつわる「物語」を導き出すことに成功した。
建築と都市設計を、東京=江戸という土地の歴史を「地霊」(ゲニウス・ロキ)の視点から、物語を呼び出させたのである。ゲニウス・ロキ(genius loci)とはラテン語。土地にまつわる精霊というべきか。ドイツ語なら Erdgeist というべきものである。
本書で展開される謎解きの内容とその結論である物語については、すべての人が納得いくことはないだろう。しかし、それは違うと否定するだけのものを持ち合わせている人も少ないのではないだろうか。
わたし自身も、100%納得しているわけではないのだが、著者が建築関係の友人たちに物語を語ったときの反応が沈黙であるというのも、わからなくはない。
建築と都市設計というものは、合理主義一点ばりでは成立しないからだ。建築には施主と入居者、そして建築家という、感情をもつ人間の思いがからまってくるからだ。
しかも、人間だけではない。重層的な歴史をもつ土地そのものがかかわってくるのだ。
なぜ、特定のある建築物では不幸がつづくのか、あるいは逆に幸運がもたらされるのか、自然科学による説明にはどうしても限界があることに、多くの人は異論ないだろう。
これには風水や家相といった説明もかかわってくる。とくに日本で発達した「鬼門」と「裏鬼門」という考えが、著者の謎解きと「物語」発見には重要な意味をもっているのだ。
平将門、太田道灌、徳川家康、天海、明治天皇、西郷隆盛、昭和天皇・・・・。そのいずれもが東京=江戸という土地の歴史に大きくかかわった人たちだが、とりわけ重要なのが平将門である。
社会人になっていちばんはじめの就職先が、将門首塚のある大手町であったこともまた、わたしがこの「物語」に引きつけられる点である。平将門を祀る神田明神に属する将門首塚には、これまでなんどお参りしたか覚えていない。
将門の怒りに触れたのかどうかわからないが、首塚のある一角のうらにあったビルのオーナーは転々としている。かつて長くそのビルのオーナーであった日本長期信用銀行は、首塚に背を向けて日比谷に去ったあと、時を経ずして破綻して国有化される憂き目にあった。
これをただ単に「都市伝説」と言い切ってしまっていいのかどうか、わたしのは判断しかねるものがある。これもまたゲニウス・ロキ(地霊)がかかわる話なのであろうか。
本書は、建築史家・鈴木博之の『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』(ちくま学芸文庫、2009 初版 1990)と、中沢新一の 『アースダイバー』(講談社、2005)の系譜につらなるものだと著者はいう。この両者に関心のある人は、読んでみる価値があるといっていい。
東京タワーと東京スカイツリーを「対(つい)の構造物」として見る物語には、平将門伝説が密接にからんでいるのである。このヒントだけを書きしておくこととしたい。
あとは実際に手にとって読んでみることをおすすめしたい。
目 次
はじめに
第一部 首都と鬼門と「聖なる森」
-第一章 鬼門とは何か
-第二章 江戸の鬼門対策
-第三章 鬼門と明治維新
第二部 丹下健三の「不思議な回り道」
-第四章 世界の「タンゲ」一代記
-第五章 富士山に魅せられた建築家
-第六章 西郷隆盛像の大きな目
-第七章 東京都庁舎を巡る『点と線』)
第三部 東京スカイツリーと東京タワー
-第八章 鬼門の塔、裏鬼門の塔
-第九章 将門の塔
-第十章 凌雲閣の悲劇
-第十一章 『作庭記』の予言
-第十二章 桔梗の塔
エピローグ
おわりに
関連年表
主要参考文献
著者プロフィール
細野 透(ほその・とおる)
建築&住宅ジャーナリスト。建築専門誌『日経アーキテクチュア』編集長などを経て、2006年からフリーランスで活動。東京大学大学院博士課程(建築学専攻)修了、工学博士、一級建築士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。
<ブログ内関連記事>
書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み』
「駐日欧州委員会代表部新ビル建設に伴う"地鎮祭"」 (情報)
・・ゲニウス・ロキ(地霊)について触れておいた。施主が欧州関連ですら日本である以上、地鎮祭をおこなって土地の霊にあいさつをしなければならない
地層は土地の歴史を「見える化」する-現在はつねに直近の過去の上にある
成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (5) 断食二日目-祇園会が始まる前夜
・・「新「勝」寺の「勝つ」は、朝敵とされた平将門調伏が出発点なのだ。この点、神田明神とは正反対のポジションに立つわけなので、むかし大手町に勤務していたとき、三井物産ビルと長銀(当時)ビルの狭間にひっそりとたたずむ将門首塚にはよくお参りをしていた私にとっては、ちょっと複雑な気持ちなのだが・・・」
成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (6) 断食三日目は、成田山祇園会の山車と市川海老蔵丈夫妻の結婚奉告参詣
・・「『真言祖師行状記』(伊原照蓮、成田山選書、1998)で、成田山開山の祖師・寛朝大僧正の話を読む。朝敵となった平将門の乱を鎮定するため、鎮護国家の役割をになった真言僧が不動尊を勧請して調伏に成功、しかし京に戻らずに、成田の地にいついて成田不動尊を建立したのであると」
建設中の東京スカイツリー(墨田区押上)を千葉県船橋市から真西の方向に見る (2010年10月17日)
市川文学散歩 ③-国府台(こうのだい)城跡から江戸川の対岸を見る
「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」(西郷南洲)
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